きざはしとは階段のこと。巨木の幹に生えるそれは、その名前が示す通り、螺旋階段に似た形を描いて育つ場合があるとのことで。
テングノキザハシに登っちゃあなんねえ。天狗に連れていかれちまうぞ。祖父母が時たま口にしていた言葉は、まだ幼かった私の記憶にしっかりと焼き付いた。
しわがれた声で、庭木の枝をばちりばちりと落とすように、忌々しさをはらんだ声色で何度も言うものだから。
サルノコシカケ科に似たその茸は、私の地元ではそう珍しくないもので、山の木々のあちこちに見ることができた。
育った木の幹から飛び出す赤黒いでっぱり。大きくて平べったい石ころをくり抜いて、木の丸みに沿ってはめ込んだような、奇妙な形をしていた。とにかく硬くて、子供がぶら下がれるぐらい強固にくっついている。
しかし伝承の通りに階段を作っているところは見たことがなかった。子供を怖がらせるための作り話の一種なのだろうと、当時は自分なりに考えて納得していた。
名前の通りの姿を見ることができたのは、小学五年の夏の日だった。
親戚が集った家で居心地の悪さを感じ、逃げるように飛び込んだ裏山で、道なき道をいつもより少しだけ深く進んだ。むき出しの脚を草に擦られながら歩んだ先で、見覚えのない巨木に出くわした。
年季を感じさせるその幹には、テングノキザハシがずらりと並んで生えていた。幹をぐるりと回りながら、少しずつ空へ空へと向かうように。どっしりとへばりついた子実体は大きくて、子供の足なら難なく乗せられそうだ。
登ってみよう、と思った。
今ならそう考えた理由がわかる。村の年寄りへの、凝り固まったことばかり言う大人への、小さな反抗心だ。
テングノキザハシに登って、無事に帰って、天狗なんていないことを証明してやる。もし本当に飛んできたとしても、あの長い鼻をぶち折って追い払ってやるんだと。
伝承の中の神や妖怪のほうが、現実を生きる人間よりも御しやすかった。なにせ空想の中にしかいないのだから。事あるごとに難癖をつけてきたりはしないのだから。
私は木の幹に手を添え、樹皮の硬さを手のひらに感じながら、樹上への一歩を踏み出した。テングノキザハシは硬く、子供の体重をしっかりと受け止めてくれる。天狗も気が利くじゃないかと思った。
太い幹にへばりついて、一歩また一歩と慎重に、赤黒い階段を登ってゆく。Tシャツ短パン姿で不格好に木に登るさまは、スカートの裾をつまんで螺旋階段を下りる姫君とは正反対だ。
時折バランスを崩しそうになりながらも、どうにか幹にしがみついて上へ上へと進み、草茂る地面から遠ざかってゆく。日光を奪い合うように伸びた草たちに、テングノキザハシに絡んでいた蔦に、先ほど投げつけられた言葉が重なった。
夏休み前のテストで、ほとんどの教科で学年一の成績を収めた。そのニュースは広くて狭い田舎を駆け巡り、年上だからというだけでふんぞり返っている親戚の大人たちにも届くこととなり。
女がそんなに勉強してどうする、嫁の貰い手がなくなるぞ……と、口々に言ってきたのだった。言葉の蔦で足を絡め、草むらに引きずり込もうとするかのように。
がりがりと音をあげて樹皮に爪を立てる。やり場のない気持ちを燃料に、だいぶ高いところまで登ってしまった。
来るなら来い、天狗。ぶっ飛ばしてやる。内心で威嚇をしてみるが、真っ赤な顔の妖怪は飛んでこない。
ほんとうにぶっ飛ばしたいのは天狗じゃないんだ。そう実感して、溜め息をついた。その瞬間のことだった。
みしり、と嫌な音がして足場が揺らいだ。テングノキザハシが折れたらしい。背筋にぞわぞわと冷たいものが走り、体温がどこかへ落っこちる。
片方の足場が折れたために、もう片方の足場に過負荷がかかった。頼もしく子供ひとりを乗せていた茸が、その全ては抱えきれないとでも言いたげに、根元からぽっきりと折れてしまった。
体がふわりと宙に浮いた。再び幹を掴めないかと伸ばした手は、折れてなお木にくっついていた茸を掴むが、頼みの綱はすぐに千切れてしまう。
急にスローモーションとなった世界のただ中で、天狗とは死を指していたのではと考えた。大人の言うことを聞かない子供は、死をもって天狗に連れてゆかれるのではないか――
言いつけに背いてテングノキザハシを登った私が、そのまま天狗に連れてゆかれることはなかった。
失ったものは命ではなく、ひと月ほどの利き腕の自由。落ちた際に腕を痛め、泣いて帰ったあと病院へと連れられ、ひびが入っているという診断を受けたのだった。
ギブスを巻かれて帰宅した私を迎えたのは、子の身を案じる両親の説教と、玄関のそばに転がっていたテングノキザハシだった。
泣きながら家に帰る際に逆手でずっと掴んでいたらしい。何気なく拾ってまじまじと観察してみると、断面のつぶつぶとした模様が気持ち悪く、なんだか臭くて、それなのに目が離せなくなってしまった。
この茸のことをもっと知りたい、と思った。
それからというもの、私は暇さえあればテングノキザハシを――に始まり、ほかの茸、さらには植物に苔に昆虫も――観察するようになり、頭の凝り固まった大人からはますます冷たい目で見られるようになった。けれども天狗に勝った私の敵じゃあない。
意地悪を言われて落ち込んでいた少女は、あのとき木から落ちて死んだのかもしれない。今の私はその亡骸から生えた頑丈な茸だ。
どうにか両親を説得して進学し、大学の生物学部を経て林業の研究センターに就職した。研究のために地元を訪れ、私の人生を変えたあの階段を調べたこともあった。あれは科学的に説明の利くもので、やはり天狗の仕業ではなかった。
頼もしい師や同僚たちと共に、堂々と胸を張って村を訪れた私に比べ、かつて私を村に押し込めようとした大人は背を丸めて不満げな顔をするばかり。こんな人たちに潰されなくてよかったと切に思う。
「……っていう思い入れがあってね」
私が一通りのことを語り終えると、彼は目に涙を浮かべて私を抱きしめてくれた。今となっては特に辛くもないのだけれど、ただ聞かされる側には重たい話だったかもしれない。
それでも、これから結ばれる相手には、私のルーツを覚えておいてほしかった。
ちょっとした婚前旅行にと出かけた先は、一足早く秋が来た東北の山。山歩きをきっかけに出会った、自然写真家と茸の研究者のカップルは、カメラと手帳を手に活き活きと山を楽しんだ。
しかし今になってふと気づいてしまったのだ。宿で私の歩みをすべて聞き届けてくれた彼は、鼻が高く眉毛が凛々しいドイツ人であり、酒と感嘆で顔を真っ赤にしている。
テングノキザハシを登った私は、結果として天狗に捕まったようだ。