絶命のユーフォリア

絶命のユーフォリア

#02 1-2

 それは黒く輝く巨大な立方体だった。つややかな構造色を纏った立体は、少年の背丈ほどもある身を、音もなく宙に留めてぴくりとも動かずにいる。
 これは何なのか。どうやって浮いているのか。
 少年は「まだ触るなよ」という忠告を守りながら、立方体を二回周り、自身をここへ導いた男へと恐る恐る尋ねた。
「これは?」
死生匣テラヴァイスっつーやつだ」
 イゾラが告げた言葉は、少年が知るものではなかった。
「俺らもこいつのことを知り尽くしてるっつーわけじゃないんだけどな。ざっくり言うと俺らの檻で主人で餌箱だ。あとあれだ、医者」
 涼しい顔でつらつらと語る顔からは、先ほどの負傷で苦しんでいるような様子はまったく見られない。
 ただの人間なら命に関わるような傷を負っているにも関わらず、彼は自分の足で難なく移動してきたのだった。それも異形の姿がなせる業なのだろうか。
「さっきも言ったけど、お前さんを喚んだのはたぶんこいつ。たまーに新しい奴をどっかから引き込んでくるんだ。で、手下になるかどうかを選ばせる」
 イゾラが死生匣テラヴァイスに手を伸ばす。立方体を形作る面のひとつに爪が触れた瞬間、平面にいくつもの文字と図形が浮かんだ。見知らぬ文字が並ぶ光景を前に少年は目を見開いた。
「え……ええと、これは、何これ」
「おー、お前もこういうのなかったとこ出身? 俺も俺も。ディスプレイっていうんだよ、このいろいろ映るとこ」
 解説者は得意げな顔でなおも死生匣テラヴァイスをつつく。映る情報が切り替わり、五つの画像が表れた。明暗が反転していてわかりづらいが、いくつかは少年にも見覚えのあるものだった。
 隣に立つイゾラ。鮮烈な死に様を見せたジンリン。半身を失って倒れていた男。イゾラにあっさりと屠られていた男と、もう一人見知らぬ男。五人の全身を写した画像が並ぶ。
 それらの隣に何らかのテキストが添えられている。少年には読むことができなかったが、その一部に刻々と形を変えている文字があることに気づいた。イゾラはそこを爪の先で指してみせる。
闘人レイズドは蘇るって話をしたろ、これが蘇生までのカウントダウンだ。代償はあるがそこに目をつむれば死に放題なんだよ」
「そうやってずっと生き続けられるってこと、なの」
「いや、限界が来て消え失せる日は来る。一時的に死ぬのとは別にな。それまでを愉しもうぜってこった」
 ほんの一瞬だけ、イゾラの顔が翳ったように見えた。『限界が来た』者のことを思い出したのだろうかと推測し、少年は口をつぐむ。
「で、話戻すけど、ここが動いてない奴が今生きてる面子な」
 黒い凶器がイゾラともう一人、少年が知らない男を指し示した。少年はそれをじっと見つめ、不安げな面持ちで「あっ」と呟く。
「どうした?」
「あの……足りないような。さっきはもっとたくさんの死体が、落ちていて」
 数が合わない。目の前の一覧に載っていない亡骸は蘇ることなく朽ちてゆくのだろうか。自分も一歩間違えばその仲間入りをしていたのではないか。
 麻痺しかけていた恐怖に再び背筋をくすぐられる少年に、イゾラは豪快に笑ってみせた。
「あー、アレな! ダブってんだわ! こいつさ、八つ裂きにしてもそっから新しい体生やしてくんの。だから死体がダブる」
 眼鏡をかけた男を指しながらあっさりと答える。ただの人間に見える姿からは想像できなかった説明に驚きながらも、少年はイゾラの話を受け入れた。嘘をついているようには見えなかった。
「そうそう、死生匣テラヴァイス使えばこんなこともできるぞ」
 彼はなおもディスプレイをつつき続ける。肉をやすやすと切り裂く爪が立方体を傷つけることはなかった。相当に頑丈な素材でできているらしい。
 よし、と呟いて操作を終えると、少年にとって意外な場所に変化が現れた。死生匣テラヴァイスそのものではなくその正面、イゾラのむき出しの腹部で、醜く口を開けていた傷が急速に塞がってゆく。触手で血を拭うと、鍛えられた腹筋で引き締まった肌だけが残った。
「ええ……!?」
「触手食いちぎられたとこも治ったぜ、ほーら」
