アカシア書房

ファンタスティック・ワーキング

#04 登る阿呆

 はじめはそれを塔だと思っていた。人里を求め、山間を縫う辺鄙な道を彷徨っていた僕を、そこいらの木よりも遥かに背の高い何かが見下ろしていたのだから。
 道なりに進むうち、僕はその根本に辿り着いた。塔だと思っていた灰色のそれは、巨大な木のようなものが絡み合ってできたものだった。両腕を広げた僕より幅の広い、木とも蔓ともつかない植物が、数十本も絡み合って天へと伸びている。圧倒的な威圧感を放つその木を見上げると、てっぺんに申し訳程度の葉が茂っているのが見えた。遠くてよく見えないだけかもしれないが、この木の質量と比べれば随分と少ない。どうやって陽の光を集めているのだろうか。
 しかし木の作り以上に不思議な箇所があった。絡み合う木の根本に一箇所だけ、人が通れそうなほどの隙間があり、その隣に看板が打ち付けられている。近づいて見てみると、そこには汚い字で『お手伝い探しています 報酬あり』と書かれていた。
 僕は様々な世界を渡り歩き、各地で短期の仕事を請けては、その体験を記事として書き起こす記者である。その他にも諸事情があり、僕はこの未知の誘いに乗らないわけにはいかなかった。思えばこの時点で若干の嫌な予感はしていたのだけれど。
 木の隙間へ向かって声をかけてみると、「入ってくれ」と返事が来る。入り口をくぐった先には、意外なほど広い空間が広がっていた。木は輪の形に生えていたようで、内部が仄明るい空洞となっている。絡んだ幹の隙間から漏れた光が辺りを照らしている。昼間なら灯りを使わなくて済みそうなほどだ。そして天井である葉は遥か遠く、まばらに筒を塞ぎながら木漏れ日を落としている。それを縁取っているのは、輪の内側に向かって規則正しく伸びた大きな葉。まるで螺旋階段のような形を成していた。
 落ち葉が掃き出された地面には粗末なテントが設置されていて、薄布の向こうに人影が見える。その裾を捲り上げて出てきたのは、枯葉色の服を纏った初老の男だった。フードを目深に被り、髭を伸ばし放題にした、いかにも世捨て人といった風体だ。
 僕が笑顔を作って挨拶をすると、彼もぺこりと頭を下げ、あの看板を出すに至った事情を話してくれた。そして、
「この木の実を取ってきて欲しいんだ」
 と、言って、錆びた鉈を渡してきたのだった。

 螺旋状に連なった木の葉はとにかく頑丈で、僕が乗ってもぴくりとも揺らがなかった。大きく、分厚く、多肉植物のようでいて、触れてみると金属のように硬い。まるで人工的に作られたかのようだ。しかし形は不揃いで、顔を寄せれば確かに木の葉の香りがする。人に実を取らせて種を運ばせようという魂胆なのだろうか。
 木の葉の階段を慎重に登るのはなかなかの労力が必要だった。まず片足をかけ、葉っぱが僕の体重に耐えてくれそうかを確認してから、慎重に次の一歩を踏み出す。折れて真下に落ちるのならまだ良いが、うっかり空洞の中央に転げ落ちてしまってはまず助からないだろう。また、階段自体がなかなかの急勾配であり、登るだけでも体力を使う。膝を痛めていると言う依頼人がここを登りきるのは難しいに違いない。
 彼はこの木に実る果実の独特な風味に魅せられ、それを独り占めするべくここに住み始めた。しかし膝を痛めて以来、自力でその実を摂ることができなくなってしまった……と語っていた。
 果実はかなりしっかりと枝にしがみついているらしく、鳥に果肉を食べられた残骸か、腐りかけて剥がれたものしか降ってこない。自ら収穫に行けなくなっても執着を拭うことはできなかった。ゆえに時々人を雇い、罠で捕らえた獣の毛皮と引き換えに実を採って貰うそうだ。
 階段を登り始めた僕を、男はとても弾んだ声で激励した。久しぶりのご馳走だと喜んでいた彼をあまり待たせたくはない。僕は一歩一歩をしっかりと踏みしめて葉を登り、ついに木のてっぺんへとたどり着いた。
 頂付近の幹からは太い枝がいくつも伸びている。その頑丈そうな腕の先に、足場にしてきたものとは違う形の葉と、大柄で細長い果実を掴んでいた。長さも太さも僕の指先から肘までと同じ程度だ。色の違うものが数個実っていたが、食べごろと思われる真っ赤なものは一つだけ。なるほど確かに美味しそうな色をしている。
 僕はその果実を持ち帰るべく、枝と繋がっている部分を鉈で慎重に切り始めた。錆びているので切れ味自体は期待できないが、叩きつけることによってへし折ることはできるはずだ。反動で自らが落ちてしまわないよう、しっかりと足を踏ん張って、小刻みに鉈を叩きつける。十数回の試みの末に果実は枝から離れ、僕の手の中に収まる……はずだった。
 つややかな皮を纏った赤い果実は、添えていた僕の手からするりと逃げ出してしまった。強く握りすぎて飛び出したわけでも、力が入らず下から抜けたわけでもない。僕の体が大きく傾いたためにこぼれ落ちてしまったのだった。
 血の気が急速に引く中、視界に映ったのは、踏みしめていたはずの葉が次々と折り畳まれてゆく様子だった。葉はパタパタと大きな音を立てながら、根本から直角に曲がり、幹に密着するように姿を変えてゆく。
 宙へと投げ出された僕の体は勢い良く落下を始めた。なんてこった!
 どうにか捕まることができないかと手や手にした鉈を伸ばすが、空洞の中央へと投げ出されてしまったせいでどうにも届かない。足場は落ちてゆく僕から逃げるようにして順に形を変え続け、あっという間に全て畳み込まれてしまった。
 姿を変えたのは葉だけではなかった。依頼人が暮らしていたと思われるテントの掛け布が、地面に開いていた穴へと素早く吸い込まれる。布が消えた後には何もなかった。生活に必要であろう家具や物資が、何もなかった。
 依頼人はフードを深く被ったまま僕を見上げていた。目元が隠れているというのに、まるで僕の姿が見えているかのように口元をつり上げて。
 そういえば彼は自らなめした毛皮を渡すと言っていたが、彼から血や脂肪の臭いはしただろうか。処理に使う薬の臭いは? 外にそんな施設があっただろうか? 
 死を目前にした状況下では妙に頭が早く回る。回るがそれで何か良い解決策が浮かぶわけではない。唯一形を成したのは、男にこの鉈を投げつけて道連れにしてやろうと言う汚い決断だった。本当に可能なのかどうかを検証する暇はなかった。
 たった今自らの仇になろうとしている男に向かって鉈を放る。刃は奇跡的に狙った軌道をなぞったが、標的の頭をかち割ることはなかった。彼が顔を枝か蔦のようなものへと変え、先端でフードを引っ掴んで服ごと地面へと潜り込んでしまったゆえに。
 納得がいった。
 彼が罠にかけていたのは獣ではなく、求めていたご馳走とは果実ではなく。
 僕のような――

(騙された話、職歴にはカウントせず)