絶命のユーフォリア

絶命のユーフォリア

#01 1-1

 蛇が空を飛んで襲い掛かってきたのだと思った。
 切り刻まれたはらわたの一部であると気付いたのは、少年が反射的にそれを叩き落して、飛び出した液体と血を顔面に浴びてからのこと。
 吐瀉物を煮詰めたかのようなひどい臭いに驚いた身体は、わずかな胃の中身をすべて吐き出してしまった。
 まっすぐに立っていられなくなり、目の前のものに掴まってどうにか堪える。少年が身を預けた金属柱の根元には、臓物の持ち主らしき者が半分だけ横たわっていた。
 もう半分、大胆に分断された下半身は、少し離れた場所に転がっている。どちらも断面から血がとめどなく溢れていた。
「な、に、これ、なにが」
 辺りを見回す。灰色を基調とした見覚えのない世界で、見知らぬ者たちが刃を振るいあっていた。足元に転がる死体はその犠牲者だろう。他にも数人分の、ばらばらに切り刻まれた人間の残骸がうち捨てられている。
 再びこみ上げた吐き気にやられ口を押さえたとき、戦っている者たちの一人と目が合った。一振りの斧槍ハルバードを構え、さらに二振りの剣を三本目・四本目の腕に構えた異形の男が、こちらを見て確かに笑ったのだった。
 しかし一瞬でも戦場から目を逸らしたことが仇となる。少年が瞬きをする間に接近していたもう一人の男が、大振りの刃で四本腕の戦士の首を刎ね飛ばした。
 力強く振るわれた刃はやすやすと骨をも断つ。分かたれた頭は地面を転がり、残された体はゆっくりと膝をついてから倒れ伏した。そっぽを向いて止まった顔がどんな表情を浮かべているかはわからない。
 戦いの場に残った者は二人。
 一人は先ほどの戦士以上に異様な姿をした男だった。遠巻きに伺える横顔は人形じみて整っており、上着の長い裾から覗く脚は蜘蛛のように多い。その足元では巨大な虫や目玉のついた肉塊が蠢いている。
 異形の戦士は観戦者を眼球の動きだけで一瞥すると、対峙した男に向かって、朗々と告げた。
「久々の新人さんですよ、自己紹介しないんですか?」
 その口元は柔らかく笑っていた。殺すか殺されるかの状況にありながら、彼はそれを楽しんでいるようにさえ見える。
「勝ったほうから、でいこうぜ」
 弾んだ声で問いに答えた男は、女顔の男に引けを取らぬ奇怪な姿をしていた。
 まず目につくのは、手にしている―否、腕があるべき場所に生えている―赤黒い大振りの剣。もう片方の腕も半ばから変質し、大きな鉤爪を備えた異形の手となっている。
 そのどちらもが血にまみれていた。辺りにうち捨てられた犠牲者たちはこれで屠られたのだろう。
 横顔に浮かぶものは興奮と愉悦。殺し合いが心底楽しくて仕方ない、とでも言いたげな顔をしている。
 その高揚に呼応するように翼のようなものと尾が揺れた。羽根も皮膜もなく、ぐねぐねと形を変える軟体動物のようなそれを、本当に翼と呼んでよいのかはわからない。
 翼にはさらに一対の眼球が備わっており、その片方が少年をひたと見つめている。
 戦闘経験のない、ただ虐げられるだけのものであった少年は、逃げだすことさえ叶わぬまま、異形の視線にうろたえることしかできなかった。
「おい! そこのチビ助!」
 大声が自分に向けられたものだと気付くのに数秒を要した。次はお前だ、とでも言われてしまうのか。身体を真っ二つに切り裂かれる己の姿が脳裏に浮かび、「ひっ」と引きつった声が洩れた。
 刃の男は片腕を高く掲げ、威勢よく叫ぶ。
「デモンストレーションだ、よぉーーーく見てなッ!」
 言いきった瞬間、男は力強く地を蹴り駆け出していた。大きな弧を描いて振り下ろした腕は、八つ脚の男が手にしていた武器で受け止められる。続けざまに繰り出された鉤爪による一撃は、突如変形した武器によっていなされた。剣のように見えた何かは、ぐにゃりと自在に形を変えられるうえに、刃を弾くほどの頑丈さを持つらしい。
 八つ脚の男は身を屈め、異形の脚部で素早く後ずさり、刃の射程距離から逃れた。ほんの一瞬前まで標的がいた場所で、刃の男の翼――もとい触手が泳ぐ。かわせなければ拘束され、ただちに切り刻まれていただろう。
「〈千装の仔蜘蛛ワーカ=アラネア〉! お食べなさい!」
 後退しながら声を張り上げる。号令に応じ、足元をうろついていたグロテスクな生物たちが敵へと殺到した。
 歩行するなめくじのようなものが、脚に纏わり付こうとして踏み潰される。四本脚の肉塊は尾によって貫かれる。大きく飛び跳ねて襲い掛かった虫は、自在に動くひと房の髪によって串刺しにされ、放り捨てられた。
