その他創作

読み切り

#-- 手を引いて、かそうのきみ

 黄泉刀ヨモツガタナは使い手に重さを感じさせない。身の丈に迫るほどに大きな、刀とは名ばかりの大鉈を構えた少女は、紫色の土を蹴って弾丸のようにく跳ねた。
「そっりゃあああああっ!!」
 力いっぱい吼え、大鉈を振り下ろす。無骨な刃が獲物を両断した。狐に似た黄泉人ヨモツビト――この異世界に住まう敵性生物をそう称する――は、虹色の霧となって霧散する。
 地に降り立った少女は、勝利に酔う暇もないままに次の敵を見据えた。
 やや小柄なその身を包むものは、要所要所にファーをあしらいながら、胸の谷間から腹にかけてを大胆に露出した服。
 コスプレめいたその姿は、大地、草木、そして空に至るまで色彩が狂った、奇怪な景色によく映えた。
 最後の一匹となった獣は、毒々しく芽吹く草を蹴って逃げてゆく。少女はすぐさまその後を追った。人型の体に備わった、獣の耳と尾をぴんと立てて。巨大な武器を手にしているとは思いがたい、常人離れしたスピードで極彩色の中を駆けてゆく。狐を追い立てる狼として。
 大地はすぐに途切れて崖となった。黄泉人(獣であってもそう呼ぶ)がそこから飛び出せば、少女も躊躇なく宙へと跳んだ。若き戦士の魂が、恐怖ではなく高揚に震える。
 この環境に耐えられるよう、敵を狩ることができるよう、その体は改造を施されている。人食いの異界・黄泉ヨモツにおいても理性を失うことなく、思うままに武器と戦装束を作りあげ戦うことができるように。
 黄泉人の細胞を移植することで強化された身体、そして纏った戦装束の力は、高所からの着地をも可能とする。
 狐とほぼ同時に着地した少女は、跳躍の勢いを乗せて大鉈を振るい、討つべきものを叩き斬った。
 黄泉人を狩る者である神実カムヅミの少女・莉子にとって、このような戦いは日常の一部だった。黄泉に踏み入り、黄泉人を探して狩る。世界のために、自分のために、自分の大切な人たちのために。
 しかし今回の探索場所は少々勝手が違った。
「……花、畑……?」
 甘い、頭がくらくらとするほどの花の香りが、鋭敏な嗅覚を刺激した。
 踏み荒らしてしまったのは純白の花。花も葉も茎も白いそれが、地面を覆い尽くしている。
 野原と呼ぶには整然としすぎた、しかし庭と呼ぶにはあまりに広いその地に佇む影があった。
 莉子よりもずっと背の高い、黒ずくめの何かが立っている。人に近い姿をしているが、ある一点が決定的に違う者が。
 それは顔を持たなかった。首が半ばで途切れ、断面から紫に燃える炎が立ち上っている。
 頭が燃えて苦しんでいる、といった様子ではない。それは真っ黒なスコップ(両手で持つタイプの大きなもの)を手に、ただ静かにこちらを見つめていた。顔がないゆえに視線は読めないが、確かにそう思えた。
 新手の黄泉人に違いない。莉子は大鉈を構えた。飛びかかってくるなら叩き斬ってやる、と。
 しかしそれがスコップを振りあげることはなかった。ただ立ちつくし、黄泉の風に紫炎を揺らすのみ。
 莉子は息を呑み、獣の耳と尾をぴんと立てて、鉈を手にじりじりと距離を詰めてゆく。
 体躯からして男であるだろう何かは、静かに接近を許し――やっと動いた。
 スコップを足元に放り捨て、両手を挙げて静止する。その手から炎や毒が放たれる様子はない。
「……降参ってこと?」
 尋ねると、彼はへこへこと身を傾けて体で頷いてみせた。漆黒のケープを纏う死神めいた姿に似つかわしくない動きだった。
 敵対の意志はなく、言葉も通じているらしい。莉子は武器を下ろし、まだ警戒を残した面持ちで立て続けに問うた。
「君、黄泉人だよね」
 男は両手の人差し指を交差させてバツをつくる。
