ロセロ 術の発動は間に合わないと踏み、飛来する刃の半数を撃ち落として身を翻した。うち一つが腕を掠めたが、痛み具合からして皮膚を切った程度だろう。問題はない。
跳んだ先で強く床を蹴って前進。これから戦場となる部屋は無駄に広く、標的との距離は遠い。奴の動きを注視しながら空間歪曲の術式を組んだ。
自分の中に存在する無数の歯車を噛み合わせてゆくような、並んだ針に糸を通して回るような、とにかく他のものには例えがたい感覚。術式はすぐに完成し、時を同じくして標的が手を振り上げる。先ほどよりも多い、複数の小さな刃が俺めがけてまっすぐに飛んできた。
刃が俺に突き刺さる前に術を発動する。俺は目の前に現れた空間の揺らぎに飛び込み、刃と標的の間――奴の目の前に飛び出した。相手もそれは予想の範疇だったらしく、即座に腕を振り上げて防壁を展開する。うす赤く輝く膜は非常に硬く、足を掬うための蹴りは見事に弾かれた。足首に鈍い痛みを感じつつ、横に転がってから体勢を立て直す。先ほど俺がいた位置に刃が降り注ぎ、床が針山になった。
軽く飛んで一度距離を取ると、相手もまたじりじりと後ずさる。見たところ迫撃戦よりも距離を取っての射撃を得意としているようだ。すうと消えゆく結界の向こうで、奴が気持ち悪いほど整った顔を歪めて笑った。後で形が変わるまでその顔殴ってやる。
俺が一度攻撃の手を止め、標的の様子を窺う態勢に入ったと見るや、目の前のクソ野郎は芝居じみた大げさな語り口で御託を垂れ流し始めた。
「さすが奴の右腕だ、いい腕をしているじゃあないか! しかし人の顔を見るなり殴りかかってくるのは不躾ではないかな」
「それが仕事だからな」
「仕事? 本当にそれだけかい? 君が仲間思いの男であることはよく聞いたからね」
やけに楽しそうな顔と粘ついた声。少し言葉を交わすだけで、俺が関わりたくない類の生き物であることを再認識させられる。皮膜を持つ黒い翼が生えているからどうだという話ではなく、その精神構造がとにかく気に食わない。こいつの言葉に耳を傾けるぐらいなら、羽虫が飛ぶ音を聞き続けているほうがまだマシだ。
奴は余計なことをべらべらと語りながら、掲げた手の周りにまた無数の刃を生み出していった。瞬く間に倍々に増え、奴の周囲を埋め尽くした小さな刃は、武器であり防具でもある。策なしに突撃すれば、大きな血まみれの毬栗ができあがることだろう。
「さあ! 予定よりは早いが、君も私のコレクションに加えてあげよう!」
手を振り下ろすと同時に、刃の一部が俺を目指して高速で突っ込んでくる。その眩さに切り刻まれる前に、備えておいた術を起動し空間の綻びへと飛び込んだ。着地したのは奴の背後、刃を避けるために少し距離を取って。
標的は振り返る前から狂いなく刃を操って迎撃を試みる。俺は最初の刃による追撃を防ぐべくすぐに道を塞ぎ、また新たに小さな道を作った。繋げた先は異なる世界の見知った部屋。俺の武器庫だ。目当てのものをしっかりと掴み、引き抜く。そして数歩の助走をつけ、そいつを力いっぱい振りかぶった。
その間に刃が喉を狙うが、噛みついて動きを止めた。高濃度の魔力がもたらす刺激が歯を痺れさせる。そのまま首を振り、喰らいついた刃で他の攻撃を打ち払った。口の端が少し裂けたがまあ問題はない。俺は構わず手にした大きな槌を振り下ろした。刃をひとつへし折りながら、床を目掛けて、力いっぱい。
石張りの床に亀裂の花が咲き、轟音を伴って足場が崩壊を始める。建築物を呪う槌の効き目はばっちりだ。嫌そうな顔をした標的は、翼を緩く羽ばたかせてその場に留まろうとしていた。まあそうなるだろうな。俺は噛んでいた刃を捨て、建材の破片を吸わぬよう息を止めて、普段の数倍の力を注いだ術を組み上げた。空間を歪めたのはすぐ下の階、崩れゆく天井を受け止める形で大きな道を作ってやる。行く先はその真上、敵の頭上だ。
