「ちょっと友達の家に行くんだけどプイも来ない? 時計屋さんだから面白い時計がいっぱい見れるよ」
「ねえプイも一緒にお風呂行こうよ楽しいよー」
休日が終わり次の週が始まってからも、モニャニヤとプイの共同生活は変わりなく続いた。プイはモニャニヤが学校へ行くと同時にどこかへ出かけ、授業と文芸部の集まりが終わった頃に帰ってくる。そしてモニャニヤの後を追って飛び回り、夜には同じ布団で眠るのだった。
少女は帰宅から夕食までの時間を使い、できる範囲でプイを様々な場所へと連れ回した。揚げ芋を買い食いし、公園の噴水を見て、迷宮となっている百貨店に挑み……未知の文化を前にはしゃぐ様子が楽しくて、次はどこへ連れて行こうかと毎晩胸を躍らせた。そんな日がずっと続くと思い始めた矢先のことだった。
夜になってもプイが帰ってこない。夕方にはそんな日もあるだろうと悠長に構えていたが、日が沈みきり夕餉の時間を迎えてもプイは現れなかった。どこかで寝こけているのではないか、知らぬ間に戻ってきているのではないか、とモニャニヤは一階と二階を何度も往復する。その酷く落ち着きのない様子を目の当たりにしたユェヅィオは、見るに見かねて妹の肩を叩いた。
「モニャが慌てたってどうしようもないだろ、明日になったら帰って来てるかもしれないし今日は寝とけ。目腫らしてたらプイに心配されるぞ」
脚をより小さく丸め、顔の高さを近づけてからゆっくりと諭す。モニャニヤは「うん」とだけ返し、頷いて、とぼとぼと自分の部屋へと戻っていった
暫く窓を開けて外を見ていたが、青空色の蛸の姿はどこにも見当たらない。諦めて転がりこんだベッドは、小さな居候がいなくなっただけなのにとても広く感じられた。
(プイ、どこ行っちゃったんだろう……)
嫌な予感に胸を締め付けられながらも、意識はすぐに睡魔に攫われてゆく。持ち前の寝付きの良さはこんな時にも容赦がなかった。
翌日、部室にも顔を出さずに帰路を急いだモニャニヤを待っていたのは、昨日と変わらぬ静かな家だった。居ても立っても居られず、少女は急いで着替えを済ませ街へと飛び出した。この十日間で連れ出した場所を巡り、一度学校にも戻り、草むらや水路を覗き……思いつく限りの場所を探すが小さな蛸は見つからない。少女がいたずらに街を探し回る間に時は過ぎ、陽は無情にも山の向こうへと隠れてしまった。
「プイ……」
呟きに応える者はいない。ここ数日になって急に冷え込んだ風が、弱った声を掻き消していった。
しょぼくれながら家に戻ると、ユェヅィオが夕食を用意して帰りを待っていた。モニャニヤは不安で触角を萎ませたままスープを啜る。ベーコンと旬の茸が絶妙な味わいを織り成していたが、今はその美味しさを素直に喜べなかった。
スープ皿を覗き込む子蛸がいない。たったそれだけのことなのに、胸に風穴が開いてしまったような気がする。そこから嫌な予感が次々と吹き込み、モニャニヤは思わず身を震わせた。
「なあ、モニャ」
向かいに座るユェヅィオは、ゆっくりと自分なりに、兄として言葉を選びながら語りかける。
「一応俺もできる範囲で聞き込みをしてみたんだが、昨日の夕方以降にプイを見かけたって奴はいなかった」
「……うん」
「あいつも街の外から来てたんだろうし、元の住処に帰ったのかもしれないな。急に親が迎えに来たとか、帰り道を思い出したとか」
「でも……こんな急になんて」
どうにか搾り出した声は震えていて、今にも涙に沈んでしまいそうだ。
自ら街を離れたというのなら、その前に挨拶ぐらいしてほしいと思ってしまう。そして何より、自ら帰ったという以外の可能性が恐ろしくて仕方がなかった。迷子になって他の家で保護されているのならまだいい。暴漢や事故に遭ったのではないかと考えると、悠長に食事を取っている場合ではないと焦ってしまう。モニャニヤは残りの食事を掻き込んで席を立った。そして自分の皿を洗い、黙ってダイニングを後にしようとする。
「待て」
ユェヅィオがその背を呼び止めた。先ほどより低い、威圧感のある声色で。
「今から探しに行くつもりじゃないよな?」
「違うの、もう寝る……寝て早起きして探す」
「探すってどこをだよ、手がかりもないのにまた街ん中歩き回るつもりか。それに早朝も人通りが少ないから俺としては行ってほしくない」
「じゃあどうするの! どうやってプイを探したらいいのさ!」
不安が思考を掻き乱し、言葉を荒げさせる。本当はこんなことを言いたかったのではないと後になって気付くが、謝罪の言葉が喉に引っかかって出てこない。ただ嗚咽の声だけが洩れた。