「ちがうの? まさかとは思うけど、神実?」
 ふたつめの問いに、男は答えなかった。両手をだらりとぶら下げたまま立ちつくすばかり。
 黄泉人を狩る神実たちが、広大な黄泉で同朋に会えることは少ない。彼もまた神実なのだとしたら、協力してこの辺りのぬしを討つことができるかもしれない――そんな期待はすぐに散った。
「まあいいや、ぼくの邪魔しないんならそれでいいよ。びっくりさせちゃってごめんね」
 この場で切り捨てる必要はない。そう判断して、莉子は一歩また一歩と後ずさる。花を踏んで距離を取ったのち、花畑に作られていた畦道を歩いた。
 莉子が離れると、首無し男はスコップを拾い、足元の土を掘り返し始めた。花を抜いたあとと思しきそこを耕し終えると、ベルトに備えた小袋から何かを取り出して土に押し付けてゆく。
 種まきだろうか。男が農作業にいそしむさまは、死神のような服装と相性が悪く妙に滑稽に見えた。
 神実を襲わない、黄泉人である自覚のない黄泉人。莉子はその風変わりな姿をしばし眺めたのちに、次の獲物を探すべく探索を再開した。

 『失踪症』罹患者であり、専門の機関で治療を行いながら、その傘下の学校に通う高校生。それが莉子の表向きの顔だった。
 その病を発症したものは、何かに呼ばれているという妄想に取り憑かれて徘徊し、失踪したのち変死体で発見される。オカルトめいた、しかし確かな脅威をもって人々を苦しめる病の正体は、黄泉と称される異世界の侵食によるものだった。
 比良坂ヒラサカと呼ばれる、現世と黄泉を繋ぐ門が開いたとき、波長の合う人々を呼び寄せてしまう。
 惨事に至る前に彼ら・彼女らを保護し、拡大を続ける黄泉を破壊する尖兵とすること、そしてその隠蔽と全面的なサポートをすることが、秘密裏に黄泉と戦う組織の役割だった。
「それでさ、襲いかかってこない黄泉人って珍しいなって思ってさー。ちょっと観察してたんだけど、ぼくのほうをチラチラ見ながら……見ながら? とにかく気にかけながら、ひたすら花畑の手入れしてたんだ」
「人型で敵意なし、文化的行動あり……ふんふんなーるほどねえ」
 莉子は大げさな身振り手振りを添え、今日の探索における出来事を語っていた。一回りほど年上の女性技師が、その内容を噛み砕きながら電子端末に入力してゆく。
 神実及びそのサポート担当者は、探索後に体調をチェックし、成果を記録することが義務付けられていた。
 卯杖うづえ製薬の対黄泉研究室の一角に設けられた休憩所で、ソファーの隅を陣取って対話するのが二人の常となっている。
「じゃあ似たような事例がないかこっちで探しておくねえ、いきなり牙を向く可能性もあるし莉子ちゃんも油断しないでね?」
「はーい!」
 元気よく応え、席を立つ。これで今日の仕事は終わりだ。
 一度でも黄泉に呼ばれ正気を失ったことがある者は、時折黄泉へと足を踏み入れ衝動を発散しなければならない。神実たちの戦いは、その処置を兼ねていた。
「今日もありがとうございました、今月中には今のところにもケリつけたいなあ」
「頑張ってるねぇー。あっそうだ、もっちょのチョコミントもう食べた? あるよ」
「えっほんと!? どうかお恵みを! お恵みをー!!」
 ふざけた声をあげながら菓子を分け合う。笑う莉子の横顔は年相応の少女そのものだった。

 翌日、学業を終えた莉子は再び卯杖製薬の対黄泉研究所を訪れていた。組織の管理下にある比良坂から黄泉へともぐるために。
 かさりと音を立て、洒落た靴が極彩色の草を踏む。昏い地に一輪の花を落とすように、莉子は軽やかな足取りで黄泉へと降り立った。
 両手を挙げてうんと背筋を伸ばし、この世界を駆ける自らの姿を思い描く。すると両耳と背筋が熱を持ち、それぞれ側頭部へ腰へと伝播しーー狼の耳と尾が、ぴこんと飛び出した。
