「この……やろ……ちくしょうッ!!」
悪態は獣に向けたものであり、浅はかな己に向けたものでもあり、さらにはこの場にいない者への八つ当たりでもある。
ありったけの力を込めて突き出した刃は、双角の兎の背を容赦なく穿った。骨を断ち肉を裂いて、下腹から飛び出し地面にかする。獣を確かに屠ったという手応えを感じた。
敵はまだまだいる、素早く次の獣を斬り殺さなければ。命の危機に急かされながら、亡骸から刃を引き抜こうとする……が、うまくいかない。不必要なほどに強く押し込んだ刀身は、こわばった肉に捕らえられずしりと重たくなっていた。
剣を捨てて逃げるという選択肢はなかった。意識の問題ではなく、そもそも自身とそれを切り離すことができないのだ。
「どけえええええええッ!!」
半裸の少年は声を張り上げ、短い真紅の髪を振り乱した。一切の余裕のない苦い表情で。
足元へ伸ばした右腕は、二の腕の半ばから赤黒く変色し、片刃の剣へと形を変えていた。その一方で、左腕は根本に近い部分を残して消失してしまっている。断面は頼りない皮膚で守られており、奪われてからある程度の月日が経ったことを表していた。
ちぐはぐな体に翻弄されながら、少年は刃をがむしゃらに振るい、どうにか獣の死体を振り払った。しかしその隙を見逃されるはずがない。
群れで少年を襲った角兎は、先鋒を失いながらも果敢に突進を試みる。左脚を狙う一体を蹴り飛ばし、同朋の亡骸を飛び越えて襲ってきた一体を切り伏せた。正面から飛び掛かってきたもう一体を返す刃で殴ったとき、背中に衝撃と鋭い痛みーーそして肉体が正常であれば感じるはずのない感覚ーーが走った。
「ぐ……ぅっ」
いつの間にか背後に回り込んでいた角兎がいたらしい。飛び掛かられ、鋭い角で背を刺された少年は、その場に踏み止まることができず地に膝をついた。ハーフパンツから覗く脚が土にまみれる。
とっさに手をついて身を支えようとするが、左手はすでに存在せず、右手は関節も指もないものに変わっている。突き立てそびれた赤黒い刃は地を滑り、刈られた野草が飛び散った。
やめろ、と唸るが聞き届けられるはずもなく、獣たちは転んだ少年へと群がる。間近で見る獣の口には鋭い歯が並んでおり、顎は肉を噛み切るための形をしている。兎に似ているから草食だろう、と安易に判断した自分をただひたすら呪った。
角兎たちの猛攻は止まない。体勢を崩した敵に容赦のない追撃を浴びせてくる。角で突き刺し、脇腹
に噛み付き……そのたびに激痛が走るが、それだけではなく。
「やめ……っあ、ああっ……!」
呻く声には確かな悦びが混ざっていた。常軌を逸したつくりとなった体は、痛覚をトリガーとして性的快感を呼び起こす。痛みを塗り潰すほどの快楽に、少年の思考能力はますます弱り、反撃の機会を得られないままただ嬲られ続けることとなった。
頸動脈を噛み切られないようにと、首の近くで刃を振り回すことが精一杯。髪がわずかに切り離されて辺りに舞った。
まずい。これでは“また“死んでしまう。
恐怖は感じなかった。それ以上に少年の心を埋め尽くしていたのは怒りだ。
腕を奪った者たち。虐げられる立場でしかいられなかった自分。武器を手に入れてなお醜態を晒しつづける己の弱さ。そしてもう一人ーー
「いつまで寝ているつもりだクソガキ!!」
どすの利いた怒声が空気を揺るがした。少年をいたぶっていた角兎たちが、ぎゅう、とくぐもった声をあげて倒れてゆく。
現れたのは若い男だった。不機嫌そうな顔つきと、ひどく血色の悪い肌が目に付く男だ。腰のベルトに短剣を提げていたが、それを抜くことはなかった。
