「更新入ったね」
「うん」
モーリェの細い指がディスプレイをなぞる。『大きな音、火薬、狙い打つ』とコメントされている写真をつつき、すぐに大きく映し出されたのは、カラフルな塗装が施された筒状の兵器らしきものだった。
見ず知らずの、どこに住んでいるのかもわからない者たちが、その品を使用している映像が次々と再生される。彼らはみな笑顔で、ごった煮の状態で再生される音声はどれも歓喜を孕んでいる。
兵器であることを期待して表示した商品は、爆発音と紙吹雪を撒くだけのおもちゃであった。
道理で安いと思った。心の内で呟き、ウィンドウを閉じた。
「ふぁ……ぅ」
あくびを噛み殺し、目をこすって作業に戻る。画面との睨み合いは長時間に及んでいた。
購買網が提示する膨大な数の品物をくまなくチェックし、今すぐ必要なアイテムを探す作業。普段はできる範囲でかいつまんで閲覧しているリストを、二人は手分けして網羅しようとしていた。
モーリェは商品リストの前半、フォグは後半に目を通している。これから行う作戦のために、できる限りの火薬類と道具を集める必要があった。
「あっ……フォグ、燃料油入りのタンクがあったよ。ひとつ32F、在庫三つ」
「サイズは?」
「これくらい。持ち手はついてる」
フォグが持ち場を離れ、モーリェが担当している画面を覗いて考えこむ。そして「むぅ」と唸りながらもすぐに答えを出した。
「全部買おう」
「わかった」
言われるままに操作を行い、購入手続きを行う。無機質な商談は即座に成立し、死生匣の側に樹脂製のタンクが現れた。何も存在していなかった空間に忽然と。
床から少し高い位置に出現したため、落下してごとりと音をたてたが、破損はない。無事を確認したモーリェは、すぐさまそれを所定の置き場所へと運んでいった。
二人の寝ずの作業により、必要な物資はおおよそ集まりつつある。リーダー代理の指示による、資産を大胆に消費しての調達が功を奏した。
程なくして、その指示を下した当人が拠点へと戻ってくる。
「ただいま……ごはん、何かありますか、ごはん」
「今出す、ちょっと待ってくれ」
「追加で何か買おうか? ちょうど今何かのスナックが出てる」
「お願いします!!」
モーリェたちとはまた違う作業を行ってきたジンリンは、ひどくやつれた顔をしていた。仔蜘蛛を孕んで腹が膨らんでいるため、そこに生気を吸われているようにさえ見える。
彼の肩を支えながら歩いてきたシュテルンは、急いで荷物の箱を漁り、いくつかの紙箱と袋を開けて手渡した。普段の行儀の良さはどこへやら、ジンリンは食べかすがこぼれるのも厭わず急いで食事を掻きこむ。
その背後には仔蜘蛛たちが控えていた。グロテスクな姿をした小さな従者たちが、一か所に集まり大人しく身を寄せ合っている。その数は三〇を超えていた。
「これ、全部……産んできたの……?」
「ん。……っふ、う゛ぉえっふふ」
「あっあのごめん、ご飯食べ終わってから聞く」
頷いた弾みにむせてしまったジンリンの背をさする。真っ先に休息を取って貰わなければと思いながら。
その間にシュテルンは保存食と飲料の入った箱を持ち出していた。選び出したシリアルの袋を開けて腹にあいた口――〈骨喰い洞〉に流し込む。仲間内で不人気だったものを消費しながら、眠そうに目をこすりつつ話を切り出した。
「ジンはちょっと休んでてくれ、俺らは食いながら話そう」
フォグもまた食事を選んで床に座る。モーリェもその流れに続き、ビスケットを口に運んだ。甘さが身に染みわたる。
「外回りお疲れ様。首尾は?」
