アカシア書房

ファンタスティック・ワーキング

#06 耀ける亡骸

 見上げれば空はどこまでも暗く、太陽も月もいない。雲が出ているのかすらわからない暗闇の中に、時々か弱い光が煌いたかと思うと、それは地上へと真っ直ぐに落ちてくるのだった。小さなものだと麦粒程度、大きなもので握り拳ぐらいの、白く輝く塊。稀に人の頭より大きなものも降ってくると言う。
 その石のようなものがそこかしこに散乱しているため、どこまでも続く地平は眩い光で溢れ返っている。僕は背を丸め、大小様々の光を一つずつつまんで、ごみを掃ってから背負った籠に放り込んでいった。土埃のにおいが鼻をくすぐる。
 植物性の何かでできた籠は目の粗さが違う四重の構造になっていて、背負って歩いているうちに小さい光は下へ下へと落ちてゆく。籠が重たくなる頃には仕分けが済んでいると言う便利な仕組みだ。
 光は石ころと比べると軽く、朽ちて消えるまでを風の無い荒地で静かに待っている。僕はそれを拾っては籠へ、拾っては籠へ、拾っては籠へ……。
「……ふぅ」
 単調な作業を繰り返すうち、籠がすっかり重くなってきた。一度肩から下ろして見てみると、上から一段目と三段目の部分がいっぱいになっている。そろそろ潮時と判断した僕は踵を返し、帰還する際の目印となるものを探した。
 大岩が所々に転がっているだけの荒地を見渡し、遠くの空に灯った小さな光を確認する。目印に向かってひた歩くと、徐々にその姿が見えてきた。枯れ果てた巨大な木だ。その幹はとにかく太く、広げた手で測るなら数十人は用意しないといけない。
 更に近づくと、灯りは僕が拾ってきた光と同じもので作られていることがわかる。特大の塊を木の枝に括りつけているようだ。灯りは木の根元にも多く設置されていて、古びた素材で作られた天幕を柔らかく照らし出していた。大きな布を天井として張っただけの、壁も敷き布も無い天幕に、僕は軽く頭を下げてから入ってゆく。
「戻りました」
「おかえり、意外と早かったね」
 僕を迎えてくれたのは一人の痩せた少女だった。歳の程は十台後半と言ったところだろうか。テイストの異なる服を無造作に重ね着し、何度も繕った痕が見える外套をその上から羽織っている。顔立ちは可愛らしいほうだと思うが色気に欠けていて、性や欲といったものから切り離された存在であるように思えた。
 彼女は廃材で作ったと思しき椅子に腰掛け、同じく廃材製の机に向かって淡々と作業を行っている。
「手伝えること、何かありますか?」
「んー……じゃあ一緒に選別やってみる? 簡単だよ」
 そう告げて彼女は微笑み、手招きをする。僕は空いている椅子を持ち出して促されるままに彼女の隣に座った。緩く編んだ長い金髪から、古びた紙のようなにおいが香った。
「こうやってね、目を閉じて額に当ててみるだけ。そうすると自分から教えてくれるから」
 簡潔な説明をしながら選別作業を実演してくれる。机上には籠が四つ置かれていて、そのうちの一つから取った光の塊を、残りの三つの籠に振り分けているようだった。
 僕も彼女の真似をして光を一つ手に取った。そして言われたとおりに目を閉じ、額にそっと当ててみると、瞼が作る暗闇の中に一つの像が浮かび上がった。白い糸のようなものが、腹から真っ二つになった芋虫の断面から伸びている図。誰かの声が聞こえただとか、字幕が入っただとか、とにかくその手の説明が入ったわけではないのに、僕はそのイメージが何を意味しているのかを理解することができた。
「……黒と黄色の芋虫を真っ二つに引き裂いた時に出てくる、白い糸のような体組織」
「なるほどなるほど。で、美味しそうだった?」
「少なくとも僕は食べたくないですね」
「じゃあこの籠に入れておいて。これが不味そうな言葉、こっちが美味しそうな言葉、真ん中のが不味くも美味しくもなさそうな言葉だよ」
 言われるままに光を端の籠に移す。そして少女が取ってくれた次の光をまた額に当てた。
 意識に流れ込んできたのは、図ではなく体感だった。近くにあるはずのものを対象として動作を行ったときに、目的のものがそこに無くて、手や足が空を切ってしまった時の虚しい感覚。自身も確かに経験したことのあるはずの、背筋がすうっと冷える類のものだ。どこで味わったのか、目を閉じたまま記憶を手繰り寄せてみると、もう一段あると思っていた上り階段を踏みしめようとして空振りする自分が見えた。
「形の無いものだった場合はどうしたら?」
「なんとなくでいいよ。君が好きか嫌いかだとかで分けてしまっていい」
 僕は少し悩んだ後、光の塊を真ん中の籠へ放り込んだ。好ましいものではないが恐ろしいものでもないと思うし、もしかすると冷たくて意外と美味しいかもしれない。
 そう、この塊は食べられるのだ。
 とても簡単な仕事内容を覚え、いざ取り掛からんとしていた僕の目の前で、少女は握りこぶしほどのサイズの光をひとつ齧って見せた。