 同時に、身体を覆うように光の粒が浮かび上がり、服に吸い付いてその形を変える。自身がイメージする〝強い〟姿となる。流行りのソーシャルゲームのキャラクターに似せた、勇ましくやや扇情的な戦装束が出来上がった。
「よっ、と!」
 軽快なステップを踏んでくるりと回り、最後に黄泉刀を生成してポーズをきめる。気分はSSRスーパースペシャルレアだ。人目がないのをいいことに、自身が思い描く〝かっこいいけど恥ずかしい〟ことをすることが彼女の日課だった――が、今日は状況が異なった。
 ひそやかな儀式に、目撃者がいた。
 先日の首無し男が、歩む足を止めたままの姿勢で、わずかに上半身を捻ってこちらを見つめている。
「え、ぁ……見た?」
 震えた声で静かに問う。ゲームのキャラクター気取りの振る舞いは、揺れる紫炎にしっかりと捉えられていたのだろうか。転移地点が首無し男の縄張りの中である可能性を考えるべきだった。何とも恥ずかしい。
 口を持たぬ男が問いに答えることはない。彼は手にしていたバケツをそっと置くと、地べたに正座し膝の上で手を揃えた。叱責を待つかのように。
「ちょ……怒ってないから座んなくて大丈夫! 大丈夫だから!!」
 莉子は慌てて歩み寄り、申し訳なさそうに縮こまる男を力ずくで引き起こした。
 逞しい手首を掴み、自らが転移してきた地点へと引っ張ってゆく。茂った草葉の陰に、淡く光る円が存在していた。
「これ、転移の目印なんだ。ぼくはここから来てるの、絶対に壊しちゃダメだよ。もし壊したら、次にきみを見つけた時にボコボコにするから」
 前半は事実、後半はハッタリである。比良坂をくぐった神実たちは、広大な黄泉のどこかへばらばらに飛ばされるために、その際に生成された目印を失えば再訪はまず不可能だった。
 莉子なりに凄みを利かせての警告だったが、声色はいまいち迫力に欠けている。しかし男は身体で頷くと、静かに目印から離れてくれた。
「オッケーよろしくね! ぼくも無駄に斬りたくはないんだ」
 話が通じたのだと判断し、満足げに微笑む莉子を、男はしばし炎の視線で追っていた。

 二日後、黄泉へと訪れた莉子を出迎えたのは、褪せた七色のとばりだった。
 木や廃材を組んだ枠に、大きく細長い葉を編んだものを取り付けた、手作り感溢れる衝立が並べられている。転移の印を囲むように立てられたそれは、莉子を閉じ込めるものではなかった。おそらくは隠すためのもの。
 転移直後の無防備な身体を守るために、誰かが手ずから拵えたのだろう。思い当たる相手を探すため、莉子は花畑へと駆けた。
「あっ……いたいた、おーいっ」
 件の黄泉人は花畑で草むしりに勤しんでいた。声を張り上げて手を振れば、白い花畑に空いた穴のような黒がむくりと立ち上がる。駆け寄る少女の足取りは軽やかで、瞳には興味の輝きを湛えている。
「あの立てるやつ、きみが作ってくれたんでしょ? いやもう決めポーズはやってないんだけど……でもありがとね!」
 尾を振りながら微笑むと、男は存在しない頭を掻く仕草をしてみせた。否定する様子がないことをみるに、やはり彼の仕事らしい。
 言葉が通じるとはいえ、相手は黄泉人である。恩を売って油断させたところを狙う魂胆なのかもしれない。その可能性を念頭に置きつつも、どうしても礼が言いたかった。
「じゃあ行ってくるね、お花がんばって!」
 右の手のひらを差し出して少し待つと、相手も恐る恐るといった様子で大きな手を見せてくれた。それらをたんと打ち鳴らし、花畑を後にする。これくらいは許されるだろうと思った。
 花畑を含むこの一帯は、いずれ莉子が消滅させることとなる。この一帯のぬしを見つけ出して殺し、黄泉を減縮させることこそが彼女の使命であるために。
