セレストラのかたすみ

ふわりんかーねいしょん

#02 たこ、そらをとぶ

 年季の入った石造りの廊下を、少年少女達が足早に通り過ぎてゆく。齢は十四・十五といったところの者が多いが、中には年上らしい者やもっと幼い姿をした者もいた。
 学園裏手、校舎の北に位置する畑での授業を終え、向かうは南棟の更に南端に位置する教室。距離で考えればそこまで遠くはないが、廊下がやたらと入り組んでおり一直線に進めない。悠長に歩いていては次の鐘までに間に合わないため、皆できる限りの早歩きで教室を目指している。この不便さは長年かけて継ぎ足し継ぎ足し施設を充実させてきた代償と言えた。
「ほんっとにもう、心臓止まるかと思ったんだから!」
 モニャニヤは三階へ登る階段をぺたぺたと上りながら、大きな手振りを添えて先ほどの事の大きさを訴えた。八本の脚を器用に動かして歩む姿に驚く者はいない。
「私もびっくりしたよ、人間本当に焦ると色々忘れて全力で逃げちゃうよね」
 並んで階段を登っていたミオが、心底同情した様子で話を聞く。艶やかな黒髪を二つ結びにして眼鏡をかけた彼女は、入学してすぐからの友人である。
「先生も逃げなくて良いと言ってたのに聞こえてなかったものね」
「えっ、それ本当?」
「すっごい本当」
「思いっきり本当」
 他の友人たちも次々と茶々を入れる。正論が次々とモニャニヤに突き刺さり、まだ幼さの残る顔を歪ませた。
「あーもうっ、もっと冷静に動けるようになりたいなー! そういうことできるようになる術ないかな!」
「それならたしかレイルズ先生が言ってたわ、治癒術の応用で思考速度を飛躍的に早める術があるって」
「でも使うと五倍ぐらい疲れるし常用すると早死するらしいよ」
「うわー現実って世知辛い」
 会話を弾ませながら、少女たちは目的地に向かって早足で進み続ける。次の授業が行われる教室はもう少し先だった。

 ここは必ず覚えてくださいね、と優しく告げる声が教室に響く。生物学の教師であり、モニャニヤ達のクラスの担任でもあるレイルズ先生のバリトンボイスが、頭の奥まで染み入ってくるようだった。故郷にいる父の面影を感じ、聞いていると心が安らぐ。
 しかし安らいでばかりもいられないので、モニャニヤは布の筆箱から取り出した色鉛筆でノートに線を引いた。赤に無数の輝く粒が混ぜ込まれたお気に入りの一本だ。重要だと言われた部分を四角く囲ってやると、引いたばかりの線が陽光を浴びて煌めく。ふと外を見れば、いつの間にか雲が去り晴れ間が広がっていた。
 この四階の教室で授業を受ける際には、可能な限り窓際の席を取るようにしている。窓からの眺望がとても良いのだ。セレストラの街の東部を見渡してみると、くちばしに似た非対称の屋根を突き出した、水鳥教会の二つの尖塔がはっきりと見える。そしてその間に、頭上から降り注ぐ光を受けながらふわふわと揺れる何かがいた。
(もしかして、朝の)
 畑から見上げた空と、そこで舞っていた何かを思い出す。あれが仮に誰かの使い魔だとして、何のために空を飛び続けているのだろう。探し物でも命じられているのか、それとも主を見失って彷徨っているのか……もしかすると実は最新式のカメラでも抱え込んでいて、空からの眺めをせっせと撮影しているのかもしれない。
(それなら空を飛べる術が使える人とか、自力で飛べるタイプの有翼の人に頼んだほうが良かったんじゃないかなあ。でもそういう友達がいないのかもだし、もしかするとあの丸いの自体がすごい撮影技術を教えこまれていてばっちりきれいな写真を)
 想像の翼が広がり、意識が夢想の空へ浮かび上がる。しかしすぐに彼女の名を呼ぶ声によって撃ち落とされた。
「……さん、モニャニヤさん」
