半裸のシエロが叫びながら拠点に駆け込んできたのは、モーリェたちが大量のサンドイッチを買い付け味見をしていたときのことだった。
罠をすべて破壊し、流れた血と飛び散った肉片を片づけたあの大部屋――の隅で、モーリェはシュテルンと共に夕食の支度をしていた。
大きな敷物を広げ、皿代わりの紙を敷いてその上に食事を乗せた、卓すらない簡素な食事の場。あとは各々好きな飲料を持ち込めば完成、というところだった。
「おー、何がそんなにやばいんだ?」
上機嫌なシュテルンが缶詰を開けながら答える。傷んでおらず味付けが独創的すぎてもいない、真っ当な食事を買い付けることができたゆえの機嫌の良さだった。
焚火のできない環境であるため、素材に手間を加えた食事に飢えていたのだ。
「シエロさん、今日はズボン守れたんだ」
「そうそう腕犠牲にしてでもフルチン防げるように頑張っててさ……って話は置いといて、いや置かなくていいか、皆も喜んで裸になるスポットを見つけたんだよさっき!」
「マジで!?」
報告者の意図を察したのか、購買網と睨めっこをしていたイゾラが食いついた。その視線の向こう、通路からはフォグとジンリンが歩いてくる。どちらも軽く負傷してはいるが気分が良さそうだ。
シエロは少し歪んだ眼鏡を指先で直し、高らかに告げる。
「シャワールーム! ちゃんとお湯が出るシャワールームがね、あったんだよ!」
闘人たちの衛生事情は、お世辞にも清潔であるとは言い難いものだった。定住する地を持つことができず、自然の真っただ中や廃墟、その他得体のしれない無人の施設を転々としている状況では致し方のないことと言える。
それでもイゾラやシエロといった古株たちは、『昔より良くなった』と、揃って後輩たちに語っていた。
汲めるほどの水が辺りにあり、火を扱える場所であれば、大型の缶などを使って風呂とすることができる。自然の水がない場合は、飲用水を沸かして温かいタオルを作り体を拭く。それすらも用意できない場合、またはその支度が面倒な場合は、見つけ次第買い溜めている使い捨ての濡れ布巾が役に立った。
モーリェが闘人の仲間入りをしてから慣れるまで、先輩たちから生活のすべを教わっては驚いていたが、その中でも『水が足りない時の頭の洗いかた』はかなり衝撃的なものだった。
教師役を務めたジンリンは、自慢であるというさらさらの長髪を、剃刀で迷いなく切り落としてみせたのだ。
目を丸くするモーリェの目の前で、彼は頭皮と他の誰よりも短くなった髪を洗い清め、すっきりとした顔で死生匣のもとへ向かった。そしてパネルを操作し、髪をもとの長さへと伸ばして見せたのだった。急造の長髪はいつも通りの艶めきを持っていた。
頭髪が大量に減ると、負傷と認識されて治療の対象となる。
後にフォグが『バグ技』と称していた(が、モーリェにはその意味がわからなかった)洗髪方法は、モーリェも後に世話になることとなった。
この閉じた施設ではそうする他になかった。――が、それもつい先ほどまでの話だ。
「お湯がー! 出る出るー! お湯が出ーるぞー!」
「へいへーい!」
「そーりゃもー! 大量にー! お湯が出ーるぞー!」
「ふんふーん♪」
トラップと殲獣を排し静まり返っていた通路に、いい歳をした男たちの珍妙な歌が響く。
イゾラとシエロが大人げなくはしゃいでいるのは見慣れた光景として、ジンリンまでもが合いの手を入れ出したのは、最年少の少年にとって意外な光景だった。普段の彼はこの流れを生暖かく見守る立場だったはずだ。
「どうした、なんか面白い顔してるな」
シュテルンが少年の顔を覗く。四本の手いっぱいに掃除道具を抱えた彼もまた足取りは軽い。
「え、うん……ジンさんがあんなにはしゃいでるの初めて見たから、意外で」
「そりゃあ一番のきれい好きだしなあ。それにほら、いつもの風呂で一番狭い思いしてるのあいつじゃん」
「ああー」
モーリェは間の抜けた納得の声をあげ頷いた。八本の脚――彼の唯一の生体武装である〈懐胎せし女王〉――を折り畳み、風呂に『浸かる』というよりも『詰まる』といったほうが正しい入浴をしている姿を思い出したのだった。
次はきれいな水場がありますように、あわよくば温泉が湧いていたりしますように……と空間跳躍の度に呻く姿には切実さがある。
先輩たちが語るに、温泉という場所はシャワーよりも更に素晴らしいものらしい。広々と湯に浸かる心地よさを上手く想像できず、改めて考えこみ……その結果歩みが遅くなり、慌てて仲間たちを追いかけることとなった。