 せめてその瞬間まで、美しい花畑作りに勤しんでくれたなら――鈍った歩みを傲慢な願いで鞭打って、駆けだした。

 花畑を含む一帯のぬしはなかなか見つからなかった。目立った成果を上げられないまま、歪な野を駆けて黄泉人を叩きのめす日々が続く。
 しかし焦ると同時に、この一帯を消し去ることを惜しむ気持ちが沸きあがってくる。その理由は今日も目の前にいた。
「ほんとに綺麗だよね、飲み物とおやつ持ち込めたら最高なのになー」
 探索に行き詰まったからと、気まぐれに花屋――首無し男をそう呼ぶことにした――の後をつけてみたことがきっかけだった。
 彼が拠点としているらしい建物は、黄泉に呑まれた廃屋を手入れしたものらしく、意外にも立派で庭までついている。廃材を組んだテーブルに、木の幹を切り出した椅子まで備えられていた。
 触れども咎められなかったので勝手に腰かけて、ごきげんに尾を揺らしながら庭を眺めている。純白の花はここでも咲き誇っていた。
 庭の美しさを誉めれば、彼は親指を立てて応えてくれる。観察するために近寄れば、うろたえるように手を彷徨わせながら後ずさる。
 書いた端から文字が霧散してしまう黄泉において、彼が持つ意志表現の方法はジェスチャーのみ。身振り手振りでなんとなく交流をすることができている。
 その一挙一動に人間らしさを感じてしまい、莉子の興味は増すばかりだった。錆びた空き缶に黄泉の花を飾る彼は、人間の生活を知っているように見える。
「ね、花屋くんってさ、やっぱり神実だよね?」
 あてずっぽうな問いではなく、莉子なりの確信をもっての言葉だった。
 露出のない黒ずくめの服装は、まるで漫画かゲームのキャラクターのようであり、彼が思い描いた戦装束ではないかと伺える。虚空から農具を取り出したり消したりする様子は、黄泉刀の生成と相違なかった。
 各組織が失踪症患者に行う神実化の処置は、黄泉において発揮することのできる、様々な力を目覚めさせる。首無し騎士デュラハンのような姿となることだって不可能ではないのかもしれない。かなり異質ではあるが。
 莉子の問いに、花屋は少しの間硬直した後、ゆっくりと肩で頷いた。
「やっぱり!? でもなんで住み着いちゃってるの、きみも神実なら帰還の術ぐらい使……あっ」
 黒手袋をした指が、本来なら唇があるはずの場所へと宛がわれる。莉子は軽率な質問を恥じた。頭のない彼は、現世に帰るための呪文を唱えられない。
 首無し男は席を立つと、辺りの草をむしって束ね、結び、草の人形を作った。そして頭の部分をむしり取ると地へと放る。地べたに手をついて、それを探すような動きをしてみせる。
「――探してるんだ、頭」
 莉子の言葉は手ぶりで肯定された。大柄な男の、縮こまるようにして地べたに座る姿に、声なき哀愁を感じて押し黙ってしまう。
 一緒に現世へ帰ろう――と、喉元まで出かかった言葉を呑みこむ。帰ったところであとがない。黄泉にいる間は神実としての力(おそらくは条件付きの不死などだろう)で活動していられるが、現世に戻り戦装束がほどけたなら、首から上のない人間はただ死に果てるのみである。
 しかしこの場とて安全ではない。莉子の――おそらくは花屋もそうだったであろう――使命を果たせば、この一帯はすべて消失してしまうのだから。
「ねえ、なんでぼくを止めなかったの? ぼくがここのぬしを倒したら、きみも消えちゃうって知ってたんでしょ。神実なら、当然」
 震える声で問うと、彼はおもむろに立ち上がり、テーブルに立てかけていた莉子の大鉈を手にした。
 そして柄を少女の手に握らせ、大きな手で包み込む。持て、振るってくれ、と告げるように。
