アカシア書房

ファンタスティック・ワーキング

#05 情報薬

 試しにと思い購入してみた一本の封を開ける。恐る恐る匂いを嗅いでみると、ほんのりと薬らしい香りがした。
 僕が手にしているのは駅の売店で購入した飲料で、『忙しい人のための猫にゃん二十選』と書かれたラベルが貼り付けられている。商品名と共に印刷された白い子猫の瞳がなんとも愛らしい。
 裏面に記された注意書きに従い、『情報噎せ』を起こさないよう少しずつ飲むと、カーペットや芝生の上を駆け回る愛らしい猫たちの姿が脳裏に浮かび上がった。みぃみぃと鳴きながら猫じゃらしにじゃれつく子猫、小さな箱に自らすし詰めになる白猫と黒猫、テーブルの上を覗いては引っ込んでを繰り返すぶち模様の猫……ただ薬臭い飲料を飲んでいるだけなのに、まるで今ディスプレイを通して見たばかりであるかのように映像が頭の中を巡る。
 幻覚ではないため、僕が今見ている風景とは重ならない。顔を寄せられても獣の匂いはしない。一瞬で映像を見たという記憶と、喉を通り過ぎた薄い薬の味だけが残った。
 脳裏を駆け巡った猫たちの姿は、確かに僕の心に一時の癒しを与えてくれた。
 現実へと戻り、改めて瓶のラベルを読み込むと、製造者の欄にはある製薬会社の名前が記されていた。見覚えのあるものだ。僕が明日から働くのは、この会社が運営する『情報薬製造請負店』の一店舗である。
 僕は各地で様々な短期の仕事を請け、体験を元に記事を書く記者である。様々な世界や国を渡り歩く中で、滞在中にこれと似た効果の薬を見かけることもあったが、薬を作るための専門店が一つの街にいくつも存在している地域は初めてだった。