五人の背を見てふと気づく。そういえば、全員で連れ立って出かけるのは初めてではないかと。
「あの……シュテさん、話変わるけど」
「何だ?」
「どうして親玉相手の時にも留守番が要るんだろう。全員で行ったほうがすぐやれそうなのに」
探索や殲獣の討伐を行う際、闘人たちは必ず拠点にいくらかの人員を残したうえで行動に移る。
でたらめに品揃えを更新し続ける購買網の監視、という重要な役割があることはモーリェも理解しているものの、巨殲獣との決戦の際にまでそれを行わなくても良いのではという疑問があった。が、決まりごとに異を唱えるきっかけを逃して呑み込んだままだった。
ふと浮かんだ疑問をぶつけられたシュテルンは、すぐにその意図を理解し、苦い表情を浮かべた。「あー……」と呻いて口ごもった先輩の代わりに答えたのは、突如二人の間に割り込んできたフォグだった。
いつも通りの笑みを浮かべた彼は、困ったような顔をしたシュテルンに目くばせをしてから、モーリェの肩を抱いて顔を近づける。
「いいところに気づいたね、っていうか誰も話してなかったんだそれ。意外」
「んー……聞いたけど頭に入りきらなかったのかも」
「うーんあるある。で、それなんだけどさ、昔は全員で挑むこともよくあったらしいんだ。でも一度大変な目に遭って、総動員は避けるようになったって聞いた」
「大変な?」
その一言が気にかかった。
昔話であるゆえ、皆が今よりも未熟だったのだろうという想像はつく。しかしこの体は負傷を快楽に変え、死を小さな損失として済ませてしまう特別製のものだ。
それを以ってしてもなお困るトラブルとは何なのだろうか。純粋に想像がつかず、首を傾げた。
「ほら、僕らって一度死ねば状況がリセットされるわけでしょう。だから捕まえた人間を生かしたまま痛めつける殲獣が一番やばい。そいつに全員捕まったりすると、次の空間跳躍までずっと生き地獄だ」
モーリェは友の話に聞き入り、生唾を呑んだ。ぞわりと背筋に寒気が走り、思わず己の腕を抱えてしまう。そんな少年の耳に唇が触れるほど顔を近づけて、フォグは続きを囁く。
「僕が喚ばれる前に相当やばいのがあったらしいからね。この話はなるべくシュテに振らないほうがいい」
思わぬタイミングで教えられた仲間の泣き処に、モーリェは神妙な面持ちで頷いて、それをしかと記憶に刻み付ける他はなかった。
「……とか辛気臭いことは置いといて、ほらすぐそこだよ管理者区画!」
この話は終わり、とばかりにフォグが背を叩いてくる。モーリェは背筋を伸ばし、思わず笑ってしまうほど浮かれている先輩たちの後を追った。
件の施設は、壁に見せかけた鋼鉄の扉を破壊した先に存在した。十日を超える時間をかけてのマッピングの末、不自然な空白のスペースが存在することに気付き、念入りにその周囲を調査したことで見つかったのだった。
隠蔽された区画にもスライム型の殲獣は潜んでいたが、罠は全く設置されていない。この無機質な迷宮が本来の用途に使用されていた頃、それを管理する側の者たちが使っていた区画だろう――機械の類に明るいフォグとシュテルンがそう推測した。
多くの機械類が並んだ管制室らしき場所で、いくつかのモニターが辛うじて光っている様子も見て取れた。しかし闘人たちはそれらに触らぬよう、静かに扉を閉ざして当初の目当てである場所を目指した。読み解けない言語を無視して機材を弄り、施設の電源を止めるようなことがあっては敵わない。
目指すはその上階、宿舎らしき区画の奥。
辿り着いたシャワールームは、生き残りが半分ほどとなっているやや薄暗い照明をもって客人を迎え入れた。
「意外ときれいだな、床磨かなくても大丈夫そうか?」
「いけるいける」
シュテルンがデッキブラシを手にしたまま屈みこみ、僅かに埃を被ったのみの床に息を吹きかけている。その隣で、シエロが目にも留まらぬ早さで服を全て脱ぎ捨てていた。
「実は僕らもちゃんと浴びてないんだよねえ。せっかく全員分あるんだしみんなでワーッてしたいじゃん?」
「そうだったんだ、優しい」
「でも体がきちんと待ててないですね」
「毎度思うけどそのスピードチンポっぷりほんと凄ぇよな」
「早漏っぽい呼び方つけるのやめてくれる?」
イゾラが軽口を叩いている間に、モーリェが腰のベルトを、ジンリンが背中の留め具を手早く解いてゆく。
誰に命じられたわけでもないその働きに、脱がされている当人は「ありがとさん」とだけ答え笑ってみせた。この一団の長たる堂々とした様子で。
侍従めいた行いをこなした二人の顔には、世話を焼く喜びが浮かんでいる。
