アカシア書房

エクストリーム・ワーキング

#03 はらわた

 まず始めに紹介したい仕事は、現地の時間において十三日間に渡り行った、『人体模型』の仕事である。

 ご存知の通り、模型とは本来実物の形に似せて作った代わりの物のことである。人工の毛皮を纏った剥製しかり、飾るために作られた木や合成樹脂製の果物しかり、何かの代わりを務めるために作られるのが一般的だ。
 ゆえに、その依頼を持ちかけられた際、なぜ人間(正確には私は人間と呼ばれる生物ではないが、姿形と作りはそれに似せている)で人間の模型を作らなければならないのかと素直な疑問を感じた。私を殺して皮を剥ぎ綿を詰めると言うのなら、それは模型ではなく剥製と言うことになるだろう。剥製ではなくわざわざ模型と呼ぶ辺りに、私が想像したものとは異なる要素があるのだと察した。
 依頼人はくたびれた顔をした中年の男性で、生命の神秘を取り扱う魔導科学博物館に勤めており、展示品の蒐集を担当しているとのことだった。どうやら博物館で近々大きな催しがあるらしく、彼はその準備に追われゆっくりと寝ている暇も無いらしい。特に生きた人体模型を勤めてくれる者が足りず困っていたところなんだ、と彼は弱々しく微笑みながら教えてくれた。私の存在はまさに渡りに船であったようだ。

 こうしていつも通りの二つ返事で仕事を請けた結果、私は館内に特設された期間限定の展示スペースに陳列されることとなった。
 業務内容は展示台の上でただじっとしていること。……と言えば既製品を売るタイプの衣料品店に設置されているマネキンのような役割に思えるかもしれないが、美しい衣装を身に纏っているわけではない。着衣は下穿きのみであり、むしろ裸に近い状態だった。
 私は膝立ちの状態で展示台に乗せられており、腰から下は不透明の板により台と共に囲われ隠されている。足元のクッションは非常に質の良い作りになっており、私の体重を柔らかく受け止めてくれていた。
 そして両手は背に回され拘束されている。揃えた二の腕から肩にかけても太いベルトのようなもので固定されているため、首から下は全く身動きが取れない状態だったが、それを苦痛と思うことは無かった。私の意識は常にぼんやりと霞がかかったように不明瞭で、微睡みに似た心地良さの中を漂っている。この感覚は人為的に作り出されたものであり、生きた人体模型と言う矛盾した展示品を作り出す上で無くてはならないものとのことだ。
 会場に設置された私の背後には、四角い箱で隠された大がかりな装置がある。箱には数カ所穴が開けられており、そこから伸びた十数本のチューブとケーブルが、うなじと後頭部に刺しこまれている。チューブは血管に、ケーブルは外科手術によって脳に埋め込まれた電極に接続されているらしい。この設備によって私の痛覚は完全に遮断され、異様な行為を行われながらも心は不自然なほど安らかでいられるようになっていた。
 それでもセッティングが終わった後の姿を鏡で見せられた時は少し驚いた。事前の説明は十分だったと言えど、脳への干渉がなければ少しの驚きでは済まず、鏡を見た瞬間に悲鳴をあげていただろう。
 胸から下腹部にかけての皮膚が大きく切除され、生々しく脈打つ内臓が灯りの元に晒されているのだから。
 痛みも息苦しさも無いが、はらわたを撫でる空気の涼しさは感じる。失われた皮膚と筋肉の代わりに、透き通った膜のようなものが貼り付けられ内臓を支えているのだが、その所々に意図的に穴が開けられているためだ。
 「失礼しますよ」と断って技術者の男はその隙間に手を挿し入れる。素手であるにも関わらず全く臆することなく。
 男の手は私の腹部に詰まった器官(鏡越しに見る限りではおそらく小腸のようだ)に指先からゆっくりと埋まり、未だかつて経験した事のない、緩やかだが確かな違和感を与えた。
 だが、それだけだった。私の内臓から血管一本一本に至るまでが強化され、触れたぐらいでは全く傷つかないように作り変えられている。その内部に生きた血を巡らせ、通常通りの活動を行いながら。
 聞くところによれば、覚醒レベルの調整は脳への電気信号と薬剤の投与で行っているが、身体の作り変えおよびそのアフターケアは魔術によって成されているとのこと。ずいぶんと器用な使い分けができるものだ……と、この時の私は腸を撫で上げられながら呑気に感心していた。

