セレストラのかたすみ

ふわりんかーねいしょん

#01 たこ、みたいなおんなのこ

 それは風に煽られるような動きで、曇天をふわりと緩やかに舞っていた。目を凝らしてみるが、遠すぎてどうにもよく見えない。羽ばたいている様子はないことから、鳥ではないことはわかった。昨年流行っていた市販の球体使い魔か、学校関係者が作った魔法生物か。あるいは紙袋が飛ばされているだけかもしれない。それも何らかの装飾が施された小洒落たものが。何が飛んでいてもおかしくはないこの街でその物体が気になったのは、陽光を受けて眩く煌めいていたからであった。
 遠い空を注視していたモニャニヤの肩を隣の少女が小突く。先ほどから耳元で囁きかけられていながら、空を舞う何かに気を取られて気が付かなかったらしい。親友である少女が、鈴の鳴るような声で「始まっちゃうよ」と告げると、モニャニヤは慌てて背筋を伸ばした。気を取り直して正面を見据えると、自らも加わっている並列の前に、作業用の手袋を嵌めた教師の姿が見えた。
「……というように、昔は一本引き抜くのにもかなりの手間を要したそうですが、今では品種改良も進みましてね」
 中年の女教師がおっとりと説明を続けながらしゃがみ込む。そして足元に生えていた草を両手で掴んだ。学校の裏手、手入れの行き届いた畑の隅で、草は大きな葉を拡げて育っている。授業で使う図鑑にも載っていた植物だ。
「野生のものに挑戦する前に、まずは安全な栽培のもので手応えを試してみましょう。はーい、行きますよー」
 よういしょ、と間延びした掛け声とともに、彼女は葉を強く引いた。生徒たちの注目を集めながら、赤茶色の根が土から引きずり出されてゆく。それはずんぐりと太く、先端が二つに分かれていた。さながら人間の足のように。
 そうやって引きぬかれた草――品種改良を施された金切草は、根の中央に位置する口らしき窪みを動かし産声を上げた。
「ぴぁぁぁぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいい!!」
 耳障りな音に、生徒たちが顔を歪ませる。野生のものと違い失神するほどの声量ではないが、うるさいことには変わりがない。
 モニャニヤは少しだけ尖った耳を両手で塞ぎながら、
隣に立つ親友のミオを見た。彼女もまた苦い顔をしているが、それでもしっかりと金切草を注視している。いかにも真面目な彼女らしい横顔だ。
 しかし次の瞬間、その眼が驚きに大きく見開かれた。根を器用によじって暴れていた草が、教師の手からするりと逃げ出してしまった。彼女の「あら」という間の抜けた声を皮切りに、金切草の暴走が始まる。その短い脚からは予想だにできない速度で辺りを駆けまわりだしたのだ。
 土だらけのランナーは慌てる生徒たちの間を縫い、足を器用に避けながら逃げ回る。捕獲を試みる男子の手を跳び越えてかわし、反射的に蹴飛ばそうとした女子の靴を急停止でやり過ごし。
 踵を返した金切草は、今度はモニャニヤがいるほうへと向かってきた。耳に突き刺さる絶叫をあげ続けながら、一直線に、どこか虫じみた動きで。
「っひぃぃいいい!?」
 不測の事態に弱いモニャニヤが取り乱すのは必然であった。クラスメイトたちと同じように数歩退いて避ければ良かったものを、くるりと向き直り、背を向けて走りだしてしまう
「モニャ、それ……あっ……」
 ミオが慌てて手を伸ばすが、指先は友の背中にもそれを追う者にも届かない。予め軽く目を通していた教本で、この植物が逃げるものを追う習性を持つことは知っていたというのに、上手く言葉として紡ぐことができなかった。「逃げなくていいのよう」と教師が声をあげるものの、混乱した耳には届かない。
 モニャニヤは畑を離れ、その隣の空き地を一周してから、近くに生えていた木へと飛びついた。両手で樹の幹を抱え、スカートから姿を覗かせる脚――八本も備わった、蛸のものと似ているがそれよりも硬く吸盤の無い脚、のうちの半分――で同じく幹を抱え込む。脚の筋力を使い体を持ち上げた後、更に高い位置に手を伸ばす。そして残った脚で更に高い位置を掴み、少し登って、を素早く繰り返した。
 瞬く間にその身は太い枝の上へと収まり、木を登る術を持たない金切草を振り切ることができた。取り残された走る根は木への体当たりを繰り返している。その身柄を抑えるべく、数名の生徒が木の根元へとやってきた。
「モニャちゃん大丈夫!?」
「どっか怪我してないか」
「あは、はは……お騒がせしましたー……ごめんね」
 スカートの中が見えぬよう二本の脚で布地を抑えながら、モニャニヤは力なく手を振った。少し遠くに見えるのは、安堵する者と呆れる者、そして必死に笑いを堪える者。自らの取り乱しようを思い出すと、今すぐどこかに隠れてしまいたい気持ちが湧き上がってきた。
 藤色の肌に必要以上の血が巡り、頬が僅かに赤みを帯びる。頭部から生えた、多肉植物に似た一対の触角が、主の心中を表すようにくったりと項垂れた。居心地が悪そうに動く瞳は赤く、その周りの部分は黒い。他の多くの種族が白目と呼んでいるこの部分は、彼女の故郷では黒目と呼ばれる。
 こちらを見上げているクラスメイト達の中には、獣の尾や耳を持つ者や全身が毛皮で覆われている者、大きな角や翼を生やした者がそれぞれ一人から数人ほど混ざっている。モニャニヤが通うこの学校は様々な種族が通う場所であったが、その中でも目立つほどに彼女は珍しい姿をしていた。
 新緑の世界オリゾレスタの南方に位置する大森林ヅェヅェカ、そこに住まう一族の出である生徒は、中等部二年のモニャニヤ・ルーループプとその三つ年上の兄だけ。……ではあるが、それ故に持て囃されることも突き放されることもない、この学校なりの平凡な生活を送っていた。