ジギタリス・ガーランド

ジギタリス・ガーランド

#02

「いいじゃない、話をするぐらい! なんでそうやって文句ばかり言うの!?」
 少女は声を荒げて訴えた。興奮を抑えきれず、机を勢い良く叩きながら。
 ぶら下げられた魔術式のランプの下でカップが跳ねる。中身が残っていたなら机が汚れていただろう。机を挟んで少女の向かいに座っていた中年の男は、その乱暴な様子に顔をしかめた。
「放っておく訳にはいかないだろう、親の目を盗んで男に媚を売りに行っているのなら」
「そんなことする訳ないじゃない! 私は余所の村の話が聞きたいだけなの!」
 男が大きく溜息をつく。その眼には少女に対する苛立ちの色がありありと浮かんでいた。少女は悔しげに奥歯を噛みしめるものの、聞く耳を持たぬ男を説得できる言葉は見つからず、ただ黙って男を睨みつけるしかなくなってしまった。
 真紅の瞳の中心でもどかしさがくすぶる。小柄な身体を打ち震わせ、双眸が男の目をきつく睨み付ける。
 強い意志を宿した眼、良く通る声、この辺りの娘には珍しく肩の上で切り揃えられた髪、どれもが少女の針のような気質を表していた。
 そして切っ先を向けながらの沈黙を経て、今度は少女が浅く溜息をついた。
「……わかったわ、商人さんに会いに行くときはちゃんと言うから。隠れてじゃなければいいんでしょ」
 強気な姿勢を一旦崩し、できる限り気持ちを落ち着かせたうえでの再説得。しかし苛立った男の表情が和らぐことはなかった。
「そう言う問題じゃない、何故わざわざ要らんことを吹き込まれに行くんだと言っているんだ。お前が他の村の事情を知った所で何の役にも立たないだろう」
 男が、少女の父が咎めているのは、娘が度々挑む小さな冒険のことだった。外界との関わりを拒む閉鎖的な村で、唯一外の事情を知ることができる手段――訪れる行商人の話を聞くべく、少女は商人が訪れるたびに彼らの元へと押しかけている。身体を休める彼らの隣に座り、遠いどこかの話をして貰うことを、少女はいつも楽しみにしていた。
「それに商人が全て善い者とは限らないしな。お前をどこかに連れて行こうとでもしたらどうする。聞いているのか、ジグ」
 ジグ、とは近しい者が少女を呼ぶ際の愛称である。ジギタリスと言う名の、遠い地に咲く毒草の名を与えられた少女は、「お父さんは疑いすぎなの」と吐き捨てるように言い切った。
 父が唱えた可能性は、跳ねっ返りの娘を押さえつけるための屁理屈にしか聞こえなかった。この狭い村で余計なことをやらかしてくれるなと、目尻に皺の寄った鋭い眼が語っている。その威圧的な様子が少女を更に苛立たせた。
「……もういい。お父さんなんか、知らない」
 返答を待たずに少女は椅子を立った。今はもう父の顔など見たくない。そんな気持ちが胸を埋め尽くして、心なしか息が苦しい。
 彼女なりの大股でずかずかと歩み、少女は小さな部屋を後にした。閉める際に勢いをつけすぎたドアが悲鳴を上げ、苛立ちの音が耳に刺さった。木枠が傷んだかもしれないが、そんなことなど知ったことではない。
 薄暗い通路を抜け、そのまま自室へと逃げ込むように帰り着いた。飾り布で壁や棚を目一杯装飾した、年頃の少女らしい部屋である。決して広くは無いが狭くも無い。
 少女はおもむろに靴を脱ぎ放り捨てる。そして自らに与えられたベッドに勢い良く飛び込んだ。粗末なそれは僅かに身を軋ませるが、少女の小柄さが幸いして破損には至らない。
 洗濯されたばかりの掛け布の上で、赤紫色の髪が乱れ広がってゆく。その柔らかな毛の先端には、白と濃い紫色からなるぶち模様が浮かんでいた。切り落とせども再び浮かび上がる模様は、色こそ異なるが一族に共通する特徴であった。
「はぁ……」
 硬い枕に顔と溜息を埋めた。頭が冷え始めるに従い、もう少し上手く言葉を選べなかったのか、と後悔の念がむくむくと沸き上がり始めた。自らの不器用さに頭を抱えることは、ここ最近の彼女にとってほぼ日課と呼べるものとなっている。
「……何でなの……」
 呟いた言葉は頭の固い父に向けたものであり、血の繋がった家族とすら上手くコミュニケーションを取れない自分に向けたものでもあった。
 確かに娘は跳ねっ返りが過ぎ、度々村を騒がせることがあったが、それは幼い頃の話だ。今年で十四になったばかりの、加えて来年で成人する娘を相手に、そんな昔の話を引きずるのは馬鹿げていると思う。
 しかし実際の所、そんな過去の行いが無かったとしても二人の間の溝は埋まらなかっただろう。少女を産むと同時に母が亡くなり、兄が集落を出て、父が新しい妻を娶って以来、父から実の娘へと注がれる愛情はぱったりと絶えてしまった。
 母を死なせた可愛げのない娘より、若く従順な新しい妻。確かにそちらのほうが愛し甲斐があるだろうし御しやすいだろう、間にもう一人子が産まれた今なら尚更だ、と少女は自嘲的に考え続けていた。
「どうしていっつもこうなのさ……」
 繰り返した言葉は的確に自らを刺し貫く。迷える子羊は目尻に涙を浮かべ始め、すぐにそれを枕に押し当ててもみ消した。

