大粒の木の実を奥歯で砕きながら振り返り、等間隔に並ぶ樹の脇から顔を出すと、昨日の事など忘れたかのように客を受け入れ続ける迷宮百貨店が見えた。今日は学校が休みであるため、今のミオと同じく私服の若者の姿が多く見受けられる。その中から見知った顔を見つけては木の陰にまた隠れる、と言うことを午前中だけで二回経験した。何をしているのかと訊かれてしまうと後々面倒なことになると考えていた。
店に出入りする客の中に探しているのは、黒い短髪とがっしりとした長身、そして頼もしいあの眼差し。特に約束もなく別れてそれっきりである先日の恩人だった。彼が今日再びここを訪れると言う確証は無いが、張り込んでいればまた出会えるかもしれないと期待していた。
迷宮を脱した後、紆余曲折を経て少しだけ共に行動することになり、家の近くまで送って貰うことになった。その道のりでしつこく尋ねた結果、彼はある商品を売り込むための営業で店を訪れていたのだとこぼしたのだった。店の商品や番人を極力傷つけないように立ち回っていたことにも納得がいった。
お前を拾わなくとも店からは締め出されていただろうから心配すんな、とも言われていたが、ミオはこちらの言葉は信用していない。気に病んでしまわないようにと彼がついた嘘、もしくは誇張表現だと考えていた。結果として彼の仕事を邪魔してしまったのは間違いないのだと。
自分では彼の力になどなれないかもしれないが、できる限りのお詫びがしたい。そう思って二つの手提げ袋を用意しここへ来た。しかしそんなものは建前だろうと責めるもう一人の自分がいる。ただもう一度彼に会いたいだけなのだろうと。
「ふわぁ……」
大きなあくびを一つ。立っていても容赦なく襲い来る眠気が、昨夜のことを思い出させた。
正直に事情を説明すると、母はそれを疑う事なく聞き、抱き締めてくれた。作り話だろうと一蹴されることを恐れていた自分が恥ずかしくなる程に真剣に。あの手の施設ではどんな不思議なことが起こってもおかしくはないし、何より嘘をついているかどうかぐらい目を見ればわかるのだと。
問題はその後だった。湯に浸かって身体を温め、しっかり疲れを取ろうと布団に潜り込んだものの、様々な事が頭の中を駆け巡り寝付くことができない。
抱き上げられて伝わる体温。軽快なフットワーク。見上げた顔の凛々しさ。少し低いが声量がありよく通る声。唇はぶっきらぼうだけれど優しい言葉を紡いで、去ってなおミオの心を揺さぶり続ける。
一方で思い出したくないことも次々と脳裏に蘇った。緊張により何度も言葉に詰まってしまったこと。手洗いに行きたがっていることを感づかれ、そのための手配をさせてしまったこと。挙句の果てにボタンを押し間違えて個室内も自分も水浸しにし迷惑をかけたこと。
そもそも彼が善良な人だったから今こうして布団に潜っていられるのだ。小娘の浅はかさに付け込むような人だったならば、彼の支配する領域に足を踏み入れた時点で自分の人生は終わっていたかもしれない。トイレを借りただけとは言えども、あの場所は男性が暮らしている家の一部だったのだから。
そういえば慌てすぎてあの時必要な場所しか見ていなかったが、彼はいったいどんな暮らしをしているのだろう。借りた手洗いと洗面台はとてもきれいで、自分が知らない機能を備えた物だった。やはり他の世界から来た者なのだろうか。迷店の商品と同じように、どこかこことは違う文化を持った国から……。
考え事が考え事を呼び続け、結局寝付くことができたのは早朝になって小鳥のさえずりが聞こえだしてからだった。その後目覚まし時計のアラームによって起きたため、睡眠は満足に取れていない。
しかし胸を焦がし続ける未知の衝動が二度寝を許してくれなかった。
「はぁ……」
出入り口を覗きながら、大きく溜息を一つ。そしてサンドイッチの残りひとかけらを食べてしまうべく正面を向くと、草がまばらに生える地面に向かうはずの視線を何かが遮っていた。
「何やってんだ?」
声がする方向を追って見上げる。いつの間にか目の前に立っていた、正に今探している最中の男と目が合った。
「ひっ!」
ミオは素っ頓狂な声をあげて身を震わせた。小動物らしさに拍車がかかる。
「あー悪ぃ、驚かすつもりじゃなかったんだが」
「いえ、だっ、大丈夫ですこんにちは! それよりロセロさん、これ」
顔が急速に熱を持つのを感じながら、ミオは腕にかけていた薄い布製の袋を差し出した。中には折りたたまれた服が入っており、その上に紙袋が一つ乗っている。渡された側はその服に見覚えがあった。
「洗ってくれたのか」
「はい、お母さんが。いいものみたいだし捨てるには勿体無いって」