 イゾラは得意げに柔らかな触手翼を揺らしてみせる。先程より質量を増した軟体が、愛玩動物を愛でるかのような動きで少年の髪をわしわしとかき回した。奇妙な触感に身が驚き、震える。
死生匣テラヴァイスの機能を使うにはFフィードが要るんだけどな。こいつとの取引に使う、形のない通貨のことだ」
「形のない?」
「この箱の中にだけ存在してる金、って思うと近いかもな。こいつが出すミッションをこなせば貰えんだよ、ケダモノ狩ってこいとか物取ってこいとか。さっきドンパチやってたのもその一つだ」
「本気の戦いを見せろ、ってこと……?」
 少年の言葉を、イゾラは己の両手をかきんと打ち鳴らして肯定した。やけに硬い音は拍手の代わりなのだろう。
「大正解、だから今日の俺らは懐ほっくほくよ」
「ええと……おめでとうございます」
 得意げに笑う男に対し、少年は力のない祝福を贈ることしかできなかった。
 次々と見せられる未知の技術に驚くばかりで、頭が正常に働いていない。血の匂いで悪酔いしているのかもしれない。どうしていいかわからなくなった少年は、ただぼうっと目の前の男を見つめた。
 自らより十は年上であろう男だ。身体の形状による制約があるのか、露出の多い服を纏っていた。顔立ちは凛々しい。少年と同じ灰色の瞳には、視線を吸い寄せる魔力がある。
 血を思わせる赤い髪は、ひと房だけが頭頂からひょこりと飛び出しており、意志を持っているかのようにふらふらと身を揺らしている。
 落ち着きがないのは触手翼についた眼球もまた同様で、せわしなく辺りを見回し――ぴたりと動きを止めて、死生匣テラヴァイスを抱いた部屋の入口を見つめた。少年もそれに倣う。
 そう広くない部屋の、壊れて開きっぱなしの扉の向こうから、こちらに歩み寄ってくる影がある。
 暗い廊下から現れた者の顔には見覚えがあった。先ほどさらりと説明された、『八つ裂きにしても新しい体が生える奴』だ。
 長い銀の髪と眼鏡が目につく、やや顔色の悪い男だった。他には特徴らしい特徴のない姿をしている。見た目だけでもただの人間らしい者がいるという事実が、少年に僅かながら安堵をもたらした。
「やほー、新入りくんー」
 間延びした声で話し掛けられたのが自分であることに気づき、ぴんと背筋を伸ばす。
「そいつ僕らのボスなんだけどいきなり無茶ばっかり言うでしょう、大事なとこ以外は聞き流していいよお」
「は、はい……でも、どれが大事でどれが大事じゃないのかがわからなくて」
「あー、それもそうだなあ。じゃあお兄さんも手伝ってあげよう、イゾラ何話した?」
「名簿見せて蘇生と治療とをっつー感じだな。もしかしてアレ持ってきてくれたのか」
「うん。登録はまだかな」
「これからだな」
 眼鏡をかけた男が手を掲げる。傷一つない指は小瓶らしきものを握り込んでいた。
 少年が話についていけずうろたえていると、その様子に気付いたイゾラが笑顔を作り、よく伸びる触手で男を小突いた。気安い仲であることを示すように。
「っと、先にこいつ紹介するわ。俺の一つ年下の、去勢アクメのシエロだ」
「いきなりクソ解説付けるのやめてくれる?」
 シエロが空いている手で触手を叩き落とす。少年は一拍遅れて話の下品さと猟奇性を理解した。
「去勢……ええと、する側、される側」
「される側。俺がする側」
「新入りくんは無理に話合わせなくていいからねえ!?」
 慣れない(慣れているわけがない)話題にあえて乗ったのは、この雰囲気についていくことができなければ彼らに馴染めないのでは、という不安を抱いたためだった。
 口にした行為を想像し、股間のものが縮みあがったのを感じながら、少年は話を続ける。
「ところでシエロさんはどうして蘇生を」
「えっ僕生き返っちゃいけないの」
「いや! そういうわけじゃなく、あの! かかる時間がすごく短いって言いたくて!」
 焦りが言葉の不足を呼ぶ。慌てる少年の様子に、イゾラが笑いを堪えて肩を震わせた。
「あーうん僕ね、だいたいどんな状態でも自力で治せるからさ、ほとんど蘇生の世話にならないんだ。さっきはねー、こりゃ勝てないなって思ったから諦めて、こっちに置いといた腕から生えた」
「そのくせもげた頭使ってちゃっかり覗いてたんだぜこいつ。まあおかげで手間が省けたけど」
