セレストラのかたすみ

迷宮百貨店にて

#05 見つけた日

 朝のまどろみの中で、浅く見た夢が提案をしてくれることがある。新しい勉強法、お菓子のレシピ、物語の種……それらの殆どは、目が覚めてしまえば実用性に欠けるものだと気付く。しかし時々、記憶が見せたいいかげんな提案が本当に役に立つ時があった。
 ミオは目を覚ましてすぐに母の書斎へと向かった。魔術士である母の書斎にはたくさんの本棚が並んでいて、目隠しのカーテンで隠されているもの以外は好きに読んで良いことになっている。難しすぎて理解できないものや、異界の言語で記されていて読めないものが多いが、中には子供でも楽しめるようなものも混ざっていた。
 今朝は子供に戻った自分が棚から本を全て引っ張り出す夢を見た。机に次々と積んだ本の中に、初等学校に通っていた頃によく読んだものが埋もれている。その薄くも分厚くもない背表紙が、寝ぼけた頭にやけに引っかかった。
 目的のものは膝ほどの位置にあった。並んだ十数冊はほぼ同じ装丁だが、表紙の色だけが数冊ごとに少しずつ異なり、背表紙を読まずとも本の内容を思い出すことができる。繰り返し読んだためすっかり覚えてしまっていた。
 『異世界ふしぎ紀行シリーズ』と銘打たれたそれらの本のうち、特に気に入っている一冊を手に取った。記者が様々な世界を渡り歩いて探したと言う、風変わりな本や不思議な仕掛けが施された本を紹介する本だ。この世界の本ではないと母は言っていたが、翻訳の術が組み込まれているためミオでも読むことができた。
 どこまでが本当なのか判らないような奇抜な話が多く収録されており、作り話なのではないかと少し疑いながらも、一度読み始めると夢中になって頁を捲ってしまう。本当にこんな不思議な本があるのなら、その存在を確かめるために遥か遠くまで旅をしてみたい、と思わされたものだった。
 ミオは久々に本を読み返したい衝動を堪え、その奥付を開いた。淡々と並んだ文字の中に、先日確かに聞いた言葉が収まっていることを確認し、「やっぱり」と呟く。
 夢うつつの中噛み合った歯車が音もなく回り始めた。


「こんなにお客さんが来てくれる日が来るなんて思いもしませんでしたよ! おかげで朝からずっと満席です」
「満席って言っても椅子四つしか無いじゃないっすか」
「ふふっ、そうでしたね。それではごゆっくり」
 紺のエプロンを着けた店員はとても嬉しそうに笑い、彼の持ち場であるカウンターの奥へと戻っていった。そして流しが付いていないただの長机の上で、宙に浮く水の塊を作り出し、その中で器用に使用済みのティーカップを洗う。ミオとロセロ、そしてもう一組の客もその軽やかな仕事に見入っていた。
「すげぇな」
「すごいですね……って、そうじゃなくって」
 半身を捻って店員を眺めていたロセロが体勢を元に戻すと、テーブルを挟んで座っていたミオが、眼を輝かせて話の続きをせがんできた。
 二人は陽が最も高くなる少し前に迷宮百貨店前で合流を果たした。ロセロは早速調査の報告に移ろうとしたミオを制止し、面白いものを見つけたから付いてきてくれと告げた。特にそれらしい情報が得られなかった旨を報告し合いながら地下二階へと下り、階段から更に少し歩むと、照明を備えた広いスペースが現れ少女を驚かせる。そこは三日前にロセロが辿り着いた最下層の喫茶店そのものだった。
 目が覚めた時に周りの棚の商品ががらりと変わっていて驚き、ちらほらと客が来て更に驚いた……と店員は語ってくれた。あの首の無い人型たちが、夜間に機能を停止している彼をここまで運んだのだろう。迷宮の気まぐれさが感じられる。
「じゃあ、本当に本当なんですね! 全部!」