 * * *

 『地の底』と言われれば、地上の民は暗く陰鬱な世界を思い浮かべるものであるらしい。
 小さな明かりを分けあい、土で汚れた服を着て、地下の資源を力任せに掘りながら暮らす……地上の奴らはそんな偏見を我々に抱いていると頭の固い大人は言うが、ジギタリスはその言い分こそ偏見だろうと常々思っていた。もっとも、持論で凝り固まった大人を説き伏せられるとは思っていないし、会ったことすらない地上の人間を庇う義理もないため、それを口に出したことは無い。
 しかし勝手な物言いを耳にする度に苛立ちを覚えるのは、少女が未だ見ぬその地へ並々ならぬ憧れを抱いているゆえだろう。

 うーん、と唸ってジギタリスはぴんと背を反らした。座りっぱなしの身体が運動を欲している。そろそろ休むべきだろうと判断して、少女は摘んでいた針を針山へと戻し、疲れた目をぐしぐしと擦った。余った糸を切り落とせば作業に一区切りがつく。小さな仕事人は出来映えを確認するため、手にしていた布を机に広げた。
 長方形に整えられた布の角に、鮮やかな模様が縫い込まれている。数色の糸を使い分けて施された刺繍は、絡む蔦を模して複雑に重なり合い、小さな布を繊細に彩っていた。糸の蔦は三つの角に絡みついていて、あと一つ蔦を縫い込めば完成といった具合だ。
「ん、もう少しかな」
 呟いた一言は進捗に対するものではない。少女の視線は細やかな縫い目に注がれ、職人たる真摯さをもって糸運びを採点している。刺繍の出来映えは十分売りに出せるレベルであったが、少女はそれに満足していなかった。彼女の師ならもっと緻密に、一切の歪み無く針を運んだはずだ。
「んーっ……」
 行き詰まりつつある思考を洗い流すため、もう一度背筋を伸ばした。肺いっぱいに吸い込む空気は、いつもの味ながらどこか美味しい気がする。
 少し身体を動かしてこよう。そう思い立って裁縫道具を片づけ始めた時、廊下からジギタリスほどではないが小柄な影が現れた。
「ジグちゃん、手空いてるかしら?」
 ひょこりと顔を覗かせたのは、長い鮮やかな金髪を背中で緩く結わえた女性。ゆったりとした衣服の上に前掛けを結び、腕まくりをしている。ここのところ何かと忙しい、ジギタリスの継母だった。
 二人の仲はおおむね良好で、娘は乳飲み児の世話で忙しい母を何かと気遣っている。
「ちょっとお願いしたいことがあるんだけれど……」
「うん、大丈夫。どうしたの? お母さん」
 自然に浮かんだ笑顔を向ければ、継母はほっとしたような表情を見せ、作業部屋へと踏み入ってきた。手には封をされた小さな壷を抱えている。
「これ、大婆様に届けてほしいのよ。自分で行きたかったんだけど手が離せなくって……」
「わかった、すぐに行ってくるね。何だろう、中身」
「こないだのハネムシの炒め物よー」
 告げる声は自信作とでも言いたげに弾んでいた。
 ハネムシとは農場によく沸く虫で、名の通り立派な後ろ足で草葉の間を跳ね回るすばしっこい虫だ。芋の葉を食む害虫だが食用にもなる。湯がいたハネムシをスパイスと共に炒めたものは、少女の好物料理の一つであるだ。
「ジグちゃんが頑張って捕まえてくれたからいっぱいあるわよ、今日の晩ご飯のぶんも用意しているからね」
「さっき頑張ったものねー」
「ね、大変だったものねー」
 延々とハネムシの後ろ足を毟る苦労を思い出しながら、ジギタリスは裁縫道具を急いでしまいこんだ。行く先は村の端、皆が大婆様と呼び慕っている、集落内で最高齢の老婆の家だ。
 身体を動かすには丁度いい。小壷を大事に抱え、少女は家を軽快に出ていった。