「全部すり潰せた……と思う。罠の奥に巻き込まれてたやつはかなり苦労したけど、とにかく動きは止めた」
拠点を離れた二人が行っていた作業、その一つは今までの探索で散らばったシエロの断片を全て処分することだった。
彼が行ったであろう場所を、記憶と地図と探索日誌を頼りに辿り、放置されていた残骸を再生不可能な状態になるまで叩き潰す。
標的を殺した後、万が一にも他の肉片から再生してしまわないようにするための作業だった。巨殲獣による支配の効力が読み切れない以上、悪い可能性は潰しておくに限る。
「まだ腐ってないやつは変に増えててびびったけど、おかげで見つけやすかったからまあ、なんとか。それより子機増やしのほうがしんどかったかな……ジンはあの通りだし俺はチンコから血が出た」
肉片の破壊と同時に進められたもう一つの作業が、ジンリンが従える仔蜘蛛を増やすことだった。
これから行う作戦で大量に使い潰すために、急ピッチで作っては産んでを繰り返したのだという。当人の消耗具合を見るに、かなりの無茶をしたであろうことが伺えた。
「まあ俺のチンコはどうとでもなるとして……そっちはどうだ?」
「はいへ……っん、最低限ほしいものは揃ったよ」
フォグが固いパンを飲みこみながらメモ帳を差し出す。羅列された項目の多くに取り消し線が入っていた。
「手榴弾の類が買えればよかったんだけどね。でも思ってたより油を買えたから瓶を増やそうと思う。持てる限り作っとこう」
「ああ、任せた」
少年は黙って食事をしつつ、二人の状況報告に聞き入っていた。上手く割り込むことができずにいた。
できる限りのことはしたとは思っているものの、本当にそれで足りているのか、と自分の中の慎重な部分が囁いてくる。一時の集中力の不足が物資の買い逃しを招いていて、そのひとつふたつが足りなかったために作戦が失敗するのでは、と。
無意識に俯いて床を見つめてしまっていたモーリェの肩を叩く者がいた。大急ぎの食事を終えたジンリンが、微笑みに疲労を押し込めながら顔を見つめてくる。
「モーくん、先に休んでいてくださいね。私たちももうすぐ仮眠に入るので」
「あっ、うん、わかった」
素直に頷き立ち上がった。今は身を休めなければならない。
寝床に移る前に寄ったのは、先ほどまで散々つつき回していた死生匣の前。表示したままだった購買網の画面をひとまず閉じ、闘人たちの状態を表示するメニューを開いた。
次の空間跳躍までの時間は約一二日。イゾラたちの殺害に失敗した場合、彼らがあの姿でこの残り時間を過ごすことになる。
機械や生物をまぜこぜにするスライム相手ではないが、殲獣によって長時間にわたる拷問のような時間を強いられたことは過去にあったらしい。
生かさず殺さずの責め苦ほど恐ろしいものはない、とシュテルンは改めて語っていた。空間跳躍の瞬間まで救出が叶わなかった結果、特に酷い目に遭わされた三人のうち二人が、すぐに消失の兆候を見せ消え去ってしまったことも。
消失――それは闘人たちにとっての真の死を意味した。心身の不調として表れる前兆を経て、闘人を殺し死生匣からの登録を抹消する現象である。
あの二人が融合状態に消失の引鉄を引かれ、消えてしまったとしたら。
嫌な想像がむくむくと膨らみ少年にのしかかる。それだけは避けたい、早く助け出したい――そのためにはひとまずの休息を取らなければ。果たして眠れるのだろうか。
じくじくと痛む胸を撫でながら、最後に少しだけと死生匣を操作し、闘人の一覧表を表示した。
イゾラとシエロは依然生存中。名簿に記されている二人が、いびつに混ざり合った化物ではないことを確認し、ひとまず寝床に潜りこむことにした。
