知らせを届けてくれたのは、彼のナビゲートをしていたというドローン。生き残りを探すための旅のさなか、不慮の事故で死んでしまったのだという。高度なAIを備えた機械は、なめらかな合成音声で主の死を悔やんだ。こんなことになるならお止めしていればよかったと。
寄る辺をなくしたメッセンジャーは、私が面倒を見てあげることにした。長旅で弱りきっていたボディのメンテナンスをして、記録されていたデータを共有して……その過程で私は、旅立つ決意をしてしまった。
『私も目を配っておきますが、木には十分に気をつけてくださいね。坊っちゃまの二の舞になりませんよう』
「わかってる」
『ことが済んだらすぐに離れよう。ジャン様は本当に運がなかったんだね』
「まったくだよ」
浮遊する二体のドローンに見守られながら、私は火鋏をカチカチと鳴らした。目の前に転がるものをどうしたらいいのか判断しかねて。
「ミランダ、本当に頭だけ持ってっちゃっていいの?」
『ええ、よろしくお願いいたします。そのほうがお坊ちゃまも寂しくないでしょう』
そう答えて、ミランダ――新入りのドローンは、丸っこいフォルムのボディをわずかに傾けた。お辞儀の代わりだ。
彼女の主は、汚れた骨となって草の中に転がっていた。テントの残骸を被り、胴体を巨大な倒木に押しつぶされながら。立ち腐れた木はあまりに大きく、ミランダの非力なアームでは助け出せなかったそうだ。
私は転がる頭蓋骨の眼窩に火鋏を突っ込み、持ち上げた。皮と肉は虫たちが食べ尽くしてしまったらしく、土に還りかけている枯れ葉だけがほろほろと落ちる。亡くなってから日が浅いためか、街じゅうに転がっている骨よりはずっと状態がよかった。
腐った脳みそがこぼれ出てくるかもしれないと警戒したけれど、それすら残っていなかったらしい。眼窩からひょこりと顔を覗かせていた花が、きれいな紫色の花びらで枯れ葉を受けた。
「さっきの川で洗ってあげようか」
『ありがとうございます、お坊ちゃまは綺麗好きでしたから、きっとお喜びになります……』
ミランダが古びたディスプレイを明滅させる。合成音声がわすかにひずんだように聞こえた。
この星の脊椎動物のほとんどは、私が物心つく前に死に絶えてしまったらしい。ある日突然空から降り注いだ光の粒によって。
風に揺られて世界中に広がったそれは、電波による通信をことごとく阻害しながら、瞬く間に人々を殺しつくしてしまった。あまりの即効性と致死性の高さに研究が追い付かず、まともな対策を打つことすらできなかったのだそうな。化学物質なのか、ウィルス性の何かなのか、それすらはっきりとしていない。
その日からずっと空気中に漂い続けている光の粒は、なぜだか私を殺さなかった。わかっているのは、私がたまたまミューズ――とんでもなく高価な自律型のロボットだ――に拾われたから生き延びられたということ。主を亡くした彼女(女性らしい喋り方をするのでそう扱うことにしている)は、家を守るためにと私を迎え入れて育ててくれた。
私は屋敷の備蓄を食べて、それがなくなってからは町中の保存食をかき集めて食いつないだ。ミューズの提案で畑も作った。本の読み方、機械の扱い方を教わり、たまに同胞を求めて近隣の街へ赴いては、ひとりぼっちのまま帰ってきた。かつて世界中を巡っていたという、電波による通信網が使えたなら……と、ミューズはどこか口惜しげにこぼしていた。
きっと、この星に残った人間は私だけ。そう諦めてしまうことにして、ただただ屋敷を守って暮らすことにした……そんなときだった。
ミランダがこの街に辿り着き、私が街じゅうに描いていたメッセージを見て屋敷を訪れたのは。
ジャンという男の頭骨を洗い、野ざらしになっていた荷物からまだ使えるものを回収して林を発った。ミランダの旅路を遡りながら、辿り着いた集落跡で野営の準備をした。資材漁りは明日することにして。
石で作ったかまどで火を熾し、鍋を炙って消毒する。お湯を沸かしてフリーズドライの野菜スープを入れてまずは一品出来上がり。水もスープも保存期限が十年ほど前であることには目を瞑る。
主食は缶入りのビスケットだ。保存期限をとうに超えてぱさぱさになったそれをスープに浸して食べる。……のがいつもの食べ方だったけれど、今日は違った。ジャンの遺品から頂いた瓶がある。二つあったうちの片方は痛んでいたけれど、未開封らしきもう片方は無事だった。しっかりと滅菌されていたみたい。