 触れる手袋はひんやりとしていて、浮かばれぬ亡者を思わせる。紫炎がただ哀しげに揺れていた。

天叡会てんえいかいだろうねぇ」
 得た情報と迷える気持ちを吐露すると、莉子のお付きの技師である天野はすっぱりとそう言い切った。
「天叡……ってあの、なんかヤバいやつ」
「そうそう大昔からやってるアレ」
 名前は知っている。古来より黄泉との交信を行っていた、他の対黄泉組織との交流が少ない宗教団体。人体改造による神実化ではなく、黄泉人の血を引く生まれながらの神実を育て戦力としている、異端の組織――それが莉子が知る天叡会のすべてだった。
「頭がもげても動いていられる、なんて芸当ができるのは天叡の半黄泉人だけだと思うのよー。しかしそんなに土掘り返してるのに頭見つかってないって」
「……うん」
 頭を探し、土を掘り返し、戯れに花を植え……あの花畑が出来上がるまでに、どれほど作業を繰り返したのだろうか。
 彼の探し物が未だあの地にあるとは思い難い。どこかへ持ち去られたか、それともすでに失われているのか。
「そんな気はしてたから、ちょっとツテ使って揺すってみてるんだけどねぇ。莉子ちゃんさー、ぬし倒したらその花屋くん拉致ってきてよ」
「でも連れて来たってお墓作るか封印しちゃうかのどっちかだよね……もしかして何か助ける方法あるの!?」
「それについてはまだ何とも言えなくて……でも可能性を探りたいから確保したいなあって、うーん……もっちょ食べる?」
「食べる……ありがと……」
 身を乗り出した莉子は、歯切れの悪い言葉に再び項垂れた。気を紛らわそうと齧ったソフトキャンディはあまり味がしなくて、そのうえ、
「んむっっへふっっ!?」
 突如響いた警報音のせいで滑り、喉に詰まりかけた。

 黄泉人の力が増し、黄泉の拡大が早まる期間――黄泉の活性化は不定期に訪れる。
 放置しておけば現世に大きな比良坂が生じ、人々がその犠牲となる。各対黄泉機関は人員を総動員し、迅速にその対処を行うこととなっていた。現世に開いた比良坂の封印、および活性化した黄泉人の討伐を。
「こ……のっ! やろー!!」
 忌々しげに吠えて大鉈を振るう。手首に絡まる蔦を切り落とした莉子は、着地し体勢を立て直した。焦る瞳に映るのは、少女の体躯よりも遥かに大きな植物だった。
 うねる茎と根、自在に動く蔦、そして毒々しく咲いた巨大な花を持つ、ここら一帯のぬし。どこに隠れていたのか、黄泉の活性化に伴い現れたそれに、莉子は苦戦を強いられていた。転移後すぐ襲い掛かってきたことを考慮するに、神実の匂いを探りながらうろついていたと見える。
 茂った葉は硬く、強固に核を守っている。撃ち出す花弁は刃となり、さらに四方八方から夥しい数の蔦を伸ばして獲物を絡めとる。広域への攻撃手段を持つ同僚カムヅミの助けを得られたなら、と思わずにはいられなかった。
 纏う戦装束に見てくれの変化はなかったが、何度も打撃を受けたことにより力がほつれ始めていた。肌を覆う不可視の防壁を破られれば、蔓で叩かれた弾みに骨が折れてしまうだろう。
 莉子は猛攻を跳ね除けながら、懸命に敵の観察を行っていた。叩き斬るべき場所には見当がついている。しかし届かない。何かもうひとつ、決め手となる攻撃手段があれば――いや、今は、
(逃げるしかない)
 生きて帰ってこそ次の手を打てるというもの。莉子は意を決し声を張り上げる。
「開け、千引ちびきの岩よ!!」
 現世への道を開くことばを叫べば、眼前に空間の亀裂が生まれる。即席の、すぐに閉じる人為的な比良坂に飛び込めば、機関の施設で回復を計ることができる。
 しかしその中に転がり込むことは叶わなかった。地を蹴った足を掴まれ、引き留められてしまう。打たれた手から武器が滑り落ちた。
「あっ……」