 そしていよいよ展示が始まり、この奇妙に弄くられた身体が使われるときが来た。
 特設の展示コーナーには私を含めて三体の標本が並べられている。全員が男性だ。女では性倫理的に問題があるためにこうなっているらしい。胸部の皮膚ごと乳房を切除しなければならないからだろうか。生殖器が体内に存在しているのが問題なのかもしれない。
 私達の傍には係員が一人ずつ配置され、触りに来る来館者への解説と監視を行っていた。魔術による身体の保護はしっかりと行われているが、それでも過激ないたずらには耐えられない可能性があるために監視が必要とのことである。確かに悪ふざけではらわたを蝶結びにされては適わない。
 そう、今回の私の仕事は『中身を触れる生きた人体模型』なのである。元々この国には内臓の配置を示すために作られた合成樹脂製の人体模型が存在しており、それを生身の人間で再現してしまったゆえに、標本でも剥製でもなく『模型』と呼ばれるようになったのだと聞かされた。その実態はむしろ標本に近いのだけれども。
 この展示は期間限定で時々行われる珍しい催しらしく、開館と同時に真っ先に私たちの所にやってきた客は多かった。
 年齢制限がかけられているのか子供の姿は見なかったが、それ以上は男女を問わず若者から老人まで幅広く特設コーナーを訪れた。皆怖いもの見たさなのだろうが、人気がありすぎてあっという間に順番待ちの列が出来上がるほどである。
 順番が回ってきた客に、係員の若い男性が「そっと触ってくださいね」と優しく注意を促し、私が「どうぞ」とだけ告げて客商売向けの笑みを作る。正直私の挨拶が無いほうが気兼ねなく触れるのではないかと思うのだが、意思疎通が不可能な状態でこの展示を行う事はこの国の法に触れてしまうらしい。微妙な線引きがあるらしく、その機微は私のような流れの者には解らずじまいだった。
 多くの者は恐る恐る私の中身に触れた。呼吸に合わせて小さく上下する臓器を指先でつつくことに始まり、係員からの説明を求めたり、手持ちのパンフレットと私を見比べたりする。肋骨の隙間から指を差し入れ、その先にあるものの感触を確かめては、これが胃で、肺で、と確かめた。
 彼らが私の身体から知識を収集する手助けは係員が行ってくれるため、私の仕事は本当に僅かな愛想を振りまくのみである。この臓器はいったい何か、と尋ねられることもあったが、それを私に訊いたところで返せる答えなどない。触れられている臓器を的確に当てる機能など持ち合わせていないのだから。
 しかしこうして多くの来客に鑑賞されていると、時に冒険心に溢れた者が訪れる。多くの鑑賞者はせいぜい指の先のみか根本まで程度をはらわたの隙間に埋めるのみで満足するが、中にはもっと奥深くまで探ろうとしてくる者もいるのである。勿論この企画を立ち上げた者はそのような扱いも想定済み……と言うより、彼(意外にも人の良さそうな初老の男性だった)はこうして手全体を使って命の温度を確かめて貰うことが第一の目的であると語っていた。ゆえに臓物に好奇心を埋める客を係員が咎めることはない。
 女性のしなやかな手が内容物のない小腸を柔らかく揉みあげる。男性の厳つい手が胃や肝臓をすくい上げてその重みを確かめる。若者の瑞々しい手が横行結腸の下をくぐりその奥の十二指腸を探り当てる。人体解剖図が描かれたパンフレットを見ながら私の中を探る様子は楽しげで、まるで宝探しか行楽目的の芋掘りでも行っているかのようだ。今までに私が経験してきた妙な仕事の数々と比べても十分に奇怪ではあるが、人に喜んでもらえるのは嬉しいと言うことは変わらない。脳の操作によって負の感情が抑制されているために強くそう思った。
 脳の制御のおかげでなかなか快適な労働環境となっているが、そんな中にも問題は存在した。痛覚や吐き気が遮断されている中、前述の通り触感だけはしっかりと残されている。痛くも気持ち悪くもないなら別に良いだろうと思うかもしれないが、逆に心地良く感じてしまうときがあり、ぼやけた私の理性がそれは人間(厳密には違うものだが)としてまずいのではないかと警鐘を鳴らす。しかし私とて男である。美しい女性に触れられれば胸が高鳴ってしまい、おかしな気持ちにもなると言うものだ。
 衣服に押し込めきれない艶かしさを滲ませた婦人が、柔らかな微笑みを湛えながら私の空の膀胱の下――前立腺をこね回してきた時は、それこそおかしくなってしまうかと思った。その時は情けない声を出さないようになんとか踏みとどまる事ができたが、担当者に性感の抑制を密かに提案する事になったのは、今思い出しても実に恥ずかしい事件である。もっとも、ハプニングらしい出来事がその一件のみであったことは、私にとって素直に喜ばしいことだったと思う。

