絶命のユーフォリア

絶命のユーフォリア

#06 1-6

 剣を手にしたまま屈みこみ、獣の死体を観察する。妙に長い脚といびつな頭を備えた獣は、殲獣ホイルと称される好戦的な生物の一種だ。その生態は多種多様であるが、闘人レイズドに対して好戦的である点が共通している。
 今しがた屠ったばかりの物言わぬ殲獣ホイルを見つめると、前脚の付け根に〝ある〟ことを感じ取ることができた。右の瞳に湛えた海が、そこに同胞がいるのだと伝えてくるのだ。
 モーリェは目当ての場所を剣で浅く切り開いた。すると傷口から短い紐のような生物がぬるりと這い出してくる。眉をひそめながらも指先でつまみあげると、それは血まみれの身をくねらせて少年の手を獣の血で汚していった。これに対する嫌悪感を払拭するのはしばらく時間がかかりそうだ。
「どうぞ、これ」
「ありがとう、モーくんもだいぶ手馴れてきたね」
 あっという間に死んでしまうという生物を素早く差し出す。それを受け取ったのは、脇腹に大きな引っ掻き傷を負ったフォグだった。
 彼はその場に座り込み、種子蟲グラフタに似ているが比べるとかなり小さな生物――再生蟲フレシュと呼ばれている種類のもの――を傷に這わせる。
 この寄生生物は宿主の再生を促すが、体を作り変えるほどの力はない。再生蟲フレシュはせわしなくうねりながら、血を流す傷口へと潜り込んでいった。
 フォグはそのさまを見つめながら熱っぽい吐息を洩らす。
「っ、ぁ……っ、効く……すごい効く……」
 その様子を見守っていたのはモーリェの他に二人。普段より規模の大きい探索チームを組むことになったイゾラとシエロが、手当が済むのを待っていた。
 傷口の肉が盛り上がり、繋がって、もとの姿を取り戻してゆく。そのさまを見ていたシエロは首を傾げた。ただいつも通りに傷を治しただけなのに、フォグの反応がやけに楽しそうだったゆえに。
「なにそれ、新種か何かだったの?」
「ううん、いつものだよ。でも後輩が採ってくれた後輩力の高い一匹だからさ、心に染みる」
 モーリェが闘人レイズドの仲間入りを果たしてから十五日が経過していた。
 フォグにとっての後輩が存在することのありがたさ、すなわち自分が一団の最年少ではなくなったことへの喜びは、まだ勢いよく燃え盛っているらしい。
「そんな力こめた覚えはないんだけど……」
「いーや入ってるね、たっぷり入ってる。僕にはわかる」
「何でもいいからシャキシャキ進もうぜ、ほら立った立った」
 イゾラが触手翼でフォグを小突く。はぁい、と応えて立ち上がるべく床についた手の片方は、透けた不定形の物質に挿げ替えられていた。
 彼が得た生体武装グラフトの一つである〈篭絡端子パグロイディア・アセンブラ〉の力で、両手足を他人や他の生物のものと入れ替えられるのだという。服でも着替えるかのような気軽さで、すぽんと腕を取り外すさまを初めて見たときにはモーリェも驚いた。
 いつもの調子を取り戻した四人は、湿った暗い通路をひた進む。灯りには拠点でも使用していた光る石を用いていた。棒をくくりつけ、松明状にしたものだ。
 暗闇の中で暮らしている殲獣ホイルたちは光で怯むものが多く、戦いを有利に進められるだろうとみな考えていた。しかし深層に進むほどに狂暴な性質のものが増え、慣れぬ光に狂乱するようになり苦戦を強いられている。
 が、その事態を嘆く空気はなかった。先達たちにとって、この程度の苦労は慣れたものであるらしい。
「しかし再生蟲フレシュ持ってるやつ多くて助かったねえー。この調子だとあと何日かで攻略できるんじゃない?」
「前々回もそんなこと言ってたけどさ、結局時間ギリギリだったでしょおじいちゃん」
「おじいちゃん……」
