ジギタリス・ガーランド

ジギタリス・ガーランド

#04

 エルフィンとの出会いから三日が経った頃。
 機を織る音だけが響く作業部屋で、ジギタリスは今日も刺繍に勤しんでいた。かたん、しゅっ、かたん、とテンポ良く鳴らされる作業音が心地よい中、今日は二人で別々の家業のをこなしていた。
 機織り機に向かっているのは継母だ。若くおとなしい女性で、父にはもったいない逸材だと継子は常々思っている。しかし夫婦の仲は上手くいっているようで、良縁と言えば良縁だったのだろう。しかしただ一つの問題として、少女と父の仲だけが噛み合っておらず、夫婦もその話題になると表情を曇らせがちである。
「……ねえ、ジグちゃん」
「えっ!? あ、何っ!?」
 憂鬱な思考で手が止まっていたらしい。優しい声で唐突に名を呼ばれ、ジギタリスは大げさに身体を震わせた。
「例の発掘くんってどんな人なのかしら?」
 発掘くん、とは彼女がエルフィンにつけた呼称である。土の中から発掘されたので発掘くん。捻りも何もないが、単純明快で解りやすくはある。
「うーん……何喋ってるのかは解らないんだけど、悪い奴じゃないと思う。ごはん持ってったりする度にすごい勢いで頭下げてくるし」
「そうなの、律儀な人なのねえ」
「律儀、なのかなぁ」
 継母は柔らかな笑みを浮かべて義娘の話を聞き入れていた。しかしその表情はいつにも増して楽しげだ。
「気になってたのよ、最近ジグちゃん楽しそうだもの。もしかしてその人に恋でもしちゃったのかな、なんて思っちゃってね」
 恋。その言葉を耳にした瞬間、ジギタリスの指先に要らぬ力が籠もり、布を刺し貫いた針が指先にぷすりと食い込んだ。
「あいててててて!!」
「きゃっ! 大丈夫!?」
「だっ大丈夫、そういうのじゃないから! 私が掘り起こした訳だから面倒見なきゃって思うし、村じゃないとこから来たみたいで面白いだけだし、ほっといたら死にそうだし、って言うか臭いし髪なんかべたべ、てっ、げほっげほっ」
 弁明の言葉は戸惑いと気恥ずかしさに満ちていた。過去に色恋沙汰ではないかと人にはやし立てられたことはあるが、相手がアコナイトにけしかけられた勘違い男であるゆえに気が滅入るばかり。嫌いではない男との間柄を問われること自体、ジギタリスにとっては初めてのことだった。
 継母に心配されながらも、少女は大丈夫、大丈夫と繰り返してみせる。指先からは少しの間を置いて血の粒が滲み出したが、布を汚す前に指先を銜えて吸い取った。
「と、とにかくそんなんじゃないから……」
「はぁい、わかったわ」
 俯きがちな少女の言葉、そして声を弾ませた継母の言葉のどちらもが説得力に欠けている。何故こんなにも慌ててしまったのか解らないままに、少女は指先の血が止まったのを確認して作業を再開した。
 くすくすと笑う継母は、初めて義娘が見せた乙女らしい反応が楽しくて仕方がないのだろう。父はあんな得体の知れない男に関わるんじゃないと何度も言ってきたが、打って変わってこちらは楽観的だ。
(確かに嫌いではないんだけど……)
 引きずるようにぼんやりと考えながら、出来上がった縫い物を箱にしまう。小さな四角い布に緻密な刺繍を施したそれは、村の外へと売りに出される民芸品の一つである。この村周辺でしか採ることのできない花で糸を着色し、長きに渡って伝えられた技法で柔らかな紋様を縫い込んでゆくものだ。特に遠い地上の街で人気があるらしく、売れ行きは良い。
 売り出すものは反物に始まり、ジギタリスが先ほど手がけたコースターや、ハンカチ、ランチョンマット、カーテン……などと多岐に及んでいる。話によると、地上の人間は布を買って日用品を作るよりも、既製のものを買って使用することを好むらしい。針仕事が面倒なのだろうか、代わりにやるから雇ってくれる地上の人はいないものか……と、少女は度々妄想に耽った。
「次は……っと」
 異なる箱の中から次に彩るべき布を見繕っていたときだった。ふと先ほどの話題を思い出し、エルフィンの姿が脳裏に浮かんだ。偏ってはいるが食事を摂り、暖かな掛け布を被って寝ているものの、不健康そうな姿は未だ継続中だ。二日三日で変わるものではないと解ってはいるが、目を離した隙に動かなくなってしまうのではないかと心配でならなかった。
