いい一日はいい挨拶から。私はケージを覗いて、自分の目を覚ますためにもと話しかけました。
寝床でまどろんでいたメリーは、私を見つけるや否や身を起こして、元気に飛び出してきます。すり寄ってくるその姿が愛らしくて、私はぐりぐりと顔を押し付けて歓迎するのです。
とはいえ、こうやっていつまでも戯れているわけにはいかず。私は着替えながら「すぐ食べれるご飯!」と声を張り上げます。
すると我が家の食品庫がポケットを開き、栄養キューブゼリーを差し出してくれるので、私はそれを一息に啜ってよしとしました。
美味しさではちゃんとしたご飯に劣るものの、急いでいるときはこれに限るのです。あまりこればかりねだると、もっと顎を使いなさいと違うものを出されてしまうのですけど。
窓を開けて外を見上げると、コロニーの空はきれいな青。磁気嵐が去ったことを喜んでいるような、とても清々しい色をしています。
昨日までは磁気嵐警報の曇り空だったので、私もめまいがしてそれはもう大変でした。こんな天気でも元気にご飯を食べられるメリーが羨ましい限り。
ぐったりしている時に寄り添ってくれるのは、それはそれは嬉しいのですけれど。ふふーん、飼っててよかった。
「それじゃあ行ってきますね、ちゃあんといい子にしてるんですよ」
私が家を出るとき、メリーはいつも私を見つめて小さく鳴くのです。なんだか寂しそうに。
けれど学校にはメリーを連れていけません。どうしても、規則なので……ということを何度も言い聞かせながら躾けた結果、メリーはちゃんとそれを理解して、玄関できちんと見送りをしてくれるようになりました。
それでも寂しそうな様子を見せるのは、まだ子供だからかもしれません。メリーも大人になれば、もっと平気そうな顔で見送りをしてくれるかも。……そう考えると、罪悪感は減るけれど私が寂しい気もします。
小さく鳴く姿に背を向けて、私はドアをくぐりました。
第四六基礎学校、別名スノーホワイト校は、昔ながらの完全通学式スクールです。
今時通学式なんて流行らないとよく言われはするけれど、私は自分の脚を動かして学校に向かい、生身の友達と顔を合わせるのが好きでした。
磁気嵐がひどい日は、VR式か部分通学式の学校にしたらよかったなあと思わなくもないけれど……私は何事も深く考えない、どちらかというと前向きな性質なので、嵐が過ぎるといつもどうでもよくなってしまうのでした。
そう、ひどい磁気嵐が消えて浮かれていたところだったので。
家の窓をマニュアル開閉に、しかも開けたままにしていたことを、すっかり忘れていたのです。
「ぼーくーもーぺーっーとーほーしーいー」
もう何度目とも知れない友の言葉を聞き流しながら、私たちは次の授業を待っています。
スタディボードに頭突きしながらごねる姿、昨日も見た気がしますね。こいつ本当に懲りないです。
「飼育試験、受け直せばいいじゃないですか」
「でもさあまた落ちたらって思うと怖いんだよ、試験に存在を全否定される感じがする……お前は一生AIすら入ってない自律植木いじってろって……」
「怖いんなら諦めるしかねーです」
「やだあああああぼくもメリーちゃんみたいなかわいいの飼ううううううう」
その自律植木すらこないだ破損させたって言ってたんですよねこいつ。向き不向きというものがあるんだからそろそろ諦めればいいのに。
なんて言ってやろうかどうか迷っているうちに、次の授業の講師が講義室に入ってきて、同時に私の通信端末がぴりりぱりぱらりと鳴りました。
この音は生活課からの呼び出しです。……私、何かしましたっけ? 身に覚えのないやらかしを色々と想像しながら通話を取りました。
「はい、トシェラです。講義が始まるので手短に……え、あ、はい? はい……わかりました……」
「……どうしたの?」
「メリー、学校に来たって」
「へぁ!?」
講義が終わってすぐ、私は別館の生活課へと向かいました。わらわらと集まってきた同級生たちをやむなく引き連れて。
この歳で飼育試験に受かった子供というだけで珍しいのに、そのペットが家を抜け出して学校にやってきたとなると、そりゃあ興味も湧くといういうものです。
……飼育環境の不備でこっぴどく叱られるかもしれない身としては、ちょっと全員黙ってろって感じなんですけど。