「そこテキトーなこと言わない! 新人が覚えそうになってるでしょ! そもそも今の長老はイゾラだからね、僕よりひとつ上」
「でもお前のほうが動きがオッサンくさいじゃん」
「はーよっこいしょーとか言うし、酒飲んだとき『かーっ!』て鳴くし」
「あーはいはい悪うございましたねジジイで! ほら例の場所とやらに着いたんじゃないの? ここでしょ? 僕ジジイだからわかんないや教えて若い衆」
 無駄口を叩くうちに行き着いたのは、一見して行き止まりのように見える場所だった。
 扉が取り払われた小部屋には壁のみが存在している。床がなく、天井もない、四角い縦穴だ。モーリェが恐る恐る穴を覗き込んでみると、底の知れない暗闇が広がっていた。
「何これ、井戸……?」
「エレベーターの跡じゃないかな」
 フォグが告げる言葉は聞き慣れないもので、モーリェは頷きかねた。疑問が表情に出てしまったのを読み取ったのか、フォグはにこやかに続きを話してくれる。
「機械仕掛けの昇降機さ。施設のてっぺんから底まで簡単に移動できるやつだよ」
「あ……そうか、これって拠点の開かずの扉と同じ」
「そういうこと。で、この縦穴に飛び込めば、一番下まですーっと降りれるって寸法だよ。調べてみない手はないよね」
「そっか、それで斥候を……シエロさんよろしうおああっ!?」
 何気なく振り返ったモーリェが、素っ頓狂な声をあげて後ずさる。縦穴に落とすまいと、フォグがスライム状の手で腕を掴んで支えた。
 驚くのも無理はない。この場所を調査するために探索に加わっていた男が、やや離れた場所に、なぜか素っ裸で立っていたのだから。
「なに、それ」
「いやあほら、確実にダメにするなら脱いどいたほうがいいでしょー?」
 唖然とするモーリェの前で、シエロは片膝を立てて座った。そして銀の長髪を手で束ね、持ち上げる。
 閉じた目はいつものレンズ越しではなかった。彼が体の一部であると主張している伊達眼鏡は、畳まれた服の上で主の留守を守っている。
「じゃあ、よろしく」
「おう」
 合図を待っていたらしいイゾラは、裸の男の背後に立ち、髪の束に触手を絡みつかせた。そして髪を強く引っ張り頭の向きを調節すると、
「そーらよっと!」
 気安い掛け声と共に右腕を振るい、シエロの首をすっぱりと切断してみせたのだった。
 絶句するモーリェと、まったく動じずにいるフォグの目の前で、頭を失った男の体が揺らぐ……が、それが床に崩れ落ちることはなかった。
 手をついて踏ん張った体のてっぺん、勢いよく血を噴き出した切断面が、もこもこと膨らんで形を変えてゆく。赤黒い肉塊は瞬く間にかさを増し、一部を変質させ、新たな頭蓋骨を生んだ。
 さらに眼窩と顎から飛び出した肉塊が、眼球、筋肉、皮膚を素早く作り出してゆく。最後にそれらすべてを隠すように髪が伸び、再生が完了した。開いた目はいつもの気だるげな雰囲気を取り戻している。
 モーリェはあんぐりと口を開けたまま、その様子を見ている他なかった。シエロの再生能力の凄まじさは話に聞いていたが、失われた部位を――それも人間なら切り離されれば即死である頭部を――やすやすと作り直してみせられてはただ驚くしかない。
「で、こいつが獲れたての新鮮な頭でございますよーっと」
 つかつかと歩いてきたイゾラが、安らかに目を閉じたシエロの生首を差し出してくる。モーリェは生首とそれを持つ男の顔を交互に見てから、観念してそれを受け取った。
 頭は想像以上にずしりと重い。うっかり触れてしまった切断面は、不自然に作り出された皮膚で覆われていた。
「どうしたらいいの、これ……」
「俺らにも顔が見えるように持っててくれ」
 言われた通りに生首の向きを変える。その持ち主は相変わらず裸のまま、辺りを歩き回り「うーん」と唸っていた。