蓋のきつさに手間取りながら瓶を開けると、甘酸っぱい野いちごの香りが広がった。世界がもっとうるさかったころに作られたものじゃない、新しいジャムだ。
『お坊ちゃまは料理が好きで、レシピの本を漁っては新しいメニューに挑んでおりました』
『すごいね! お嬢も見習ったら?』
「うっさい」
ミューズの小言を聞き流しながら、ジャムをすくってビスケットに乗せた。そのまま口に運ぶと、思っていた以上の甘さがとろりと広がる。乾いたビスケットがたちまちごちそうに変わった。
「……おいしい」
思わず呟いてしまっていた。こんなことを言うのは久しぶりかもしれない。
山のようにジャムを乗せて食べたい衝動に抗い、必要な分だけを塗ってすぐに蓋を閉めた。
「ねえミランダ、こないだのあれ……ジャンのメッセージ、もう一度聞かせてくれる?」
『畏まりました』
ミランダのディスプレイが五か月前の日付を表示する。ビスケットサンドをかじりながら、私は彼女が再生する少年の声に聞き入った。
『えーっと……はじめまして! 俺、ジャンっていいます。リスウェイから来ました。今、俺以外の人間を探して旅をしています。できれば直に会いに行きたいけど、万が一倒れたらってときのことも考えて、ミランダにこのメッセージを託しました。これを聞いている人、ミランダのことをよろしく頼みます。俺がいろいろ考えた、今の世界でも作れる昔の料理のレシピとか、いろいろ覚えて貰ってるから、よかったら聞いてやってください。優しいAIだから力になってくれると思います。それからえーと……あっジャム! ジャムすごい自信作なんで荷物が無事だったら食べてやってください。それじゃ!』
明るい、優しげな声だった。もしもの事態に備えてはみたものの、実際に危機感を抱いてはいないような、そんな様子の。
「……あっ……」
目が熱い。気づくと涙が頬を伝っていた。今更になって、いや、今だからこそ。
はじめてこの音声を聞いたときには、私以外の生き残りがいたという事実も、彼がすでに死んでしまっていることにも、いまいち実感が湧かなかった。
けれど後を追うように旅を始めて、亡骸を拾って、ジャムを口にして……ようやく彼は私の中で生き始めて、そして死んだ。ビスケットサンドを口にしてから呑み込むまでの、あまりに短い人生だった。
彼の頭骨をしまい込んでいた袋を開く。亡骸の周りでうつむいて咲いていた花が、袋の隅でくたりとしおれていた。彼はこの紫の花が好きで、あの場所にテントを張ったのも花が目当てだったのだという。根からデンプンを取れるそうだから挑戦してみたい、とミランダに語っていたそうな。
腹立たしくなって、花をすべて火にくべてしまった。この花が美しくなければ、何の価値のないものであったなら、私は今頃彼と肩を並べて話をしていたかもしれない……そう思うと、どうしようもなく悔しくて。
スープを飲み干して火の始末をした私は、すぐに横になって、睡魔に攫われるまで泣き続けた。
ただ一つ自信をもって言えるのは、彼の旅路は無駄ではなかったということ。
生存者が二人いたのだから、三人目四人目がいたっておかしくはない。そのことを知らせてくれただけでも十分に朗報である。と、朝日を見ながら思うことができた。一晩泣いて少し気が晴れたみたいだ。
「ミューズ。ミランダ。私、行くよ」
支度を終えて復路を歩み始める。ジャンの墓を作ってあげたら、次はもっと遠くに向かおう……そう考えながら。大陸の主要都市――特に富裕層の多かった場所を巡れば、私や彼と同じような生き残りがいるかもしれない。高機能ロボットに育てられたという共通点が道を示してくれた。
朝日と光の粒にきらめく集落跡を進むと、そこかしこにそびえる木の根元に、あの紫の花が群生しているのが見える。手慰みにいくつかを摘んで、ジャンの頭骨に再び添えた。間接的な仇だけれど、彼が好んだ花であることは揺るがないから。
次の旅は長くなりそうだ。どれだけ耐えられるだろうか。
顔を上げて前を見据える。今はもういない、私の夫になったかもしれない人の亡骸を抱えて、果ての知れない道を歩み始めた。