 しかし小さな化け物たちのうち一体が、上手いこと刃の男のもとへとたどり着いた。再び得物で打ち合った二人の間に、蛇のようなものが飛びこみ腹に食らい付いたのだった。
 刃の男は顔を歪め、すぐさま爪で蛇を両断したが、頭だけが強固に食らい付いていて離れない。攻防の合間に触手でどうにか引きはがした頭部は、皮膚と肉をごっそりとくわえこんでいた。
 その後も観戦者が呼吸を忘れるような戦いぶりが続く。少年は時間が数倍に引き延ばされているかのような感覚に包まれていた。
「どぉ、かっこ、いい、れしょ」
「っひ!?」
 唐突な、すぐ近くからの声に驚いて、彼はびくりと身を奮わせた。声の主は足元にいた。すでに事切れていると思い込んでいた、下半身を失った青年が、血まみれの口で語りかけてくる。少年はひざまずき、彼の言葉に耳を傾けた。
「まだ生きて……手当てを……だめだ、間に合わない、どうしたら」
「そー、だねぇ、僕は、死ぬよ、一回」
 臓物が無惨にこぼれて息は絶え絶え、今まさに命が燃え尽きるというのに、青年の表情はやけに艶めかしい。どこか喜ばしげに目を細めるさまは、確かな性の気配を漂わせていた。
「たのしい、とこだよ、ここぁ……きっとすぐ、慣れる」
「慣れるって何が……半分死んでるのに!? 苦しくないのか!!」
「苦しい、よ、でも、それ以上、に、気持ちいい」
「クスリでもキメてるの!?」
 状況がまったく飲み込めず、顔面蒼白になって叫ぶ少年。死にかけの青年は力なく手を伸ばし、少年の頬をそっとなぞった。
「きみも、おいでよ」
 震える指先が少年の肌をもてあそぶ。汚れた頬に、そして開かぬ右の瞼に鮮血を上塗りして、青年は満足げに手を下ろした。そしてうっすらと目を開いたまま、ぴくりとも動かなくなってしまった。
 おいで、とは何だったのか。なぜこんなにも楽しそうに死んでいったのか。死神に首を掴まれたような心地になり、少年はその場にへたりこんだ。
 一刻も早くこの場から離れるべきだ、と頭が警鐘を鳴らし続けているのに、体は恐怖で凍りついてしまっている。――何への恐怖で?
 死が恐ろしい。いつでも自分を殺せる者と居合わせていることが恐ろしい。しかしそれだけではないと気づいてしまったとき、少年は立ち上がることができなくなってしまった。
(ずるい)
 事切れた若者の死に顔を羨ましいと思ってしまったことが、何より恐ろしい。
「何なんだこれ……どうなってるんだ……」
 ぽつりぽつりと心情がこぼれ出る。その少し遠くで、戦いを続けていた者たちが、怯えた声を雄叫びでかき消していった。
「は、なっ、せえええええええ!!」
 吼えたのは八つ脚の男。前脚に備えた爪が相手の腹を貫いているが、触手で腰を絡め取られ、退くことも進むこともできなくなっていた。
 手にしていた武器は弾かれてしまったようで、少し離れた地面で寂しそうに転がっている。引き連れていた化け物たちもまた、ほとんどを切り捨てられてしまい、あたりはその残骸だらけとなっていた。
「誰が放すかってんだよ!」
 まだ自由の利く異形の脚が敵を狙う。しかしそれらは爪によって弾かれ、腕の刃によって斬り落とされてしまった。
「づっ……ぁ、ああっ……!!」
 脚が切断されるたび、その主は上ずった声をあげて身を捩った。
 もはや嬲られるだけの獲物となった化物の、鮮血を撒き散らす脚の断面が、一つまた一つと増やされてゆく。
 刃の男は触手で相手の体を持ち上げ、くるくると踊るように振り回しながら、異形の脚をすべて断ち落とした。そして自らの腹部に刺さっていた二本を引き抜いて捨て、血で光る得物を標的の腋に宛がう。
「じゃ、新入りのチンポが吹き飛ぶぐらいエロい顔してくれ」
 男はいっそうの嗜虐性に満ちた凄絶な笑みを浮かべ、ためらいなく腕を振り上げた。刃は相変わらずの驚異的な切れ味でやすやすと肉を断つ。白い骨が一瞬だけ姿を見せ、血に塗り潰された。
「――――――――っ!!」
「そーそー、そんな感じ」
「っひ、う、ああっ……うで、だめ……っ! ああ゛――――っ!!」
 もう片方の腕も根元から落とされ、十肢すべてを失った男は、きつく目を閉じてひときわ高く声を張り上げた。失血で血の気の引いた顔でありながら、浮かべる表情はひどく熱っぽい。女性的な顔立ちと相まって、客とまぐわう情婦のように見えた。
 少年の脳裏に、先ほど目の前で力尽きた若者の言葉が蘇る。苦しい、でも気持ちいい――今まさに殺されようとしているあの人も? そんなことがあっていいのか?