『やっぱりロープ結べそうにないねえ』
 本体と残骸が同時に喋り出したため、少年は生首を取り落としそうになった。
 すんでのところで踏みとどまり、首の断面を覗く。気管と肺がぶら下がっているわけではないことを確認して首を傾げた。
「俺とフォグで持つぞ」
『んー、無くていいや。ロープあっても無事に帰れなそうな気がするし』
「あっ、あの、なんで頭だけで普通に喋って」
 モーリェの問いに対し、シエロは裸のまま得意げに解説を始める。股間のものが頭を上げてしまっている件については言及しないことにした。おそらく先ほどの斬首のせいだろう。
『まず再生能力がね、僕の二つめの生体武装グラフト、〈潰えざる肉叢トライクラッド・リフレクシア〉の力。そしてもげたパーツを動かせるのが、一つめの生体武装グラフトの〈泣別れ機構プレスティオド・ブラト〉の力。初めて芽吹いた力がこれ、って知ったときはびっくりしたなあ。こんなもんどう使えばいいんだって』
 つらつらと語りながら、裸の男は石の松明と剣を拾いあげた。そして縦穴に近づき身を乗り出す。せめてパンツぐらい持ってきなよ、という忠告を涼しい顔で聞き流しながら。
『だからモーくんも、その目にしょっぼい使い道しかなくってもしょげないでねえ。種子蟲グラフタ増やしたら元のと噛み合う体になるかもしれないからさ! いってきます!』
 悠長なアドバイスを残し、シエロは底の知れない穴へと飛び込んだ。手にしていた灯りは瞬く間に遠くなり、名もない星のような小さなものになってしまった。
「おぅっふ!!」
 モーリェの腕の中で生首が呻く。
「だっ、大丈夫!?」
「へーきへーき、足折れただけ。すぐ治るよう」
 相変わらずの間延びした声が安堵を呼ぶ。彼の能力なら砕けた骨ぐらい簡単に再生させてしまうのだろう。
「どうなってるの?」
「だだっ広い空間があるみたいだね。足元にはえーと、イソムシ? クツムシ? とにかくその辺のでかいやつが山ほどいるけど、襲い掛かってはこないや……あ、なんか入口以外ほとんど水没してるっぽい」
 シエロの生首は淡々と状況を伝えてくれた。足元がぬるついていること、やけに生臭いにおいがすること、歩くだけで次々と虫を踏んでしまうこと。
 想像するだけでつい顔を歪めてしまう新入りに対し、二番目に年かさだという男はどこまでも落ち着いている。慣れがもたらしたものなのだろうか。
「えーと、フロアを取り囲むように細ーい道があるよ。ちょっと回ってみ……あっ!!」
「どうした!?」
「水の中に何か……でっか! うわぁ!!」
 実況がにわかに焦りを帯びだした。三人は真剣な面持ちで斥候の声に聞き入る。
「なんだこれ! ワームかな! とにかくでか、あああああああっ!?」
「シエロさん!?」
「……呑まれた……ぁ、っ」
 悲鳴がやけに艶を帯びたものとなり、モーリェも状況を察した。これ以上の偵察は期待できないだろう。持っていった剣はその役割を果たせなかったようだ。
「えーと、この下にはでかくて臭い水場があって、そこにバカでかいニョロニョロがいる。と」
種子蟲グラフタの、気配が、する……よ、こいつ、が、巨殲獣へぶほ……っ」
「マジか、サイズとかもっと詳しくわかるか?」
「よく、見えなかっ……っぁぁ、かなり、素早くてっ、消化液、吐いっ、ううぅっ」
「なんか、相当さそうだね……ところでいつまでその喘ぎ声聞いてればいいの僕ら」
「も、ちょっと……で、窒息、するから、待っ、て」
 イゾラとフォグは慣れた調子で生首との対話を続ける。抱えた頭の持ち主、巨殲獣ヘヴ・ホイルに呑まれ今まさに息絶えようとしている男に、新入りは思いを馳せた。
