依頼作品

有料リクエスト

#-- はとこさんのうわさ

【図書室のうわさ】

「図書室のさ、あの一番奥の席あるじゃん。柱の陰のとこ」
 奥? と訊き返して、果たして本当にそんな場所があったかと思い起こす。よく図書室に足を運ぶこいつと違って、自分はあの空間にあまり馴染みがなかった。
 曰く、ひそやかに読書に耽るにはうってつけの、秘密基地めいたスペースがあるらしい。
「穴場だから狙ってる奴が結構いてさ。おれ以外によく見かける三人と俺で四天王ってことにしてんだけど」
「勝手に四天王入りさせんなよ」
「いいじゃん強そうだし。……で、その紅一点をしばらく見ないなって」
 そう言ってぽりぽりと頭を掻く。窓の外に泳がせた視線は、いなくなった”紅一点”を追っているようだった。
「何年生?」
「わかんない、ていうか顔めっちゃ見たわけでもないから……そこらへん歩いててもたぶん気付かない……。髪が長くてだいたい一つに結んでたんだけど」
「いくらなんでもヒント少なすぎだろ」
 淡々と語る様子を見るに、その子に惚れていただとか、そういった類の話ではないらしい。教室の移動もない休み時間、廊下でだらだらとこぼすに相応しい、重みのない話題だった。
「ハードカバーの小説読んでるっぽい? ことが多かったからさ、何かこう……何かの弾みで話盛り上がったりしないかなって思ったんだけど。まあそんな上手いこといかないなーって」
「薄々感じてたけどお前そういうとこキモいな」
「おれもそう思う」
 非モテはどうやったって妄想力が育つんだよ……と、しみじみとこぼす口元は楽しげで。
 その子がいる小さな空間が、さぞかし心地良さそうなものだったんだろうと窺えた。

 柱の陰に隠れるように座り、ひとり机に向かう背中。
 ひとつに結った髪が椅子の背を撫でる。女の子らしい小さな手がページをなぞり、紙をめくるかすかな音を奏でる。
 わざわざ図書室に来るってことは読書家なんだろう。でかい本は高くつくらしいから、財布を守るために図書室を活用しているに違いない。
 射し込む夕陽から逃げ、少し暗い灯りをたよりに物語をなぞる。
 その子が座っているあいだ、柱の陰はその子の城であり、誰も邪魔できやしない。許されるのはその後ろ姿を見ることだけ。
 物語に呑みこまれているからか、姿勢は少しだけ前のめりになっていて――

「……おーい?」
 俺を呼ぶ声で我に帰った。ぼうっと見ていた窓の向こうに、ろくに行ったこともない図書室を見ていたらしい。
「やっぱり俺もキモいわ」
「何言ってんの?」
 見てもいないものを”思い出した”のは、昨日の夜更かしで疲れている証拠かもしれない。



【コンビニのうわさ】

 コンビニのコラボグッズはすぐ息絶える。原作の人気や客層にもよるけれども、早いものでは取り扱い開始と同時に大人買いされて消え失せてしまう。
 狩人たちがいなくなった後、特設コーナーには空っぽの什器が残されて、嵐が過ぎ去ったことを語っていた。紙製のそれを畳んで片付けたのは自分だ。
 キャンペーン対象品を示すポップたちはきらびやかなままで、いかにも若者受けしそうな愛くるしいキャラクターがこちらを見ている。
 昨日やってきたという女の子も、きっとこのキャラクターたちに見送られて帰っていったんだろう。

 学校帰りと思しき制服姿の少女。小動物めいた動きの彼女が来店したのは夕方のことだったそうだ。
 自動ドアを抜けてすぐ左手、目につきやすい棚に設けられた特設コーナーを、しばらくじいっと見つめていた。らしい。シフトに入っていた後輩が声をかけるべきか悩んだほど長く。
 当店における限定グッズの取り扱いは朝七時から。彼女はそれを知らなかったに違いない。
 什器を片付けてしまったことを悔やんだ。空っぽのそれを残しておけばわかりやすかっただろう。ビニール製のチープなキーホルダーはもうないのだと。
 制服ということは程近いあの高校の生徒だろうか。窓から射す橙色が白のセーラーを染めて、もうおしまいだよと語りかける。
 それでも彼女はまだ諦めがつかなくて、什器があったスペースを見上げている。……そんな様子が脳裏に浮かんだ。顔も知らない相手なのに。

 店長に相談して、まだ捨てていなかった什器を元の場所に戻した。
 からっぽのそれに「○○月○○日 AM7時 第二弾入荷」と張り紙をしておく。例の少女が気づいてくれるといい、と一縷の望みをかけて。
 自分のシフトは主に夜だから、朝の店舗の様子はいまいちわからない。
 伝え聞いただけの存在である彼女が、またここを訪れて張り紙に気づくことはあるのだろうか。気づいたとしてこの店舗を狩場とするかは謎のままだ。
 コラボグッズの第二弾もまたその日のうちに絶滅した。迷い子が再び現れることのないよう、売り切れた旨を書き記しておく。
 制服姿の小動物は、果たしてキーホルダーを入手できたのだろうか。
 勝ち取ったそれを誇らしげに鞄に着けるといい。コラボパッケージの菓子を補充しながら、ふと思った。



【橋のうわさ】

『祖浦大橋の真ん中でずーっと夕陽を見てる子がいるらしいよ』
 この話を耳にしたのは三回目になる。財布に優しいミートドリアを胃に流し込むさなか、隣のボックス席から聞こえてきた、他愛もない話題。
 席を立てばすぐに忘れてしまいそうな、私たちの生活に関係のない――本当に全く関係のない誰かの話だ。
 制服のデザインから、うちに程近いあの学校の生徒らしいことが伺える。そこそこ近所の話、以上の何物でもない情報だった。

 祖浦大橋は海の近くにかかった大きな橋だ。広い川を超えて道路を通すための、なだらかな丘のような曲線を描いた橋。
 観光名所でも何でもない、しいて言うならちょっと遠くを見渡せるだけの橋だ。だだっ広い海と、あまりきれいとは言えない川を、ぼんやりと眺められる……ただそれだけの場所。
 風が強い日の長居は勧められない。特に制服のままではスカートが大暴れしてしまう。
 窓の外を眺めると、空は風のない秋晴れで、今日はぼんやり日和だなあとふと思った。
 その子はどうして橋に佇んでいるんだろう。眩い橙色、もしくはそれが消えてゆく瞬間が好きなんだろうか。
 川や海が好きなのかもしれない。コンクリートでがっちりと固められた面白みのない川だけれど、大量の水が流れているだけでなんだか楽しいだとか、そんなタイプのちょっと変わった子かも。
 あるいは、居場所がなくて。学校からも家からも弾き出されてそこにいるのだとしたら、なんだか悲しいものがある。
 でも厨二病をこじらせている可能性も捨てきれない。橋の上からすとんと跳んで、電柱や倉庫の屋根を蹴ってどこかへ向かう妄想をしていたっておかしくない。気持ちはちょっとだけわかる。
 夕暮れの色でひたひたになった表情は窺えない。私はただぼうっと、その”誰か”の背中を思い浮かべて――
 どしたの? と私を呼ぶ友達の声で我に返った。

 大きく遠回りをして家に帰ることにした。川辺を歩いて、古めかしい階段を昇って、大橋の歩道にずいっと乗り込む。
 そこには誰もいなかった。誰も知らない誰かの代わりに、私めいっぱい夕陽を浴びて、なだらかな坂道を下りていった。
 ――噂の”あの子”は、本当にここにいたんだろうか?