セレストラのかたすみ

ふわりんかーねいしょん

#05 たこ、さがしもの

 プイを迎えた日から数えて六日目の朝。いつもの時間になっても家を出ずにくつろいでいたモニャニヤのもとへ、プイが制服のリボンを持って飛んできた。彼が通学用の鞄を持ち上げようとして断念していたことは知る由もなかったが、リボンを渡されただけで、少女は彼が何を意図しているのかを理解することができた。
「ありがとー、でも今日は学校は行かなくていいんだ。お休みの日なんだよ」
 両手でリボンを返すと、プイは小さく輪を描くように飛び回ってから部屋を出て行った。窓の隙間を抜けてすぐ上昇していったことから、荷物を元の場所に戻しに行ったのだろうと窺い知ることができる。モニャニヤはしばらくソファーに寝そべったまま本を読み、戻ってきたプイの頭を時折撫でたりしていたが、唐突に上体を起こすと本を置いて立ち上がった。
「そろそろお洗濯しなきゃ!」
 アルバイトに出ている兄に代わり、洗濯と家の掃除を行うのがモニャニヤの役割である。幸い今日は晴天に恵まれた洗濯日和だ。楽だからという理由で着ている長袖のワンピースの上からエプロンを巻き、気を引き締めた。
 プイを引き連れて家の裏手へ向かい、台車に乗った大きな桶を出して洗濯物を入れる。高めの位置に据え付けられている蛇口を使って水を注ぎ、粉石鹸をふりかければ、清潔さを思わせる香りが辺りに漂った。石鹸が香る空気を胸いっぱいに吸い込むと、今日が休日であるという実感に包まれるのだ。
 周囲を飛び回りながら一部始終を観察していたプイに対し、少女は得意げな顔で説明を始めた。その手には洗剤と共に持ち出した三つのボールが握られている。白く、やや柔らかく、三つが少女の片手にぎりぎり納まる程度のサイズのものだ。
「これがお洗濯玉。これをこうして……こうですぞー、ここ試験に出ますぞー」
 特徴的な喋り方をする教師の真似をしておちゃらけながら、ボールを桶に入れ、蓋をして金具を留めた。そして密閉された桶に手を触れながら、ぶつぶつと呪文を唱える。はじめは付属の説明書きを見ながらでなければ言えない長さのものだったが、今では空で唱えられるようになっていた。
 まじないの言葉、およびそれによって使用者から流し込まれる魔力に反応し、洗濯玉が桶の中で跳ね回り始めた。ボールが桶にぶつかる音、かき回された水が跳ねる音、そして桶が小刻みに揺れる音が混ざり合う。プイはその様子を興味津々と言った挙動で観察していた。時折足先で桶に触れては引っ込めたりと、未知の光景を楽しんでいるようだった。
「洗濯機があればもっと楽らしいんだけどね、あれ高いんだ」
「ぷぃにゅー」
「いつかお金持ちになったら、最新の設備を何でも揃えて楽したいなあ」
 今よりも便利な器械に囲まれた生活に想いを馳せる。富豪の娘は自分で家事をしない、というところにまでは考えが至らなかった。
「プイはお洗濯したこと……ないよね、服着てないもんね」
「にゅ?」
 ユェヅィオがいれば即座に指摘をしてくるはずだったが、今日は自分で発言のおかしさに気付く他はなかった。口を挟まれずに済んだとも言える。
 以前街で見かけた、建物の外壁を磨く兄の姿に想いを馳せる。ヅェヅェカの森の民でありながら鈍臭いモニャニヤとは違い、ユェヅィオは種族の平均を大きく超えて身のこなしが軽い。その上自身を対象とした重力制御の術も体得しているため、本来なら体重を受け止められないような頼りない足場も軽々と伝っていってしまうのだ。本人は父のような学者になりたいと言っているが、向いている仕事は他にも沢山あるように思える。
 その能力の半分でも分けてもらえたら良いのに……と、生産性のない考えに溺れていたことに気づき、モニャニヤは自らの頬を軽く叩いた。プイがその様子に反応し、少女の周りをゆるりと回った。
「ちょっと気合入れてただけ、お昼までにやること終わらせちゃうぞー!」