「ああ、記者連中が体張ってネタ探してきてるからな。話に出てくる食い物やら何やら、俺も食ったことがあったり持ってたりするぞ。ライブラセブンは俺も愛用してる」
「ら、らいぶせぶん?」
「そういや商品名は書いて無かったか。凄い数の話を保存できて、音楽聴いたりゲームをしたりもできる機械仕掛けの本」
「あっ、あれですね! 私も読んでいて凄く欲しいなーって思ったんですけど、発行元がある世界に行ってお話を買わないといけないって書いてあって、ちょっとしょんぼりしたような記憶が」
「まあ電子端末だし仕方ないな。俺としてはあれを本として紹介して良いのかがまず謎なんだが」
 会話に茶と茶菓子を吸い上げた花が咲く。質問に答える側もまた楽しげな様子を見せていた。
 茶の注文を終えてまずミオが訊ねたのは、彼が先日領収書に記載させていたアカシア書房と言う組織名が、異世界ふしぎ紀行シリーズと言う本を発行している組織を指すものかと言うことだった。よく知ってるな、とロセロは答え、常に肩にかけていた鞄の中身を見せた。見覚えのある装丁の本が二冊。片方は家で読んだことがあるもの、もう片方は発行されていることもまだ知らなかったものだ。
「そうそうご飯の本の話に戻るんですけど、作者さん大丈夫なんですが?」
「大丈夫って何がだ? 頭?」
「そうじゃなくって胃腸です、と言うか体そのものです! お話が本当なら何回か死んでいてもおかしくないようなものも食べてるじゃないですか」
「んー……その辺については企業秘密って奴なんだが、まあ今日も元気にやってるはずだぞ。とりあえず読者が心配してたってのは伝えとくさ」
「あっ、ありがとうございます……あと、お祭りの本とお仕事の本もどうやって現地の人に混ざっているのかが不思議で」
「そいつも内緒ー」
 本についての質問を重ねるが、全てに答える訳にはいかないようで謎が絶えることはなかった。
 ミオがテーブルに置かれた本と周囲の光景を交互に見る。謎だらけの本と、謎だらけの店。この本こそ迷宮百貨店の書棚にふさわしいものであるように思えた。ここでまだ取り扱っていないと言う事実に不自然さを感じるほどに。
 しかしわざわざ店自体の調査をしてまで本を売り込もうとしていることも不思議でならない。本を入荷させたとしても、客の目に付く場所に陳列して貰える可能性が低すぎる。迷宮は広く、深く、雑然としていた。
 その疑問を打ち明けると、ロセロは苦い顔をして答えてくれた。
「うちのボスが何としてでも本を置かせて来いって言って譲らないんだよ。使い走りは辛いよなあ。まあ記事書いてる奴らよかまだマシだとは思うけど」
 はぁ、と大きな溜息を一つ。少女はどうにかして力になりたいと考えつつも、困った顔も素敵だと胸をときめかせていた。馬鹿にしているわけではないが、心が自然と反応してしまうのだから仕方がない。
「とにかく、早く営業を済ませて迷路とおさらばしたいとこだ」
「そう……ですよね。頑張りましょう!」
 彼の目的が果たされ、この店のどこかにアカシア書房の本が並ぶ。誰かが本を手に取り、買い、読んで、ミオと同じように遠い世界に想いを馳せる。ロセロはこの地を去り、どこか違う場所でいつもの生活へと戻る。
 それは彼にとってとても喜ばしいことであるはずなのに、その日が来ないことをつい願ってしまっていた。我侭さが恥ずかしいとは思うものの、身勝手な想いは心の底からふつふつと沸き上がり続ける。
(ずっとこうやってお話していられたらいいのに)
 このひと時が終われば、先日と同じように聞き込み調査を行い、母を心配させぬよう早めに家に帰って、中間考査に向けての勉強をしなければならない。夜を跨げば休日はもう終わり、学校でいつも通りの生活が始まる。彼の手伝いに使える時間もぐっと短くなる。