 ぞわりと背筋が冷える。身を捉えた死の予感が、自身の存在の危うさを思い出させた。失踪症によって一度死にかけ、以降も薄氷の上で舞い続けていた踊り子だということを。
 莉子は一縷の望みをかけて身をよじる。呻きながら敵を見据えた瞬間、世界の色が変わった。
 ぬしの葉に蔦に、鮮やかな紫が纏わりつく。見覚えのある、寂しげな輝きを纏った、炎の色――
「花屋くん!?」
 蔦が紫炎に怯んだ隙に、黒ずくめの姿が飛び込んでくる。そして素早く莉子を抱きかかえて駆けだした。蔦がその背を追うものの、捕らえるには至らない。
 少女の身体を支える腕は逞しく、束の間の安堵を与えくれた。触れ合う感触は不快ではない。それがまた寂しい。
 この一帯の地理は知り尽くしているのか、男は迷いのない足取りで極彩色の中を走り抜けてゆく。少女を横抱きにしたままに。莉子は彼の身体に縋りつき、運ばれながら目を瞑り戦装束の修復を図った。
 集中によって強度を取り戻したとき、二人は一面の白に囲まれていた。その中に降り立ち、花香る空気を胸いっぱいに吸い込んで、命の恩人を――そしてこれから命を絶たなければならないものを、見据える。
「ありがと、花屋くん……でもあれを倒したら花屋くんは一緒に消えて、なのにぼくを助けてくれて、ぼくは、どうしたら」
 思考も言葉もうまく纏まらない。打たれた箇所よりも胸がひどく痛む。
 花屋はそんな莉子の隣に立つと、遠く追ってきた巨大な黄泉人を見据えて手を伸ばし、彼の黄泉刀を生成した。花畑の手入れに使っていた農具ではない、命を刈り取るための大鎌を。
 言葉なき男は、得物を構える姿をもって語った。戦おう、と。
「……わかったよ、もう泣きごと言わない。やろう!」
 熱を持った眼を拭い、黄泉刀を再生成する。両脚にしっかりと力を込めて立ち、ぬしを迎え撃つべく神経を研ぎ澄ませた。
 根で駆けてきた化物は、花を踏み荒らしながらまっすぐに二人のもとへと向かってくる。炎を操れる者がいるなら勝機が見えるはずだ。
 簡潔に作戦を伝え、仲間をちらりと見やると、首で揺れていた紫炎が勢いを増した。それは男の身を包み込み、足元の花へと伝播し、たちまちのうちに花畑全体へと燃え移ってゆく。
 ごう、と音を立てて、熱のない炎が立ち上った。黄泉人だけを焼き払う炎が、討つべき敵を炙り、男がここで生きた証を呑みこんで、煌々と燃え盛る。
 紫炎に巻かれた化物は、花弁をがむしゃらに飛ばしながら暴れ狂う。それが莉子たちを捉えることはなく、鎌によって切り裂かれ炎の中に消えていった。
 花屋が我先にと敵の懐に飛び込む。太い根を蹴って跳ね、鎌を大きく振るえば、多くの蔦と葉が散った。その陰から飛び出した実が肩を穿ち、花屋を地へと叩き落としてしまうが、介抱している暇はない。
 莉子は力強く地を蹴り、人の目で追えぬほどの速さで突撃する。狙うは幹の中心、露わになった黄泉人の核。血のように赤黒い球体目掛け、力いっぱい大鉈を振り下ろす。
「うっりゃあああああああっっ!!」
 斬撃は核を両断し、幹を真っ二つに切り裂いた。力を失った黄泉人が倒れ伏すことはなく、そのまま灰も残さず燃え尽きた。

「天野さん! 連れて来たよ! 天野さんっ!!」
 降り立った先は見慣れた広間だった。空間の裂け目を潜り跳んだ先、兎杖製薬の地下施設に二人分の足音が響き、止まった。
 黄泉を脱した後、肉体と戦装束は十数分ほどの猶予を経て元の姿へと戻る。異能は消え、現世における姿に戻り――首無し男はきっと物言わぬ亡骸となるだろう。
 スピーカー越しにスタッフのざわめきが聞こえる。手を引いて連れてきた男は、人造の比良坂が閉じるなり床に膝をついてしまった。首に揺れていた炎は一回り小さくなっている。