丸二日ぶりに対峙した年かさの仲間たちは、例の大部屋の中央に座り込んでいた。巨殲獣の宿主だった機械の残骸を背に、大きく足を開いて。
正気を失った二つの頭は、顔を血まみれにしながら何かを貪っていた。野生動物も獣型の殲獣もいないこの空間で、死生匣を介さずに手に入れられる食料――その正体に気づいたモーリェは、全身から血の気が引く思いをしながらもどうにか踏みとどまり、役目を果たすべく声を張り上げた。
「来い! ぼくはここだ!!」
自動扉が閉まらぬようガイドレールを踏みしめながら、入口から大部屋を覗き、討伐対象であり救出対象でもある存在を睨みつける。それらは来訪者の存在に気づくと、手にしていた肉塊を放り捨てて立ち上がった。
眼前に横たわっていた死骸をまたぎ、モーリェのいる方向へじりじりと向かってくる。切り刻まれ、内臓を抉りだされた死体は、青く長い髪を血で汚していた。
「ウ、ア、アア゛……ヴ……」
「ひと……なか……にく……ぅ、にぐ、にく」
イゾラが唸り、シエロはうわ言を口走る。捕捉されたことを確信したモーリェは、彼らの正気を失い血走った眼を見据えながら、一歩、また一歩と後退していった。不用意に視線を逸らせば、その瞬間に首を飛ばされてしまいそうに思える。
標的が走り出したのは、自動扉が閉まりだした瞬間。少年は踵を返し駆けてゆく。扉は開け放たれていた。
「ヴアアアァアァアアア゛ア゛ア゛――ッ!!」
背に咆哮を受けながら、力の限り走り抜ける。少年とは逆方向に向かっていった小さな生物たちが、三対の脚で勢いよく跳ね、一体を屠られながらもイゾラの顔面へと飛びついた。
それは皮膚に爪を食いこませてへばりつくが、異形の手で切り刻まれてしまう。しかし犠牲も想定の内であり、モーリェが逃げおおせる時間を稼ぐことができた。使い潰すべく産み落とされた仔蜘蛛たちはまだまだいる。
モーリェは所定の経路を辿りながら逃げていった。現時点では作戦の通りにことが進んでいる。三度目の曲がり角を抜けると、数多くの仔蜘蛛を従えたジンリンが待っていた。
「順調です。次へ移動を」
「わかった」
頷いて、標的が到着する前にまた走る。多くの仔蜘蛛を一度に動かすのは相当骨が折れるらしく、ジンリンは普段よりも生気に欠ける顔をしていた。
数匹の仔蜘蛛を残しつつ更に先へ。念入りに罠を潰していたため、道を阻むものはなかった。
イゾラとシエロだったものは闘人を追うが、完全に見失うと巣に帰ろうとしてしまう。そこでモーリェが顔を出して注意を引き、予定の経路へと誘いこんでいった。
追い付かれそうになった際の時間稼ぎは仔蜘蛛が行ってくれる。戦力とは言いがたいモーリェがこの役を割り振られたのは、殺された際の損失が少ないゆえ。と彼は認識していた。
誘導はジンリンだけでも可能ではあるが、負担が多い。その一部を肩代わりしつつ、いざという時にはジンリンの盾となる存在が必要だった。
「ここ! ここだよ!!」
曲がり角から呼びかけ、二つの頭がこちらを向いたことを見届けてからまた走る。ターゲットはいびつな身体を揺らし、見た目からは想像がつかないような速さで突進してきた。仔蜘蛛が攻撃を阻害してくれなければすぐ八つ裂きにされていただろう。
「っ、はぁっ、はぁっ……」
「あと少しです、頑張って……っ」
息を弾ませながら誘導する先は、モーリェたちが元来た方向。彼らは自分たちの拠点へと標的を呼びこもうとしていた。
死生匣の前で死闘を繰り広げようという心積もりはないが、利用したい機能がある。