「えっ、あっ、はい!」
「この表を埋めてみてください、よろしくお願いしますよ」
 レイルズがチョークを持つ手で示した先には、一部が空欄になった表が描かれていた。先程までの授業の内容を覚えていれば解ける問題だ。少しぼうっとしていた時間を差し引いても難しいものではないため、モニャニヤは内心ほっとしながら席を立った。
 早足で教壇に向かい、背伸びをして解答を書き込む。表はやや高い位置に描かれていたが、全ての脚をぴんと伸ばせば楽に手が届いた。二本足の人間でいう『爪先立ち』で頭一つ分背が伸びるのだ。
 レイルズと他の生徒達が見守る中、導き出した答えを黒板に書き込んでゆく。だけのはずだった。
 モニャニヤが背を向けていたクラスメイト達が、にわかにざわつき始めた。何あれ、こっち来るよ、などの言葉が耳につく。ふと、開け放たれていた窓から風が吹き込み始めたことに気がついて、手を止め窓の方を見た。
「……へ?」
 思わず間抜けな声が口をついて出る。鳥でも虫でも蝙蝠でもない、未知の生き物がふわふわと宙を泳ぎ、窓から教室内へと入ってきたのだから。
 人の頭よりも一回り小さなそれは、少女が知る生物の中ではクラゲに似ていたが、翻した短い脚の裏には吸盤が並んでいた。晴天に似た色の体につぶらな目が付いており、その上に一対の耳もしくはひれに似た部分が備わっている。
 その短足の蛸のような何かは、パラシュート状の身体を波打たせて上昇と下降を繰り返しながらゆっくりと前進してくる。モニャニヤへと向かって、迷いのない動きで。
「何だあれ」
「クラゲ……?」
「迷子?」
 教室は騒然となった。ある者は机から身を乗り出し、またある者は席を立って教壇の近くまで寄ってくる。宙を泳ぐ生物が非力に見えるためか、恐怖を帯びた声は聞こえない。
 モニャニヤは先程の金切草の騒ぎを思い出し、なるべく取り乱さぬよう自らを御しながら、乱入者を真っ直ぐに見据えた。ビーズのような目からは敵意を感じない。が、
「もしかしてモニャの隠し子か!?」
「ちがーう!!」
 横から品のない野次が飛んでくる。大声で否定すると、すぐ目の前まで来ていた蛸がぴくりと身体を震わせ、向きを変えぬまま後ろへと退いた。自分が怒鳴られたのかもしれないと思ったのか、再び距離を縮めようとはせず、その場で滞空している。
 レイルズが小さなの氷のつぶてを飛ばし、野次を飛ばした男子を黙らせているのを横目に、モニャニヤは思い切って一歩を踏み出した。危険な生物ならばとうに先生が取り押さえているはず、と考えて。何かと世話になっている彼には信頼を寄せていた。
「きみ、迷子? どこから来たの?」
 笑顔を作り、子供に問うように優しい声で語りかける。答えを貰えるとは思っていなかったが、それでもひとまず聞いてみたかった。彼もしくは彼女の姿に親近感を覚えたこともあり、何となく意志の疎通ができそうな気がしたのだ。確たる根拠はなく、モニャニヤの勘によるものから。この勘は普段はあまり当たらない。
「怖がらなくていいんだよ、ここにいる人は皆優しいよ」
 滞空を続ける乱入者にそっと手を差し出した。普段どんな生活をしているのかはわからないが、家族や群れからはぐれて迷子になったのならさぞかし心細いだろう。二時限目に見かけた浮遊物もこの生物だったとすると、その間、またはもっと前からこの街の空を彷徨い続けていたことになる。
 なるべく警戒をさせないよう、ゆっくりとした動きで手を差し出すと、他の生徒達も固唾を呑んでそれを見守った。
「私で良ければ友達になってくれないかな?」
 口に出してから、初対面なのにいきなり何を……とは思ったが、どうにも放っておけなかったのだ。