短い悪態が聞こえた、ような気がした。降り注いだ石材は奴の纏う結界に阻まれ、その体に傷をつけることはできない。しかし設置していた刃を痛めつけ、配置をばらばらにしてゆく。それらを整えるまでの一瞬の隙を狙い、俺もまた空間の揺らぎに飛び込んで左手を伸ばした。
手首と固着した腕輪から、魔力製のワイヤーを数本射出、獲物をぐるりと取り囲んで絡ませる。結界をきつく締め上げながら、ワイヤーを巻き上げて一気に距離を縮めた。邪魔な刃は武器庫から引っ張り出したナイフですべて弾いてゆく。硬い音が何度も響く中、勢い良く防壁を踏みしめ、靴裏を見せつけてやった。
「この……痴れ者がッ!」
つい先ほどまで余裕綽々だった奴の顔に焦りが生じている。俺を歓迎していたんじゃなかったのかよ。ケツ穴の小さいやつだな。
怒気を孕んだ声に呼応するように、纏っていた結界が爆ぜた。火薬の匂いを伴わない爆風は、ワイヤーを全て焼き切り、俺を周りの刃ごと吹き飛ばした。黙って吹っ飛ばされてはいられないので、素早くワイヤーを再射出する。俺の意のままに動くそいつは、結界の残滓を浴びて煌きながら、獲物の足首に巻き付いた。
「降りろ無礼者!!」
「うるせえクソ食って死ね!!」
奴は防壁を張り直そうとはせず、新たにまた刃を生成した。十数本の切っ先が、ぶら下がっている俺のほうを向いて一斉に飛び出してくる。足首を捕まえたワイヤーは、俺自身の動きを制限する枷にもなっていた。これで仕留められると思ったのだろう、にんまりと笑みを浮かべた敵の向こうに、新たな空間の歪みが生じたことを目視。
段取りは十分だ。俺はワイヤーを切断し、落下しながら刃の追跡から逃げ――敵の背後から現れた仲間が、その背に剣を突き刺す瞬間を見届けた。
「がっ……!?」
すぐ降ってくるはずだった切っ先が全て消え失せる。集中が途切れ維持できなくなったのだろう。
飛び込んできたのは俺と同じ雑務担当であり、二人きりだが極力関わりたくない――それでいて息ぴったりの動きができるよう作られている――クソ野郎のベル。俺がクソと言ったら突入する手はずを整えていた。もっと愛のこもった合言葉がいいとのたまっていたがこれで十分だ。
「ロッシェじゃなくて残念だった? 俺でしたぁー!」
ふざけた口を叩きながら、ベルは手品じみた動きでどこからともなく剣を取り出し、目の前の玩具に次々と突き立ててゆく。背に、脇腹に、翼に、腕に、うなじに、墓標を立てるように。宙に浮いていることもできなくなった標的は瓦礫の上へと落ち、針山のような姿を晒した。本当は俺をこうしたかったんだろうに、哀れなもんだ。俺らにすら勝てないくせに、どうやってこのアカシア書房すべてを、そしてあのボスを叩きのめせると思ったんだろうか。見込みが甘すぎる。
「助かった」
「ん、どーいたしまして」
一応礼を言っておくと、ベルは一瞬だけ俺ににへらと笑いかけて、すぐに針山の針を増やす作業に戻った。その楽しそうな様子を見ているとやはり馴れ合えないと思う。目の前の二人は似ている。
すっかり悪趣味な玩具にされてしまった黒い翼の男は、これだけ手の込んだ根城を作れる存在なだけはあり、血を吐いて呻きながらもまだまだ死にそうにない。が、反撃に出る元気も無さそうなので、ここはベルに任せてしまって大丈夫だろうと判断した。
「探してくる。そっちは殺さない程度にしろよ」
「はあーい」