「これが最後!」
ジンリンが苦しげな顔で告げ、残り二体となった仔蜘蛛を配置する。目標地点まであとわずか、足止めはぎりぎり足りそうだ。ささやかな安堵を感じながら、モーリェはラストスパートをかける。が、
「ヴヴォ゛アアアア゛ア゛ア゛――ッッ!!」
イゾラはいっそう荒々しい声で吼えたかと思うと、壁を蹴って跳び、押し潰すように二体の仔蜘蛛を屠った。そしてすぐさま立ち上がり襲い掛かってきたのだった。
「そ――」
そんな、という嘆きが喉に詰まる。モーリェは最後の力を振り絞り、力の限り駆けた。ゴールまではまっすぐな廊下を残すのみとなっていた。
背後に歪んだ獣の殺気を感じる。近づいてくる足音に、背を刺す殺意に心臓を握られながら、飛び込むように大きく跳んで床に身を叩きつけた。巨殲獣の剣が首をかすめた瞬間のことだった。
イゾラが振りかぶった刃が少年の首を刎ねることはなかった。それを振り下した途端に硬質な何かにぶつかり、弾き飛ばされてしまったのだ。
「ガ、ア、アア゛ア゛ア゛!!」
絶叫には苦痛らしき色が滲んでいた。人型の巨殲獣となった二人は、不可視の壁に激突し、動きを止めたのだった。
彼の背後で扉がぴしゃりと閉まる。モーリェはその音に気づかれぬよう、あらかじめ調査しておいた不可視の壁ぎりぎりの場所に立ち相手を煽った。
「ぼくはここだ! 殺してみろ!!」
「あ、う……モ、にく、ひとつに、にく」
「アア゛……ア゛ア゛ア゛、ヴウウウウゥゥッッ」
不可視の壁は、死生匣が有している『安全地帯を作り出す』機能によるものだった。
闘人たちの出入りを許しながら、殲獣は断固として通さない防壁。知能の低下によりその事情も忘れてしまったのか、二人は唸りながら壁への攻撃を続けた。
閉ざされた扉の向こうでは、今まで脇道に隠れていたシュテルンが、ありったけの土や砂利の袋を積んで退路を封じているはずだ。重たいものを落とす音が断続的に空気を震わせている。
巨殲獣はしばし不可視の壁を殴り続けていたが、やがてぴたりと動きを止め、元来た道へ向き直った。触手に備えた眼球でなおもモーリェを凝視しながら。
「帰る気だ、巣に!」
「そうでしょうね。あとは私が」
ジンリンが八本の脚で床を鳴らし歩み出る。わずかな休息時間で呼吸を整えた彼は、愛用の生きた剣を手にしていた。
勝てる。そう信じることができた。万全の状態ならいざ知らず、理性を失いいびつな身体を抱えたイゾラ相手に引けを取るはずがない。凛とした横顔が、モーリェの目にしかと焼き付いた。
「さあ! 遊びましょうか!!」
両手で剣を構え、地を走る蜘蛛に似た動きで飛び掛かる。脳天を割る勢いで繰り出された一撃を、相手は振り向きざまに掲げた刃で受けた。生物が鳴らすものとは思いがたい、硬い音が通路に響きわたる。
「ギ……ッ」
標的は二つの頭で歯を食いしばり、刃を振りぬいてすぐに後方へと跳んだ。不可視の壁の側では戦えない、と判断するだけの知能は残っているらしい。不利を察し、退路を求めて扉を斬りつけるものの、呪いめいた切れ味の右腕を振るってなお道を拓くことはできなかった。
斜めに切断された扉の一部が外れるが、そこからは土と砂利がざらりと流れ込むのみ。先に広がるはずの通路は見えない。
ジンリンがその隙を見逃すはずがなかった。続けざまに繰り出した横薙ぎが、とっさに屈んだ標的の頭頂を掠める。飛び出した毛髪の束と、シエロの長髪の一部が切り離され、宙を舞った。
「ガ、ァ、アア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