「いいなー僕も手厚く脱がされたーい」
「裸で言われても……」
「皮膚脱がします?」
「温度差ッ!!」
モーリェにはきょとんとした顔で、ジンリンには微笑みであしらわれながら裸族が嘆く。
はしゃぐ男たちの浮つきはさらに伝播し、それを見ていた者までもが混ざりだした。
「モーくんー、こっちも着替えしんどいから手伝って―」
呼ばれて顔を向けると、両手足を取り外して地べたに転がり、脂肪に守られた断面を見せながら笑うフォグの姿がある。
「なんでそれ外したの!?」
意味がわかんない、と言いながらもモーリェは楽しげに服を脱がせていった。小さなわがままを笑って受け入れられるぐらいに、友としての二人の仲は深まっている。
裸に剥いてから手足を再び取り付けると、出血のない切断面が音もなく癒着する。準備は整った。
「じゃあボス、号令よろしくー」
「えっ俺なんか言うの? ……よし、行くぞ野郎ども! 文明しゃぶり尽くすぞ!!」
「はい!」「おう!」「いやっほぅ!」「うぇーいっ」「あ、うん」
てんでばらばらに呼応した男たちは、衝立で仕切られたスペースに我先にと入り込んだ。
まだ冷たいシャワーを浴びた者の悲鳴はすぐに歓喜の声へと変わり、久々の――あるいは闘人となってから初めてとなる心地よさに酔いしれていった。
「洗髪剤好きなの使ってくださいねー!」
「はいよーっと!」
「なんでそんなに種類あるの!?」
「ジンが色々買って! 好みじゃなかったやつ回してくるんだよ!」
水音にかき消されないよう大声をあげての会話が続く。モーリェは編んでいた長い髪をほどき、洗おうと洗髪剤のボトルに手を伸ばした。
……が、ふと思い立って動作を中断し、荷物を持って二つ隣のブースの前へと移り扉をノックした。
「イゾラさん、手伝い要る?」
頭を洗おうとした瞬間に脳裏に浮かんだのは、触手で大雑把に頭を洗っているであろうイゾラの姿。
こんなにも文明的な施設に巡り合えたのだから、もっと気合いを入れてきれいにしていったほうが良いのではないのか、と少年は考えていた。洗髪はやはり頭皮に軽く爪を立ててこそであると。
新入りの申し出に、イゾラは戸を開け中へ招き入れることで応えた。いつも悪ぃな、と告げる顔はどことなく嬉しそうでもある。
二人――それも片方は異形のパーツを複数備えた者である――が共に入ったスペースは狭かったが、少なくともモーリェにとっては不満はなかった。シャワーを浴びるイゾラの姿は、いつもとまた違った雰囲気を持っていて、うなじや厚い胸板がやけに色っぽく見える。
「頭から……でいいかな」
「おう、頼むわ」
イゾラは屈託ない笑顔を浮かべてその場に屈みこんだ。モーリェは洗髪剤を使い彼の頭を洗ってゆく。頭頂部からひょこりと飛び出した髪の房には触れないようにしつつ。
自在に動くこの部分もまた、イゾラが保持する生体武装の一つであり、殺傷能力がある。彼の頭に自らの血のシャワーを降らせるわけにはいかない。触手翼から生えた眼球に洗髪剤をかけないようにすることにも苦労した。
ぬかりなく頭を洗い終った後は、持ち込んだタオルで体をこする……はずだったが、不意に手を絡め取られてしまう。
「折角だし一緒に洗おうぜ」
彼は床に落としてしまっていた石鹸を爪の先で取ると、それを触手にパスして弄び、泡立ててみせた。そして泡を纏った触手で、モーリェの身体をまさぐりだしたのだ。
「っ、いいけど、くすぐったい……っ」
「催したんならついでにヌいてやってもいいぞ?」
「今は大丈夫、たぶん……頑張る」
体じゅうをまさぐられながら、相手の肌をタオルで清めてゆく。手を切らないように注意しながら、右腕の剣や尾の先端も。
触手が背やわき腹を撫でる感覚に、モーリェは小刻みに息を吐いて耐えていた。いやらしい気分を呼び起こす状況ではあるが、今は買って出た役割をこなすことを優先させたい。
心地良さそうにモーリェの奉仕を受け入れるイゾラの様子は、何よりも熱く心を満たしてくれた。
「イゾラさん、自分は」
背伸びをして、彼の耳元に唇を寄せて告げる。シャワーの音にかき消されずに済むぎりぎりの声量で。
「闘人になって本当によかった。こうやって、イゾラさんの役に立てるのが、嬉しい」
「……大げさだな」
「大げさなんかじゃない」
紡ぐ言葉に偽りはない。少なくともモーリェ自身はそう強く思っている。
イゾラは少し困ったように微笑み、「悪かない」と耳元で囁いた。
そのたった一言で、今浴びている湯よりも熱いものが、心になみなみと注がれてゆくのだった。