 * * *

 地底の空洞は広い。この地は遙か昔、地上を覆った災厄の折に発見されたと伝えられている。が、それまで誰もこの地を見つけられなかったと言う話は、流石に眉唾物ではないかと言われている。発見されてはいたが存在を隠されていた、たまたま採掘場の類にぶち当たらなかっただけ、精霊を越える超常的な存在が人々を救うために用意した……様々な仮説と想像が飛び交ってはいるが、記録が不十分なためにどれも推測と想像の域を出ていない。
 とにかく、場所によりけりではあるが、開けた場所なら大人の男を五人は積み上げられそうなほどに天井は高かった。歩きながらぼうっと見上げていた土の屋根は、地面に立てられた街灯によって遠さが解る程度に照らされている。ここが村で一番大きな広場である。
 魔術式の街灯で照らされた道は明るい。その照明のうちの一つを弄くっている中年の男に会釈をしつつ、ジギタリスは早足で歩みを進めていった。彼のような村のお抱え魔術士がいるからこそ、住民たちは人らしい生活を行えるのだ。
 広場を通り過ぎれば、道を挟んで両側に畑が広がる。眩しいほどの光球で照らし出されたうねには、村人の主食である芋が青々と葉を伸ばしていた。村の共有財産である農場だ。耕作面積はさほど広くないが、地下ゆえに干ばつや嵐と無縁であるため収穫率は良い。
 しかしそれでも不作の年はある。その要因となる一つが、この芋畑に沸くハネムシである。少女は屈んで虫を穫る苦労を思い出し、一人密かに渋い顔をした。
 ハネムシが湧いた際の駆除は子供の役目だ。しかし来年で十五歳になり成人するというのに、畑で虫を追いかけなければならないのはおかしいのではないか……とは思うものの、人手が足りないからと駆り出されたのが一昨日のこと。妙な真面目さが災いしてか、貧乏くじを引かされてばかりいる。
 そうして思いを巡らせている間にも歩みは進み、気がついたときには目的の場所へとたどり着いていた。

