ジギタリス・ガーランド

ジギタリス・ガーランド

#01

 指先の感覚はとうの昔に消え果てていた。暗がりを照らす鮮やかな灯りがあれば、その手が見るも無惨に荒れ、肉と爪の間やひび割れた肌を土色に染めているさまが見えただろう。
 男は土を掘り進める。岩のように固く圧縮された土を、指先でほんの少しずつ剥がしながら。狭い空間は湿った土の香りに満ちている。
 膝をついた状態で土くれの壁にすがりつく姿は、まるで何かに許しを乞うているかのよう。終わらぬ罰に耐えかね、謂われのない罪への懺悔を始めた偽りの罪人だ。
 そんな彼の手元を照らし出すものは、一本の蝋燭よりも弱く光を放つ光球。魔術の一種だ。光の球を生み出して辺りを照らすもので、彼の故郷では最も初歩の魔術とされている。
 しかし今の彼にとっては照明に割く魔力すら惜しく、彼の頭に並ぶようにして浮かんだそれは、今にも消え入りそうな光で主を支えていた。暗闇に慣れた眼がものの輪郭を捉えられるぎりぎりの光量で。
 魔術で土くれを操れば、この作業も驚くほど早く進んだだろう。実際に初めはそうやって土を掘り進めていた。限られた力が底をつくまでは。
 微かに照らし出される頬はひどく痩せこけてしまっていた。むき出しの胸も、真っ黒に汚れた腕も、骨にただ皮を巻き付けただけのような様相を呈している。明らかに栄養が足りていない、無理な運動や魔術の発動を行えば今すぐにでも死ねる体だった。
 枯れかけの木のような身体を引きずり、それでも男は土を掘り続けた。ゆるやかに天を目指して掘り進めた穴が、いつか青空のもとに続くと信じて。生への執着と青空への焦がれ、それだけが彼を突き動かしている。
 ふと、土を掻く手に柔らかいものが触れた。男が慌てて手を引けば、薄明かりの中に白い何かが浮かび上がる。
 緩慢な動作で蠢き、ずんぐりとしたフォルムを土中から現したのは一匹の虫だった。土を食んで育つ幼虫であり、男の中指と同じほどの体長を持つ大柄なものだ。
 男はその柔らかな身を潰さぬように掘り出し、すとんと手のひらに乗せた。突然の襲撃に混乱して身を捩らせる幼虫に、男はそっと顔を寄せ、低く掠れた声で囁いた。
 力を貸して、と。
 その声に応えてか、幼虫は蛇腹をくねらせる動きをぱたりと止めた。人の言葉を解する知能など持ち合わせていないにも関わらず、たちまちに、躾られた愛玩動物のように。
 幼虫がおとなしくなったことを確認し、男は身体を傾けてそれを自らの腹部へと乗せた。小さなしもべは促されるままに彼の肌へと乗り移り、腰に巻かれたぼろ布から浮き出た肋骨の間までを迷い歩いた後、土に潜るかのような動きで身を震わせて姿を消した。
 男は大きく息を吐き、自らの腹を優しく撫で上げた。枯れた声で再び紡いだ言葉は、よろしくね、の一言。呟いた口元は僅かに歪み、慈愛とも哀しみともつかぬ何かを湛えている。
 そして男は何事もなかったのかのように作業を再開した。
 空はまだ、遠い。