 化物の体内に捕らえられ、生きながらにして消化されるのはどんな心地なのだろう。体を肉の檻で締め付けられ、肌を溶かされながら意識を失う……つい想像してしまい、おぞましさと背徳的な期待が身を駆け巡った。
 しかし今はこんなことを考えている場合ではない。我に返ったモーリェは、巨殲獣ヘヴ・ホイルを狩る方法について話し合いを始めた先輩たちに混ざるべく、二人の話に聞き入った。……が、
「近づいてる」
 シエロがぽつりとこぼした言葉で、話し合いは中断された。
「置いてる、頭のほうに……すごい勢いで、近く」
 その意味を汲むことができなかったモーリェの前で、他の二人が顔つきを変えた。にわかに緊張が走った通路で、シエロはできる限りの大声で告げる。
「昇ってる!!」
 何が? 何を? 少年が状況を理解するより早く、イゾラが爪で元来た道を指し叫んだ。
「下がれ!!」
 返事もないがしろに、床に置いていた剣を手にして走り出す。逆手でシエロの長髪を掴み、壁にぶつけることもお構いなしの必死さで通路を駆けた。それを指示した者の表情には、そうさせるだけの気迫があった。
 一方でフォグは自らの腹に手を突っ込む・・・・・・・・。腹筋を縦に裂いている亀裂は、痛みも流血もなく主の腕を受け入れた。
「伏せて!!」
 力いっぱい叫びながら、生体武装グラフト・〈歪庫境界アピス・シークェル〉が作り出した〝生ける荷物袋〟から目当てのものを素早く掴み出す。そして手早くパーツをひとつ抜き取り、縦穴へと力いっぱい投げ込んだ。
 三人が身を伏せてすぐに爆発が起こった。耳を殴りつけてくる轟音に混ざり、甲高い何かの鳴き声が響く。購買網レプライヤで運良く購入できたという手榴弾は、上手いこと標的の出鼻をくじくことができたらしい。
 煙が収まるまでの間、固唾を呑んで敵の出方を待った面々の前に、巨大なみみずのような生物が顔――だったと思われる場所を無残に潰された姿――を見せた。
 豪快にえぐれ、肉がめくれあがった口で獲物を呑むことはできないだろう。そう判断したフォグは、とどめを刺さんと歩み寄りながらまた〈歪庫境界アピス・シークェル〉をまさぐる。
「もう一発ぶちこんでやればイきそうだね! ごめんねシエロ!」
 しかしその行く手を阻むものがあった。駆け足で前に出たイゾラが、右手で道を塞ぎ制止したのだ。
「やけに活きがいい、頭なしでもまだまだ動くぞ」
「どうするの?」
「三つ四つに切り分ける」
 縦穴に歩み寄る背中が、あとは俺の仕事だと語っていた。いつの間にやら触手で複数の灯かりを抱えていたイゾラは、大蚓を輪切りにするべく縦穴を覗く。が、
「うおっ!?」
 降りる取っ掛かりを見つける前に、勢い良く身を翻した。穴を這い昇ってきたもう一体の大蚓を避けたのだった。
 目も鼻も見て取れない、丸い大きな口に無数の牙だけを備えた襲撃者は、通路にいたフォグに向かって突進してくる。とっさに回避行動を取ることができなかった獲物は、頭から喰らい付かれてしまった。
「てめぇ!!」
 しかし仲間はそれを許さない。イゾラはすぐさま大きく刃を振り上げ、大蚓の身を力いっぱい切り裂いた。刀身は太い身に深々と食い込んだが両断には至らない。
 巨殲獣ヘヴ・ホイルは金切り声をあげながら身をよじり暴れ狂った。通路に置いていた荷物を散らかしながら。
 圧倒的な質量がイゾラを襲い、跳ね飛ばして壁に叩き付ける。噴き出した血を塗り付けるように一撃、階下へ退きながら振り回した頭でもう一撃。受け身を取りそこなった体を、容赦のない体当たりが襲った。
「が……ぁ、っ」
 鼻血が垂れる。胸が痛む。肋骨が傷ついたことに気づきながらも、戦士はお構いなしにまた右腕を振るった。刃は大蚓の口を掠めたが、それだけだった。