 元々違う世界に住んでいた者同士なのだから仕方がないのかもしれない。すぐ目の前にいる相手がひどく遠いところにいるように思えた。
 もう少し、その声を聞いていたい。ミオのそんな思いも虚しく、ロセロは残っていた茶を一息に飲み干した。


「ええ、それらしき人にうちの品を纏めて卸したことがありますよ。あれは確か一昨年のことだったかしら……」
「本当ですか!?」
 ミオの弾んだ声が小さな店内に響く。ロセロと別れた後、四軒目に訪れたぬいぐるみ店『ムイムイ』でのことだった。
 この街の中心部には魔術の研究機関や魔術に纏わるビジネスを行っている企業の建物が多く、ミオの通っている学校もそこに位置している。その地区を取り囲んで住宅街が広がり、三つの商店街が住宅街を貫くように存在していた。迷宮百貨店はミオの家と最も近い星の木通り商店街の端に建っていた。そしてその逆側から枝分かれした、星の木通り商店街で最も人通りの少ない小道にこの店がひっそりと存在している。小さい頃に一度だけ入ったはずの店だ。
 少し埃の匂いがする狭い店内には、布製の愛らしいぬいぐるみが所狭しと並んでいる。動物をモチーフにしたものが多く、小さな洋服を着た猫のぬいぐるみを集めた机が目を引いた。売れ筋商品、作り手の好み、あるいはその両方なのだろう。
 ミオの他に客の姿は無く、店番の老婦人と二人きり。いかにも隠居後に趣味でやっていると言うような店だった。
「普通のお客さんかと思ったら、あの机とこの机を指して『ここに乗っているものを全て買いたい』って言い出してね。本当にびっくりしたのよ。まずね……」
 椅子に腰掛けた老婦人は、微笑みながらその時の様子をゆっくりと語ってくれた。ミオは彼女の優しげな眼を見つめ、頷きながらその話に聞き入る。
「……それでね、こんなに沢山のぬいぐるみをどうやって持って帰るのかと思っていたら、彼は……彼女だったかしら、どんな姿をしていたかが思い出せないのだけれど、とにかくその人はぬいぐるみを一つずつ鞄に詰め始めたのよ。口だけが妙に大きい不思議な鞄でね、どこか他の場所と繋がっている魔法の品だったのかしらねえ、何十もあったぬいぐるみが全部入ってしまって……」
 不思議な鞄と聞いて真っ先に思い出したのは、一昨日遭った泥棒の姿だった。彼らはあの後いったいどうなったのだろうか。少し気になりだしてしまったが、今は老婦人の話のほうが大事であるので頭から追い出した。
「……だから結局最後までその人は名乗らなかったのよ。星夜祭も近かったし、子供にぬいぐるみを配る慈善活動家のお金持ちか何かなんでしょうってその時は思っていたわ」
「えっ……じゃあ、どうしてその人が迷店の人だってわかったんですか?」
「わかったと言っても確証があるわけじゃないんだけれどね。その話をうちの孫にしたらねえ、実は僕が頼んだんだって言うのよ。私の作ったぬいぐるみがなかなか売れないのが日頃から納得行かなかったんだって。迷店で見つけたあの、あれね、店への要望を書く紙にね、『ムイムイのぬいぐるみをここでも売って広めてください』って書いて出したんだって」
「紙……!」
 頭から爪先まで電流が走ったようだった。答えはロセロと出会う前から手に入れていたのだ。
 今すぐに家に帰り、件の紙を使える状態にしなければならないと思った。確かインクで書いた字でも消せてしまう砂消しが家にあったはずだ。あの願い事を自ら消してしまうのは惜しいが、やらなければならない。
「こんな感じの話で良かったかい? 少しでも力になれたなら良いんだけれど」
「はい、とても助かりました! ありがとうございます! そうだ、じゃあ……えーと」
