と告げて家を出たは良いものの、一限目も二限目もモニャニヤの頭はプイのことでいっぱいだった。
プイは学校までついて行こうとしたが、モニャニヤの手振りを伴った静止に従い庭で彼女を見送った。先日はレイルズ先生の口添えにより特別に許されたものの、基本的に部外者やペットの同伴は禁止である。離れてくれなかったらどうしようという懸念が晴れた一方、プイが寂しがっていないかが気になって仕方がなかった。迷子の子供という印象が強く、一人で泣いているのではないかとつい考えてしまうのだ。涙を流す生き物なのかがわからないし、そもそも既に大人なのかもしれないのだが。
はぁ、と溜息を付いて空を見上げる。晴れ模様の空を舞う蛸はいなかった。
「モニャ、やっぱりプイちゃんのこと心配?」
「うん……」
隣に座るミオがモニャニヤの横顔を見つめる。大きな赤い瞳が不安に揺れていた。元気が取り柄の親友がこうも大人しいと、どうしても気になってしまい放っておけない。
「きっと大丈夫だよ、暇になったらお散歩でもして……って、戸締まりはどうしたの」
「その辺はばっちり対策してきたよ! お兄ちゃんが出入り用の小窓作ってくれたんだ」
早朝の兄の功績を思い出し、モニャニヤは得意気な顔をした。一階と二階で一箇所ずつ、壁に刺さっていた枝を切って取り除き、空いた穴に小さな扉を付けてくれたのだ。板の上辺を蝶番で固定しただけの簡素なものではあるが、プイが器用に取っ手を引いて扉をくぐってくれることを確認したので問題はない。隙間風が吹くようなら後ほどカーテンをつけようと考えていた。兄妹が退去したら取り壊すからと、家に手を加えることを大家が許してくれていたことが幸いした。
プイは家でモニャニヤの帰りを待っているのだろうか。本来の住処に戻ってくれるのならそれに越したことはないが、できることならもう一日ぐらいはゆっくりとしていって欲しいと思っていた。
「まあとにかくごはん食べよ、お腹すいたー」
「私もー」
今は昼時、考えるよりまずは飯が先だ。食堂に向かう友人たちと別れ、学校の敷地内の芝生へとやってきた昼食持参組の二人は、敷き布の上に各々の食事を広げた。天気の良い日はこうして二人で食事をするのが恒例となっている。先週までは木陰が過ごしやすかったが、今週に入ってからは日向ぼっこが心地良い気候となっていた。
モニャニヤのバスケットには兄が作ってくれたサンドイッチが、ミオの弁当箱には彼女の母特製のおかずと握り飯が入っている。小ぶりの握り飯を食むミオを見ながら、毎朝米を炊くなんて凝っているなあとしみじみ思った。そしてモニャニヤもまたハムと野菜のサンドイッチに噛り付く。バゲットの歯ごたえとハムの塩気、イエローレタスのくせの少ない味わい、そしてふかした隕石芋のねっとりとした食感が、絶妙に絡み合って舌と腹を満足させた。昼食は当番制なので自分で用意する日も多いが、サンドイッチはやはり兄が作ってくれたもののほうが好きだ。
「おいひぃ……」
「うん……。そうだ、玉子焼きちょっと食べる? 肉巻きチーズもあるよ」
「食べる! じゃあミオもこれ食べなよ、隕石芋平気だっけ」
「いけるいけるー」
千切ったサンドイッチとおかずを交換して頬張り、また至福のため息を漏らす。美味しい食事は少女たちの心を潤し、会話にも花が咲いた。モニャニヤが見た限りのプイの生態、美味しい飴を売る店の話、クラスメイトの男子が魔術語学科の先輩と交際を始めたこと……とりとめのない話題が食事と共に次々と呑み込まれてゆく。
「そういえばミオこそあの文通の人どうなったの? 教えてよー教えてよー」
「何も変わってないって、でもちゃんとお返事くれて……モニャ、あれ、あれっ」
ミオが唐突に明後日の方向を指し示す。話を逸らすためもしくは悪戯を仕掛けるために、ドラゴンが出た空鯨が出たなどと言って相手の背後を指す悪ふざけは、この街の子供たちの間で定番のものだ。ミオでもそんなことを言うことがあるんだ、と珍しがりながら空を見上げると、すぐにそれが冗談ではないことがわかった。空色の蛸が、周囲の色に埋もれながら晴天を飛んでいる。
「プイ!? 来ちゃったの!?」
モニャニヤは内側に畳んでいた脚を一度伸ばして立ち上がった。その際に割れてフォークから落ちてしまった玉子焼きを、ミオがすかさず空中でキャッチする。そそっかしい二人の間ではそう珍しいものではない光景だ。