それは先日ミオが水を被った際、帰り道で風邪をひいてはいけないと半ば押し付けられる形で渡されたカーディガンだった。もう着ないものだから後で捨ててくれと言われていたが、こうやって再び会うための口実として、そして叶わない場合は昨晩の思い出として持っていたかったため、処分せずにいた。自分が休んでいる間に急ぎで洗ってくれた母にはいくら感謝してもし足りない。
「すげえ、なんか毛玉減ってら……ありがとな。母ちゃんにも礼言っといてくれ」
袋を受け取ったロセロが微笑む。威圧的な風貌とのギャップに可愛らしさを感じてしまい、少女の胸の奥はまた痛いほど反応した。
「……っ! はい! そっそれでですね、一緒に入ってるのが私のよく行く店のサンドイッチで、一番おすすめのもので昨日のお礼にって思って」
彼の顔を直視していられず、相手と手提げ袋を交互に見ながらの説明となった。しかし真にこの場で伝えたいことはサンドイッチの美味しさについてではない。ミオはありったけの勇気を振り絞り、掌をきつく握って、自身にとっての本題を切り出した。
「それでですね、助けてもらったご恩はサンドイッチぐらいじゃ足りないと思うんです」
「え、俺はこれで十分すぎるぐらい……」
「でも、あの時しようとしていたお仕事を投げ出してまで助けてくれたんですよね? その遅れを取り戻せるように、その……お手伝いをさせてください!」
緊張した面持ちで言い切り、深々と頭を下げた。咄嗟に思い立った願いではなく、寝付けない夜を過ごしながら決めたことだった。
「ちょ、ちょっと待て。考えさせてくれ」
ロセロは面食らった様子を見せつつ、真剣に願い出る少女への返答を出すべく立ったまま考え込んだ。気持ちは嬉しいが、年下の少女を自分の都合でこき使って良いものかと思うと素直に首を縦に振れない。
んー、と唸りながら険しい顔をする大柄な男。息を呑んでその様子を見つめる、街路樹に背を預けた――見ようによっては男に追い詰められているようにも見える小柄な少女。樹の陰に隠れるようにして繰り広げられているやりとりに、通行人が一人二人と歩みを止め、注目しだした。ロセロはすぐにその視線に気付き、眼をぎょっと見開いた。
「わかった、わかったからまずその強引にナンパされて困ってるみたいな顔やめてくれ! ほら笑顔だ笑顔っ」
「えっ、そんな顔してました!? ごごごごごめんなさい!」
「そうやってすぐに謝るのも無しな。それじゃあまず何ができるのかを聞かせてくれ、言い出したからには役に立つ算段があるんだろ?」
「……っ! はい!」
ミオは朗らかな返事と共に顔を上げた。自然と浮かんだ心からの笑顔が、木漏れ日を浴びて燦々と輝いていた。
サンドイッチを素早く食べ終え、ミオが持参した水筒入りの茶で喉を潤した後、二人は再び迷宮百貨店の大扉をくぐった。ロセロがミオに手伝わせたいことは店の外にあったが、その前に確かめておきたいことがあった。夜間に店内をうろついた二人が再び入店することを許してもらえのるかどうかを。
「もしかしたら俺だけ追い出されるかもな。わざと閉店後も残ってた訳だし、使い魔か従業員か知らんけど何回か蹴ったし」
「私だけかもしれないですよ、びっくりして商品割っちゃったので……」
おとなしい声がさらにか細く気弱になってゆく。少し先を歩くロセロの背中を見ていると、ジャケットの裾を捕まえておきたい衝動に駆られたが、 自分にそんな仕草は似合わないと感じてやめた。
「ま、捕まりそうになったら俺が何とかしてやるさ。心配すんな」
「はい!」
男の言葉はどれも頼もしく、少女の足取りを軽快なものとさせた。
団体の観光客によって混んでいる中を縫って歩く。会計の机の前を通ろうとしたところで、二本の蔦が天井からするりと伸び、行く手を遮るように垂れ下がる。すぐにでも逃げ出せるよう身構えたが、蔦が襲いかかってくる様子はなく、握りこんだ紙をそれぞれに差し出してくるのみだった。
二人は顔を見合わせた後、恐る恐るその紙を受け取り、記されている内容を読み込んだ。
「商品、弁償、四〇〇ソルト」
「商品の弁償五〇ソルト、備品の……っておい」
硬貨が机上を跳ねる音が聞こえた気がした。
それぞれ思い当たる節はあった。ミオが請求された額は先ほどのサンドイッチにして約八つ分、割った花瓶の価格だったと考えると納得が行く。ロセロもまた先日の騒ぎの最中に棚から落としてしまった商品に損壊があったのだろう。問題はその下に記されたもう一つの請求だった。
蹴り倒した人形に関わる請求であることは予想が付くが、高い。それも冗談のような高額ではなく、払えなくはないもののその先数十日の生活を圧迫するであろうことが確実と言ったリアルな額だった。多めに用意していたはずの活動予算の六割が吹き飛ぶ。