 ミオはカウンター付近に置かれていた小さなぬいぐるみを見た。話の礼に少しでも売上に貢献できないかと考えたのだった。先日の花瓶の弁償で財布は冷え込んでいたが、そんな財政状況下でも買えるものが籠に詰められている。短い手足が愛らしい猫のマスコットを選び、手にしたところで、誰かがドアを開け踏み入る音と威勢の良い声が聞こえた。
 それはどこかで聞き覚えのある、良くない思い出がついた男性の声で、
「草むしりと虫取り終わりましたぁーっ!」
「終わりましたー」
 振り向くと、一昨日ミオを追いかけ回したあの泥棒たちが軍手を握り締めて立っていた。
「あ……あの時の……っ」
 ミオは身の毛がよだつ思いをしながら後ずさり、カウンターにぶつかった。二人の泥棒と少女が揃って目を丸くする中、店主だけが不思議そうな顔をして首を傾げる。
 相手が危害を来るようなら、どうにかしてこの老婦人だけでも逃がさなければならない。今度は冷静に、必要ならば敵を痛めつけることも厭わずに。少女は拳を固く握り、息を呑んだ。
 二人の男は顔を見合わせ、一度頷いてから同時に動いた。身を屈め、床に手と膝をついてミオを見上げたのだった。
「あの時は本当にすいませんでした!」
「えっ」
「すいませんでした……」
 強ばっていた体から力が抜け、マスコットを取り落としてしまう。呆然とする少女の目の前で、男たちは繰り返し頭を下げ続けた。
「俺ら、あの後いきなり出てきた脚がいっぱい生えた化物に捕まって、鞄取り上げられて檻に入れられたんすよ! そこで震えながら一晩過ごして、売り物として置かれて、朝になってからこの奥様が買って助けてくれて! 二人合わせて三〇ソルトで!」
「あっ、はい、お買い得ですね」
「ジュッてやって値段付けられた時はこのまま死ぬのかと思った……」
 返答に困り、 咄嗟に浮かんだしょうもないコメントを返しながら話を聞いた。脚がいっぱい生えた化物とやらには心当たりがなかったが、害をなす者に差し向けるための戦力が用意されていたのかもしれない。それに遭遇しなかった自分は軽く追い払われていただけなのだろう。
「奥様はこんな俺らに優しくしてくれて……もう心を入れ替えて真面目に働いて生きるしかないと思ったんすよ! 今は街路の清掃活動やってます!」
「ここの所人手が足りてないって話を聞いたものでねえ、私は膝が悪くて戦力になれないものだから、代わりをお願いしたのよ」
 老婦人がおっとりとした様子で語り、物静かな方の男が頷く。
 ミオはしばらく暑苦しい更生の決意を聞かされた後、罪人二人に乞われて仕方なく説教を行い、ようやく店から出ることができた。


「どうしよう……」
 ぬいぐるみ店を出てから数時間後。ミオは自室で机に突っ伏し途方に暮れていた。
 インクで書いた字もきれいに消せると言う魔法の砂消しは、絶対に消えないインクとの戦いに完敗した。いくら擦れども字の周りの紙が抉れるだけ。縁起を担いで余計な工夫をしてしまった自分を恨んだ。
 いっそのこと字を書いた部分だけを切り取ってしまえばと言う考えも浮かんだが、紙を傷つけることによって本来の機能を果たせなくなるかもしれないと思うと恐ろしく、実行には移せなかった。自分が店の主だったとしたら、真ん中がくり抜かれた怪しい紙は受け取りたくない。
(線引いておけばいいかな)
 仕方なく鉛筆を手に取り、昨日記したばかりの願い事に取り消し線を引いた。願い事を自ら否定する行為に胸が軋み、苦しい。少女は苦い顔をしながら、その下に『アカシア書房の異世界ふしぎ紀行シリーズと言う本を入荷してください』と書き込んだ。
(これでいいんだ、これで)
 自らに言い聞かせながら紙をしまい、代わりにノートと教科書を広げた。勉学に励むことで辛い思いを追い出したかった。