 上半身を襲った痛みは高揚を呼ぶ。イゾラは通路を見やり、一連の攻防をただ見ているだけだったモーリェへ、血に塗れた凄絶な笑顔を見せた。
「ありったけの松明持ってきてくれ!」
 そう言い残すや否や、イゾラは縦穴へと飛び込んだ。ずりずりと後退する速度に自由落下で追いつき、頭部を避けて、先程負わせた傷のすぐ下に主武装である右腕の剣・〈斬讐者アルティカ・レム=ルフ〉を突き立てる。
 凶器は重力を味方につけ、強靭な筋肉を容赦なく切り裂いた。身を縦に切り裂かれ、大蚓はますます激しく暴れ回る。
「うおらああああああああああああああっ!!!」
 振り落とされぬよう、体中に生えた刃物を次々と突き立ててゆく。その際に発した咆哮ウォークライは、大急ぎで松明を拾い集めていたモーリェの脳を揺さぶった。イゾラの勇ましさぼうりょくは少年の魂を惹きつけ、狂わせる。
「シエロさんは!?」
「先行ってて、僕はまだ時間かかる!」
 やむなく床に置いた生首は再生を始めていた。むくむくと膨れた肉が首と胸を形作ろうとしているが、一瞬でというわけにはいかない。少年は先輩たちの言葉に従い、単身で戦場へと駆けた。
 四角い穴を覗くと、暴れる大蚓とその陰に見え隠れする灯かりが見えた。イゾラが触手翼に絡めて持って行ったものだろう。しかし激しい攻防の中で滑ってしまったのか、光が遥か下へと消えていってしまった。
 行かなければ。モーリェは意を決して縦穴へと飛び込んだ。死んでも死なない、と自らに言い聞かせながら。
「っとぉわっ!?」
 逆手に松明を入れた袋を、利き手に剣を持ってのダイブ。重傷、あるいはこの挑戦によって死ぬことも覚悟していた少年は、意外にも狙った場所へ飛び込むことができた。イゾラを喰らわんと身をくねらせる大蚓の隣、無残に爆破されたもう一体の頭へと。
 めくれた肉を踏んで滑った足は、むきだしになっていた消化器へとはまりこむ……が、そのまま呑まれることはなかった。肉に剣を突き立てて踏み止まったために。
「これを!」
「でかした!」
 松明が入った袋を差し出すと、それはたちどころに効果を発揮した。薄い布の袋は石の光をよく通す。視界を取り戻したイゾラは、爪で獲物の肉を裂きながら下降し、一カ所を執拗に切り付けていった。青い体液を体中に浴びながらの、狂気の連撃だった。
「っしゃあ!!」
 イゾラが勝ち誇ったような声をあげると同時に、潰れていないほうの頭がずるりと滑り落ちた。身を両断されたのだ。辺りを包んでいる、腐った水の臭いがいっそう強まった。
 防戦一方となった巨殲獣ヘヴ・ホイルは後退を続ける。体勢の立て直しを図っているのか、逃げおおせようとしているだけなのかはわからない。二人が理解できるのは、このまましがみついていれば施設の下層に引きずり込まれることだけだった。
「勝てそう!?」
「どうだかな、下に着いたらまだまだいるかもしれねえ。できる限り殺してくる、お前さんはフォグを頼む……っと」
 言葉を交わす間に深層へとたどり着いたらしい。頭をやられた二体のワームは、侵略者を振り落として縦穴から逃れた。
 縦穴の底にあたる、エレベーターの残骸の上に、三人――うち一人はまだ捕らえられている――が残される。イゾラは触手で松明を掴み、その先のフロアへと進んだ。どこか楽しげに歪んだ口は、殺意を湛えた尖り歯をぎらぎらと覗かせている。
「……っと、フォグ、どこに」
 モーリェはイゾラの背を見送りながら、袋をかざして大蚓の残骸を探る。まだ痙攣している身を観察すると、ぬめった肌がぽこりと膨らんでいる場所があった。
 膨らみの端に剣を突き立て、一思いに切り開く。すると傷口から見覚えのある手が飛び出してきた。スライムと換えていなかったほうの手は、消化液のせいか痛々しく爛れている。
「生きてる!?」