学生の通学環境と衛生を管理する生活課は、スノーホワイト校別館の端っこに位置しています。早足でやってきた私は、焦る気持ちを抑えながら扉をくぐり、メリーを預かってくれている職員のもとへと案内してもらいました。
「メリー!」
私が声をかけると、メリーはとてとてとこちらにやってきて、私の毛にひしとしがみつきました。
その目からは涙をぽろぽろとこぼしています。とても申し訳ないことをしたなあ、という気持ちに包まれました。
私が窓を閉めなかったばかりに、この子はついつい家を抜け出し、私を追って街をさ迷うことになったのです。
「たまたまうちの職員が見つけて保護してね。IDがスノーホワイト生のものだったから、家に送るより、飼い主に渡したほうが早いだろうって。でも本館には入れられないからねえ」
「そうだったんですか、ご迷惑をおかけしました。世話までしていただいて……」
「いいや、いい子にしていたし大丈夫さ。怪我もないし君へのお咎めもないと思うよ」
職員さんの優しさが身に染みます。こんな職員さんがいてくれたから、メリーも静かに待っていてくれたのでしょう。
……問題は、それよりも。
「メリーちゃん! メリーちゃんぼくだよ! 覚えてる!?」
「すごーい本当にこんなに涙出るんだ!」
「ねえねえご飯あげていい!?」
周りできゃいきゃいと騒ぐ同級生たち。用もないのに生活課にずかずか入ってきて何をやってるんですかきみらは。
「メテウス、がっつくなですメリー怖がってる! ペリオンはファルファルア団子しまって! お腹壊しますから!」
怯えるメリーを撫でて落ち着かせながら、もう大丈夫だよ、と語りかけます。するとメリーは物理手で目をこすり、涙をぐいぐいと拭ってみせました。
よしよし、よく待ってたね、怖かったろうに。
どうにか気持ちを落ち着けたらしいメリーを見ながら、メテウスがしみじみと呟きました。
「やっぱり人間かわいいなあ、ぼくも飼いたいなあ」
自律植木の世話すらできていないやつはすっこんでろです。人間を飼うの、けっこう難しいんですから。
磁気嵐には強いけど気温の変化に弱いし、服(布を縫い合わせて体に被せたもの)だって地味に値が張るのです。
私たち羊と違い、ちゃんとしたテレキネシス手がないので、物理手を使って生活しなければならない、なんだか不便な生き物。遠い惑星で氷漬けになっていた太古の生命、ふしぎで賢い二脚歩行。それが人間!
縦にしゅっと長い姿と、よく動く顔の筋肉がとてもかわいいと、ペットとしての需要は増すばかりだと聞きます。昔は飼育に飽きて捨てる羊がいたので、試験と飼育状況のチェックが厳しくなったそうで。
「……あっ、そういえば私、この後も講義があるんですが!」
「じゃあこの子は引き続き預かっておくよ、終わったら迎えにおいで」
メリーを置いてゆくのは心苦しいけれど、学業を疎かにしてはいられないので、職員さんの好意に甘えることにしました。
騒がしいクラスメイトたちを引っ張って本館へと戻ります。コロニー史Ⅲの講義が終わるまで、ちょっと待っていてくださいね。
窓が閉まっているか三回も確認をしたその夜、私はふしぎな夢を見ました。
たくさんの人間が……コロニー中のペット管理所を全部ひっくり返しても出てこないような数の人間が、とても狭いコロニーでぎゅうぎゅう詰めになって暮らしているんです。
密度が高すぎるので、いたるところで争いが起きて、物資を奪い合ったり仲間を殺したりしてしまいます。私はそれが悲しくて手を差し伸べるのだけれど、人間は物理手しか視認できないので、誰も私の手を取ってくれないのです。
もっと管理の行き届いた環境で飼ってあげなきゃ。こんな好き勝手に繁殖させて群れを作らせたら、住処も物資もなくなって縄張り争いばかりするに決まってる!
「やめて!」
叫んだのは、私。……自分の寝言で目を覚ましてしまうなんて、間抜けもいいところです。
でも、メリーはそんな間抜けのために寝床を抜け出して、静かに寄り添ってくれるのでした。
メリーは私の毛にもふりと身を埋めて、またうつらうつらと眠りに落ちてゆきました。その姿を見ていると、彼女(まだ分かりづらいけどメスなんですよ)のために学生給金をつぎ込んで本当に良かったと思います。
「おやすみ、メリー」
私も寝直すべく目を閉じました。
次に人間の夢を見るときは、もっと楽しいものがいいな、と願いながら。