セレストラのかたすみ

迷宮百貨店にて

#06 雨曇りの日

 休み明けの一日は、屋根を打ち続ける雨音から始まった。
 件の紙切れは蝋紙で包んで鞄に入れ、学校まで持っていった。水濡れを警戒してのことだったが、真っ直ぐに降り続けた雨が横殴りのものになることはなかったため杞憂に終わった。
 あれを迷宮百貨店へと収めれば彼の目的は果たされる。二人が顔を合わせることも無くなる。授業中もとにかくそのことばかり考えてしまい、ノートを取ることを忘れて休み時間に友人のものを見せてもらう事態も起こった。しまいには不調を心配した友人たちによって保健室に押し込まれそうになる始末である。
 授業が終わった後、所属している文芸部の定期集会も休んで迷宮百貨店へと直行した。
 そして我侭な自分を胸の奥に押し込め、会計の植物へと紙を差し出す……が、彼らはそれを受け取ってくれなかった。渡そうと紙を押し付けてもするりと逃げられてしまうのだ。
 その場でひとしきり困った末に、この紙を拾った場所に小箱があったことを思い出した。店に声を届けるにはあの箱を探し出さなければならない。この深い迷宮で、あの小さな箱を。
(見つかるかな……探すならロセロさんに任せた方が探し物ものが上手そうだし時間もありそう、でもそれだと紙を渡さなきゃならなくて)
 先日願いを書き換えた紙のことを思い出す。取り消し線は引いたものの、古い願い事もまだはっきりと読み取れる状態だ。
(ちゃんと筆で塗りつぶしておけばよかった!)
 ミオは奥歯を噛んで自分の迂闊さを悔やんだ。あのまま紙を渡すなんてできるわけがない。出会ったばかりの小娘の気持ちを押し付けられたところで面倒なだけであるはずだ。
(鉛筆でも頑張ればなんとかなるかな……)
 待ち合わせの時間までに一度家に帰る余裕はない。手持ちの筆記具で解決するべく、会計の机を借りて作業を行うことにした。
 しかし紙面を塗り始める前に仕事は中断してしまう。
「お、早かったじゃないか。何やってんだ?」
「ひぃー!?」
 唐突にかけられる男らしい声と、自身の情けない声。振り向くと頭と薄手のシャツを少しだけ雨で濡らしたロセロが立っていた。昨日の暑さを踏まえて薄着で来たところをやられたのだろう。
 ミオは大慌てで紙を鞄に突っ込み、鉛筆を布の筆入れにしまおうとして、手を滑らせ自らの指の側面を芯で突いた。
「い、てててて」
「……ほんと何やってんだ……大丈夫か」
「はい……」
 刺した部分よりも、ロセロの憐れむような視線の方が痛い。周囲の客の視線も痛い。ミオは落ち着いてと自らに繰り返し言い聞かせ、呼吸を正して、もう会えないかもしれない相手に笑顔を見せた。
「ろ、ロセロさんこそこんな早くにどうしたんですか? あと何か収穫はありました?」
「いや、さっぱりだ。それらしい奴が品を買いに来たって言う工房はあったんだが、こっちから接触する方法は全然見えて来ねえ。それより、ちょっと聞いてくれ」
 ロセロはいつになく真剣な、それでいて寂しそうな面持ちでミオの眼を覗いた。金の双眸を見つめていると心を吸い込まれてしまいそうな気がしてくる。
「明日まで頑張ってみて成果が出ないようなら諦めろ、ってボスからの連絡があった。で、その上急務が二件同時に出たもんで今からその片方に俺が向かわなきゃならん。明日が最後の勝負だな」
「そう……なんですか」
 明日が最後。彼の口から直々に告げられた終わりが、ミオの心に重くのしかかった。目的を果たせても、果たせなくても、こうやって顔を合わせられるのはあと一回となる。
 終わりを先送りにできないのならば、せめてその力にならなければ。そう決心した。
「あの、私のほうは成果があったんです。昨日……」
 ミオはぬいぐるみ店の老婦人から聞いた話を手短に纏めて伝えた。更には自分がその紙を持っていること、および専用の箱に投函しなければならないことも。確実性の高い策が出たことにより、ロセロの表情は眩しいほど明るくなった。
「そうか、本当にありがとうな。希望が見えてきたじゃねえか!」
「はいっ、何とかなるかもしれないですね!」
「じゃあその紙、貰っても良いか? 明日箱を見つけ次第突っ込んでおくから」
 ロセロは無邪気な笑顔を浮かべながら手を差し出した。ミオはその大きな手を見つめ、気持ちの整理がつかないまま、一つの願いを口にする。
「あの……お願いがあるんです」
「ん、何だ?」
「明日、私も箱探しに連れて行ってほしいんです。朝から行けます。お客様の声の紙は、箱が見つかった時に渡します。私が足を引っ張って見付からないようなら、その時は諦めて帰る、ので」
 少しでも長く傍にいたい。そんな望みを塗り込めた、彼女にとっての精一杯の主張だった。
「しかし……明日は学校なんだろ。すっぽかしちゃ不味いんじゃないのか」
「一日ぐらいどうにかなります!」
 ロセロは戸惑いの表情を見せ、唸りながら少しの間悩んだが、ミオの真摯な眼差しをないがしろにすることができず、「わかった」とだけ告げた。理由は聞かれなかった。
「じゃあ……また明日、開店時間に店の前で。雨降ってたら中な。あと無理すんなよ! 絶対無理すんなよ!」
「大丈夫です、今までずっと真面目にやってきてますから! 今は早く急ぎの用事に向かってあげてください。……何かトラブルですか?」
「ああ、新入りがうっかりヤバげな森に踏み入ってさ、槍持った原住民に捕まって木に縛られて放置されてるから助けてくれって通信が。なんか遠くから獣の遠吠えが聞こえるっつってた」
「本当に早く行ってあげてください!!」
 少女の悲痛な叫びに追い立てられ、アカシア書房の使い走りは店の外へと向かった。
 残された一人もゆっくりとその後を追ってみたが、店の外に彼の姿はもう無かった。