 今晩はお客さんも来るしね、と付け足して微笑んだ。父の旧友夫妻が時折訪ねてくるのは監視であり褒美でもある。恒例となっている差し入れの惣菜や菓子を楽しむためにもと、モニャニヤはいっそう意気込んで掃除に取り組んだ。
 プイは飽きずにその一挙一動を追い続けた。時には自ら箒を持とうと試み、重さに負けてひっくり返る姿も見せる。どうにかしてモニャニヤを手伝おうとするその様子に、幼い弟や妹がいればこのような感じなのだろうかと和まされた。
「こうやってね、高いところの埃を落としてから床を掃くんだ」
「ぷぃ」
「脚で壁に突っ張って浮いて足元掃こうとしちゃダメだよ、壁が薄いと穴が空くから」
「ぷぃぃー」
 廊下の壁に残る補修の痕が、少女の説明が実体験を元にしたものだと語っていた。その隣、もう一枚の板はかつて兄が同じことをやらかした痕跡であると触れつつ、ごみを一箇所に集めてゆく。
 砂と埃の集合体を捨てた後は、家の外へと戻り洗濯の続きだ。洗濯玉への命令を解除し、桶の底の栓を抜いて排水溝に水を流してから、新しい水を入れてまた洗濯玉を跳ねさせる。二度のすすぎが済んだらまた栓を抜き、同じ要領で簡単な脱水を行う。家の中と外を行き来しながらの作業は待ち時間を感じさせなかった。
「よーし、あとは干すだけっ」
「ぷぃっぷぃー!」
 衣服を干す作業に手伝いの余地を見出したプイは、台車ごと運ばれてきた桶から小さめの洗濯物を掴み出してはモニャニヤに渡してゆく。効率には響かないささやかな助力だったが、その気持ちが嬉しくて少女は笑顔を浮かべた。手渡された衣服のしわを伸ばして干して、を繰り返すうちに作業はすぐに終わった。晴天の下で洗濯物がはためく光景は見慣れたものだったが、今日はよりいっそう清々しいものに見えた。緩やかに吹き付ける初秋の風は、ほどよい涼しさで二人を労わってくれる。
「終わったー!」
「ぷぃにゅー!」
「あとは昨日の宿題の残りをさっさと……」
 その時、涼やかなベルの音がモニャニヤの言葉を遮った。はぁいと応えながら歩いて家の正面へ回ると、よく見知った来訪者が布のバッグを片手に佇んでいる。制服姿とはまた印象の異なるパンツスタイルが細身を更に引き立たせていた。
「ミオじゃん、どしたの?」
「あっいた! ちょっとね、こないだのドライフルーツのお礼にってお母さんが。ユズオさんは?」
「今バイト中ー」
 兄の名前が正確に発音されてないことには触れない。同族以外にはいまいち発音しづらいらしい名前は本人もよく笑いのネタにしていた。
 エプロン姿のまま歩み寄ったモニャニヤに、ミオは袋の中身を出して見せる。大きな木製の器の蓋を開くと、中には三色の丸い物体が整然と収まっていた。そのフォルムの可愛らしさに、モニャニヤは思わず感嘆の声をあげた。
「ぼたもちって言うんだ、食べたことある?」
「ない……けどこの周りについてるやつは知ってる! 豆のジャムだよね。こっちの黒いのと黄色いのは何だろう」
「黒いのは胡麻をまぶしてあるんだ。黄色いのはきな粉って言って豆を挽いたもの」
「これも豆」
「うん、お餅で豆を煮たもののを包んでさらに豆の粉をかけてる」
「豆の中にまた豆」
「お母さんの地元だとね、ごはんに発酵させた豆を乗せて豆で作ったソースをかけて、更に豆味のスープに豆の汁を固めたものを入れて一緒に食べたりしたらしいよ」
「豆に豆かけて豆と豆をつける」
「お醤油はお魚にも玉子焼きにもかける」
「すごい」
 少女たちが神妙な面持ちで話を脱線させている傍で、プイは器に近づきその中身を凝視していた。そして二人の少女を交互に見上げながら、ぷぃ、ぷぃ、と鳴いてみせた。
「あっ……ごめんごめん、もうすぐお昼だし一緒に食べよっか!」
 モニャニヤの言葉に、プイは辺りを飛び回りながら喜んだ。四角い箱にぎっしりと詰まった三色の餅は、子蛸の好奇心を大いに刺激したらしい。胸を躍らせているのはモニャニヤもまた同じで、頭の中は既に目の前の甘味でいっぱいになっていた。餡子とやらが入った汁物は食べたことがあったが、それで包まれた餅を食べるのは初めてだ。