放っておけばベルは長々と生きた玩具で遊び続けるだろう。生きたまま連れて来いと命ぜられているから、ぎりぎり死なない程度に苦しめて。敵を無用に痛めつけるようなことは好きじゃないが、今回ばかりは止めようとは思わなかった。
俺は血まみれの変態二人を置いて城の奥へと進んだ。人間の剥製らしきものがいくつも飾られた、とにかく悪趣味な城だった。
「来たぞ! 居たら返事しろ!」
できる限りの声で叫びながら、目についた扉を片っ端から開けて回る。この城はあらゆる通信を遮断する仕組みが施されているようで、いつも使っている探査装置が役に立たない。時折襲ってくる使い魔の類をぶちのめしながらひた進み、鍵のかけられた一室にようやく目当ての姿を見つけた。
錠前を破壊して開けた扉の向こう、薄暗い部屋の中央に鎮座した大きな寝台の上に、探していた二人が、二人と呼んでいいのかわからない姿で転がされている。俺の同僚でありかわいい後輩でもある女たちは、着衣と手足の全てを奪われ、その切り口を結合させられた奇怪な姿に作り変えられていた。他にもおかしな箇所が多々。こみ上げる吐き気をぐっと呑み込んで近づくと、二人は生気のない目で俺を見つめた。
「誰?」
先に声をあげたラビは、目の焦点があっていない。ここにいるもう一人のラビは、本社と魂の同期を絶たれて行方不明となり、なんらかの事故で死亡したものとして処理された一体だ。
最後の魂の情報を元に再構築されたラビは、今でも元気に本社で働いている。ここに攻め込む直前、一緒に飯を食べてきたことを思い出すと胸がひどく痛んだ。こいつは必要とされる自分と必要とされない自分に分かたれた。必要とされなくなったほうは密かに弄ばれ、壊れてしまった。
「あのね、エリーがねもうすぐ帰ってくるよ、みんなを呼んでね、私たちを連れてまたお仕事をね、また」
「ラビ、それはもう」
「ちがっ……見ないで、でも私エリーと約束が、でも足が、違うの私約束が、足が、手が、あ、あああ」
首を振って呻くラビの隣で、もう一人の犠牲者であるアリアが、俺を見つめて力なく微笑んだ。喜びと諦めの入り混じった顔だった。
「ありがとう、ずっと待ってた……」
アリアが一度姿を消したのはラビよりも後だった。だから辛うじて正気を保っていたのだろう。狂っていたほうがまだ楽だったのかもしれないが。
先ほどぶちのめしたクソ野郎は、アリアたちの魂の同期を封じた上で拉致し、心身を弄びながらうちの組織とボスについての情報を引き出そうとしていたらしい。アカシア書房は出版社であると同時に、ボスが長年かけて集めた知識を抱えた魔術工房であり、財を貯め込んだ宝物庫でもある。それを奪おうとする者は稀に現れるが、今回は特にたちが悪かった。
奴がもっとボスについての情報を集めることができていたら、俺は今頃苦戦を強いられていただろう。とはいえ、俺を含めて殆どの構成員からその情報が漏れることはない。そもそも俺らはボスが何者であり、何を持ち、何をしようとしているのかの全容を把握できていないのだから。継ぎはぎのぼろ雑巾のような姿にされた二人からも有力な情報は得られなかったに違いない。
「ロッシェ」
俺を呼ぶ声で我に返った。ああ、と返事をして、アリアの目を見据える。長い睫毛が濡れていた。
「もう、終わらせて」
「……わかった」
ここまで壊されてしまった状態の魂を、本社で管理しているという原本に合流させることはできない。そういった仲間たちの残骸を処分することもまた俺の役割の一つだった。
頭を撫でてやると、アリアは目を閉じてほろほろと涙を零した。ラビはただぼんやりと宙を見ていた。
できる限り苦しませぬよう殺す術は仕事の中で体得している。俺は深呼吸をしてから、仲間を二人、刈り取った。