彼が右手で獣を指さすと、その先にいる個体は呻きながら逃げ、あるいはその場で息絶えた。指先を小さく動かすたびに、右手首の傷から滴った血が弾丸のように放たれ、呪いめいた無慈悲さと正確さをもって敵を撃ち抜くのだ。
獣たちは力の差を知り、いっせいに逃げ出していった。犠牲を払ってなお縄張りを守れないと悟った以上、全滅する前にすみやかに居を移すしかない。
多くの角兎が逃げ去ったあとには、死んだ獣と手負いの獣、そして体中から血を流しながらも生き延びた少年が転がっていた。乱入者は仏頂面のまま歩み寄り、まだ息のある獣の頭を踏み砕く。そしてその足で少年の胴を掬い、無理矢理に天を仰がせた。
土まみれになった少年の顔には、安堵も感謝も浮かんでいない。
「放っとけって言っただろ!!」
声変わりの済んでいる声で吠える。少年は顔いっぱいに憎しみを湛えて、自分を助けだした男を睨みつけた。男は顔色ひとつ変えずにそれを聞き届けると、少年のむき出しの腹を容赦なく踏み付けた。
「っぐッ!?」
「帰るぞ」
男は痛苦に身をよじる少年の足を掴み、背が擦れるのもお構いなしに引きずっていった。手を煩わせた罰だとでも言うかのように。獣道を通り、草の中を引きずり回してその先へ。少年が浴びせる語彙の少ない罵倒を聞き流しながら。
たどり着いたのは森の中に建つ石造りの建物だった。神殿か何かだったと思しきその場所は、本来の住人たちを失ってなお、おおよその形を保ち続けている。
男は少年を引きずったままその中へと入り、大広間の床へ乱暴に転がした。土と草を掃き出された床は、でこぼこで硬くはあるものの、草が背に刺さらないぶん森の地面よりはましだった。
呻く少年をよそに、男は広間の中央に存在するものへと歩み寄り、指先で触れた。
それは宙に浮かぶ巨大な立方体だった。人の背丈ほどもある、闇夜に虹を重ねたような色の何かが、つるりとした表面に文章と図形を映し出している。男がそのいくつかを手早くつつくと、異なる場所に反応が現れた。
男の背後、床に転がされていた少年の傷が瞬く間に癒えてゆく。傷口が塞がると同時に、移動の際に塗り込まれた土がぬるりと排出された。
満身創痍だった少年は、即座に起き上がれるほどに回復した……が、左腕だけは失われたままだった。
「レイノ」
少年は忌々しげに男の名を呼びながら、体のばねを使って立ちあがる。
刃の峰を使って土を掃うものの、破れた服はどうにもならなかった。
「なんで助けた」
「ガキがくたばりかけてたからだ」
「俺がどこで死のうが勝手だろ!?」
少年は治療を受けてなお感謝を示さず、がむしゃらに男に食ってかかる。頭を下げてしまえば全てが折れてしまう、とでもいうかのように。傷は癒えたが所作は手負いの獣のままだ。
レイノは大げさにため息をついてみせたかと思うと、少年の間近にまで歩み寄り、返事の代わりとばかりに頬を力いっぱい殴り飛ばした。
衝撃でよろめいた肩を掴み、みぞおちにもう一発。少年は小さくうめきその場にくずおれた。
切れた唇から新たに血が流れている。眼は相変わらず激情にぎらついているが、右手に備えた刃で男を解体しようとはしなかった。
「19F」
レイノは少年の前に屈み込むと、血と泥で汚れた顎を持ち上げて、ぐいと顔を近づけた。
「お前の傷を治すのに使った額だ。蘇生なら120Fかかる。あの場で殲獣に食い殺されていたら、6倍の出費だ」
「……っ、それは……俺が自分で取り返す……」
「稼げてねえから言ってんだろうが!!」
地の底から響くような声で叫ぶ。少年は次に訪れるであろう仕打ちに備え、きつく目をつむり身を強張らせた。……が、新たな痣を増やされることはなかった。
「ここじゃあ死ぬにも金がかかる。ひよっこは一人で出歩くな」