「こんにちは大婆様、ジギタリスです」
 こん、こん、と扉をノックする音を響かせれば、しわがれた声が「お入り」と出迎えてくれた。
 一足踏み入れば、そこには様々な色が溢れている。冷えを防ぐための壁布に始まり、カーテン、テーブルクロス、椅子の掛け布、棚の敷き布……色とりどりの糸で編み上げられ、針によって命を吹き込まれた布たちが、部屋を鮮やかに包み込んでいた。
 ここはジギタリスが村で最も気に入っている場所だ。少女は自ら刺繍を行うことも、人の作品を見ることも好んでいる。特にこの老婆の手がけた布は別格で、訪れる度につい一つ一つ観察してしまうほどだった。
 客人は一瞬のうちに視線を部屋全体へと走らせ、すぐに椅子に腰掛けている家の主へと戻した。すっかり白くなってしまった髪を後ろで結わえた、背の丸い老婆である。
 しかし集落内最高齢であるにも関わらず、その皺だらけの顔は生気に満ちている。この逞しさもまた、少女が老婆を尊敬する理由の一つであった。好意を抱いているのは老婆もまた同様で、子に恵まれぬまま夫を亡くして孤独な身であるためか、ジギタリスを実の孫のように可愛がってくれている。
「大婆様、またテーブルクロス替えたの?」
「そうだよ、あんたは本当に目ざといねえ。こないだ粥をこぼしてしまって……と、こんな話をわざわざ聞きに来たのかい」
「ううん、これ。お母さんがハネムシの炒め物作ったの」
 テーブルの端に小壷を置けば、老婆は「ありがとうね」と柔らかく微笑んだ。荒んだ気持ちも瞬時に丸くなだめてしまうような笑顔だった。
 そして促されるままにジギタリスも隣の椅子に座り、老婆の手元を観察し始める。枯れ枝に似た指先が操るものは一本の針。作業を再開した家主の手さばきに、少女は言葉もなく見入っていた。
 今日のように用事がある日に限らず、少女は頻繁にこの家を訪れていた。彼女の仕事に惚れ込んで以来、小さな職人は老婆を師と仰ぎ、度々押し掛けては教えを乞うている。
「ねえ大婆様、縫い物の極意ってのはまだ教えてくれないの?」
「だから言っているじゃないか、それは自分で見つけだすものだって」
 勢い有り余った情熱が実を結んでか、少女の刺繍の腕は十分に売り物として村の外に送り出せるほどのものとなっていた。しかし彼女自身は現状に満足していない。彼女と彼女が尊敬する大人が縫ったものには、確かな技量の違いがあった。心得の無い者には解らないが、仕事人や目の肥えた商人には見抜かれてしまう、仕事の甘さがある。
 師が言うには、針仕事の経験と同じぐらいに重要で、かつ針を極めるには欠かせない極意があるらしい。しかしいくら訊けども彼女はそれを教えてくれなかった。
「いじわるっ。本当に縫っても縫っても何も見えてこないんだけど……」
「そりゃそうさ、布ばかり見つめていても解らないものだからね」
「うー」
 むくれる少女の前で、老婆は手際よく針を運んでゆく。
 裁縫は楽しいものだ。糸はその身で実に多様な世界を描いてくれる。この世にたった一つの布が、服が、生活を温かく包み、輝かせているのだから。
 できることなら師や周りの大人のものだけではなく、異なる村の縫い物も見て回れたらいいのに……そんな叶わぬ期待を、少女は今日も描いていた。

