セレストラのかたすみ

月影図書館にて

#05 奪われざる頁

 持ち主が記憶した書に触れられるという呪本の存在を、そして同僚の一人がそれを持ち使いこなしているという話は聞いていたが、実際にその力に触れるのははじめてのことだった。彼女の知識を深く頼る機会が今までになかったために。
 初めて踏み入った月明かりの図書館は、ロセロが想像していたものとは大きく姿が異なっていて、何が彼女にこのような光景を作らせたのだろうと案じさせた。どうしてわざわざ廃墟を拵えたのだろうか。書庫を形作るなら、もっと新しく機能的な建物のほうが使いやすいのではないか。そもそも肝心の本はどこにあるんだ?
 いろいろと訊きたいことが浮かんだが、それらをすべて後回しにして、男は声を張り上げた。
「来たぞ! どこだ、アリア!」
 ロセロの叫びが朽ちかけたエントランスホールに響く。怒気を孕んだ威圧的な声だった。隠しきれない苛立ちが、彼の表情を歪ませている。手にしていた手帳をつい握りしめてしまい、布張りの表紙が少し曲がった。
 頼みごとがあるからと呼び出され、指定の時間にアリアブライルンの私室を訪れたのがつい先ほどのこと。鍵はかけられておらず、部屋に当人はいなかった。が、言われていた通りに勝手に入ると、部屋の真ん中に設置されたテーブルの上に、一冊の本と置手紙が残されていることがすぐにわかる。手紙には生徒手帳が添えられていた。セレストラ魔術学校という校名と、見知った名前が記されたものが。
「聞こえてんだろ! 理由ならゆっくり聞くから出てこい!!」
 大きな声で呼びかけながら、待ちきれずに辺りをうろつく。
 意味がわからなかった。同僚たちの中でも特に落ち着いた、きわめて真面目な部類である彼女が、このような悪ふざけをするなんて。自分だけを相手取った挑戦なら快く受けてやるところだったが、今回ばかりは勝手が違う。
 置手紙は『あなたの大切なお友達をお預かりしています』という一文から始まっていた。便箋の下に置かれた本には見覚えがある。これは彼女が手厚く保管しているはずのマジックアイテムであり、彼女を書架の魔女たらしめている要因の一つだ。必要としたときにのみ、大切そうに抱えて持ち出している。それを机に置き去りにし、ましてやそこに人を呼びつけるなど、異例の事態と呼ぶほかになかった。
 うろたえはしたものの、その意図することはすぐにわかった。呼ばれているのだ。呪本の中に広がっているであろう、彼女の領域に。
 今すぐに本を開くべきか。アリアブライルンの企みの理由と内容を推測したうえで、異なる何らかの手を打つべきか。少しのためらいを経て、ロセロは革張りの表紙に手をかけた。
 呪本は男をすぐさま迎え入れた。体は触れた指先から光の粒となり、閉じられた頁と頁の間へと吸い込まれてゆく。高所から飛び降りたときのような浮遊感が身を襲った。
 光となった自らの眩さに思わず目を閉じたとき、記憶に残る少女の顔と、置手紙の文面が脳裏に蘇る。『いくじなしには勿体ないすてきな子だから、私が頂いてしまおうと思うの』と。

 呼びかけに応じるものがいないことを確認したロセロは、すぐにこの図書館の主を探すべく行動を起こした。ジャケットの右袖を捲りあげ、目を閉じる。思考の底、魔術を使うための回路で術を組み立てる。最後のピースとしてはめ込むのは、自分をここに呼び込んだ女の名前、そしてその魂のかたち。まじないの言葉を呟きながら、露わになっている腕を左手でなぞると、肌に一匹の蝶が浮かび上がった。手首の太さほどの全長を持つ、墨色の蝶だ。
 蝶は体毛が取り払われた肌をゆったりと羽ばたいてゆくが、そこから上昇することはない。スクリーンに投射された映像のように、肌の上を移動して、ぴたりと動きを止めた。腕を動かすと、蝶もまたとまる場所を変える。そうした観察を何回か繰り返したのち、ロセロは「よし」とだけ呟いて、頭のうちで新たな術を組み立て始めた。彼が最も得意とする空間操作の術を。