「少しならつまみ食いしてもいいよ、まだまだいっぱいあるしね」
 僕もそれに倣い、先ほど籠に入れた塊を掴み出して齧りついてみた。硬い食感を想像していたが、歯を立てるとほろほろと崩れて、吸い込まれるように咥内に流れ込んでゆく。煌く欠片は舌の上で溶けて消えてしまうので、唾だけを飲み込むことになった。舌には予想通りのひんやりとした感触、そして僅かな塩気と苦味が残った。
「……なんだか面白い食感が」
「へへ、そうでしょ。でも君、色んな世界を旅しているんじゃなかったっけ? 他にもこうやって言葉が行き着く場所があったりするんじゃ」
「どこかにあるかもしれないけど、僕は他に見たことが無いですよ」
「ふむふむふむ」
 彼女は感心した様子で頷いた。確かに僕は旅人……とは少し違うが、異なる世界や国を渡り歩いている者だ。主が編纂する本のために、各地で短期の仕事を請けてはその内容を記事として纏めている。
「そうだ、一つ訊きたいと思っていたことが」
「なぁに?」
「僕が今手伝っている……いや、貴女がずっと行っているこの務めに名前をつけるとしたら。何でしょう」
「んー、そうだねぇ……」
 彼女は顎に手を当てて考え込み、少しの沈黙を経て答えを導き出した。
「言葉拾い、かな。率直に」
 その華奢な手で弄ばれている塊は、全てどこか他の世界からやって来た言葉らしい。正確には言葉の成れの果て。死んだ言葉が流れ流れて辿り着く終着点がこの何も無い地なのだと。
 死んだ言葉なのだと説明を受けたとき、流行りが過ぎ去り古ぼけてしまったものなのだろうと思った。しかし彼女が言うには、それは力が弱まっただけでありまだ生きているらしい。その言葉を知る者がどこにも居なくなってしまったときに、ひそやかに命を散らすもの。そう聞いた。
「ありがとうございます、参考になりました」
「何の参考かはわかんないけど役に立てたなら良かったよ。残りもやっつけちゃおうか」
 やり方を覚えた僕は次々と言葉の亡骸を覗いてその意味を窺った。
 眉毛から飛び出した一本だけ妙に長い白髪。葉が細長い草の総称。冷たい水に浸かった際に出る悲鳴。暗闇に少しだけ青みを足したような色。身体の奥底の歯車が磨り減って空回りすること……。
 数十個の言葉を仕分けした所で、ふと疑問が浮かんだ。
「何という響きだったのかはもうわからないんですよね」
「そうだねえ、失われたからここに来たんだもの。これは全て亡骸だよ」
 答える少女の目はどこか遠くを見据えていた。月のない空に、もしくはその向こうに広がっている他の世界に想いを馳せるように。籠から洩れる光が照らす横顔は、触れるとたちまち壊れてしまいそうな、人間離れした美しさがあった。例えるならば、緻密な装飾を施されたながらも古びて背を失った本。
 そんなことを思いながら手を動かしているうちに、仕分け前の言葉を詰めた籠が空になった。少女は選別を終えたものを速やかにずた袋に詰めてゆく。異なるタグを付けられた三つの袋を置き場へ詰んで作業は終了した。
「これはね、時々来てくれる他所の商人に渡して、服や道具と交換して貰うんだ。あとは稀に来る旅人に振舞うための保存食とか、色々」
「……貴女の食事は?」
「私は大丈夫、つまみ食いだけでお腹が膨れるもん」
 そう言って彼女はずた袋の山に視線を向けた。いくつか齧ってみた言葉の残骸はどれも腹に溜まるようなものではなかったはずだ。
 どこか誇らしげな彼女の微笑を見つめて、その存在が僕とは大きく異なるものであろうことにようやく気がついた。彼女の身体はきっと空白だらけの辞書のようなものになっていて、取り残された言葉の意味で自らを満たしながら生きているに違いない。この住処に嗜好品が殆ど見当たらないのは、言葉集め以外に興味がないからだろうか。
「えっと、こっちから順に美味しいの、そこそこの、美味しくないの。ゲテモノ系も意外と需要があるらしくてちゃんと売れるんだ。いったい何に使ってるんだろうねえ」
「何なんでしょうね。愛好家がいるとか、ジョークグッズになるとか、刑罰や拷問に使われるとか……あっ」
「あら」
 思わず間抜けな声が出てしまった。彼女の後ろ、天幕の外にどこまでも広がる景色に、ぽつぽつと新しい光が流れ込んできたのだ。ざあっ、と雨音に似た音色が僕らを取り囲む。塊が近くの地面や天幕の布地を叩く音も聞こえた。
「言語が死んだんだ」
 少女は天幕からはみ出すぎりぎりの場所へと歩んで空を見上げた。僕もそれに続き、並んで言葉の流星群を眺める。ぽつぽつと降り注いだ言葉達は徐々に勢いを弱めてゆく。
「言語がひとつ、丸ごと」
 おそらくはそれを受け継ぐ者の消失を伴って。
「そう。知る者が絶えて、書や音も残らなかった言葉の群れはね、ばらばらになって皆ここに来るんだよ」
 ぼんやりと遠くを見つめる瞳から感情を窺うことはできなかった。
 僕らは立ち尽くし、降り注ぐ光をただ静かに見守っていた。

(職歴四二〇・言葉拾い)