プイは耳と脚をはためかせながら下降し、モニャニヤの腕へと降り立つ。そして少女を見上げ元気に鳴いた。
「ぷいにゅ!」
「もう、しょうがないなー」
困ったような口ぶりに反してモニャニヤの顔は嬉しげだ。もう一人の少女もまた、好意と興味を帯びた視線を来訪者に向けている。
「プイちゃん、これ食べてみる?」
ミオが手に乗せていた玉子焼きを差し出すと、プイは顔を寄せたり足先でつついたりして玉子焼きを調べ始めた。彼にとってはこれも未知の食べ物らしい。短い調査の末に納得したように短く鳴き、ミオの手に乗り移って食事を始める。何度かひっくり返して満足した後には少し崩れた玉子焼きが残った。ミオは親友の言葉を思い出し、興味本位でそれを口に運んでみる。そして聞き及んだとおりの感覚に顔をしかめた。
その後の時間は、二人がかりでプイをこね回している間にすぐに過ぎていった。校舎の外壁に据え付けられた時計が、予鈴の時間が差し迫っていることを示した頃、二人は立ち上がり移動の準備を始める。
「ごめんねプイ、私たちこれからまた授業なんだ。先におうちに帰っててくれる?」
また身振り手振りを交えて説明すると、プイは空へと飛び立っていった。寂しがっている様子は今のところ見えない。もしかすると私よりずっと大人なのかも、と考えさせられる。
「モニャの言ってること、結構わかってるみたい」
「うん、こっちはプイが何言ってるのかぜんぜんわかんないのにね。実は私より頭いいんじゃないかな」
また迷子にならないといいけど、と付け加えて、そこで話を打ち切った。
心配は杞憂に終わり、帰宅するとベッドの上で跳ね回っている姿を確認することができた。鳴きながら跳ねている姿は小さな子供そのもので、彼は自分が思っていたよりも幼いのかもしれない、と考えを改めることとなった。
次の日もその次の日も、そのまた次の日も、モニャニヤとユェヅィオが学校に行っている間、プイはセレストラの空を漂っていた。 家主の登校と共に家を出て、帰宅時には既に家に戻っていたり、夕飯時にふらりと帰ってきたりしている。夜は出歩かず、少女の枕元でよく眠った。毛布代わりにとタオルをかけてやると、その端を掴んで包まる。動きが妙に人間じみていると改めて思った。人が化けている、もしくは姿を変えられているのではという考えが頭をよぎったが、レイルズの調査によってその可能性は既に潰えていた。
(でも、もしかしたら先生だって何か見落とすことがあるかもしれないし)
幼い頃に聞いた、蜥蜴に姿を変えられた王子のおとぎ話を思い出す。彼は町娘のキスによって元の姿へと戻り、呪いを解いた恩人に妃の座を約束した。妃という身分への憧れはないものの、自分に尽くしてくれる美男子が現れたとしたらと考えるのは、生産性のない妄想だとわかっていても楽しい。自分と同族の美男子、二本足の美男子、獣人の美男子……見目麗しいという一点を軸に、様々な像を思い描いた。
寝巻きであるロングワンピースを着たモニャニヤは、先に寝こけてしまったプイにおとぎ話の王子の姿を見出し、出来心からその目元に軽く唇を押し付けた。が、やはりその姿が変わることはない。小さな蛸が半透明の瞼を押し上げ、円らな目でこちらを見ただけだった。
「あっ、起こしちゃった……ごめんね」
「ぷぃ」
謝るモニャニヤに対し、未だ寝ぼけ眼と言った様子のプイが飛びつく。そして先ほどの真似をするように頬に軽く体当たりを行った。その不器用さに思わずくすりと笑ってしまう。
「これはね、私たちが家族や好きな人にする挨拶なんだよ」
「ぷぃ……にゅ」
プイは返事をするように弱々しく鳴いた後、そのまま力なくずり落ちて、大きく開いた襟を掴んで宙ぶらりんの状態になった。
「寝ぼけたまま飛んだら危ないよー、たぶん」
自分が起こしてしまったことは棚に上げた忠告をするも、プイは再び夢の世界へと戻ってしまったようだ。服からそっと引き離し、元の場所にそっと寝かせてやる。そして自らもまた床についた。
横目で見たプイの寝姿が少しだけ輝いたように見えたが、月明かりのせいだと結論付けてまた目を閉じた。冒険物語では夢で仲間の過去に触れるものがあるよね、私も何か見えないかな……と、うつらうつらとしながら考える。
その後夢を見たが、友人たちと共に学校の中庭で肉を焼いて食べるというもので、プイの出番はどこにもなかった。