「ピヨピヨとか新入りとかうるせぇな!! お前が勝手に仲間に引き込んだんだろうが!!」
「そうだ。協力しろ」
「それが人にモノ頼む態度かよ!?」
「お前が聞き入れないからこうなってるんだろう。それとも一人で野垂れ死にたかったのか?」
否定してしまえば嘘をつくこととなる。少年は強く歯を噛み締め、罵声を浴びせることを堪えた。言葉を連ねるほどに己の無様さが浮き彫りになると、悔しいながらも察して。
"仲間入り"をしなければ、治療や蘇生の余地もなく死んでいたであろうことは事実だ。異形の腕はその際に半ば押し付けられるように備えさせられた。腕を取り戻せるかもしれないと先達たちは言ったが、生えたものは憎悪で研がれたような剣だった。
「イゾラ」
男が口にした名は、ここに来てから与えられたもの。『システムが割り当てたから』などという、彼にとって訳のわからない理由で。しかし実の名を教えてやるのも癪に障るので好きに呼ばせることにしている。
レイノはイゾラの右腕ーー異形と人肌の境目を掴み、片手に体重を乗せて床へと押し付けた。
そして自らの手首に牙を立てると、躊躇なく肌を食い破り、溢れた血を少年の腕へと滴らせる。それはするりと形を変え、縄のような姿となって腕を拘束した。両端が床石の隙間に打ち込まれると、刃を振り回すことができなくなり、武器はすっかり無力化された。
「こいつは畜生にもぎ取らせるためのもんじゃねえだろうが」
「んなこたわかってんだよ!!」
結局堪え切れずに吠えてしまう。レイノはますます目をぎらつかせたイゾラに跨がり、組み敷いた。そして相変わらずの不機嫌な面のまま、相手の首筋に舌を這わせていった。
イゾラは身を強張らせ、息を呑む。嫌悪と憎悪、そして期待が思考をぐちゃぐちゃに掻き回した。
「焦るな。落ち着いて生体武装を飼い馴らせ。先人の知識を拒むな。俺でももう一人でもいい、使えるものは何でも使え」
「俺に……」
指図すんじゃねえ、と怒鳴ろうとしたが叶わなかった。レイノが口を大きく開き、首筋に強く噛み付いたゆえに。
人間離れした鋭さを持つ犬歯は、果物を食むかのようにたやすく肌を突き破る。レイノは喉を鳴らすことなく、突き立てた牙から直に血を吸い上げた。
奪ったものはどういう仕組みか自らの血潮となり、己の意志で自在に操ることができるようになる。これが彼が得た異能であり、異形であった。
「や、め……っ」
イゾラは足をばたつかせて抵抗をするが、その動きはひどく頼りなく、形ばかりのものとなってしまっている。
首筋に走る激痛は堪えようのない快感を伴った。痛覚を引鉄として生じるこの快楽は、後付けの器官と力を得る際に必ず生じる副作用である。
「……っ、あ、ああ……」
蹂躙は長々と続く。次第にイゾラの表情がとろけ、口を半開きにしたまま時折呻くだけとなった。
未だ被虐の悦さに慣れない少年にとって、吸血がもたらす快感は刺激が強すぎる。ただの出血とは違う、命を直に吸い上げられているのだと感じながらのゆるやかな失血は、愛撫に似たもどかしさと心地よさがあった。
イゾラは小刻みに身を震わせてこの仕打ちに耐えている。しかしレイノの手がそっと脇腹を撫でると、少し高い声をあげてからぐったりと脱力してしまった。
無意識にきつく閉じていた眼を開くと、ひとすじの雫がこぼれた。頬は紅潮し、吐息はやけに熱い。
ようやく首筋から顔を離したレイノは、涙をぺろりと舐め取り「それでいい」と呟いた。その顔は先程よりも血色が若干良くなっているが、まだ不健康な色であることには変わりがない。
「俺らを頼れ」
ぼんやりと征服者を見つめる少年の耳元で告げる。暗示をかけるように。
しかし囁かれた当人は駄々をこねるように首を振り、掻き消されぬよう守ったなけなしの敵愾心を構えた。