 この施設の外――他の世界と空間を繋ぐことはできないが、施設内で動き回る分には邪魔は入らないようだ。それさえできれば問題ないと判断し、男は先ほど行使した術から得た情報をもとに道を切り開いた。蝶の大きさは探し人との距離を、蝶がとまる場所は向かうべき方向を教えてくれる。誰でも探せるような汎用性のあるものではなく、出先からの帰還が困難になった仲間を探しだすことに特化した術だった。
 四角く切り取った空間の境界をくぐると、そこはエントランスよりも幾分か明るい、本と手紙が乱雑に積まれた書斎のような部屋だった。
 騒ぎの元凶である書架の魔女アリアブライルンは、地べたに座ったまま来訪者を見上げた。紫水晶の瞳が長い睫毛に寄り添う。
「早すぎよ。それを私用に使うのはずるいと思うわ」
「授与兵装を悪用してる真っ最中の奴が言うな」
 それもそうね、と返して女が笑う。そのやけに楽しげな様子が、ロセロをまた苛立たせた。しかし何より気に障ったのは、彼女の太股を枕にして倒れている、制服姿の少女の手をしっかりと握っていることだった。自分が久しく触れていない、あえて遠ざけてしまっていた、あの小さな手を。
「で、何のつもりだ」
「手紙に書いた通りよ?」
 歩み寄り、二人をすぐ近くから見下ろす。眼鏡をかけたままのミオの胸は小さく上下しており、ただ眠っているだけであることがすぐにわかった。予想通りではあったが、それでも安堵する。同僚が何らかの外的要因で発狂して部外者を――それもよりにもよってこの少女を――手にかける、なんて最悪のシナリオではなかったことに。
 少女の寝顔は儚げで、迂闊に抱き起せば壊れてしまいそうな気さえした。そんな男の思いを知ってか知らずか、書架の魔女はミオの黒髪をそっと撫で始める。目の前の男に見せつけるように。
「この子、本当に可愛らしくていじらしくてたまらないのよ。勿体ないわ」
「何がだよ」
「こんな子を飼い殺しにしているいくじなしを想わせ続けるなんて」
 アリアブライルンは小さくため息をつき、床に広がったスカートの上に置いていた本を手に取った。小ぶりの、あからさまに魔力を帯びた本を。
 この図書館の蔵書はすべて主の記憶から複製されたものであり、実際に存在しているわけではない。呪いがかかった本を呪いごと所蔵することはできない。……と以前聞かされたことを思い出したが、だとするとあの呪本らしき一冊は何なのだろうか。
 何らかの例外か、彼女の説明に誤りがあったのか、それとも外部から持ち込んだものか。思わず息を呑んだ男の目の前で、女はその本を得意げに開いてみせた。手のひらほどのサイズの、角ばった頑丈そうな装丁の本。しなやかな指が静かに頁を捲った。
「あなたと再び会える日がいつ来てもいいように、とっておきのよそ行きの服を買ったんですって」
「何を、言って」
「靴は少し踵の高いものを買ってみて、上手く履きこなせるよう学校が休みの日にそれを履いて出歩いている。少しでもあなたの顔を近くで見たいから。学校では護身に使えそうな術を積極的に学んでいるそうよ。いつかあなたの傍にいられるようになりたいから、あなたの仕事のとばっちりを受けても逃げることぐらいはできるようにって。でもそこまで近づけるチャンスが来なくてずうっと待ちの一手、と」
 つらつらと語って、女は本を閉じた。ぱたん、と鳴った音が、静寂に包まれた書斎でやけに大きく響いた。
「目がくらみそうなぐらい眩い恋心ね。これを毎晩眠る前に読めたなら、きっと夢見も良くなるはずだわ」
「何をした」
