今までも未知との遭遇が続いてはいたが、今回の敵は一線を画している。それらが自らの肉体でもって襲い掛かってくることはないのだ。
モーリェはハンマーを振りかぶり、宙に浮かんでいた敵に突き立てた。曲がり角での出会いがしらの襲撃に、二つの機械を無理やりにくっつけたような殲獣は、針状の弾を連射して応える。
しかし攻撃は誰もいない空間を虚しく通り過ぎた。センサーを失ったそれを地に墜とすのはたやすい。
墜落した機械をなおも殴りつけると、割れた外装からスライム状の何かが漏れ出した。ひと固まりになり逃げおおせようとするそれに、ジンリンが油をふりかけ火をつける。機械を操っていた風変わりな殲獣は、すぐに燃えて消え失せた。
もたもたしていては火災と見なされ、壁面に内蔵された装置に消火剤を浴びせられてしまう。以前の失敗を繰り返さぬよう、素早く残り火を踏みつけてもみ消した。何らかの薬品を炙ったような、独特のにおいだけがその場に残された。
「やっぱり臭い……」
モーリェが不満をこぼす。それは散々口にしてなお言い足りないものだった。
「私は慣れてきまし……あっダメですねやっぱり臭い」
隣に並んだジンリンも、後輩と同様に顔をしかめた。
厄介な作業ではあるが、これを行わずして施設を攻略することはできないだろうという確信があった。先ほどの小さなスライム状の殲獣は、この施設に多く放置されている機械に入り込んで闘人を狙うようなのだ。逃がしてしまえばそれはどこかでまた新たな体を得て襲い掛かってくることとなる。
再生蟲を身に宿すものがいないことも含め、異色の殲獣であった。
「印、つけちゃってもいいかな」
「お願いしますね」
新たなエリアに到達した証として、棒状の顔料で壁に印をつけた。ジンリンはすかさずそれを手描きの地図に書き足してゆく。道に迷いやすいつくりをしているダンジョンであるため、マッピングは急務であった。
この施設が備えているのは殺風景な部屋と通路ばかり。そのどれもが金属で作られ、白く塗装されている。
今までモーリェが見たものと比べると、不気味なほど静かで清潔な空間だった。生物が生息しているにおいがしない、それだけでこんなにも違うものなのかと驚く。
曲がり角がある旨を記してから、慎重な探索を再開する。殲獣のいなくなった通路を、ジンリンが連れてきた仔蜘蛛の一体がじぐざぐに進んでいった。羽根を毟られた鳥のような生物は、二対の足でトコトコと歩みながら、時折目一杯の力で飛び跳ねて頭上の罠の有無を確かめてくれる。
「突き当りまでは何もなさそう……ですね」
確実に安全であるとは言い切れない。仔蜘蛛による罠の探知が十全でないことは、仲間が肩に矢を受ける経験をもって理解していた。
二人は壁と床と天井を注意深く観察しながら、そうっと通路を進んでゆく。モーリェの靴音、そしてジンリンの爪が奏でる小刻みな足音が、静かな空間にかつかつと響いた。
そう、いやに静かなのだ。以前はもっと会話が弾んでいた組み合わせであるにも関わらず、いかんともしがたい空気に阻まれて、事務的な会話以外をできないでいる。
理由は何となくわかっていた。ここのところのモーリェが、イゾラの後を追い回しすぎたせいではないか……と。
スープの類を口に運ぶ役、寝る前に体の刃に鎖を巻く役、それらを進んでやるようになってからというもの、時折ジンリンのどこか寂しそうな視線を感じるようになった。
しまった、とは思ったものの、それでも勢いで得た世話焼きの仕事を手放せないでいる。
そんな余計な思考を挟んでしまったせいか、注意力に欠けが生じた。カモフラージュのためのテープを破り、壁から力強く飛び出した巨大な丸鋸の刃が、モーリェの顔面へと迫ったのだった。
咄嗟の後退ができず、背筋に寒気が走った瞬間、肩を強く引かれていた。倒れ込んだ体を受け止められながら、勢いよく回転する丸鋸が鼻先すれすれを通るのをただ見ていた。
一命をとりとめたことに気づいた瞬間、心臓がぐんと早く脈打ちだした。
「あ……ありがとう」
「礼には及びませんよ、ただ、もう少し気を付けて」
ジンリンはそう淡々と告げ、罠の無効化に取り掛かる。
腰に提げていた赤黒い剣のようなもの――曰く、仔蜘蛛を組み合わせて作った『生きた武器』らしい――を掲げて罠を再作動させ、薄い丸鋸を側面から叩き捻じ曲げた。大きく歪んだ丸鋸は潜んでいた隙間に戻れなくなり、何かが空回りする異音をたてた末に動きを止めた。