「説教やめろ……やるならやれよ変態ホモ野郎……」
抵抗はしないが、恭順の意を示すわけでもない。初めてではないこの態度に、ひっかかるものを覚えたレイノは、ただ黙ってイゾラの顔を見つめた。
しばしの静寂の後、少年が業を煮やして口を開く。
「もう勃たなくなったのかよ、タマなし」
連ねる言葉は挑発。できる限りの汚い言葉を使ってレイノを煽るが、罵られた当人は顔色を変えずに何かを思索していた。
「何か言えよ! ヤれよ! 男を殴りながら犯すのが好きなんだろ!? ほら!!」
力を得た直後に起こる発作ではない。何か他の――
「……何もされないほうが辛いのか」
イゾラは口をつぐみ、目を丸くした。痛いところを突かれたと顔が語っている。そしてまたレイノを睨みつけると、よりいっそう声を荒くして吠えだした。
「何ワケわかんねえこと言ってやがる」
「しらばっくれるな。お前がここに来る前に何をやらかしてきたかは知らん、聞くつもりもない。だがその贖罪に体よく俺を利用しているのだろうな、ということはわかる」
「……ぐ……」
少年は反論しかねてまた歯を食いしめた。後ろめたそうに逸らした目が、指摘が的外れなものではないことを示している。彼は嘘を苦手としていた。
「まあ……構わんさ。何でも使えと言ったのは俺だ」
心中を言い当てたレイノが怒りを見せることはなかった。何らかの制裁を覚悟していたイゾラは、それが訪れないことに、そして相手が突然見せたサディスティックな笑みに、息を呑み身を震わせる。
「刑吏でも拷問官でも務めてやろう。それで気が済んだら現実を見ろ。意地を捨てた最善策をもって俺を超えてみせろ」
「言われなくたってやってやるよ!!」
売り言葉に買い言葉。契約は果たされた。
レイノは癒えたばかりの手首に再び傷をつけると、いくつかの血の針を作りだし相手に見せつけた。これでお前を痛め付けるのだという宣言のために。生命を脅かすことなく苦しめる方法などいくらでもある。
廃墟の静寂を引き裂いて、苦悶と隠しきれぬ悦楽の声が響いた。
最中に彼らの仲間がひとりやってきたが、行為を咎めることはなかった。ここに彼ら以外の人間はおらず、死と貞節が軽んじられる独特な倫理が横たわっている。
ずたぼろの少年が突然召喚された地は、謎の高機能装置『死生匣』が導く、コンピュータゲームめいた生存競争が続く空間群だった。
◇ ◇ ◇
イゾラが左手――異形のものではあるが――を手に入れるまでに約一年半の時間を要した。鋭く巨大な爪を備えた手は、何かを切り裂く以外の用途にまったく向かず、相変わらず日常の細かな作業に難儀した。しかし段々と器用な使い方を身につけ、今では爪の先で豆をつまむこともできるようになっている。
壊さぬように煙草を吸うことを覚えたのは、左手を得てから二年後。当時はとっておきの贅沢だった煙草は、さらに十年が経った今では、日常的な気分転換の供となっている。経験の蓄積、稼ぎの増加とそれに伴う余裕を生んだ。
イゾラは爪の先で器用にマッチを擦り、くわえた紙煙草に火をつけた。死生匣が提供する、唯一かつ気まぐれで不条理な購買システムで買い付けた品は、かなりメンソールの効いたものだった。
「……はー」
戯れにリング状の煙を吐き出す。すぐに飽きてしまい、俯いて空き缶に灰を落とす。その顔に幼さはもうない。
ガキみたいなことをしやがって、と横やりを入れるはずの者は眠りこけていた。二日前からずっと。
「レイノ」
出会ったころとは違う、柔らかな声色で名を呼ぶ。返事はない。イゾラはあぐらをかいたまま、隣の男をちらりと見やった。