 口をぽかんと開けたまま座っていた少年のもとへ、戦いの勝者が歩み寄る。靴底で血のスタンプを残しながら。触手で抱えていたものの向きを変え、鉤爪となっている手で持ち直しつつ。
「よーぅチビ助、ちゃんと見てたな」
「ぁ、っは、はい、見て、た」
 男は背から触手を一本伸ばし、先端で少年の頭を撫でた。その場にしゃがみこんで、青い髪を血の赤で塗り替えるように、丁寧に。
 少年は途切れ途切れの返事をしながら、ただされるがままに頭をいじくられていた。逃走も殺しへの糾弾も、試すだけ無意味だろうと思いながら。
「俺はイゾラ、お前さんの大先輩だ」
「いぞら、さん」
「と、そっちは名乗んなくていいぞ。大事にしまっとけ。気にいってねえなら捨ててもいい」
 イゾラと名乗った男は、手足を失った男を抱えたまま、やけに朗らかに話しかけてくる。理由までは汲めなかったものの、指示だけは理解した少年は、口を噤んで何度も頷いた。緊張で乾いた唇がくっついてしまい、痛い。
「で、こっちが俺の同僚でダチでライバルで腐れ縁のジンリンだ。見てりゃわかると思うが俺の次ぐらいに強いぞ。はい挨拶」
「……む……、り……」
 触手翼がジンリンという男の顎を持ち上げ、強制的に少年の顔と向き合わせた。その顔は青ざめており、ひゅうひゅうと荒い息をするのがやっとといった様子。
 少年は言葉を失いながら、死にかけの男と傍らにうち捨てられていた死体とを見比べた。浮かべている表情が似ている。このずたぼろの敗者もまた、苦痛を塗り潰すほどの甘美な感覚に身を焦がしているのだろうか。
「あ、あ、あのっ」
「おう、何でも訊け訊け。まず何知りたい?」
「なんで、同僚を……ころ、殺して、そんな」 
「それが俺らの今日の仕事だからな。本日限りタダで死に放題! まあ詳しくは順を追って話すさ」
「仕事……で、僕も殺すの、ここで」
「いいや、殺らねえ。今のお前さんをブッ刺したら本当に死んじまう」
 〝本当に〟死ぬ、とはどういう意味なのだろうか。辺りに転がっている者たちは”本当に”死んではいないのか? 体を分断された死体に、首を刎ね飛ばされた死体、どちらも既にぴくりとも動かない。
 混乱の極みに至り、ただ口をぱくぱくとさせた少年に、イゾラは笑みを浮かべてみせた。ジンリンの手足を斬り落とした際に見せた、あの顔を。覗く歯は肉食の獣のように尖っていた。
「お前さんは今しがた、死生匣テラヴァイスに……俺らの主っつーかクソ飼い主っつーか、とにかくそういうもんによってび出された。故郷に帰る手立てはない。選ぶんだ。人として死ぬか、俺らと同じ闘人レイズドに生まれ変わって、気持ちよくモツをぶちまけながら殺して死んで蘇ってまた殺す日々を送るか」
 〝大先輩〟はそう一息に告げて、抱えていた同僚の首に腕の刃をあてがった。狙いを定めるように肌を叩くと、首筋に赤い線が生まれ命が滴る。
「ジン、首でいいか? それとも心臓にするか? 頭って手もあるぞ」
「……くび、して……」
「りょーかい」
 力なく答える声は、強烈な官能の色を帯びていた。己の首を切り裂かれることを、 まるで愛撫を求めるかのように、甘く切実に求めたのだ。
「よく見とけよチビ助。俺らにとって〝死〟ってのは、セックスみてえに何度でも味わえて、どこまでもブッ飛べるほど気持ちいい、最っ強に楽しいイベントだ!!」
 弦楽器を弾くような動きで、イゾラの刃が首をすべる。鋭利な刀身は音もなく肌を裂き、骨を断ち切って、ジンリンの首をすっぱりと両断した。
 切り離された頭は地に転がり、声にならない声を血と共に吐き出してから、目を見開いたままぴくりとも動かなくなる。結わえていた長い髪がその上にはらはらと散った。
 少年は息をすることも忘れてその光景に見入っていた。恐ろしさゆえに目を離せなかっただけではない。もっと背徳的な、今まで育ててきた己が倫理観を粉々に打ち砕くような、後ろ暗い情動に身を焦がされようとしていた。
 自らの足元に転がってきた生首を拾い上げ、光の消えた目をのぞき込む。羨ましい、と思った。口と鼻から垂れた血の跡は、この整った顔を飾る最良の化粧に違いない。
「……連れて行って、ください」
 自然と言葉がこぼれ出ていた。
 イゾラはそれを確かに聞き届け、立ち上がる。腹からはみ出ていた臓物を触手で押し込み、服で血を拭ってからその触手を差し出してきた。少年は生首をそっと置き、震える手でそれを握った。赤い皮膚には人肌の温もりがあった。
「故郷に未練はないし、自分もたったいま頭がおかしくなった……かもしれない……」
「そいつは良かった、イカれられないほうが辛いんだよなあ」
 手を引かれ、立ち上がる。
 もうどこにも戻れないのだろうという予感があり、それで良いのだという確信があった。