 この村は広いが、狭い。
 おつかいの帰り道、先ほども通った広場で少女はそう痛感していた。
 広場に踏み入るなり鉢合わせしてしまったのは、ジギタリスと歳の近い数人の村娘たち。村の娘たちの中でも、できることなら顔を合わせたくない一味だった。
 輪を組んで世間話に興じていたうちの一人が、早足に通り過ぎようとしたジギタリスに気づく。そして慌てて他の娘の肩を叩いて伝え、そこにいた全員が輪の外の娘に注目した。無意識のうちに輪の中へと寄り、描いた円を狭めながら。
 一族の特長である鮮やかな色の髪が、先端のまだら模様を見せつけるように揺れる。伝統の織物にも負けぬ色彩が集まっている中、青い髪を伸ばした少女がジギタリスに声をかけた。
「こんにちは、ジグ。今日も大婆様に甘えてきたのかしら?」
 高い声は威嚇にも似た緊張感を含んでいる。アコナイトと言う名の、ジギタリスと同い年だが背の高い少女は、明らかな敵意が混ざった視線を向けてきた。
「届け物をしてきただけだけど」
「あら、おべっか使うのっていちいち大変なのねぇ」
 構う義理もないが、素っ気なく答えてやれば、案の定斜め上の反応が返される。アコナイトが大げさに張り上げた声に、取り巻きの娘たちがタイミングもばらばらに頷いた。にやついた顔が神経に障る。
 思い当たる節はあった。つい最近、ジギタリスの縫い物が外に売りに出せると認められたことに端を発しているのだろう。同世代の娘たちよりも早く大人に認められることは、自身にとっても喜ばしいことだった。
 しかし日頃から彼女に敵愾心を燃やしているアコナイトにとっては、その名誉はあってはならないことだったらしい。
「そんなんじゃないわよ。悔しいならアコも大婆様に習いにいけばいいじゃない、無駄話なんかしてないで」
「私も認めてくださいって胡麻すりに行けって? あなたと一緒にしないでくれる!?」
「……人の話ぐらいちゃんと聞きなさいよ」
 アコナイトとその取り巻きの中では、ジギタリスが大婆様に取り入り、刺繍を認めて貰えるよう口添えして貰ったと言うことになっているらしい。当然ながら事実無根であるのだが、わざわざ釈明をする気にはなれなかった。根も葉も無い噂で盛り上がられることは珍しくないし、耳を貸さない相手を諭しても無駄だと言うことは解っている。
「用も無いみたいだし帰るわよ、じゃあね。あと次のハネムシ穫りはサボらないこと」
「あっ、ちょ、待ちなさい!」
 まだ何か言いたい様子のアコナイトを振り切り、早足で帰路を急いだ。娘たちの良からぬ物言いが背中をくすぐるが知ったことではない。
 胸の内でくすぶっていた苛立ちは、広場から遠ざかるほどに増していった。言いがかりをつけられることよりも、理解し難いあの性根が気持ち悪くて仕方がない。なぜ自らを高めるより他者を貶めることを選ぶのだろうか。そんな考えの者ばかりでは、誰も先に進めないじゃないか。考えれば考えるほどに群れる娘たちが理解できなくなり、胸にどろりとしたものが溜まっていくようだった。
 この村が狭いから、それで頂点へ登れるような気がするのだろうか。結論は出ないが、とにかく自分の世界の狭さが憎かった。外との交流を許さない村の掟も、自分を村に閉じこめようとする父も、同様に。