紙きれを見つめたまま直立し、備品の弁償額を明かそうとしないロセロを、ミオは困惑の眼差しで見上げた。
「……いくらだったんですか?」
「ああ……た、大した額じゃないさ。どうにでもなる」
「どうにかなるとかそういう問題じゃないんです、原因は私にあるんだから払わせて下さい。いくらだったんですか」
少女は真剣な顔をして詰め寄る。自分が招いた事態なのだから、密かに行っていた貯金を切り崩して、それでも足りなければ母に頭を下げ小遣いを前借りしてでも払う覚悟があった。見つめられた相手はその眼に本気の炎が宿っていることを察し、尚更見せられないと判断して紙切れを手のひらに握りこんだ。
「だから心配すんなって。俺が大人の払い方ってもんを見せてやる、見てな」
堂々と宣言をした後、ロセロは後ろを向いて財布から金貨を含む十枚ほどの硬貨を取り出し、
「領収書ください。名前はアカシア書房で」
と告げながら蔦に握らせた。ミオもまた自らの支払いのことを思い出し銀貨を支払う。
蔦は要求に応じ、律儀に領収書を用意してくれた。金額と共に蚯蚓が這ったような字で宛名が記されている。ロセロはよれよれの領収書を受け取り、連れの少女に額面を見られぬよう素早く財布にしまい込んだ。
「領収書なんて出してくれたんですね」
「まあ俺もダメ元だったんだが、マジで出てきて少しびびった」
「それで、どうするんですか?」
「経費で落とす」
自称・大人はぐっと拳を握りこんで見せた。その顔は妙に自信に満ちていている。
(悪い大人の顔だ……)
とは思ったものの言い出すことはできなかった。ミオは渋々引き下がりつつ彼の請求が通ることを祈った。祈りながら、彼が口にしていた組織名に想いを馳せる。どこかで聞いたことがあるような気がするし、無いような気もする。それは記憶の底ですっかり焦げ付いていた。
「念のためちょっと中にも入ってみるか」
「あっ、はい!」
声をかけられ、思考が切り替わる。少女は小走りで男の背中を追った。
壊してしまったものの弁償は要求されたが、結局それ以上に咎められることはなかった。迷宮の一階は先日の昼と同じように賑わいを見せている。先日は夢でも見せられていたのかと思うほどに和やかな空気が流れていた。
「さて……と。やるか」
ロセロの呟きに応える者はいない。店の怒りがすっかり治まっていることを確認した後、ミオを外へ使いに出し、再び一人になったのだった。
やる気で眼を輝かせていた少女には、この街で商いや製造を行う者への聞き込み調査を任せることにした。迷宮百貨店へと商品を卸した者、もしくは迷宮百貨店の使いらしき者が品を買い付ける様子を見た者は居ないか。見知らぬ男にそんな情報を流すわけが無いだろうと聞き込みは半ば諦めていたが、物心ついた頃からこの地に住み続けていると言うミオならば成果が得られるかもしれない。
迷子を拾って遠回りをしたはずだったが、意外にも彼女の存在が近道になりそうな、そんな予感がした。
とは言え、彼女の厚意と好意の上に胡坐をかいているわけにはいかない。ロセロもまた行動を起こすことにした。歩みを速めて目指すは最下層。あのフロアに並んでいた珍妙な品を調べれば、どこから買い付けたのかがすぐにわかるようなものがあるかもしれない。彼が所属する組織は、様々な世界に存在する特徴的な品や事柄に関する知識を多く保持している。一つぐらいはその情報網にかかるものがあるだろうと踏んでいた。
ミオは勇んで聞き込みを開始したが、初日は何も成果をあげられないまま終わってしまった。幸先はあまり良くない。
今日は母を心配させないようにと早めに家路につき、具沢山のスープを作って一緒に食べた。母直伝のレシピで作ったスープの味わいが、商店街を歩き回って疲れた身体に染み渡る。明日はもっと頑張ろう、と密かに決意した。
そして自らを焚きつける為に用意した燃料が、彼女がベッドに寝転び見つめてはにやけている紙切れである。
それは数日前に迷宮百貨店で手に入れた、店への要望を書くためのカードだった。これに願い事を書けば実現すると言うジンクスに乗り、今最も叶えたい望みを書き込んだのだ。それも更に縁起を担ぎ、書いた字が絶対に消えないと言う魔法の品であるインクを使って。祝儀の際に用いるものを少し拝借したのだった。
「……へへー」
見つめているとだらしない笑いが洩れてしまう。行き場を求めて渦巻く気持ちを発散するため走り出したくなる。
少女は無意味に足をばたつかせながら、紙に記された『ロセロさんともっと仲良くなって、いつかお付き合いできますように』と言う一文を自らの中で繰り返し読み上げていた。