レイノは無機質な小部屋の隅に横たえられていた。よく眠るようになったのは数十日前からのことだ。不調は徐々に進行し、ここ最近では起きている姿のほうが珍しくなってしまった。彼はその意味するところを知りながら、焦りもせずただ静かに運命を受け入れようとしている。
はじめは死生匣によって死を克服したつもりでいた。仮想通貨の貯えがあるときには、情事の一環として命をなげうつことさえある。生命の灯が消える瞬間、闘人たちはとびっきりの快楽を享受した。
しかし召喚され共に戦う者が増えだしたころ、死は消失という形で再び彼らのもとを訪れたのだった。
それは体調や精神状態の変調など、何らかの予兆を伴って襲い来る。ある者は霧となって消え失せ、またある者は樹となって土に根付いた。わけのわからないことを叫びながら拠点を飛び出し、そのまま二度と帰ってこなかった者もいる。
彼らに共通するのは、死生匣が保持する名簿からきれいさっぱり消え去り、もう蘇生が叶わないということ。レイノもじきにそうなる。あるいは今すぐにでも。
胸騒ぎを感じて目覚めたイゾラは、今日の探索を仲間に任せ、レイノの隣で一日休むことにした。さらに増えた異形の器官をしんなりと縮こまらせながら。
「おい」
不意にかけられた低い声に、イゾラは尾をぴんと伸ばして応える。
「やっと起きたな、おはよ」
「ああ……」
レイノは緩慢な動きでマットから身を起こし、目をこすった。いつも以上に血色の悪い顔を見て、イゾラは触手(背から生えている)で自らのうなじをいじり、服の留め金を外す。布がはらりと落ち、首から胸にかけてがあらわになった。
「吸うか? ってか、吸え」
身を寄せ、首筋を見せつけながら告げる。しかしレイノは眠たげに目を伏せるだけだった。
「要らん……それより、こいつを」
彼が求めたのは、床に置いてあった煙草の紙包み。中から一本を取り出してくわえ、「火をくれ」と告げる。イゾラは煙草をくわえ直すと、その先端を相手の煙草へと押し付けた。
熱が静かに受け渡される。煙をあげはじめた頃合いを見て身を離し、煙草をふかす姿をただ見ていた。まだ眠たげな眼はここではないどこかを見ているようだった。
「なあ」
少し枯れた低い声で、囁くように呼びかけてくる。忌ま忌ましくて仕方なかったこの声は、いつしか何よりもイゾラを惹きつけるものへと変わっていた。
「今日は噛み付いてこないのか」
「何億万年前の話してんだよ、もうガキじゃねえんだぞ」
イゾラは困ったような顔で笑った。笑うしかなかった。
かつての悪鬼のような厳しさはどこへやら、最近は活動時間の減少とともにやけに丸くなってしまった。そしてたった今、十年以上前に過ぎ去った時間をうっかり掘り返すぽんこつに堕ちたらしい。
その意味するところは、今までの仲間たちの消失から肌で感じていた。胸騒ぎが当たってしまったようだ。哀しく、少しだけ嬉しかった。いつか必ず訪れる瞬間に立ち会えることが。
レイノは大きく煙を吐くと、「そうだったな」と頷いて目を閉じ、力なく笑った。
「あの駄犬がよく育ったもんだ」
「おかげさまでな」
「お前は……まだ、やれそうか」
「ったりめーよ、俺はジジイになるまで居残ってやる」
「そう、か」
満足げに笑った顔が崩れだした。閉じた眼から粉のようなものがこぼれたかと思うと、瞬く間にその色が顔全体に広がり、頭だったものがさらりと流れてしまったのだ。
それは灰だった。戦いの中で鍛えられた体も、煙草を手にしていた手も、すべてが灰となって崩れ落ち、閉め切られた部屋に舞った。
咳込んだイゾラがやっと目を開くと、寝床には大量の灰とレイノが着ていた服、そして吸いかけの煙草だけが遺されていた。
煙草を拾い上げ、残りの葉をふかす。やがて灰にいくつもの雫が落ち、嗚咽が静寂を破った。