 ロセロの金の双眸が、目下の女を鋭くねめつける。常人なら目を合わせるだけで竦みあがってしまいそうな気迫を放つものの、書架の魔女はまるで怖気づかない。
「傷つけるようなことはしていないけれど? むしろ楽になるんじゃないかしら。もうあなたのことで悩まなくて良いんだから」
「……感情か記憶の操作か。どこに隠してやがった、そんな技」
「さあね? 予想についてはおおよそそんな具合ね。恋心を頂いたと言えば正しいかしら……あなたへの想いだけを、すべて」
「へぇ」
 ロセロがそっけない声を発するのと、本が持ち主の手から飛び出すのは同時だった。窓から射す月光が、本に巻き付いた透明な糸を照らし出すが、糸は逃げるようにすぐに姿を消した。
 糸の出所はロセロの左手に装着された腕輪。手をほとんど動かすことなく、糸だけを腕輪の力と己の意思で動かし、本を奪い自らの手元へと運んだのだった。
 しかしロセロが本を手にするや否や、それは部屋を満たす薄闇に溶けて消え去ってしまう。
「ここの本は全て私のものよ」
 溶けた闇は宙を滑り、本来の持ち主の手元へと集まって再び形を成した。持つものを失った左手はきつく握りしめられ、苛立ちを圧縮させる。
「……目的は何だ」
「こんないい子を弄ぶ奴への嫌がらせ」
「盗ったもんは何に使うつもりだ」
「そうね……魂のほんのひとかけらだけれど、使いようはあると思うわ。例えばここに置いている司書に与えて、形だけ似せてみるとか」
 ミオちゃんが出迎えてくれる図書館、とっても素敵じゃない? と語って、アリアブライルンは本をスカートの裾に置いた。そして再びミオの髪を撫でようとして――
「やめろ」
 地に膝をついたロセロに手首を掴まれ、阻止された。
 そのまま腕を捻りあげてやりたい衝動に抗いながら、しかと手の動きを抑え込んで、ぐいと顔を近づける。いつも向けている仲間への親愛ではなく、確かな敵意を瞳に湛えて。
 いざ獲物を噛み殺さんとする獣のような、獰猛なまなざし。一瞬でも目を逸らせば魂ごと引き裂かれてしまいそうで、書架の魔女は思わず身を竦ませた。
「それは俺のものだ」
 いつもより低い声で、唸るように告げる。
「『それ』? 年端も行かない女の子を釣り上げておいて、満足な餌もやらずに所有物扱いだなんて傲慢が過ぎるんじゃなくて?」
「本人のこと言ってるわけじゃねえよ。ミオはミオだ、他の誰のもんでもないだろ。……ただ」
 女の手首を掴む手にいっそうの力が篭る。戒められている当人は僅かに表情を歪めるも、その口元はどことなく嬉しそうに次の言葉を待っていた。
「こいつが俺に向けてくれた気持ちだけは、誰かに渡すわけにはいかない」
 言い切るその面持ちは、とても真摯なもので。
「それも傲慢よ」
「ごうつくばりの欲張りクソ野郎で結構。しかしお前のおかげで目が覚めたよ」
 そこまで言ってない、とむくれる女の言葉を途中で遮って男は言葉を続けた。
「どんな手を使ってでも取り返す。取り返して、二度とぶんどられることのないように手を尽くすさ。俺が使えるものは何でも使って、徹底的に、いつだって駆けつけられるようにして」
 一言ずつ、自らに言い聞かせるように。実際自らへの宣誓も兼ねているのだろう。この男が思い付きだけで軽々しく誓うことはないということを女は知っていた。
「だから早く返してくれ、あんまりアレな手は使いたくない」
「立派な意気込みじゃない。でもちょっと粘着質というか何というか、気持ち悪いわ」
「一言多い」
「でも鬱陶しいぐらいが好きって人もいるじゃない。本人に聞いてみたら?」
 アリアブライルンは満面の笑みを浮かべ、ようやくロセロの双眸から目を逸らした。視線が向かう先は彼女の膝の上、眠っていたはずのミオの顔。
「ぁ……」