 何か、飯の世話と水汲み以外にしてやれることは無いのだろうか。ぼんやりと考えていた少女の視界に、一枚の布の切れ端が止まった。これだ、と薄い唇が声を欠いて呟く。何かに後押しをされるように、少女は細長い布きれを手に取り、新たな作業に取りかかった。

 * * *

「うわ、ちょっと擦りすぎ!!」
 訪れた世話役が叫んだ最初の一声だった。再びエルフィンのもとを訪れたジギタリスが目にしたのは、顔や腕を真っ赤にした男の姿。絞った布で強く拭きすぎたのだろう。強すぎる刺激に肌が悲鳴を上げ、すっかり充血してしまっている。
「気持ちは解るけどもう少し肌を大事にしてあげなさいよ、酔っぱらったおっさんみたいな顔色になってるじゃない!」
「□、□□□……」
 叱られていることだけは理解したようで、エルフィンは椅子の上で縮こまってしまっている。呟いた言葉が謝罪なのか弁解なのかは謎のままだが、ジギタリスは「わかればよろしい」と満足げに言って見せた。
「って、こんなこと叫びに来たわけじゃなくって。とびっきりの差し入れ持ってきたんだからね」
 持ち込んだ小袋から取り出されたのは小瓶と布包み。厚布を手際良く解けば、中から小瓶と鈍く光を照り返す金属製の品が現れた。鋏と剃刀だ。
 広げられた刃物を凝視する男の前で、少女は小瓶の栓をを抜いた。やや粘度のある液体を湛えたそれは、ふわりと薬草のような芳香を放つ。この辺りで何かと使われている香油だった。
「剃刀持ち込んだのバレたら怒られるだろうけど、ずっとむさ苦しいカッコしてるよりいいわよね。若いのにそんなに髭伸ばしてるなんて変だもの」
 ジギタリスが剃刀を手に取ると、エルフィンはその意図を察してぴんと背筋を伸ばした。物わかりが良くて結構、と頷いてから、今日限りの理髪屋は香油を指先に取って男の髭に塗り始める。これがあるのと無いのでは大違いだ、と父が言っていたのを思い出しながら。
 そして使い古された大布を首に巻けば準備は完了だ。やつれた頬を、細い顎を、少女の操る剃刀が撫でてゆく。座ったまま微動だにせず身体を預ける男に、少女は恐る恐るといった様子でひげ剃りを施していった。程良い角度を探し、男の周りをくるくると回りながら。
「……ふう」
 息が詰まるような時間を経て、手入れはようやく完了した。エルフィンは髭の無くなった顎を撫で、口元を緩ませている。鬱陶しい毛と別れられたのが相当嬉しいように見えた。
「□□□□」
「まだまだっ、もっと大きな仕事が残ってるからね!」
 血を見ずに髭を剃り終えて安堵したのも束の間、ジギタリスは鋏を手にしてエルフィンににじり寄った。次の標的は野暮ったいことこの上ないどぶ色の髪だ。
 父親の髪を切る機会が度々あったため勝手は解っていた。しゃっ、しゃっ、とスマートな音をあげて鋏が躍る。何度も洗ったようではあるが髪にはまだ脂が残っており、濡らさずとも自然と纏まって散髪を助けた。気持ちの良いものではないが、皮肉にも助かった形となる。
 少女は長すぎる前髪を大胆に切り落とし、そこから丁寧に毛先を揃えてゆく。しかし後ろの髪だけはあえて切り落とさず、先端を整えるだけに留めた。
「うちの村流のおまじないなのよ。身体が弱い子供はね、こうやって後ろだけ髪を伸ばしてまじない紐で縛るの。根っこみたいにね。これで大地から元気を吸うんだって」
 伝わらぬ説明を嬉々として行いながら、ジギタリスは残った後ろ髪を結わえていった。襟足から肩胛骨に至るまでの長さを戒めるのは布製の紐。ほつれぬように丁寧に縫われ、身に文字にも見える紋様が刺繍されている。昼の間に少女が自ら縫ったものだ。
「とにかく、あんたは早く元気になること。それが第一だからね」
 男の頭を念入りにはらい、付いた短い髪を落としてゆく。手を動かしながら告げた言葉は本心からのものだ。刺繍した字は健康を願うまじないの言葉で、思い立ってすぐに縫いつけたもの。普段こういったものの効用は疑っている身だったが、今だけは素直に効き目が出ることを祈った。