ユェヅィオは服の裾を固く握り、俯きながら、妹に返す言葉を捜す。凶器になり得る選択肢を一つ一つ排除して、少しの沈黙の後、どうにか取っ掛かりを見出し口を開いた。
「いなくなっても追うな、ってレイルズ先生も言ってただろ。今モニャが辛いのはわかる、でもモニャに何かあったら、俺も母さんたちも学校の皆も同じ思いを……」
ことん、と乾いた音が一つ。ユェヅィオの言葉を断ち切った音は、二人にとって確かに聞き覚えのあるものだった。ダイニングの壁に取り付けた小さな戸が閉まる音だ。この戸から出入りする者は兄妹が知る限りたった一匹であり――
「プイ……!」
モニャニヤが見上げた先には、一日半ぶりに見る空色の蛸の姿があった。少女が大粒の涙を零しながら駆け寄ると、プイは彼女の手のひらに力なく舞い降りる。かなり疲弊しているようではあるが怪我はないようだった。
「もう、プイったらどこ行ってたの……心配したんだよ、ほんとに、ほんとに……っ」
「ぷぃぃ……」
泣き崩れるモニャニヤの後ろで、ユェヅィオもまた安堵の息をついた。そしてプイの顔を覗き込んで無事を確認すると、ソファーに倒れこんでだらしなく脚を垂らした。巻きスカートが捲れあがっているのも直さないまま。
「ちょっとお兄ちゃんパンツ見えそうだよ汚い!!」
「いいんですぅー俺さっきのでお兄ちゃん力使い果たしておっさんになったんですぅー」
緊張の糸が切れたユェヅィオは、兄としての威厳を放棄し子供がするような屁理屈を説き始めた。彼が時折見せる頭の悪い素振りは照れ隠しである。故郷で十年、二年の間を置いてからセレストラで一年半、今までの人生の多くを共に過ごしてきた妹はそのことをよく理解していた。こうなった場合は放っておくに限るということも。
「とにかく、私はプイを寝かせてくるからね。お兄ちゃんもちゃんと自分の部屋で寝てよー」
「へいへーい」
生返事をする兄を残し、モニャニヤはプイを連れて二階へと上った。部屋のランプを灯し、疲れた様子のプイを枕元へと下ろす。しかし一息ついたのも束の間、彼は力なく呻きながらまた飛び立とうとする。これには少女も困らされた。
「そんなフラフラしながら飛んでちゃ危ないよ、疲れてるならちゃんと寝ないと……って、あれ」
天井近くへ逃げた子蛸を捕まえようとして初めて、彼がまた光る球を抱え込んでいることに気がついた。先週見つけたものと異なる、青く透き通った光だ。プイの体色と似ていたために今まで気が付かなかったらしい。
「この光るやつ、また拾ってきたの?」
「ぷぃっ」
プイはモニャニヤの机の上に降り立つと、置きっぱなしだったチョコレートの箱を器用に開け、緑の隣に青を収めた。かと思えば、しまったばかりの二つの光を連れ、ブックエンドの間からノートを一冊引っ張り出す。取り落とされた未使用のノートは、だらりと開いて白紙のページを見せた。
更にプイはペン立てから鉛筆を抜き出すと、全ての脚を使って何かをノートに描き始めた。ただただ驚くモニャニヤの目の前で、プイはいびつな円を四つ描いてゆく。そして引き連れていた光の球たちを一つずつ、その円の上に浮かばせた。光を与えられなかった二つの円がやけに寂しそうに見え、モニャニヤはプイの意図するところを理解した。
「あと二つ……足りない……」
「ぷぃっぷぃっ」
子蛸は短く鳴きながら少女の周囲を回り、二つの光を菓子箱にしまい込んだ。彼の反応を見た限りでは、モニャニヤの考えは的を射ているようだ。この蛸は拒絶の意を表す際には甲高い鳴き声をあげる。
しかし考えがわかったからと言って、はいそうですかとプイをまた外出させるわけにもいかなかった。まずは休ませなければ体を壊してしまうかもしれない。
「事情はなんとなくわかったよ、大事なものなんだね。でも探し物したいなら尚更ちゃんと休まないと。疲れてると見つかるものも見つからないよ」
「ぴぃ……ぴぴ……」
「明日は学校も休みだし、私も一緒に街に出て探すから。今からお兄ちゃんと相談して作戦も立てる。だからプイは安心して寝てて、ね」
「ぷぃぃぃー……」
再びプイを枕元に運び、優しく頭を撫でてやると、疲れからか瞬く間に眠りに落ちてしまった。この小さな体にどれだけの事情を背負っているのだろう。ほんの一欠片しかそれを理解してやれないことが本当にもどかしい。
このまま安らかな寝顔を見ていたい気持ちもあったが、少女は鉛筆とノートを手に部屋を後にした。