 急いで傷口を広げ手を引くと、肌という肌を真っ赤に弱らせたフォグが力なく這い出てきた。咥内も消化液にやられているようで、荒い呼吸と共に粘ついた血を吐き出している。モーリェは側に控えて彼が落ち着くのを待った。消化液がついた手のひらがひりひりと痛んだ。
「ありがと……マズっちゃった、ね」
 息も絶え絶えに紡ぐ言葉は、今までの例に洩れず艶を帯びている。黙って休んでと言いたいところを堪え、語りかけた。
「今イゾラさんがあれを追いかけてる、一緒に戦えそう?」
「無理、かな……目をね、やられちゃった」
 閉じた目からは血が流れていた。酸で傷ついてしまったのだろう。頭から生えた触角もとろりとしょぼくれ、抜け落ちた髪と絡まって、ダメージの重さを言葉なく語っている。
「これ、最後の、持ってって」
 フォグは力なく腹に手を突っ込み、握り拳大の何かを取り出した。火のない松明のおかげで、それが手榴弾であることがすぐにわかる。先程も目にしたその威力、そしてなかなか補充のチャンスがない品と聞かされていたことが、受け取る手に緊張を生んだ。
 わかったと告げて、切り落とされた巨殲獣ヘヴ・ホイルの肉を睨む。再生蟲フレシュが採れたならと思ったものの、その気配はなかった。
 フォグはここに置いていくしかない。種子蟲グラフタ由来の自然治癒力――シエロの〈潰えざる肉叢トライクラッド・リフレクシア〉とはまた異なる、みなが備えているゆっくりとしたもの――で眼が治るのが先か、大蚓の残党に再び呑まれるのが先か。前者であることを祈るほかはなかった。
「これで体拭いて! いってきます!」
 シャツを脱いで渡し、剣を腰に括った鞘にしまう。そして利き手に手榴弾を、逆手に松明を持って駆け出した。靴底が虫を潰す感覚が不快だが、歩きたくないなどとわがままを言える状況ではない。
 段差を跳んでフロアに降り立った途端、モーリェは息を呑むこととなった。弱々しい灯かりが照らし出しているのは、シエロが言っていた通り、ほぼすべてが水没した大部屋。腐臭のする水場のふち、狭い足場から落ちないように刃を振るうイゾラが対峙してたのは、先程のワームの残党たちだった。
 その数は三体。虫を啄む鳥のように捕食を試みては、すんでのところで避けられたり、右腕で切り裂かれたりを繰り返している。それらの体を辿ると、水面の近くで一本に収束していた。傷付いて退いた二体もまた同様に。あれらはひとつの個体だったようだ。
 いつもなら戦場を縦横無尽に駆けて殲獣ホイルを切り裂いてゆくイゾラも、足場の悪さが災いして存分に戦えないでいるようだった。朽ちた手すりの残骸が、大蚓の突進を受けて次々と折れていった。
 一緒に水に落ちてしまったとしたら、はい上がる前に呑まれてしまうだろう。彼なら体内から敵を切り裂けるかもしれないが、それが得策であるとは思えなかった。
 ひとつの頭をそれで仕留めたとしてもまだ二体は残る。捕食を諦めたワームから執拗な体当たりを受けたり、ずらりと並んだ牙で丹念に頭を砕かれたりする可能性もある。
 仲間の、そして最も憧れている者の窮地を前に、こんなところで身を竦ませていることが悔しくてたまらない。
 ――いや、悔しいだけで終わらせてはならない。今の自分は逞しく生きる闘人レイズドたちの一員なのだから。
(もう、黙って見てるだけのぼくじゃない)
 少年は歯を食いしばり、ぬるついた床を蹴って走り出した。
 どうにかして状況を打開しなくては。頻繁に足が震えるひよっこに何ができるんだ、という思いはあったが、右手にしかと握ったとっておきが弱気を許さなかった。
 これを託した者に応えなくてはならない。滲む汗で手を滑らせぬようにと用心して、ますます呼吸が荒くなる。
(やらなきゃ!)