標的は吼えながら地に這いつくばり、三本の腕を使って立ち上がりつつの一撃を繰り出す。心臓を狙った攻撃は身のこなしによって躱されるが、続けざまの動きによってジンリンの左腕を切り裂いた。とっさに剣で弾いていなければ、片腕を持っていかれていたはずだ。
イゾラはなおも床を踏みしめ、次は頭から相手のもとへと突っ込んでくる。狙いは剣を手にした右腕だった。刃と化している髪の束――〈刺赫〉は斬り落とされたが、まだ鋭い牙――〈咬業〉がある。
しかし大きく開いた口が噛みつくより早く、ジンリンは前脚による蹴りを繰り出していた。がっしりと筋肉のついた異形の脚が、標的の胸へと力強く爪を立てる。飛び出した肋骨の隙間を縫い、心臓は外しながらも確かに肺を刺し貫いた。
「うぶっ……いたい、っひ、なか……あ、ああ、いた、い」
シエロは血を吐き散らしながら呻く。焦点のあっていない双眸が瞼に半ば潜り、正気を失う苦しさを訴えるように震えていた。
早く終わらせてほしい。モーリェは己の出番を待ちながらひた願った。シエロが『痛い』と訴える様子が、いつものような冗談めかしたものではないことが、容赦なく胸を抉る。この場で悠長に行うべきではない思考をこじ開けてくる。
切実な眼差しを背に受けながら、ジンリンは剣を大きく振りかぶり、叫ぶ。
「戮しなさい! 剣装の仔蜘蛛ッ!!」
魂を叩きつけるような叫びと共に繰り出された斬撃は、イゾラの〈斬讐者〉によって受け止められる。
その瞬間、主の叫びに呼応するかのように、血赤色の剣が真っ二つにぱかりと分かれた。『折れた』ではなく、刀身を縦に裂いて確かに『分かれた』のだった。
ジンリンは二振りとなった得物を即座に持ち直し、二刀流の構えを取る。そして軽く仰け反ってイゾラの攻撃をかわした後、その刃の下に潜り込む形で剣を突き立てた。
一振りを右胸へ。そしてもう一振りで、剣へと変じている右腕の付け根を切断する。できたての断面と、その側に作られた深い傷から血が溢れるが、すぐに新たな肉に覆われて止まった。
「ア゛……ア、ヴアアアアア゛ア゛ア゛ア゛!!」
右腕が床に叩きつけられる硬い音に、苦しげな絶叫が重なる。生じた隙をジンリンが見逃すはずもなく、続けざまの一撃で左腕の〈決奪者〉を刎ね飛ばした。
凶器はまぜこぜにされていたシエロの手と共に転げ落ち、さらにいびつな姿に形を変え始める……が、モーリェがその変容を観察する余裕はなかった。
「あと、すこし……っ」
ジンリンは顔から大粒の汗を垂らし、とどめと言わんばかりに、一対の剣で二人の胸を刺し貫いた。
肺と心臓を破壊し、行動を停止させるために、突き立てた武器を動かして傷を広げてゆく。
瞬時に再生されてしまわぬよう、念入りに。整った顔に血のしぶきを浴びながら。
ターゲットである二人を確実に殺すためには、手足や大きな肉片を極力飛ばさぬよう、致命傷を与える必要がある……と、残されたメンバーは考えていた。
切断個所を減らすのは後の肉片処理のため。そして致命傷を与えるのは、二人を取り戻すため。
真の標的は、ずたずたに刺し貫かれたイゾラたちの胸部から現れた。拳大の血の塊が飛び出したかと思うと、ジンリンの喉へと飛びつき張りついたのだった。
「う……っっ」
呻き、腕でこそぎ落とそうとするが、赤い塊はしぶとく肌に纏わりついて顔へ登ってゆく。
色こそ一昨日と変わっていたが、忘れるはずがない――モーリェたちを苦しめた、あのスライム状の殲獣だ。ジンリンに飛びついた塊はその親玉であるらしく、小さな体から確かな巨殲獣の気配を発していた。