 いぇーい! 僕えらい! と軽口を叩きながら、シエロは手にしていた小瓶を指先でつまみ直し、少年の顔に近づけた。少年はその中を覗き、息を呑んだ。ミミズとムカデを掛け合わせたような、細長い体にたくさんの脚を備えた生物が、瓶の内側をゆっくりと這っている。
種子蟲グラフタっつー寄生生物だ。宿主と一体化して、体を生体武装グラフトっつーびっくりパーツに作り替えたりクソ頑丈にしたりする。俺のこの体も、シエロの再生能力も、こいつをたくさん植え付けて手に入れたもんだ」
「あと、痛いのが痛いだけじゃなくなるよね。気持ちよくなって最初めっちゃびびる」
 さらりと説明をする様子に反し、その内容は果てしなくおぞましいものだった。
 寄生生物、植え付ける、という言葉が少年の頭の中で暴れまわる。グロテスクな寄生生物が肌の下をずるずると移動する様子を幻視し、顔から血の気が引いた。元々生気に欠けた顔がさらに弱ったものとなる。
 言葉を失った少年に向かって、イゾラは励ましの言葉ではなく右腕を突き付けた。刃先が少年の顎を軽く持ち上げる。ひっ、とか細い声が洩れた。
「もっかい確認するぞ。こいつで人間をやめて、死生匣テラヴァイスの手下として俺らと共に生きる――でいいんだな?」
 先ほどのおちゃらけた様子とは打って変わって、低い声で囁くように告げる。少年は息をするのも忘れてその言葉に聞き入った。足が震えだすが、喉に凶器を突き付けられていては崩れ落ちることもできない。
「ここで人間のまま、きれいさっぱり永遠に死ぬこともできる。好きなほうを選べ。死ぬんなら俺がひと振りで刎ねてやる」
 様々な記憶が脳裏をよぎった。この施設で目にしたもの、そして突然び出される前のことが。
 失った右眼がじくじくと痛み出す。安易な死に逃げるなと語りかけてくる。そして先ほどの惨劇ポルノの光景が、甘くぬめった未知の愉しみに少年を引きずり込もうとしていた。
 この不気味な虫を体に招き入れれば、身を切り刻まれながら悦ぶことができるようになるのだろうか? 本当に?
「……ぼくは、何かを選ぶことも許されずに育った、から」
 顎に刃物の冷ややかさを感じながら、拳を強く握り、ぽつりぽつりと喋り出した。二人の先達は神妙な面持ちで聞き入っている。
「できるのなら、選びたい。まだ生きたい……足掻きたいんだ!」
 叫んだ拍子に刃先がわずかに肌に喰い込んだ。痛みに顔をしかめる様子を見て、イゾラがそっと凶器を下ろす。そして「わかった」と噛みしめるように告げた。
 解放された少年は全身から力が抜けてしまい、その場にへたりこんでしまった。一人の闘人レイズドの死に触れたときと同じように。
 静まり返った空間で、自分の呼吸だけがやけにうるさい。少しの間を置いて、先ほどの緊張で冷や汗をかいてしまったことに気付いたころ、シエロが軽い口ぶりで静寂を破った。
「じゃあさっさと入れちゃおうか、登録の前にやっといたほうが絶対いいしねえ」
「そーだな」
 相変わらずののんびりとした調子で、「はぁーよっこいせ」などと口にしながら、少年の背後に座り込む。そして両脚を少年の腰に絡め、がっしりと身を抑え込んでしまった。息を呑む主役の背後で、男は瓶をいじる……が、蓋に厳重に巻かれていた粘着テープがなかなか剥がれない。
「あーもう、これ封したの誰だよう」
「知らねえよ。俺が斬るわ、ちょっと貸してくれ」
 イゾラは差し出された瓶を刃の峰で叩き、中の生物を瓶底に落とすと、素早く瓶の上部を切除してみせた。シエロは少年の服をめくりあげ、その上で瓶を逆さにして振る。内部にへばりついていた種子蟲グラフタが落ち、痩せた腹にぺたりと張りついた。
「っ、ひ……!」
 冷たいものが肌を這う感覚に身が強張る。今すぐ異物を排除したい衝動に駆られ、利き手が自然と動くが、すぐにシエロによって掴まれ阻まれてしまった。イゾラもまた少年の目の前にしゃがみこみ、伸縮する触手を両脚に巻き付けて拘束してしまう。退路は断たれた。
「これ……どこから、入っ、っあ」
「人によるけど、機能が欠けてるとこを好むらしいねえ。僕は腹食い破られたっけな」
「俺は腕ー。あと言い忘れたけど、これ植えたあとしばらく死ぬほどムラムラするから頑張って耐えてくれ」