「……すごい」
「ふふ、伊達にナンバー2を名乗ってるわけじゃないんですよ」
得意げな様子で、壁に仕込まれた同型のトラップを次々と破壊してゆく。
中性的な顔立ちと物腰の穏やかさからしばしば忘れそうになるが、彼もかなりの腕力を持っているということを思い出した。身の細さの割に高出力なその体は、筋肉以外にも何か不思議な力が作用しているのかもしれない。
「ジンさんは強いね。イゾラさんの側にいるのに、ぴったり」
モーリェはそんな言葉を何気なく告げてから、あっ、と小さく呻いた。仕事中に拗ねたような口を利いてしまったかもしれないと。私情を挟むのは安全地帯に帰り着いてからでもよかったはずだ。
すべての丸鋸を処理したジンリンは、仔蜘蛛を再度跳ね回らせて通路全体の安全を確認しながら、いつもよりやや低い声で後輩の言葉に応えた。
「それを言うならモーくんだって。新入りがすぐなついてくれた、ってとても喜んでたんですよ」
「イゾラさんが?」
「ええ」
頷くジンリンを前にして、モーリェはわずかに顔を綻ばせた。自然に笑うことを不得手とする彼にとっては、珍しいほどの表情の変化だった。
「……モーくんは本当に素直ないい子ですね」
少年を讃える言葉はいつも通り柔らかく、優しい。しかしその口ぶりに反して、ジンリンの目は笑っていなかった。
その翳りに気づいたモーリェが、ストレートに称賛を喜んでよいものかと狼狽えた瞬間。
「話をしましょう」
手を掴まれ、身を引き寄せられた。顔を間近で覗き込まれる形となり、さらりと流れた柔らかな金の髪が頬をくすぐる。
「訊いてみたかったことが、いくつか」
叱咤でも軽い冗談でもない、と相手の眼が語っている。その気迫に圧されて一瞬だけ目を逸らせば、彼が従える仔蜘蛛が集まってくる様子が見えた。眼球と口、手足と爪、触手などをいびつに備えたそれらに囲まれ、逃げ場を失ってしまう。
そろそろ向き合わなければ、と覚悟を決めるに十分な舞台が整った。
「イゾラの隣、狙ってます?」
「……ん」
少年は神妙な面持ちで頷く。憧れによるものなのか、いわゆる愛情というものなのかは判別しかねるが、あの誰よりも強い雄を追いかけていたい気持ちは確かだった。
「ジンさんも、同じ」
「ええ。だから今、どうしたものかなって具合になっていまして」
優しい先輩として慕っていた男は、女性的ないでたちにそぐわない低い声で、囁くように告げる。見上げた顔は険しく、どこか苦しそうに見えた。
十歳以上年上の先輩に威圧されながらも、思考は意外な透明さを保っていた。肝が据わっていますね、とよく褒めてくれるのは、他でもない目の前の男だったことを思い出す。
「でも、邪魔だからっていびって追い出すようなことはしないと思ってる、絶対」
「……どうしてそう言い切れるんです?」
「ジンさんはみんながいい感じに暮らすために一番頭を使ってる。新人を潰す勿体なさぐらい、絶対に知ってるから」
相手の眼を見据えながら、淀みなく答える。連ねた言葉には自分なりの確信があった。
「ぼくは……ジンさんと争いたくはない」
一息に告げて、反応を伺う。水のヴェール越しの視界で、先輩は大きく息を吐いて少年の肩を解放した。
「そう……ですよね。仲間割れなんてしていられない以上、なんとかこう、するするっ……とうまくやっていくしか。ごめんなさい、変に威圧しちゃって」
「ううん平気、でも少し……びっくりした」
覇気を失い、申し訳なさそうに理由を告げたジンリンを前に、モーリェはその場にぺたりと座りこんでしまった。
冷静に受け答えをしていたつもりではあったが、相応に緊張してもいたらしい。安心した途端に足腰から力が抜けてしまう。
「本当に申し訳なく……あっなんだかすごい恥ずかしくなってきた……」
その元凶は脚を畳んで座り込み、自らの頭を抱えている。ついカッとなって、などという言い訳が似合いそうな、そんな様子で。
「別に怒ったりしてないから、元気出して」
「ありがとうございます……」
「それでええと、イゾラさんの着替え役は二人がかりと交代にするのどっちがいいだろうって」