 命の綱渡りを続けるイゾラを目で追いつつ、急ぎ足で通路を進む。暗闇の中で暮らしていた殲獣ホイルが相手なのだから、音や匂いですぐに感づかれることになるだろう。立ち止まっていたとしてもそれは同じだ。
 ほどよく近づいた、と判断した場所で足を止めた。頭のひとつがモーリェのほうを向いたが、美味しくいただかれる前に一矢報いなければならない。
 この小さな兵器の使い方は知っている。少年は手榴弾のピンに歯を立て、硬い感触と金属の味に顔をしかめながら引き抜いた。そして腕を大きく振りかぶり、自身が得た唯一の攻撃手段を、力いっぱい投げつけたのだった。
 手榴弾は巨殲獣ヘヴ・ホイルの体にぶつかり爆裂する――というイメージを添えて投擲したつもりだったが、いかんせん腕力も技術も足りていなかった。
 やけにゆっくりとして見える動きで、大きなアーチを描きながら落下する手榴弾は、大蚓の体に届かない。
 水没してしまえば不発に終わるかもしれない。仕組みを知らないモーリェはそう考えて焦り、悔しさに歯を食いしばった。
 水さえ。水さえなければ!
 憤った瞬間、体内で何かが弾けるような感覚に襲われた。身体が奮え、身の毛がよだつ。右目に生じ、すぐに持て余した何らかの力が、真っすぐに解き放たれた。
「え……!?」
 水面が避けた。水が不自然な波となり、手榴弾を避けるように割れたのだった。
 大きな波を伴って裂けた水の合間を、爆発物が音もなく落下してゆく。驚くモーリェの目の前で、それは大蚓の腹らしき部分に転がり、爆ぜた。
 爆風と水しぶきが二人を襲う。モーリェは背後の壁に叩きつけられ頭を打ったが、イゾラは触手をクッションとして衝撃を和らげた。
 室内に響く爆発音に張り合うかのように、大蚓はぴぎいいいいと耳障りな声をあげている。そして五つの頭を大きく振り回しながらのたうち回った。
 それを好機と見たイゾラは、背後の壁を蹴って勢い良く飛び出した。
「もらったァ!!」
 標的を見失った頭のひとつに、触手翼でしがみついてぶら下がる。目一杯伸ばした左右の触手の先端を絡め、ワームの肌のぬめりを利用して、ロープウェイの要領で長い体を滑り降りていった。
 巨殲獣ヘヴ・ホイルが異物を振り払おうとしたときにはすでに遅く。多頭の付け根にたどり着いたイゾラは、身を翻して分かれ目に飛び乗ると、大きく腕を振りかぶって獲物を斬りつけた。青い返り血にまみれながら、何度も執拗に。
 不届き者を振り落とさんと大蚓が暴れれば、イゾラは爪や尾の刃を突き立てて抵抗した。自らの体を釘として利用しながら、次々と頭を切りつけてゆく。大きく切り裂かれた頭は制御を失い、ぐにゃりと傷から折れて垂れ下がった。
 死角に入られてしまった大蚓は防戦一方となっている。イゾラに背を奪われた時点で勝敗は決していたようだ。
「死ねえええええええあああああああッ!!」
 剥き出しの殺意を雄叫びに乗せて、最後の頭に刃を振り下ろした。〈斬讐者アルティカ・レム=ルフ〉の常軌を逸した切れ味によって両断された頭は、激しく波打ちながらもおおよそ元の形を取り戻した水に落ちる。
 ほどなくして敵は完全に力を失い、背に乗せたイゾラを道連れにして水中へと沈んでいった。
 勝ったのだ。巨殲獣ヘヴ・ホイルに。
 偵察で済ますはずの冒険はとんだ大仕事になってしまった。そんな中、新入りにしては健闘できたのではないだろうか。
 緊張が解けた途端、壁にぶつけた頭の痛みが強まった。意識が薄れ、立っていられなくなる。せめて水場に落ちないようにとその場で尻餅をついて、
「よかっ、た……」
 意識を失う前に小さく呼びかけた。
 腐臭のする水の中、藻に足を取られて悪態をついている男には届かなかったが、モーリェの安堵は後に寝顔によって伝えられることとなる。