「なっ、そんっ」
「辛いときは俺らが面倒見るさ、仲良くしようぜ」
 なんでそんな大事なことをオマケみたいに言うんだ! という少年の心の叫びは、喉につっかえて出てこなかった。
 種子蟲グラフタは腹をのそのそと彷徨ったあと、短い触角を揺らしながら、意外にも素早い動きで胸へ首へと這い上がってきた。反射的にきつく閉じた唇を素通りし、さらにその上へ。ぬめった身が閉じた右眼をこじ開け、眼窩にぬるりと潜り込んだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
 眼球よりも質量のあるものが押し入り、小さな空間をぎちぎちに埋め尽くしてゆく。粘膜をこすられる激痛に、少年は身を跳ねさせながら獣のように吠えた。
 顔の奥底が痛い。熱い。肉が溶けている最中であるかのように。寄生生物の動きがもたらす衝撃が脳に響き、世界が乱暴に揺れた。
「いだっ、い、あ、がっ、あああっ!!!」
「おっふ」
 あごに頭突きを喰らったシエロがうめく。
「途中で取り出したら悲惨なことになるからな、もう少し頑張ってくれ」
 男たちは暴れる少年を力ずくで抑え続けるが、新入りをいたぶって楽しんでいるような様子ではない。真剣な面持ちで変化を見守っている。
「う、あ、ぁ、ああ……う……」
 ほどなくして少年は頭を振る気力も失い、涎と涙と鼻汁を垂れ流しながら力なく身を震わせるのみとなった。
 イゾラはぐいと顔を近づけ、とめどなく溢れる涙をぺろりと舐め取った。痛苦に耐え切れず漏らしてしまった小水が服と床を汚すが、それでもイゾラは少年の脚を放そうとしなかった。
「馴染むまでの我慢な、そう……いい子だ」
「いい、こ」
「おうとも、とびっきりのな。よく耐えた、あとはくなってくだけだ」
 朦朧とする意識の中、耳元で囁かれる声はやけに優しく聞こえる。にわかにこみあげた心細さに突き動かされ、少年は震える手を伸ばそうとする。意図を汲み取ったらしいシエロがおとなしく拘束を解いた。
「たす、け……からだ、あつく、て、っ」
「だろうな。それはそれで辛いんだよな」
 少年があげる声は、断末魔じみた絶叫から、切なげな色を帯びた訴えへと変わっていた。眼窩で種子蟲グラフタがうごめくたびに、痛みとともに耐えがたい快感が走る。眼孔が性器になってしまったかのような心地は、少年の正常な思考を断固として阻んだ。
 たすけて、くるしい、あつい……とうわごとを繰り返しながら、少年は目の前の男へと手を伸ばす。肩に手を回し縋り付く。イゾラはそれを受け入れ、左手の甲でそっと背中をさすった。手持ち無沙汰になったシエロは、イゾラの背後にしゃがみこんで少年の目の変化を静かに見守っていた。
「いぞら、さん、ここ……いて……こわい……」
「ああ」
 頼られた男は少年の顔をひたと見つめる。様々な体液でぐずぐずになった泣き顔には、先ほどは見られなかった幼さが滲んでいた。
 イゾラはぐいと顔を近づけ、半ば強引に唇を重ねた。すかさず舌を差し込んで咥内を蹂躙してなお、少年がそれに抗おうとする様子はない。ただ力なく身をゆだね、甘ったるいうめき声を洩らすのみだった。時折びくりと体を跳ねさせて、イゾラの肩と触手を強く掴みながら。
 少年が解放されたのは、舌を徹底的にむしゃぶられた末のことだった。混濁していた意識が徐々に覚めてゆき、気恥ずかしさが襲ってくる。
「そろそろ目は落ち着いたか」
「あ、う、うん……たぶん……」
「変化は終わったっぽいねえ」
 シエロは仲間の行動に驚くことも、それを咎めることもなく、少年の右目を覗きながら「へぇー」「ほぉー」と呑気な声をあげていた。絡めた触手を解きながら、イゾラもまた感嘆の声をあげた。
「面白れえなこれ、何に使えんだろ」
「んー、わっかんない」
 興味津々といった様子で少年を観察する男たち。当人は痛みと熱の残滓に浮かされながら、夢でも見ているかのような心地で反応をただ聞いていた。
 まだ涙で歪んではいるが、視界に厚みが生まれたように思える。右目が再生して視力を取り戻したのかも知れない、と気づいたのは、楽しそうに騒ぐ先輩たちをしばし眺めてからのことだった。