 家に帰りつき、焼きたての芋餅を頬張っても、気分が晴れることはなかった。スパイスの効いた炒め物ですらどこか味気なく感じてしまう。
 妹の寝かしつけを手伝ってから自室に戻り、寝台の上でぼんやりと天井を眺めながら、少女はようやく解決策を見いだした。
(そうだ、あそこ行こっかな……)
 家族に気づかれぬように、そっと部屋を後にする。勝手口から家を出た頃には、一つおきに消された街灯が夜の訪れを告げていた。

 * * *

 そこは目眩を起こしそうなほどに鮮やかな色で満ちていた。
 村から少し離れた、苔の多い道を抜けた先。家から持ち出したオイル式のランタンを頼りに進めば、道の途中から景色が一変する。土と濃緑色の苔からなるツートンカラーから一転、赤、青、黄、紫、橙、果ては虹色に輝く草木が、踏み慣らされた道を浸食するように葉を広げていた。
 小振りな足が極彩色の合間をくぐり、躊躇無く奥へと踏み入ってゆく。進むごとに異様な草花の密度は増してゆき、やがて最も草が密集しているであろう場所にたどり着いた。来た道と比べて開けており、村の広場に迫るほどの広さのある空間だ。迷子になりそうなので入ったことはないが、無数に開いた横穴は更に奥へと通じているようで、かなり広大な空間が広がっているのだろうと想像できた。
「よっ……と」
 広間の中心に向かって少し歩いたところで、ジギタリスは赤子よりも大きな草の葉を毟って地面へと敷いた。赤と黄色のまだら模様をした葉に座り、ふう、と肺の奥から重たい息を逃がす。村よりも気温の高い場所であるはずなのに、吸う空気はこの場所のものの方が美味しい気がした。
 この場所は遙か昔、少女たちの祖先が戦乱から逃げ延びてたどり着いた地だと言われている。辺りを彩る異様な色彩の草花は全て有毒であり、人々は飢えて死ぬしかないのかと嘆いたと言う。この地に住まう精霊が彼らを哀れみ、自らの力を分け与えたのがこの村に住まう一族――通称『毒華族』のはじまりだと教えられていた。毒を司る精霊の加護により、一族の者はどんな毒物も効かぬ身体を手に入れたらしい。そしてその代償として、各々の血に毒を宿すようになってしまったのだと。
 名も知らぬ精霊には幾度も思いを馳せた。彼と呼ぶべきか彼女と呼ぶべきかすら解らないそれは、村を閉鎖的なものにした憎い存在ではあると同時に、先祖の命を救った救世主でもある。
 精霊は今どんな想いで一族を見つめているのだろうか。この地に根付くことができて良かったと思っているのかもしれないし、この地に縛り付けてしまったことを後悔しているかもしれない。もう興味を失っていると言う可能性もある。
 しばらく真面目に考えてみた後、少女はここへ気晴らしに来ていたのだと言うことを思い出した。大きく息を吸って吐けばリセットは完了。思考がさらりと澄み渡る。
「んんー……っ」
 背筋を伸ばしながら見渡す景色は圧巻だ。
 ジギタリスは気分が沈んだ時に度々この場所を訪れていた。決まって一人でやって来て、ぼうっと極彩色の草花を眺める。そしてインスピレーションが浮かんだところで家に戻り、縫い物に勤しむことによって雑念を振り払うのだ。刺繍馬鹿の性分に随分と助けられている。
 あたりをぐるりと見回して、少女は何気なく目の前の花に手を伸ばした。毒々しく色づいた花は自らに似ていると思う。根を張った地から離れられず、摘みに来る者も存在しない。その場で力一杯咲き、いずれは枯れて忘れ去られる花の一つだ。
 少女は無造作に花を摘み、鮮烈な桃色の花びらを眺めていたが、その先に何かしらのイメージが見えることもなかった。あんたも難儀だね、と呟いて親指をぴんと爪弾き、花を茎から分離させる。勢い良く飛ばされた花は、細い草の葉を揺らしてから地面へと落ちた。
 そして手慰みの犠牲になったものを見届け、視線を上げ――視界に入った何かに、思わず言葉を失った。
「……え?」
 見慣れないものが宙に浮いている。
 それは大人の頭ほどの大きさをした、極彩色の毛玉のようなものだった。毛とも草の葉ともつかぬ形状の何かで身体を覆った、浮遊する丸い何か。ぼんやりと光を放っている身体は透けており、その後ろに広がる景色が重なって見えた。ぽっかりと開いた眼のような二つの穴だけが透けておらず、底の知れない暗闇を湛えている。
 そんな不気味な何かが、空洞の眼で静かに少女を見据えていた。
「ちょ、何!? あんた何者!?」
 僅かに間を置いて言葉を取り戻すが、目の前のものが質問に答えてくれる気配はなかった。
 あれは何なんだ、と無理矢理思考を回して考える。おそらくは身近な動物とは異なるものなのだろう。草や肉を食んで糞をし、雄雌のまぐわいによって殖えるようなものには思えなかった。少女の意識の外、本能がそう告げている。
「精霊……さん……?」
 何かは恐る恐る訪ねた少女の眼を見つめ続けている。
 おそらく、目の前のものは伝承に現れる毒の精霊なのだろう。見たことがあると豪語する大人の話は聞いたことがあるが、まさか自分までその姿を眼にすることになるとは思っていなかった。
 未知のものへの恐怖、そして非日常への期待。二つの感情が複雑に入り交じり、小さな手を震わせた。
 しかし次の瞬間、ジギタリスは血の気が引く思いを味わうこととなる。精霊が姿を見せた理由が、手の中の花を無意味に毟ったことへの怒りなのではないかと思い至ってしまったのだ。
「ご、ごめんなさい! 花飛ばしちゃって……」
 慌てて立ち上がり頭を下げるが、相変わらず反応は無かった。恐る恐る顔を上げて様子を窺う少女の目の前で、精霊は背らしき面を向けて遠ざかってゆく。
 そして少女から少し離れたところで止まり、不思議な動きを始めた。向き直ったかと思えば高度を落とし、地面へと音もなく姿を消してゆく。かと思えばまたひょこりと顔を覗かせ、土中と地表とをゆっくりと往復する。
 ジギタリスは吸い寄せられるように精霊に近寄り、周辺を注意深く観察した。しかし何か変わったものが転がっている様子は無い。そしてこの子は何がしたいんだろう、と思いを馳せ、一つの結論を導き出した。
「掘れ……って言ってるの?」
 少女の答えを喜ぶかのように、空洞の瞳が赤く輝いた。