「花屋くんっ、ぼく、ここにいる……ここにいるから……!」
 莉子はその身を抱きとめ、ほろほろと大粒の雫をこぼしながら体温を伝えた。一人ではないのだと、ここに看取る者がいるのだと伝えた。緊張の糸が切れた今、涙を止めるすべはない。
 彼の望みを叶えたのは正解だったのだろうか。組織相手に駄々をこね、ずるずると攻略を後回しにしたほうがよかったのではないか。胸をすり潰すような思いが次々とよぎるが、罪なき民間人たちの命を蔑ろにすることは、どうあってもできなかっただろうと思えた。彼もきっと、そのことを理解していた。
 スタッフたちの声と足音が、どこか遠い世界のもののように思える。しかし台車を押す音と聞きなれた声が、騒がしい静寂を引き裂いて近づいてきた。
「間に合ったぁーっ!! 莉子ちゃんこれ! これっ!! 皆は離れて! 瘴気出るよっ!!」
「っひゔっ」
 他の研究員を轢き殺さんばかりの勢いで突っ込んできた天野が、台車に乗せていた物々しい容器に手をかける。幾重にも留め金がかけられた金属製の筒を開けると、薄い虹色を纏った煙があふれ出た。黄泉由来のものを、黄泉の空気に浸したまま保存するための容器だ。
 莉子はその中身を覗き、目を見開いた。
「これ、えっ、あの」
「早くくっつけてあげて! 天叡会で保管されてたのよそれ、現世に頭だけ落っことした子なんて他にいないでしょーたぶん!」
 収められていたものは、首から上だけの男だった。脱出に失敗し、身体だけ黄泉に残ってしまったのだとしたら、確かに納得がゆく。現世にあるものを黄泉で探したところで見つかるはずがない。
 彼は莉子とそう変わらない歳に見える、そばかすだらけの冴えない顔をした若者だった。眠れる王子にしては夢のない姿であり、だからこそ現実味が伴う生首を、莉子は躊躇なく掴み花屋の首へと押し付ける。しかし触れ合った断面から紫炎が洩れるばかりで、首が癒着する様子はない。
 黄泉の空気から逃れ、二人の様子をモニター越しに見た天野が、マイクに向かって声を張り上げた。
「ああー魂のパスまだ繋がってないね。ショック与えて起こさなきゃ、ぶっ叩くとかチューするとか! それでもダメなら血ぶっかけて!」
「わわわわわかった!!」
 言われたとおりに頭を叩いてみるが反応はない。ならばと莉子は意を決し、生首をひしと掴んで唇を重ねた。なりふり構ってはいられなかった。
 冷たくかさついた唇に、莉子の命の熱が伝わる。熱いものが身体を通り抜けて流れ込む。
 次の瞬間、男はようやく薄目を開きで莉子を見つめた。同時に首の断面が蠢き、泣き別れとなっていた頭と体を再び繋げてゆく。処置は確かに成功したようだ。
「くっついた……? よかった、よがっだぁ……!」
 鼻声になって喜ぶ莉子を前に、男はぱくぱくと唇を動かし、何かを伝えようとする。しかし久方ぶりに使う喉はなかなか動いてくれなかった。
「はぁーいお目覚めかな天叡の不死身マンくん、君をむしり取ってくるのはだいぶ骨だったよ! 瘴気が治まったらそっち行くからちょっと待ってねー検査させてねぇー」
 天野の声は朗々としている。彼女がどうやって頭を得たのかについては、怖いので後でこっそりと聞いてみようと思った。
 今はこの風変わりな友を救えた喜びにただ浸りたかった。
 鼻をすすりながら見つめ、微笑みかける。「花屋くん」と呼びかける。すると彼は掠れた声で呻き、やっと言葉を発した。とても低い、心臓に染みつくような声だった。
「……あり、がと……イケメンじゃ、なくて、ごめん……」
「頭なんて付いてりゃそれでいいんだよぉ! お話しようよ、いろんなこと、いっぱい……!」
 抱きしめてこつんと額をぶつける。泣きながら彼の頬を撫でて、笑って、うろたえる声が嬉しくてまた泣いた。