「そっちの目、見えるのか?」
「見える、と思う……ただ、まだおかしくて」
 手の甲で涙を拭き取る。それで治るだろうと思っていた変調は、消えなかった。
「水の中にいるみたいな」
 戸惑いが滲んだ言葉に、先輩たちはそれが妥当とでも言いたげな表情を見せた。種子蟲グラフタを住まわせる前と比べ、少年の視界はわずかに色味が変化しており、澄んだ水の中からものを見ているかのように感じられた。部屋が水没したわけでもないというのに。
 イゾラはすっくと立ち上がり、混乱した少年の意識を引き付けるべく、手の刃を打ち鳴らした。
「まあとにかく俺らの仲間入りは半分成功だ、おめでとさん! あとは残り半分だな」
「まだ何かするの!?」
「大丈夫、次のは一瞬で終わるからさー。ほら立って、そこのでっかいの触るだけ」
 シエロが少年の肩を支え、立ち上がらせる。残り半分、という言葉に不安は残るものの従うほかはなく、ふらつく足に鞭を打って死生匣テラヴァイスへと歩み寄った。
 目的のものへ手をかざすが、それだけでは変化は生じない。少年はちらちらと助けを求めるように振り返った。
「本当に触るだけでいいの……」
「そうそう、恐れず怯まずどーんとね」
「腰引けてんぞ、そらっ」
「おわっ!?」
 背を押され、バランスを崩してしまう。両手と顔面で豪快にディスプレイに触れた瞬間、表示されていた内容がすべてぷつりと消えた。
 一度真っ暗に戻ってしまった表面に、先ほどとは異なる情報が映し出される。装置そのものがわずかな振動を伴って喋り出した。
『アタラシイ レイズド ヲ ケンシュツ トウロク カイシ』
 紡がれる言葉は固くいびつで、まったく馴染みのないもの。機械による合成音声を知らない少年は、その異質さに寒気を覚え身を震わせた。
「変な声が!」
「テラちゃん喋るのヘタクソなんだよ、大目に見てやってくれ」
 少年がうろたえている間に、ディスプレイに表示される情報が次々と切り替わる。文字が表れては流れ、消え、何かの図のようなものが混ざり……めまぐるしい変化が止まったとき、映し出されていたものは、不安げな表情を浮かべた少年自身の顔だった。
 種子蟲グラフタによって再生したらしい右目は、上手く映らなかったのか瞳がぼやけてしまっている。
『トウロク カンリョウ シキベツ コード 〝モーリェ〟』
 画像の隣にまた新たな文が追加されてゆく。少年は死生匣テラヴァイスから数歩離れた場所で、その様子を呆然と見ていた。彼の故郷には存在しない技術に再び驚きながら。被写体に気付かれぬように撮影し、紙以外のものに一瞬で現像できる写真など聞いたことがない。
 その様子を見守っていた二人は、後ろで揃って笑顔で手を打ち鳴らした。
「モーリェっつーのか、改めてよろしくな!」
「もー……りぇ?」
「君のここでの名前だよ。死生匣テラヴァイスがてきとーに割り振ってくるの、何かにつけ使うから覚えとこうねえ」
「そうなんだ、だから」
 名乗らなくていいって言ったんだ。と続けようとして、響いた機械音声に遮られた。
『テキゴウ ショリ オヨビ サイコウチク ヲ カイシ』
 適合処理とは? 再構築とは?
 疑問を口にしようとした瞬間、ばちん、と体の中で音が響いた。ように思えた。
 胸に激痛が走ったかと思うと、そこを起点として全身に痺れが走る。身体の内部、それも生命維持に必要な箇所が性感体となってしまったような、そこをあまりにも乱雑に責め立てられ、挙げ句の果てに潰されてしまったような――潰れた? 心臓が!?
 モーリェという名を得たばかりの少年は、なすすべもなく床に崩れ落ちた。声をあげることもできないまま、少しのあいだ身を痙攣させて、動かなくなった。
 つま先までぴんと反らせたむき出しの足が、イゾラの爪先を蹴りつけている。イゾラはもう動かない少年の足をそっと退けると、顔を覗くようにしゃがみこんだ。
「また後で、な」
 穏やかな声で囁きながら、触手を器用に使って瞼を下ろしてやる。その隣でシエロは死生匣テラヴァイスを操作し、〝登録〟が始まる前に少年が見せられていた情報を再び表示していた。
 闘人レイズドの名と顔を連ねたリストには、新たな戦士が確かに追加されていた。