「それでは内容の確認をさせて頂きますね」
 カウンター越しに告げると、客である妙齢の女性はにこやかに頷いた。
 五つの袋に分けられている持ち込み品を一つ一つ確認する。磁気テープのカートリッジが入ったものが二つ、写真の束が入ったものが三つ。写っているのは楽しげに遊ぶ幼児とその家族らしき人々だ。依頼人である女性も時々写り込んでいる。
「映像が二つと画像が三つ、でよろしいですか?」
「はい」
「では、こちらの誓約書にサインを」
 差し出す紙はこの店で製造する薬の取り扱いについて書いたものだ。転売、嫌がらせ、成分を調整しての使用、その他犯罪行為に用いるための依頼ではないことを確認し、サインをして貰う。同意が得られない場合は販売しないよう法律で定められている。
 代金を支払い、引換証を受け取った客は、急ぎ足で店を出て行った。僕はその背を見送った後、すぐに情報薬の製造に取り掛かる。店頭からは誰もいなくなってしまうが、客が来たら入り口のチャイムが教えてくれるはずだ。
 店の奥、カウンターからは覗けない部屋には大きな機械が鎮座している。その形は何ともごちゃごちゃとしていて、様々な機材を寄せ集めてくっつけたような姿をしていた。書類のコピー装置、カートリッジ式の音楽プレイヤーと映像再生装置、飲料の自動販売機……の商品取り出し口。そして他にもいくつか。もっと大きな店に行けば、このような旧型ではなくスマートな形状をした新型の機械が置いてあるらしい。店によっては香りを薬にできるところまであるそうだ。
 僕はまず映像が入っているであろうカートリッジの一つを機械にセットし、再生スイッチを押した。すると備え付けのディスプレイに、級友と共に仮装をして拙い劇を演じる幼児が映し出される。威勢の良さが先走る様子が何とも微笑ましい。しかしのんびり鑑賞している暇はないので、数回早回しをしながらデータの長さと大まかな内容だけを確認した。法に触れるものが入っていた場合は製造を中止しなければならない。
 情報の質と量を確認した後は早速薬作りに入る。とは言えども僕がやることは入力前のチェックと出力後の袋詰め、及び何も映さなくなった映像テープや白紙の紙束になった本を処分することだけ。あとは全て機械任せだ。機械に任せるからこそ、ここのような小さな支店でも薬を作ることができる。
 また頭から再生できるようテープを巻き戻した後は、機械の操作パネルで入力データの種別と希釈する倍率を指定してスタートボタンを押すだけだ。希釈する倍率が高すぎると薬の用量が無駄に増えてしまう。低すぎてもまた別の問題が生じるわけで――
 そこで、研修での指導内容を思い出していた僕の思考に割入るように、受付のほうから怒気をはらんだ男の声が聞こえてきた。作業を終えて受付に出ていた先輩が、たちの悪い客に絡まれているようだ。
 受付に向かうと、シャツをだらしなく着崩した若い男が、カウンターに手をついて女性従業員に何やらまくし立てている。
「だからぁ時間が無いんだって! 俺は忙しいの! 毎朝急いで情報収集したいの! わかる!?」
「ですが情報薬の濃度は法律で定められておりまして……」
 客は声を荒げながらカウンターに広げた持ち込み品を叩いてみせた。大きな封筒から、雑誌の一部と思しき紙が姿を覗かせている。グラビア雑誌から必要なページだけを切り取ったもののようだ。露出が多いものではあるが、この国ではポルノに該当しない程度のものではあるし、個人で使用するだけなら市販の本を薬にしても問題ない。しかし、
「噎せそうだったら自分で薄めて飲むから! 一本に収められるんだろう!?」
 男が要求する『薬の本数』が問題だった。あれだけの量の写真をすべて薬にするとなると、瓶にしておおよそ十本程度の量になる。それを一本に収めてしまうとなると、情報の濃度が高すぎて確実に情報酔いを起こす薬が出来上がる。そんなものを飲んだならば、酷く酩酊し、思考能力が著しく低下してしまう。
 薬を使用する者の中には、違法な高濃度のものを乱用薬物の代わりに使用する者もいると言う。その製造をごく普通の店に依頼してしまうのは流石に頭が悪すぎると思うが。若い女相手なら脅せば押し切れるとでも思ったのだろうか。
 気迫に押され戸惑っていた先輩を押しのけるようにして前に出ると、男は露骨に嫌そうな顔をしながらも要求を続けてきた。丁度店長が不在なのが心細いが、それでも二人いればどうにかなると信じて、共に立ち向かう仲間に目配せをする。彼女はこくりと頷き、「担当の者を呼んできます」と言い残して店の奥へと引っ込んだ。
 男はやっと要求が通ると思ったのか、満足気な顔をして更に細かい注文をつけてくる。それを適当に受け流しながら待っていると、通報を受けた警察がやってきて迷惑な客を連行していってくれた。担当の者を呼ぶ、と言う彼女の言葉は間違っていなかった訳だ。

 その後、一足遅く駆けつけた店長が後処理に奔走する中、僕ら二人には通常の業務を行う旨の指示が出された。チェーン店全体でスピード仕上げを謳っている以上手を止めてはいられない。
 来客が少なめだったおかげか作業はつつがなく進み、時刻は閉店間際となった。先輩に感謝の言葉を重ねられつい鼻の下を伸ばしていると、見覚えのある顔が夕暮れを背負ってやってきた。昼に映像テープと写真を持ち込んだ女性だ。今度は一人ではなく、杖をついた老婦人の手を引いている。
 用意しておいた情報薬を依頼主に渡すと、老婦人も一緒になって深々と頭を下げてくれた。白く濁った目はもう殆ど何も映していないのかもしれないが、それでも声のするほうを見据えて、柔らかな笑みを浮かべている。
「ひ孫の顔がちゃあんと見れるのはあなた達のおかげなのよ、ありがたいねえ」
 しわがれた声で紡がれる言葉は、薬がもたらす情報よりもっと深い場所に染み入るようだった。

(職歴四〇二・情報薬製造請負業)