「ほんとありがとね、良かったらミオも食べていかない?」
「お邪魔じゃなければ食べていきたいな、私もお腹空いてきちゃった」
「やったー! って、このままじゃお母さんお昼ご飯用意しちゃうんじゃ……念話機使う?」
「大丈夫、今日はこれから仕事って言って出かけちゃったから」
 その答えにはしゃいだモニャニヤは、友を家に招き入れるとお気に入りの茶葉とティーセットで茶を淹れた。宿題は明日に回そう、と二日間の休日の予定を少し組み替えながら。

 少女たちの「ご飯を食べて行くだけ」は案の定長引いた。学校で関わる人々の話にお気に入りの小説の話、更にはソファーを半分ずつ使っての昼寝まで挟んだ。家の真上にあった太陽は大きく動き、二人と一匹が家を出た時には西の窓から光を送り込んでいた。
 二人は商店街を歩いていた。彼女らの家の間に横たわる星の木通り商店街は、食料品店に飲食店、衣服やその他の各種日用品を取り扱う店だけではなく、看板を見ただけでは何を売っているのかすらわからない専門品まで軒を連ねている。更に南東の端まで行くと内部が迷宮化した百貨店が建っており、この町の雑多さを凝縮したようなつくりとなっていた。
「ちょっとここ寄ってくね」
 モニャニヤはミオを家まで送り、ついでに新しいノートを買うべくここまでやって来ていた。プイはその肩に乗り、柔らかな身体を捻って辺りを見回している。
「ね、ノート買うなら五丁目まで行ったほうが良いんじゃないかな。あっちのほうが品揃えが良いよ」
 文具屋に入ろうとするモニャニヤをミオが引き止める。しかしモニャニヤは軽く笑ってそれを遮った。
「今日はここでいいや、別に凝ったやつじゃなくてもいいし」
「はーいっ」
 実を言えばミオのお気に入りの店を避ける理由は他にある。店番の婦人がモニャニヤの姿を見るたびに顔を顰め、舌打ちをしてくるのだ。「あそこのババア俺だけすげえ睨んでくる」と兄もまた洩らしていたので気のせいではないのだろう。この街が様々な種族に寛容であると言えども、個人単位で特定の種を嫌う者は勿論存在する。五丁目の文具店以にもいくつか心当たりがあり、それらにはなるべく近寄らないようにしていた。自分だけならとにかく、友人にまで嫌な思いはさせたくない。
 店内でノートを選びながら、隣に浮かぶプイをちらちらと見やった。兄に友人たちに先生たち、頼れる友や大人が多くこの街にいる自分ですら、嫌悪の眼差しを向けられればつい竦んでしまう。この街に来てまだ日が浅く、住民たちと同じ言葉も使えないプイがそのような扱いを受けたとしたら、もっと恐ろしいのではないだろうか。学校で勉学に励むという本分がある以上、常に一緒にいることはできないが、それでもできる限り守ってやりたいと改めて思った。
「お待たせーっ」
「おかえ……なんでそこにプイ入れてるの?」
 ミオは隣の花屋を見ながら待っていたが、戻ってきた友の姿に首を傾げた。服の胸元にプイを入れたモニャニヤは「何となく」とだけ答えてミオの家がある方向へまた歩き出した。
「今考えたんだけど、プイをもう一人匿ったら巨乳になれるよね。柔らかさもばっちり」
「でも大きいなーって思ったおっぱいがいきなり鳴いて動いて飛び出したら怖くない?」
「怖い」
「ぷぃ」
 二人と一匹は四丁目の半ばから細道に入ってゆく。入り口は薄暗いが、商店街に面した建物の間を抜けるとすぐに明るくなる小道だ。ここを直進するとミオの家に辿り着く……はずだったが、到着を待たずしてプイがモニャニヤの服から勢い良く飛び出した。
「ぷぃっ! ぷぃにゅー!」
 そして甲高い声で鳴くと、どこかを目指して急ぎだした。どこ行くの、と問いながら後を追う少女たちに答えらしき鳴き声を返すが当然伝わらない。プイは目的地であったミオの家を通り過ぎ、二軒先の家の庭に生えた木へと突入したのだった。
「ちょっとプイ、勝手に入っちゃダメだよ!」