スライムは手近な穴から侵入を試みる。耳、口、鼻、眼窩、そのどれでも構わないらしく、粘体を意のままに変形させそのすべてに潜りこもうとしていた。
ジンリンは剣を捨て、侵入者を食い止めようと抵抗を続けながら倒れ込む。そしてモーリェに向かって力の限り叫んだ。
「やって!!」
絞り出された声により、モーリェの意識は自身の手元へと引き戻された。
ただ圧倒されている場合ではない。躊躇している暇もない。できるなら床に叩き落したものを相手取りたかったが、そうもいかなくなってしまった。
「ごめんっ!!」
そう言わずにはいられなかった。少年は指示された通りに、火炎瓶の先端に火をつけ、数歩踏み込んで巨殲獣のそばへ――ジンリンの眼前へと叩きつけた。
「い゛…………っ」
瓶が割れ、ジンリンの悲鳴を呑みこんで火の手が上がる。近距離からの投擲は狂いなく行われ、巨殲獣に油をぶちまけての炎上が起こった。
油の臭い、スライムを焼く際の異臭、そして髪と肌が焼ける臭い……それらが混ざり合ったものが漂い、すぐに壁面の消火装置によって覆い隠された。
粉末状の消火剤を吸って咳きこみながら、モーリェはとめどなく涙を流す。自らを立たせていた最後の気力が、仲間の顔と共に燃え落ちてしまいそうになっている。
しかしそれでも自らの使命を果たすべく、目をこすり前を見据えた。そして意識を集中させ、巨殲獣の気配を探る。
「……ない……」
先ほどまで感じていた圧が、ない。闘人なら誰もが感知できる、意識を吸い寄せられるような存在感が、確かに消え失せていた。
討ち果たしたのだ。あの厄介な巨殲獣を、この場で、確かに!
「……っ、ジンさん! イゾラさんシエロさんっ!!」
しかし勝利の余韻に浸るには早かった。視界が開けると同時に、残された問題たちが、消火剤の白化粧を纏って浮かび上がってくる。
巨殲獣の支配から解き放たれたはずの二人は混ざり合ったまま。切り落とした腕はまだ蠢いているし、一番の功労者であるジンリンは、焼け爛れた顔を両手で隠しながら痙攣している。とても指示を仰げるような状況ではない。
作戦会議の様子を思い出す。とにかく、イゾラとシエロを殺しきることを最優先に――と、ジンリンは繰り返し言っていたはずだ。
確実に目的をこなせるであろう場所へ向かうため、モーリェは歪な仲間の足を掴む。力いっぱい引きずると、死生匣が作り出した安全圏の中へと引きずり込むことができた。
姿こそめちゃくちゃにされてはいるが、この二人は確かに殲獣から闘人に戻ったのだ。システムに裏付けされた事実を噛み締めると、また涙が溢れた。
「……ぅ、ぐ……っ」
脱力した大人の体、それも二人分が混ざったものはひどく重く、思うように運ぶことができない。
再生によって質量を増しつつあるそれを必死に担ごうとしていると、急いた足音が封鎖されていない通路から聞こえてきた。
「やったか!? やったんだな!!」
息を弾ませたシュテルンだ。通路の封鎖役を務めて締め出されたために、それなりの距離がある迂回路を全速力で駆けての合流だった。
動ける仲間の登場に安堵し、少年は思わずその場に膝をついてしまう。
「うん、仕留めた……でも、ジンさんが、焼けて」
「ことが済んだらすぐに担ぎ込もう。まずはこいつを運ぶ、動いてる肉も持ってきてくれ」
「わっ、わかった!」
新人に指示を出してくれる者のありがたさが沁みる。モーリェはすぐさま立ち上がり、切り離された〈斬讐者〉と〈決奪者〉のなれの果てを掴んだ。刃はぐにゃりと形を変え続け不安を煽るが、その変質は破壊が容易になったことをも示している。