 男の口から間の抜けた声が洩れる。深く眠らされていると思い込んでいた相手が、優しげな丸みを帯びた眼を見開いてロセロを見上げていた。過剰に血が通った肌は赤らみ、まなじりには溢れ出た感情がなみなみと溜まっている。涙は瞬いた拍子にほろりとこぼれ、こめかみへと流れていった。
「ロセロ、さん」
 ゆるりと身を起こしながら、掠れた声で訴える。少女の心臓は苦しいくらいに早く脈を刻み、言葉の続きを急かした。その様子を、男は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で見下ろしていた。
「ごめんなさい、騙すようなことしちゃって……でも私、お手紙も本当はもう面倒になってきたんじゃないかって心配で、ロセロさんに甘えすぎてるんじゃないかって、それをアリアさんに相談したらこうして力になってくれて、私」
「……俺についての何かその、あれ、持っていかれたんじゃなかったのか」
「それ、はったりなんです……ごめんなさい、本当は私ずっと聞いていて、私、ロセロさんに……っ」
「あー、まあとにかく落ち着いてくれ。俺は怒ってないから、まず涙拭け涙」
 慌てて、そしてどこか気恥ずかしそうな様子で、自らの服をまさぐるロセロ。いくつかあるポケットにただの紙くずしか入っていないことを理解するまでの間に、ミオは自分の鞄からハンカチを取り出し涙を拭いていた。眼鏡をぐいと持ち上げて、その下に布を滑り込ませるようにして。
「言っておくけど強引に連れてきたのは本当よ。度胸を見たかったの」
「嫁をいびる姑か何かかお前は」
「嫁……ねえ」
 書架の魔女がくすりと笑みをこぼす。拘束を解かれた手で今度こそとミオの頭を撫でてやると、少女はすすり泣きを始めてしまい、鞄を漁って今度はちり紙を取り出した。ロセロはかける言葉を必死に探しながら、顔を背けて鼻をかんでいる少女が振り返るのを待った。
 芝居を打たれたことへの憤りがないわけではないが、それは話を持ちかけたであろう同僚に後でゆっくり向けることとする。真面目で実直な、冗談でも人を騙すことのなさそうな少女を、ここまで追い詰めてしまったのは彼自身だ。責めるよりまず向き合わなければならないと考えていた。一年半ぶりに見る背中は、相変わらず小さくか細かった。
「落ち着いたか?」
「あっ、あ、はい、どうにか」
「……悪かったな、そんな思いつめさせちまって。慣れないことして疲れたろ」
「それもあるんですけど、その、私……嬉しくって……」
 嗚咽が混じり、再び声が裏返る。顔が、耳が、すっかり熱を持ってしまい、少女の冷静な思考を妨げた。
「またこうやってロセロさんと会えて、私のこと、迷惑じゃないって、言ってくれて……っ」
「面倒だったら文通なんて続けてないさ。いつも楽しみにしてる……仕事で気持ちが荒んだときとか、本当に癒されるんだよ」
 男は少女に顔を近づけ、柔らかく微笑んでみせた。そしてその頭に乗っていた女の手を退かせると、一回り大きい手で労るように撫でる。か細い体がぴくりと揺れた。
 安らぎよりも強く、胸の高鳴りを感じる。されていることは先ほどと同じなのに、相手が違うだけでこうも感触が違うのかと実感した。想い人の施しは人を堕落させる劇薬のようだ。与えられると際限なくその先を求めてしまう。長らく――一年と数ヶ月だけではあるが、まだ年若い少女にとってはとても長い時間――会っていなかったのだから、なおのこと。
「甘えてたのは俺のほうだ。ミオの根性の上に胡座かいて、顔も見せないで色々先延ばしにし続けて」
「でも、アカシア書房の図書室が解放されたら、そこで会えるはずだったんですよね?」
 何の疑いもなく、既に決まっていることを確かめるかのように問うミオ。その無垢な視線に耐えかねて、ロセロはつい目を逸らした。そして今度は同僚からの責めるような視線に捕らわれてしまう。いつの間にか一歩引いた位置に移動していた彼女の表情は、濃い目の化粧のせいか薄明かりの中ながらも霞むことはなかった。