「そういうところ本当にしっかりしてますよねモーくん。まあ別に私が仕切ってる訳ではないので、好きにするべきかと……でも私としては半分は譲りたくないかな……」
世話を焼かれる当人がいない中で着々と相談が進む。元より衝突を避ける気質である二人の、精一杯のぶつかり合いは早々に幕を閉じようとしていた。
「まあそもそも私、既にフラれてるんですけどね」
「え……ええ!?」
「あのすっとこどっこいはたぶん、先代の首領と……彼が遺した席と添い遂げるつもりでいると思うんですよ。群れで最も強く、頼もしくなければならない、って」
「添い遂げる……?」
少年は思わず身を乗り出し、相手がぽつぽつとこぼした語りに聞き入った。当人にはおいそれと訊けなかった、彼が見ているもの、見てきたものの話に。
「仲間であると同時に皆の主であって、その中の一人に深く入れ込むことをせず。単に憧れの人が忘れられないだけかもしれないですけど。……忘れるのは無理かな、私だって忘れられない」
「なんとなく聞いてはいたけど、そんなすごい人だったんだ」
「ええ、それはもう……苛烈さが服着て歩いているような人で。怖かったけれどとにかく頼もしくて、彼のおかげで今の生活を確立できたのは確かです」
懐かしげに語るジンリンの声色は優しかった。過去の闘人たちを束ねるに足る者だったのだろう、ということが窺い知れる。消え去ってなお想い人の心を離してくれない相手だというのに、憎むことができないらしい。
「このままずっと、あの人の背を追いかけているイゾラの周りをうろうろするだけ。って思っていたんですけどね。モーくんの元気さを見ていたら、諦めるのは早いような気がしてきたんです。悔しいことに本人もなんだか嬉しそうですし」
「……自分には、ジンさんがいるときのほうが嬉しそうにしてるように見えるけど」
「どっちもどっちかなあ……こうなったら二人で引っ張ってみますか」
「うん」
モーリェは大きくうなずいた。既に消失したという先達に思いを馳せながら。顔も知らない誰かを羨む気持ちはしばらくくすぶりそうだ。
「それにしてもモーくんはその冷静さが素晴らしいですよね、ここでやっていくなら落ち着きがあるに越したことはないですから」
「ん、そうかな……ありがとう」
「十代だったころの私なんて、モメた末に殺し合いしたりしてましたよ」
「意外と血の気が多い」
口ぶりから察するにただの冗談ではないようだった。仲間との揉めごとなど似合いそうにない彼も、今の物腰に落ち着くまでには時間が必要だったらしい。
やけに愛らしいこの笑顔は、どれほどの血を浴びながら作り上げたのだろう。想像するとなんだか恐ろしくなったので、話題を打ち切るべく通路の先を指さした。
「あの、そろそろ次、行ったほうが」
「ですね! じゃあ続きと行きましょう」
ジンリンも提案を呑み、仔蜘蛛を跳ね回らせて再度のトラップ探知に戻った。ようやく危険の排除を終えた通路に、また手分けをして印をつけてゆく。
何事もなかったかのように着々と作業を進める姿は、彼らの生真面目さを語っていた。
地図への記入を終えて次の部屋へ。二人はロックのかかっていないドアの両端にへばりつき、剣の先で勢いよくドアを開けた。
その瞬間、巨大な刃のついた振り子が、先ほどまで二人がいた位置に飛び込んでくる。真正面にいては頭が二つに割れていただろう。
二人は目を合わせ、はあ、と大きく息をついて胸を撫で下ろした。色恋沙汰――なのかどうかは未だわからないが、少なくともジンリンはそう認識しているらしい――にかまけて罠にかかるようなことは避けたい。気持ちを切り替えなくてはならない。
「ところでモーくん、フォグのことはどう思っています?」
もはや慣れたものとなった即死トラップが止まるのを待つ間、ジンリンがぽつりと問う。なぜ突然その名が出てきたのかを理解できず、モーリェは首を傾げた。
「えっ、うん、いつも頼もしいよ。……フォグもイゾラさん追いかけてるの」
「そういうわけではなく。んー、うーん、えーっと、まあいいか」
「あっ振り子止まっ……おぅわ!?」
「覗き込んだら危ないですよ」
扉の先へと顔を出した瞬間、第二の振り子が宙を薙いでいった。次の部屋もそう簡単に侵入を許してはくれなそうだ。
「意外と気づかないものなんですね……」
ぽつりと呟いた言葉は、罠に対してのコメントとして聞き流された。