 ジギタリスの胸中は複雑な思惑の渦で満たされていた。
 精霊が何を考えているのか解らない。宝の在処でも教えてくれているのかもしれないし、人を困らせるためのいたずらかもしれない。
 本当に村の者に知らせないで良かったのだろうか。このことを知られたなら、なぜ相談しなかったと叱られることは確実だ。しかしそのリスクを負ってでも、この非日常の体験を独り占めしたい。好奇心に蓋をすることだけはしたくなかった。
 荒く息を吐きながら、少女は土を掘り進めてゆく。握るスコップは最寄りの用具置き場にあったもので、落盤に備え通路に配備されていたものを拝借してきた。
「んっ……!」
 ジギタリスは着衣を汚すことも厭わずスコップを振るった。土を持ち上げるのも、太い草の根を切るのも、少女の細腕にはなかなかの重労働だ。しかしその手が止まることはない。精霊が示す先に未知の世界が広がっているような気がして、冒険心が休息を許してくれない。
「ね、あとどれくらい掘ればいいの?」
 手を動かしながら精霊に問うが、それは変わりなく沈黙を保ち続ける。
 労いの言葉ぐらいかけてくれても良いのではないか。そう思い後ろを振り返ると、そこにあの色毛玉の姿は無かった。
「あれ、どこ行っ……」
 精霊の姿を探そうと一歩を踏み出したその時。
 土塊の砕ける音とともに、少女の視界がぐらりと揺らいだ。
「嘘ぉぉぉおおっ!?」
 手を伸ばすが既に遅く、指先が空を切る。苔の灯りが遠のく。事態を理解し切れぬまま、少女は土と共に落下していった。
 しかし落ちた先は奈落の底ではなく、少女の背丈程度の深さにある場所だった。元々空洞があった場所の真上を掘り、草の根を切ったことで地盤が緩み崩れたのだろう。
「ってて、何がどうなってるの……?」
 少し尻を打ったが、幸い怪我は無かった。服を汚した土を払いながら立ち上がれば、辛うじて這い上がれる程度の深さであることがすぐに解る。
 結局、精霊は何がしたかったのだろうか。これで宝の一つも見つけられなければ、単に遊ばれていただけと言うことになる。そんなことは無いと信じたくて、少女は念入りに足下を見回した。
 どこにも宝らしきものは落ちていない。しかしただ一つ、この場にあるはずのないものが、土の中からにょきりと生えていた。
「……手!?」
 それは人間の腕のような何かだった。初めは死体かと思ってしまったが、白骨化はしていない。更に近寄れば、弱々しくはあるが動いていることが解った。土から這い出るべくもがく、確かに生きた人間の腕だ。
「待ってて、今助ける!!」
 こんな場所に人が居るはずがない、などと言うことはどうでも良かった。どんな怪しい者であれ、目の前で助けを求めている者を見殺しにする訳には行かない。ジギタリスはスコップを手に取り、土中の誰かを傷つけぬよう慎重に周りの土を掻き出していった。
 土の下から現れたのは、必要な肉すら付いていない腕と、汚れきった長い髪。何か恐ろしいものを呼び起こしてしまったのではないか、そんな不安に駆られながらも発掘作業は進み、ついに怪しい人物の上半身が露わになる。体つきから男性だと言うことが解った。それも、かなり大柄の。
 そして両腕の自由を取り戻した男は、自らの力で柔らかな土から完全に這い出した。伸びすぎた髪で顔が隠れた男は、自力で立ち上がろうとするが、よろめいて再び地に膝をついてしまう。
 土まみれの男は生きているのが不思議に思えるほど痩せ細っており、まるでおとぎ話に出てくる悪霊のように見えた。ぼろぼろに擦り切れたズボンだけを身に纏っており、暗いながらも腹部に大きな傷跡のような模様を持っているのが見える。
 怖い、と思った。しかしジギタリスは自らを必死に奮い立たせて背を屈める。私以外に彼を助けてあげられる者はいない、そう心の内で叫んで手を伸ばした。顔には精一杯の笑みを浮かべて。
「大丈夫、私はあんたの味方よ。……ほら立って。村に行こう。あったかいごはん、食べよ」
 伸び放題の髪の分け目から、隈だらけの眼がジギタリスを見据える。そして骨ばった手が、弱々しくも確かな意志を持ち、少女の小さな手を握りしめた。
 触れ合った手はには確かに体温があり、少女を安堵させた。目の前の男は、救いを求める人間以外の何者でもないのだ。更に少女の確信を後押しするように、男の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。顔の泥汚れを吸いながら、一滴、また一滴と滴り落ち、土に染み込んでゆく。
「もう大丈夫だからね――」
 気が付けば子供に言い聞かせるように優しく囁いていた。
 これが少女の人生を大きく変える出会いだとはまだ知らずに。