 制止が聞き入れられる様子はない。プイは葉を揺らしながら木の枝の間を動き回った後、塀の外で右往左往する二人のもとへと戻ってきた。丸めた脚の先に何か球状のものを抱えている。木に生っているまだ青い果実に似ていたが、それらよりも一回り小さい。
「うわあああああプイってばもうどうしようこれ! すぐ返してこよ、私も一緒に謝るから!」
「ちょっと待って、これ夕柑じゃないよ! 小さいし何か模様が入ってる」
「あ、ほんとだ。しかも何これ、光ってる……?」
 どうにか冷静さを取り戻した二人は、プイが差し出した物体をまじまじと見つめた。大きい飴玉のようにも見える、緑と白のマーブル模様を描いた球体。プイが手を離してもそれは地面に落ちず、その場でふわりと浮いて宙に留まった。そして母鳥の後を追う雛のように、緩やかな動きで子蛸の後をついてゆく。家の塀や少女たちが作る影を通ると、僅かに光を放っていることが確認できた。
「何だろうこれ、ミオ知ってる……?」
「わかんない……とりあえず家の人に落し物なのかどうか聞いてみようか」
「うん」
 二人は念のためにと玄関の呼び鈴を鳴らし、この光る球に見覚えがあるかと家の住人に尋ねた。しかし応対してくれた老婦人も、ひょっこりと顔を出した子供も、そんなものは一度も見たことがないと言う。
 ミオと別れ家に帰ってきてからも、プイは大事そうに緑色の球を抱えていた。時折脚を離しては、球が後を付いてくることを確認し、また抱え込む。嗅ごうとすると頑なに阻まれたので食べ物ではないらしい。モニャニヤはいまいち事情が読み込めないものの、プイが楽しいのならそれでいいと考え、深く追求しないことにした。が、
「ねえそれ、寝るときぐらいどこかにしまおうよー」
 プイがそれを枕元にまで持ち込もうとした時には、抵抗があるながらも口を挟むほかはなかった。
「ぷぃぃ……」
「私が寝返りでふっ飛ばしちゃいそうで怖いの」
 プイは若干不満そうに耳を垂らしながら、宝物を抱えて置き場所を探し始めた。香りも熱も持たない球は、つつけばその方向へと移動するが、肌に触れる感触は希薄だ。朝起きると行方不明になっていた、などという事態は避けたい。
 机や椅子の上に球を置いては抱え繰り返すプイを見ていると、ふと妙案が降りてきた。モニャニヤは机の一番下の引き出しを漁り、その底から小さな箱を取り出す。色鮮やかな花が描かれた紙製の箱を開けると、甘い残り香がふわりと漂った。
「プイ、これ使う? たぶんサイズも合うんじゃないかな」
 先月誕生日祝いにと父の旧友夫妻から贈られ、何かに使えるかもしれないと保存しておいたものだ。空っぽの中身は四つに仕切られており、見ているだけで元の住人であるチョコレートたちの味を思い出す。異世界からの輸入品であるというそのチョコレートは、非常に濃厚で香り高いものだった。
「使ってくれたらきっと箱も喜ぶと思うんだ」
「ぷぃにゅっ」
 子蛸がいそいそと光る球を箱に収める。球体は丁度チョコレートと同じ大きさだったらしく、小さなスペースにぴったりと収まった。蓋をそっと閉めると、プイは邪魔をすることなくその手を見守り、明るい声で鳴きながらまたベッドへと戻っていった。宝物の待遇に満足したらしい彼は、モニャニヤの枕の隣であっという間に寝こけてしまった。

 翌々日、菓子箱の中身をレイルズに問うべく箱を持ち出そうとしたモニャニヤであったが、プイの猛反発を受け断念することとなった。仕方なく特徴だけを伝えたところ、街とそう遠くない位置に聳える山から飛んできたものではないかとレイルズは推測する。巨大樹の花粉の塊かもしれないので、花粉症の人には絶対に近づけるなと念を押された。触らせて貰えるかどうかはとにかく、休日になったら十分な準備をして実物を見に行く、とも。
 彼の目は好奇心を湛えて無邪気に輝いていた。手間暇をかけて観察するつもりでいる師のために、持ち込まれた器材を広げる場所を用意しておかなければならない……ソファーを除ければ台車も楽に通るかな、などとモニャニヤは遠い目をして考えた。