肉塊を抱える方法に難儀している間に、シュテルンはイゾラたちを四本の腕と持ち前の筋力で抱き上げていた。
「急ごう」
頷いてすぐに後を追う。向かった先は同じく安全圏内のほど近い場所だった。
ここに直接巨殲獣をおびき出せたらよかったのに、と悪態をつかずにはいられないような仕掛けが、途中に古い血痕を抱いた通路に存在している。
凶悪な罠の存在により、闘人たちはこの通路の通行を断念していた。しかしその罠が今では役に立とうとしている。
「うおらああああああああッ!!」
シュテルンが仲間の身体を力いっぱい通路へと放る。モーリェもそれに倣い、抱えてきた刃と肉塊を放り込んで、きつく目を瞑った。
しかし予想に反し、四角い通路はただ沈黙を保っている。残された者たちは顔を見合わせた。
「作動しない」
「あー、もっと動かないとダメなのか!?」
シエロの体を跡形もなく潰しきったことがあるというこの装置は、投げ込まれただけのものが相手では発動しないらしい。
しかしあと一歩というところで訪れた窮地を前に、モーリェの思考は意外なほど凪いでいた。
「……ぼくが作動させる」
「待っ」
そうすることが決まっていたかのように、自然と足を踏み出していた。シュテルンは慌てて手を伸ばし引き留めようとしたが、思うところがあったのか、すぐにその手を引っ込めてしまう。
そして困ったような顔で、モーリェの背に一言だけを贈った。
「……二人を、よろしくな」
「うん。フォグも待ってるかもしれないし、大丈夫」
そう告げて、モーリェは笑った。彼なりの精一杯の強がりで。
フォグが受け持った役割は、大広間に残されたシエロの肉片を破壊すること。巨殲獣と入れ違う形であの部屋に入った彼は、確実に任務をこなせただろうか。
この場に合流していないことを見るに、策のひとつであった、肉片と寄生スライムを巻き添えに自爆という選択に至ったのだろう……と思うことにした。体内に入りこまれ、自我を失う羽目にはなっていないと信じたかった。
少年は覚悟を決めて駆ける。ギギギ、と鈍い音が壁の向こうから響き、罠の作動を知らせた。
今から引き返せば、あるいは駆け抜ければ道連れを逃れられるかもしれない。しかしモーリェはそうはせず、床になげうたれた者たちに寄り添い、彼らを力いっぱい抱きしめた。
飛び出した肋骨が胸に食い込むが構いやしない。モーリェは二人の頭を近づけるように抱え、その間に自らの顔を埋めて、震える声で告げた。
「ぼくもいる」
この二日間、彼らを差し置いて自分だけが助かったことを悔やんだが、それも今でお終いだ。お終いにするんだ。その願いを込めて、懺悔の言葉は呑みこんだ。
最期の瞬間に、ふと、イゾラと目が合った。うっすらと開いた目は、いつもの彼の色を宿しているように見えた。
血まみれの唇が、かすかに動く。
「あ、り――」
その後に続く言葉は、話者の死をもって断たれた。
通路の壁がせり出し、凄まじいパワーと質量をもって三人を押し潰したのだった。
イゾラの言葉をかき消した音が、自らの頭蓋骨が割れる音だったのか、それとも臓腑を押しつぶされる音だったのかはわからない。体じゅうのあらゆるものが引き伸ばされ、飛び出し、原形を失った。
激痛を感じたのは一瞬のみで、喘ぐ間もないままに意識が途絶えた。
ぐちゃぐちゃにすり潰された三人は、分かたれるために一度混ざり合って、境界を失った。
くすぐったさを感じて目を覚ました。
首に触れる何かを手で払い、それが他人の髪の毛であることに気づく。持ち主は鼻先が触れるぎりぎりまで顔を近づけ、紫の瞳で少年の目を覗き込んでいた。