 閉館時間を過ぎ、客の出入りが絶えると業務終了に向けての一仕事が始まる。
 従業員たちが館内を行き交う中、私を含めた三人の標本にできる事と言えば、未だ忙しい彼らにねぎらいの言葉を掛け合う事だけ。他の標本たちはある程度の距離を開けつつ背を向け合うようにして配置されているため、雑談をするには展示室いっぱいに響いてしまうような声を出さなければならない。そのため客がいなくなっても私たちは挨拶以外の言葉を交わさなかった。私は寂しがりと言うわけではないので特に困る事もなく、楽で良いとさえ思っていた。
 そうこうしているうちに、身体の調整を担当する技術者が私たちのもとへとやってくる。今日はどうでしたか、困ったことはありませんか……などと話をした後、私は背後の機器から脳へ送られる信号と血管に注入される薬液によって眠りに落とされる。大掛かりな処置をしているゆえに台を離れて帰宅するようなことはできないのだ。私は翌日の開館準備までの長い眠りを、水上を漂っているかのような心地良い浮遊感に身を任せながら楽しんだ。

 驚いたのは全ての業務が終わってからの処置についてである。
 身体に手を加えた箇所を魔術によって復元するとは聞いていたのだが、私は切除した皮と筋肉を保存しておいて再び繋ぎ合わせるようなものだと思っていた。
 しかし実際に行われた処置は想像より遥かに復元性の高い、修復どころではなく完全に元の状態に戻ってしまったと言えるもの。施術前の身体の状態を記録しておき、記録された状態に戻したのだと言う。非常に高度な技術にはただ驚くしかなかった。この手の技術について調べている私の同僚に知らせたなら、きっと目を輝かせて飛びつくに違いない。
 過酷な職で肉体を使い捨てられ、作り直しを余儀なくされる経験は今までにいくつもあった。そのため今回も似たような結末になるのでは、と覚悟をしていただけに、この万全のアフターケアは嬉しい誤算だったのである。何の変哲も無い皮膚で覆われたいつも通りの胸と腹を見下ろすと、懐かしさと安堵の情が一気に押し寄せた。これで普段と変わらぬ生活に戻れるのだ。
 しかし不思議な事に、私はその懐かしさの中に背徳的な寂しさを感じてしまっていた。それはこの文章をしたためている今もなお、感情の坩堝のそこで人知れずくすぶり続けている。
 秘めた部分を痛み無く暴かれる感覚はおそらくもう味わえないだろう。それがただひとつだけ悲しい。


(職歴七二・人体模型、もしくは人体標本)