「よし、できあがり!」
 すべての作業を終えたジギタリスは、改めて正面からエルフィンの顔を見据え――思わず息を呑んだ。
「……あ……」
 髭を剃り落とされ、前髪を切り揃えられた男の姿は、先ほどとはまるで別人となっていた。伸び放題の毛は思っていたよりも強く不潔さを助長していたらしい。ようやく赤みが引いてきた白すぎる肌も相まって、泥だらけの身を丸洗いされた人形のような姿を呈していた。
 やつれきってはいるものの、その顔立ちは優しげでどこか知的な空気を漂わせている。元は相当な美青年だったのだろうか……と頭の中で想像図を組み立てている少女の前で、男が柔らかく微笑んだ。
「□□□□」
 一瞬ではあるが、比喩ではなく本当に、少女の息が止まる。
「……えっ、あ……その、今のってお礼? そっそんな畏まらなくたっていいのよ、これくらい当然のことだからっ」
 顔を見つめていられなくなり、ジギタリスは慌て道具を片づけ始めた。鼓動が高鳴り、吐息が不自然に熱を帯びてゆく。背けた顔が赤らんでいるのではないか、ひどく気になってしまい手元が覚束ない。とにかく自らを平常心に戻したくて、男からひったくった大布を几帳面に畳んだ。
 何故こんなにも混乱しているのか、自分でもよく解らない。目の前にいるのは麗しくも力強くもなくて、蔦花の根のようにひょろ長く得体の知れない、偏食家の汚れた雑巾のような男なのに――心の内で目一杯貶してみるが、あの優しげな笑顔が頭から離れてくれることはなかった。
「……□□□□?」
 エルフィンが心配そうに少女の手元をのぞき込むが、反応してやる義理も余裕もなかった。少女はただ黙々と瓶や刃物を布で包んでゆく。
 しかしあと少しといったところで作業は中断された。少女を蝕む未知の焦りが災いしたのか、手についた油が拭いきれていなかったためか、摘んだ剃刀がつるりと手から滑り落ちてしまったのだ。
「げ」
 宙に投げ出された剃刀は、もう片方の手を掠って床へと落ちていった。左手の甲、絹のような肌に一筋の線を残して。一拍の間を置いて、手に走った感覚が鋭い痛みだと解った。
「っづぅううっ!?」
「ジグ! □□□□□!?」
 思わず苦痛の呻きが漏れる。慌てて詰め寄ったエルフィンの目の前で、傷跡からじわりと血が滲み始めた。幸い傷は深くないようだが、手の甲をするりと長く切り裂いていったため、濃い赤は滴るほどの勢いで溢れだしてくる。
「□□□□□□□!」
 手当をしようとしているのか、男の手が伸ばされる。唱えられた通じぬ言葉は切迫していた。
 しかし骨ばった手が届く前に、ジギタリスの脳裏に忘れてはならない事実が蘇った。大婆様や村の大人に耳が痛くなるほどに言われた言葉だ。
(私たちの身体は、外の人間には毒……)
 毒華族はその名が示す通り、皆身体に各々違う毒を宿しているのだと。私たちの血も涙も、外の者が摂ればたちまち毒となって身体を蝕むのだ……と。
 幼い頃は村の者を外に出さぬ為のはったりだと思っていたが、歳を重ね村の様々な面を目にするにつれ、次第に言い伝えの信憑性は増していった。村に商いに来る外部の者は、村の入り口で談笑はするものの中まで入ろうとはしない。村に美女は多いはずなのだが、彼女らを口説きにくる余所者は現れない。豊作の年でも絶対に食料を村外に売らない。等、大人の言い分が正しいとすると合点の行くことが多すぎる。
 だとするとこの手に滲んだ血も、外部の人間であるエルフィンにとっては毒となるのだろう。どのような毒なのか、どれくらいの強さなのかは本人にも解らない。知らぬがゆえに恐ろしい。血を吐いて悶え苦しむ客人の姿を脳裏に描いてしまい、少女は肌が粟立つのを感じた。
 あとは自然に手が動いていた。
「触らないで!!」
 ぱしん、と派手に肌を打つ音が響く。気づけばジギタリスは渾身の力でエルフィンの手を打ち払っていた。
「う……」
 男は何が起こったのかを即座に理解できず、その場で固まったまま目を白黒させた。
