少女がひとり、積みあがった石の上に座り込んでいた。淡く輝く色とりどりの石が崩れることはない。重さを感じていないかのように、ふもとを七色の水に浸けたまま沈黙していた。
彼女はしばらく――ヒトが数えたなら数十年ほど――真っ暗な空を仰いでいたが、ふと思い立ったように石の山から飛び降り、ちいさな足を水に浸した。
辺りを見回せば、眩く光る平野がどこまでも続いている。かつて川底に転がっていた輝く石たちは、そこに収まらない数へと膨れ上がり、この地をすっかり満たしてしまった。
川の水は溢れ、流れは滞り、そこかしこに浅く溜まるのみ。流れによって石を洗い清める機能は、今はすっかり失われていた。
少女はぱしゃぱしゃと音をたてて水の中を歩む。かかとの低い靴が、白い靴下が、水を吸って重たくなることはない。あらゆる生命が負う苦しみも喜びも、彼女とは無縁のものだった。
瞳に星のきらめきを宿した少女は、気まぐれに足元の石を拾い、やや角ばった形を撫でてから放り投げた。もう数えきれぬほど繰り返した行為ではあるが、彼女はそれに退屈さを感じてはいない。彼女は――少女のように見えるこの〝現象〟には――退屈を感じる機能はなかった。
辺りがこのような姿となったのは、ヒトの単位で何億年も前の話だ。
転がる石は星である。星という呼称を得た、魂を持つ存在の可能性である。その者の未来が潰えそうになったとき、産まれたときに持っていた星が代わりに流れ、破滅の未来を回避してくれる。
流れた星は川の流れで洗われ、新たに産まれたものへと流れ込む……そのはずだった。
星の力を持ってしても避けられぬ滅びは存在する。事実、世界は物語を紡ぎうる住人をすっかり失い、星の川辺に星を溢れさせていた。
少女は星の平野をまた数百年歩いた。疲れも飽きも知らぬ身体で、星を踏みしめて、水流の代わりにほんの少しずつ角を削り取って。
「あっ」
そして、懐かしいものとまた巡り合った。
さらさらと水の流れる音がする。どこかで水が流れている。この地を支配した停滞が綻んでいる。
その流れを探し当てるのは造作もないことで、少女は軽い足取りでその行く先を探した。大きな水たまりから流れ出した水は、角の取れた小さな石を巻き込み流れてゆく。
水面を虹色にきらめかせながら、元は水たまりであっただろう窪みに流れ込んで――
「ほゎ」
ざらら、と音を立てて足元が崩れる。つかえが取れたように、石が地の底へと転がり落ちてゆく。
少女の小さな体が、その流れに呑みこまれて、消えた。
草木が茂る地を見るのは久方ぶりだった。それこそヒトの単位で何億年も前のことだったと、緑が薫る空気を知覚しながら思い出す。
星の平野を形作っていた星たちは、一様に灰色の空と荒れ果てた大地を記憶していた。
青く澄んだ空、透明な川のせせらぎ、野を駆けまわる獣……長らく目にすることのなかった光景に、少女は「わぁ」と声をあげ、辺りをふらふらと歩き回った。
踏みしめたはずの草は折れず、泥に足跡が残ることもない。ほんの偶然から星の平野を抜け出してしまったものの、少女は変わらずこの世界の傍観者だった。
澱みなく流れていたころの星の川を想いつつ、下流に向かって川沿いをひた歩くと、川幅は次第に大きくなり海へと突き当たった。
海鳥の鳴く浜辺を歩き、ときに崖を垂直に歩んで海岸線をなぞる。夜明けと日没が何度か繰り返されたのちに、少女は懐かしい姿を見つけることができた。
ヒトがいる。
何やらパーツが増えていたり減っていたりと、記憶にあるものとは少々形が違うものの、それは確かにヒト――かつて物語を紡いだ生物の中で最も数が多かったもの――だった。一対の脚で砂浜を駆け、砂の中から貝をほじくり出している。腰に目の粗い布を巻いた姿には見覚えがある。
少女は彼らの後を追った。そして枯草で編まれた住居を覗き、地べたで眠るヒトたちの姿に小さく微笑んだ。集落を歩き回る少女に声をかける者はいない。
木の枝を振りながら駆けまわる子どもたちの中に、可能性の星がいくつも煌めくさまが見えた。ようやく流れだした星たちが、新たな物語の紡ぎ手たちに宿っている。
傍観者は飽きもせず集落をぐるぐると回り続けた。誰にも気づかれないまま、ただ気ままに、かつて星の川でそうしていたように。
しかしただひとりだけ、少女の姿を目で追う者がいた。
それは母に抱かれながらよく眠っていた赤子だった。やっと首が据わったばかりの、小さく脆い生命が、ぱちりと目を覚まして少女の姿を見とめた。
「あなたは……まだ星のカドが取れていなかったのかな?」
住居内をうろつき、見つめられていることを確かめながら問う。まだ髪もろくに生えていない体に、はるか昔に流れた星の記憶を宿してしまっているのだろう。
ほんの僅かな、物心つく前に消えてしまう程度の残滓が、生と死のあわいに住まう存在を知覚させたに違いない。角の取れていない星を抱えて生まれた赤子は、見知らぬ者の旧い記憶に揺さぶられてよく泣くのである。
少女を見つけてしまった赤子もまた例に洩れず、手を握りしめてわぁわぁと泣き出してしまった。
「ふふ、大きくなってたくさん仲間を増やしてね」
微笑みかけてから住居を後にする。つい長居をしてしまったが、ここは少女がいるべき場所ではないのだ。
思い立ったなら帰路はすぐそこで、踏み固められた土を蹴ってぴょんと跳び――星で埋もれた平野へと降り立つ。ここに在るべきと思った場所こそが彼女の居場所となる。
「……あれっ」
こうやって、以前にも現世からここへ跳んだような記憶がある。何億年か前のそのまた何億年か前、さらにはもっと昔にも。
世界が呪いに満ちようとも、大気が毒に染まろうとも、魂たちが紡ぐ物語が完全に絶えることはないらしい。
何度閉ざされようとも新たな営みが芽吹き、歴史を作る。終末は再生と地続きで、長い長い時間をかけて廻り続けている。
しばらく待てば溜まった星は減り、平地は再び川へと戻るだろう。また川原での散歩をしようと決めて、少女は軽快に歩き始めた。
かすかなせせらぎが聞こえる。終わりの終わりが奏でる音だった。