この街で終わらぬ夜を過ごす人々は、眠る必要がない……というより、眠ることができない。私たちもまた同様で、今朝(時間を計るすべはないけど、街を巡りはじめた時間を仮に朝とする)からほぼ歩き通しだったというのに、体は一向に休息を求めてこなかった。理由はなんとなくわかっているけど、いやわかっているから、ちょっと怖いな。
とにかく、私たちは宿探しに手間取った。二人であちこち歩き回った後は宿でゆっくり、というのがいつもの流れだったから、疲労がなくともそれを再現したくてさ迷うことになったのだった。幸い、希少ではあるけれど宿は存在しているみたい。
そこらのお店の人にありかを尋ねながら、河に沿って広がる街をひた歩いた。他愛もない話をしながら上流のほうへと向かい、移動した先でまた情報を仕入れて目的地に近づいてゆく。進むにつれ情報の精度がどんどん上がってゆくから、達成感がある。
「観光案内所があればいいのにね」
ぽつりとこぼしながら、今までに訪れた都市や集落を思い出した。様々な祭りに参加して記事を書く、という私の職務の都合上、その日取りと内容を教えてくれる施設があると非常に便利なのだ。でも、何度も私を助けてくれたその窓口は、この街には存在していないみたい。
「そもそも観光に来るような場所じゃないしなあ……」
「だよねー」
うん、知ってた。それでも私たちがこの街でふらふらしているのは、色々と事情があるのだ。足を動かしているうちにようやく頭に染み入った『事情』は、早く二人きりで甘えたいなあと思う気持ちを焚きつけた。
「あれかな」
「あれだね」
ようやくたどり着いた街の宿は、花の蔦が絡みすぎていて、遠巻きだと白い毛玉のように見えた。
他の店と同じようにフードを深く被った店員が、ぼそぼそと消え入りそうな声で応対をして、二階の奥まった部屋の鍵を渡してくれた。二つのベッドとポールハンガーしか置いていない、シンプルな部屋だった。
「久しぶりのベッドだ……」
エリーがふらふらと寝床に吸い寄せられ、勢いよく倒れ込んだ。ベッドは意外と硬かったようで、なんだかちょっと痛そうな音がした。
「大丈夫?」
「油断した」
薄い布団に倒れたまま答える彼の隣、同じベッドに腰を下ろして、その背中を撫でてあげた。よしよし、なんて言ってみたりしながら。
街をたくさん案内してもらったことだし、もっと労わりたいな……などと考えた私は、自らの太腿を叩いて彼を呼んだ。安易な方法だけど、彼はいつも飽きずに喜んでくれるから。
すると案の定、ここが定位置とでも言わんばかりのスムーズさで膝枕が出来上がった。私を見上げるエリーの顔はとても幸せそう。その様子がなんだか嬉しくって、彼の唇を狙って身を屈める……けれど、自分の胸に阻まれて未遂に終わった。邪魔くさい!
「……サービス?」
「事故です」
いかがわしいことを今すぐしたかったわけじゃないんだけど、まあいいや。脂肪で好きに暖を取ればいい。
この街はどこにいってもほんのりと涼しいから、誰かの温もりが欲しくなる。私にとっての『誰か』は彼ただ一人。今こうやってエリーが隣にいてくれて本当に良かったと思う。そんなことを考えだすと、嬉しくもどこか寂しい気持ちが胸いっぱいに広がった。
「ねえ、エリー」
「何?」
「明日こそ船に乗れると思う?」
「いけるさ、そう信じよう。……今は、明日のことは忘れて」
エリーの声はいつだって優しくて、わたしを従える力がある。おやすみ、と告げられれば本当に眠たくなる気がするし、かわいいよ、と耳元で囁かれれば自分という存在がきらきら輝きだすような心地になる。今だってそう。
「僕だけを見て」
彼の言葉に身を委ねて、ベッドにぱたりと横たわった。私たちはこれからいつものように、お互いの存在を確かめ合う。
「ねえ、エリー」
呼んでも反応がなかった。彼は上体だけを起こしたまま窓の外を見ている。さっきまで一緒に寝転がって他愛もない話をしていたのに。突然黙り込んで、起きて、じいっと。
窓の外には街の夜景と星空が広がっている。でも、エリーの目にはそのどちらも映っていないように見えた。
この部屋よりも高い建物に遮られた向こうを覗いているような。ここではないどこかに心を囚われているような。このまま遠くへと消えてしまいそうな――
「待って」
腕をとっさに掴んだ。椅子の背にひっかけた服を取ろうとしていた彼は驚いた様子で、わ、と小さく声をあげた。私がすぐ隣にいることを忘れていたみたいに。
「……ラビ?」
振り返った顔はなんだか不安げで、脆そう。どこかに落っこちて割れてしまわないよう、私は彼をそっと引き寄せて抱きしめた。肌と肌が触れ合う感触で、彼がここにいることを、私が彼のそばにいることを実感する。
「ごめん……」
「仕方ないよ、ずっと一人で待っててくれたんだもんね」
指先で髪をすいて、背中を撫でて、大丈夫だよって囁いた。他にふさわしい言葉があったんじゃないかなあ、と口にしてから思ったけど、気の利いたものが浮かばない。それでも、エリーはどうにか気持ちを落ち着けてくれたみたいで、ぽつりぽつりと訳を教えてくれた。
「また呼ばれてたんだ」
「……そう」
「ずっと……もしかしたらラビが来てくれるかもしれないって思い続けて、聞こえないふりをしてた」
「うん……」
「こんな場所、来ないほうがいいのに。僕は、本当に、身勝手だ」
話は懺悔へと変わってゆく。私はただ相槌を打ちながら、震えた声を受けとめた。
「ただもう一度、顔が見たかった。声を聞きたかった。……寂しかったんだ」
ずるい人だなあ、って思う。私が全て許すのを知っていてこんなことを言うんだから。でも、それは、
「私も同じだよ」
「……そう」
「ここでエリーと会えて良かったって、心底思っちゃった。エリーに寂しい思いをさせたのに、それでも……って」
私たちは似ている。以前からそう思っていたけど、改めて実感した。
「あのさ、ラ……」
「とぉーぅ!」
「おふっ」
彼の身体をベッドに引き倒して、布団を被り直した。……今、何か言いかけた?
「ごめん、つい。どうしたの?」
「ん……いいや、あとでもっと格好良く言う」
「はーい」
出発までもう少し寄り添っていよう。私の胸に顔を埋めるエリーの頭を撫でながら、もう少しこの余韻に浸ることにした。
窓をちらりと見ると、隣に建つ施設の壁が見えた。
その向こうには間違いなくあの大きな河が広がっている。