「あ、起きた起きた」
間延びした声は聞き慣れたものであり、理性がある。シエロは相手の目覚めを確認して笑みを浮かべた。
数日の間、この〝いつもの〟反応を切に求めていたことを思い出した瞬間、モーリェは身を起こしてその胸に飛びついていた。
「おわっふ!?」
「よかった……よかったぁ……っ」
押し倒さんばかりの勢いでしがみつき、手に力をこめる。二人とも裸のままだったが、そこを気にする余裕はなかった。
蘇生されたばかりの真新しい身体は、汗臭さのない柔らかな匂いがする。折り重なった血の臭い、腐り始めた肉の臭い……彼がそれらから解放されたことが、ただひたすらに嬉しくてたまらなかった。
「シエロさん、ずっとあのままだったら、どうしよう……って……」
「あーうん、相当心配かけたみたいだねえ。でももう大丈夫、イゾラも」
シエロはいつも通りの、どこか困ったような笑顔を見せる。モーリェはその肩を掴んだまま、素早く辺りを見回した。
シャツに袖を通しているフォグと、あぐらをかいて目をこすっているシュテルン。視線が合うなり微笑んでくれた、ひどく疲れた顔のジンリン。
そして彼に服を着せられている最中の、本来の身体を取り戻したイゾラの姿があった。
仲間たちが欠けなく揃っていることを確かめると、目の奥がますます熱くなる。
「おはよーさん」
イゾラが屈託なく笑う。感情のたがはあっけなく外れ、数日前とは異なる温かな涙が溢れだしてきた。
「っ、イゾラさん、みんな……ちゃんといる、よかった、う、うう」
声を歪ませ、鼻をすするモーリェ。イゾラはその側につかつかと歩み寄り、身を屈めて、こつんと額をぶつけてきた。
「ああ、おかげで帰ってこれた。ありがとな。……ただいま」
「うん……うんっっ……!!」
少年はそれ以上の言葉を継げず、二人の先輩に挟まれながら、その帰還をひしひしと噛み締めていた。
一日でも一秒でも、彼らと長く共に在りたいのだと実感しながら。
「あっちょっと待って本体の印持ってくる」
「お前どんだけスペア眼鏡溜めてんだよ」
「んーあと一七個ぐらいあったっけなあ。モーくんも服着てきなよ」
「ねえ誰かジンとシュテ運ぶの手伝ってー」
「座ったまま寝てんの?」
「寝てるの。二人だけ生き残ったっぽいから、蘇生まで神経すり減らして待ってたんだろうね」
「あーマジか、後で埋め合わせする」
拠点はにわかに活気づく。ふたつの寝息を伴奏に、男たちの声が絶え間なく響いた。
そんな賑やかさの中に、萎れた声がただひとつ混ざる。
「……ごめん、みんな。僕を逃がしたせいで、こんな……」
事態が収束したが、少年の胸には一つのしこりが残っていた。
スライムに襲い掛かられたあの時、イゾラが自決を優先していれば、こんなにも深刻な事態にはなっていなかっただろう、と。操られたのがモーリェだったなら、仲間たちにとってまだ御しやすかったはずだ。
その翳りを間近で受け止めたイゾラは、懺悔を聞き遂げた後すぐに、自らの触手のうち一本を少年の口に突っこんだ。
「んぐー!?」
「次そういうこと言ったらチンポで塞ぐからな! ……大事な新入りなんだ、守らせてくれよ」
「えーとかっこいいこと言うかチンコの話するかどっちかにしてくれないかな」
「つまり口寂しいときは弱音を吐けばチンコが来てくれる」
「おっ何だクソフォグ小僧しゃぶるか今すぐ」
先輩たちのふざけた会話が、強引に感傷を塗り潰してゆく。
そのくだらない騒々しさに彼らなりの優しさを感じて、モーリェはこれで最後と涙を拭い、小さく笑った。