「ぷぃ……」
 蛸のような何かがか細く鳴く。そして恐る恐ると言った様子で脚を一本伸ばし、少女の指先に触れる。触れ合った部分は少しひんやりとしていた。そして、
「ぷぃにゅー!」
 元気良く鳴いたかと思うと、勢い良くモニャニヤの胸へと飛び込んだのだった。
「おわっ!?」
 潰してしまわないように両手で掬いあげると、蛸のような何かは浮遊をやめて、少女の手に全体重を預けた。その身は軽く、柔らかく、しっとりと肌に吸い付いてくるが、意外にもぬるついていない。
「ぷぃ! ぷぃぷぃ!」
 蛸のような何かはモニャニヤの掌を気に入ったようで、どこから出しているのかよくわからない声をあげて身を弾ませた。その人懐っこい様子に、すぐ近くで様子を伺っていたクラスメイト達も顔を綻ばせる。教室内に走っていた緊張がようやく和らいだ……と同時に、十数人ほどの生徒がモニャニヤを取り囲んだ。
「モニャちゃん、その子知り合い?」
「ううん、全然知らない」
「隠し子じゃなかったのか……」
「違うってば! そんなこと言ってたらまた先生に撃たれるよ!」
「でもモニャと似てるよね、この耳? とか、脚の数とか」
「似てるかなー、うーん」
 手の上の生物を見つめてみると、ひたと見つめ返された。小粒の果実を思わせる眼球は黒く、光を反射して宝石のように輝いている。空色の体もまた鈍く煌めいていた。
「ねえモニャ、これってもしかしてメンダコの仲間じゃないかな」
 ミオが身を屈めてモニャニヤの掌を覗く。眼鏡の下の赤い瞳は、他の生徒と同様に好奇心で輝いていた。
「メンダコ?」
「図鑑で見たことあるよ。うちのお母さんの故郷にいたっていう深海の生き物でね、こんな姿だったと思う」
「でも蛸って空飛ぶかな……」
「うーん……」
「まあ皆さん、その話は後にしましょう」
 言葉を詰まらせてしまったミオの背後から、今まで静観していたレイルズが顔を出した。そしておもむろにチョークを手に取り、先ほどモニャニヤが途中まで埋めた表を完成させてから、軽く手を叩いて注目を集める。
「席についてください、授業の続きに戻りますよ」
 落ち着いた声で促され、生徒たちは皆自分の席へと戻ってゆく。モニャニヤとミオは顔を見合わせた後、その視線をレイルズ先生へと向けた。
「あのー先生、この子はどうしたら……」
「一緒に授業を受けても構いませんよ。ただ放課後になってもまだ離れないようでしたら職員室に連れてきてください。ちょっと調べてみましょう」
「はい!」
 少女たちは元気に返事をし、連れ立って元の席へと戻った。二人の机をぴたりとつけ、その中心に蛸をそっと下ろす。すると蛸は小さく鳴いたあと足先で机上の筆記具をつつき始めた。恐る恐る筆箱に触れる姿は、未知のおもちゃを前にした犬や猫を思わせた。
 しかしそれにもすぐ飽きたのか、蛸はふわりと浮かび上がり、再びモニャニヤの胸元へと飛び込んだ。そしてブレザーとブラウスの間にすっぽりと潜り込んでしまう。制服はこれからの成長を期待して少し大きく作ってあり、胸回りの布には悲しいかなまだまだ余裕があった。
「ぷぃーにゅっ」
 時々発する鳴き声は何とも居心地良さそうに聞こえる。
「タコちゃん、呑気だね……」
 小さく話しかけてみると、蛸はそれを聞いてか聞かずか、耳をぱたぱたと動かしてみせた。そこだけ見れば鼠にも似ているような気がする。
 周囲からの好奇の視線は気になるが、今はこの珍客のために甘んじてそれを受け容れることにした。朝から飛び続けて疲れているのなら、一時の休息を与えるぐらいはしてやりたいと思ったゆえに。
 結局、この甘えたがりは再び空へ飛び立とうとはせず、しまいにはモニャニヤの服の中で寝こけてしまった。