「新館への本の移動はしていたけど……それ以降の提携事業についてはあなた管轄外よね」
「……おう」
「なんだかんだで顔出さないつもりだったんじゃなくて?」
「ソノトオリデゴザイマス」
 容赦のない追い打ちに身を縮こまらせるしかなかった。
 しかしミオはその不甲斐なさを嘆くでも責めるでもなく、目を潤ませたままロセロの手を取り、微笑んだ。両手で包み込んだ大きな手は温かく、ずっと会いたかった存在が今ここにいることを、肌で存分に確かめることができた。
「私は、こうやってロセロさんとまた会えただけで十分です」
「……怒ってねえの?」
「怒りたい気持ちもないわけじゃないんですけど、嬉しさのほうがいっぱいいっぱいで、頭がぐるぐるして……よくわかんなくって」
 そういうことってないですか? と付け加えながら顔を綻ばせる様子は、月光のもとに咲く一輪の花のようだった。小さく可憐で、それでいて石張りの床を割って葉を伸ばすような逞しさも兼ね備えた。
 ロセロは捕らえられていないほうの手を何かを堪えるように握りしめ、静かに呼吸を整えた後、ぽつりぽつりと言葉を続けた。
「言い訳になっちまうんだが、厄介事に……たとえば今回みたいなことに、お前を巻き込みたくなかったんだ。身内のいたずらだったからまだ良かったと言えば良かったんだが、いや良くないな、良くない」
「でも、こうやって助けに来てくれたじゃないですか」
 ミオはやっと止まってくれた涙の残りを拭き、再びまっすぐに想い人を見つめた。柘榴石のような瞳には、少女なりの確かな決意が宿っている。
「ロセロさんと一緒にいてもいなくても、困ったことは起きるときは起きると思うし、大人になる前に運悪く死んでしまう可能性だってあるはずなんです。そんなときに後悔するより、少しでも長く……傍に、いさせてほしい。傍で、もっと近くで、顔を見せてほしい」
「……近づいたらクソみたいな部分も色々見えるぞ?」
「どれくらいダメなのかまず見せてください、とにかく近くでいっぱい見たいんですっ」
 淀みなく言い切る少女の、吹っ切れたような様子を前に、男は照れくさそうに頭を掻いた。やられた、とでも言いたげな表情はどことなく嬉しそうで、ミオの心をまた喜びで満たしてゆく。幸せな気持ちに溺れているのは自分だけではないのだと確信させてくれる。
 しかしそんな二人の世界に割って入る者があった。
「申し訳ありませんが、閉館の時間です。長時間の開館と複数人の入場により主が疲弊しております」
 いつの間にか傍に現れていた司書が淡々と告げる。同じ顔が増えたことに驚くロセロに、館の主は「そういうことだから」と疲労を感じさせない顔で告げて、二人の間に物理的に割り込んだ。目当ては少女の方なので、男をぐいと雑に押しのけて。
「言い忘れてたけど、私もこないだよそに恋人ができたの。だから安心して頂戴ね」
「俺それ初耳なんだけど!?」
「それとこれ、お土産」
 先ほど芝居を打つために使われた本を押し付けられる。そして楽しげなアリアブライルンの肩越しに、ひどく驚いたロセロの顔を見たのが最後となった。
 身体がふわりと浮くような、痛みなくばらばらになってまた組み立てられるような感覚に支配され、思わずきつく目を瞑る。再び目を開いたときには大人たちの姿はそこになく、宵の公園でただ一人、ベンチの前で尻もちをついていた。
 遠くで遊んでいた子どもたちの声はもう聞こえない。長い夢を見ていたのではないかと思わされる静かさだったが、手元に残された本が、その記憶が夢ではなかった証となった。
 冬の訪れを予感させる、冷たい風がミオの頬をくすぐっていった。