 やりすぎたかもしれない。そう思った途端に、締め付けるような痛みを伴って鼓動が速まる。困惑の眼差しに胸を射抜かれたかの如く。
 しかしエルフィンは即座に我に返り、再びジギタリスの手を取ろうとする。
「□□、□□」
「だめ! 危ないから絶対にだめ!!」
 小さな手が男の腕を掴んで力一杯押しやった。発した声は叫びとなり、男の手に鋭く突き刺さる。
 そして少女は慌てて手頃な布で傷を押さえ、血を流し続ける左手を男から遠ざけた。血は命の源流であるがゆえに、最も濃く毒が溶けこんでいるらしい。絶対に触れさせてはならない。
 痛みに顔を歪めながら、ジギタリスは右手と口を使って一心不乱に布を引き絞った。苦しいぐらいに傷跡を締めあげ、簡素な処置を終える。痛みを和らげることより、今はまず血を止めることが先決だ。
 布にじわりと滲む暗い赤は、自らから流れたものであるにも関わらず、酷くおぞましいものに見えた。慣れ親しんだ身体の一部であると同時に、自分を気遣ってくれた者を殺すかもしれない凶器でもある、残酷で悲しい毒薬だ。
「……はぁ」
 大きく息を吐いてから思考の整理を試みる。まず確かめなければならないのは居合わせた者の無事だ。エルフィンの手を注意深く見据え、血が跳ねていないことを確認する。そして視線を顔に滑らせ――彼の無事と共に、咄嗟の判断が呼んだ事態を理解した。
 エルフィンは打ち据えられた手を動かせないままに硬直していた。痩せた顔いっぱいに困惑の色を浮かべ、眼だけを落ち着きなく動かして、ジギタリスの顔と傷の場所を交互に見ている。
「……□□□……」
 そして申し訳なさそうに何かを囁いて、少女から静かに離れていった。傷を負った際、血相を変えて手当をしようとしてくれた、優しい姿の残像を微かに残して。
 瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのような苦しさが少女を襲う。それは父と喧嘩になったときに感じる痛みに近く、傷の疼きを忘れるほどに強く胸を締め付けた。
「その、ごめん……別に嫌いとかそういうわけじゃないの」
 少女は思わず弁明を始める。自らへの言い訳にしかなりえないと解ってはいるが、それでも止めることはできない。
「私たちの血ってね、外の人には毒なんだって。だから、触ったら危ないから……ええと……叩いちゃって、ごめん……」
 言葉を連ねるにつれ、声は消え入りそうなほどに小さくなっていった。エルフィンは心配そうにジギタリスの顔色を伺うばかりで、謝罪の言葉に頷いてくれることはない。再び怒りの琴線に触れてしまうことを恐れているような素振りだった。
 事情を説明するのは難しいだろう。言語の壁と部族の壁、二人を隔てる越え難い壁がとにかく憎かった。こんなにも近くにいるのに解りあえない。それが何よりも悔しい。
「……じゃあ私、帰るね。さっさと傷治してまた遊びに来るから。……床、自分で掃いておいてくれる?」
 慎重に剃刀をしまい、壁に掛けられていた箒を押しつけるように手渡して部屋を出た。
 縋るような、許しを乞うような視線を背中に受けながら。

 帰り際に会った師、帰りを出迎えてくれた継母、そのどちらもがジギタリスに消沈の理由を尋ねたが、『何でもない』の一言で押し通して自室へと直行した。今は何もしたくなくて、靴を脱いで寝台へと倒れこむ。身体から一気に力が抜けていくようだった。
 枕に顔面を埋めれば、言葉の通じぬ相手を恐れるようなエルフィンの顔が浮かぶ。もう少し柔らかい断り方はなかったのか、と後悔の念ばかりが沸き上がり、胸が苦しい。本来ならば言い訳が利くレベルの過ちも、言葉が通じないとなると正しにくいものとなる。
 想起は事件の前にまで及んだ。彼の笑顔に舞い上がっていた自分が馬鹿らしくて仕方がない。側にいれば自然と理解し合える、なんて理屈は子供の考えなのだと自らを責めるしかなかった。ましてや血の繋がった者とすら解りあえていない自分なのだから。
 目の奥にこみ上げる何かを感じながら、少女は薄い布団の下に閉じこもる。少し頭を冷やさなければならない。そう思い、きつく眼を閉じた。