その他創作

読み切り

#-- 鋼を追う娘

 彼が手土産を渡してくれたのは帰り際のことだった。
 いくつもの角を生やした虹色の巻貝は、彼の手の上では小さく収まっているのに、私が受け取ると途端に大きくなる。二人の手の大きさの違いがそんな錯覚を生んでいた。
 美しいものを手に入れたということよりも、彼が私にこれを与えてくれたことがとにかく嬉しくって、私は声を上ずらせながら礼を告げた。言葉はほとんど通じていないとわかっていても、何か言わずにはいられなくて。
 彼らは喜びや感謝を示すとき、背中に備えた翼をばたつかせる。私たちは翼を持っていないから、代わりに両手を大きく振ることで応えるようにと躾けられていた。私はありったけの力で、腕が千切れても構わないぐらいの気概で手を振った。彼はそれを被り物の穴越しにじいっと見ていた。
「本当にありがとうございます、私、ハガネさんから貰ったものは全部宝物にしてるんですよ」
 ハガネさん。私は彼のことをそう呼んでいる。
 揃って体の大きな翼人の中でも彼は特に大柄で、私で数えると一人と半分ぐらいの背丈があった。逞しい身にゆったりとした服を纏っていて、顔には鳥の頭に似た形の被り物をつけている。この庭に来る翼人はみなこうして顔を隠していた。同族およびその妻となった人間以外には顔を見せられない、というしきたりがあるそうで。
 手を振った私に応えるように、彼もまた翼を広げてみせてくれる。翼人が背に負った翼のかたちは様々で、鳥やこうもりに似たもの、羽虫の翅のようなもの、草のつるが絡まり合ってできたもの……とバリエーションに富んでいる。その中でも彼は特に異質で、その異質さゆえに私を惹きつけた。
 彼の翼はたくさんの鋼鉄の板のようなものでできている。よく磨かれた剣のように陽光を照り返す、鋼の翼。だから私は親しみをこめて、彼のことをハガネさんと呼んでいた。
 ハガネさんは大きな手でわしわしと私の頭を撫でてくれる。その武骨な手つきが嬉しくって、私は今日も天に昇ったような心地になるのだった。

 私が住んでいる施設は『捧げの庭』と呼ばれている。国の北端、大森林と国土を分かつ北壁のすぐそばに建てられたこの館は、壁を隔てた向こうに住まう『翼人』たちのために存在していた。
 翼人は屈強な肉体と不思議な翼を持つ種族で、大森林に住まう魔獣たちと日々戦いを繰り広げている。空を自在に飛び回ることができて、数十人集まれば竜をも打ち倒せると言われるほどに強い。この国の王族は彼らの求める物資を提供し、その対価として有事の際に兵を借りる契約をしていた。
 国が翼人たちに送っているのは、森林では採れない食料、布に油に塩、その他生活雑貨、そして女。翼人の子は男しか生まれず、彼らは最も姿が似ている種族である人間を娶って、その間に子を成すことで命を繋いでいる。捧げの庭は身寄りのない少女を翼人たちの捧げものとして育てる施設だった。
 ……とは言っても、育った少女たちが奴隷のように売り渡されていくわけではなく。翼人たちは思い思いに捧げの庭を訪れ、好みの少女を見繕って求愛をする。それに相手が応じてはじめて翼人の村に嫁いでゆく、という仕組みになっていた。
 私はできることならハガネさんに嫁ぎたい。そのためにここに来たのだから。

「で、サーヤはほんっとうにハガネさんとまだしてないの? ほんとに?」
「そうだよって何回も言ってるでしょ……」
 消灯後の部屋で、ひそひそ話の花が咲く。何度繰り返したかわからない話をできるのも今日で最後だった。私と相部屋のリアナは、明日には翼人の妻としてこの館を発つのだから。
「リアナは、イバラさんとそんなにたくさんしてたの?」
「あー、そーだね、ここんとこはもう会うたび毎回……白花にまで赤花添えてくるもんだから、お前いいかげんにしろよってつい言っちゃったよ」
「ひえっ」
 翼人と人間は会話による意思疎通がほぼできない。そのためか、未来の妻になるかもしれない相手に対して、翼人たちは花を贈ることで伺いを立てていた。
 橙色の花は逢引を。赤い花は情交を。白い花は婚姻を。黒い花は関係の解消を。この庭において、婚姻前の翼人と少女が交わることは罪ではない。リアナの相手はその中でもとりわけ熱心だったようだけれど。話を聞いているだけでなんだかすごく恥ずかしい。迷路のように配置された庭木の陰でしているところを見てしまい、慌てて館に逃げ帰ったときのことを思い出してしまう。
「ハガネさんはそこんとこ慎重みたいだよねえ、それはそれでサーヤのことをすごく気に入った証じゃない?」
「そう……だといいな」
 願望を口にすると思わず顔がほころんだ。けれど、そう上手くなんていかないだろうと悪魔が囁く。
 リアナが寝付いたあと、私は布団をかぶって恋しい人のことを思い出していた。
 初めて出会ったのはもう六年も前になる。街で夢も希望もないどん底の暮らしをしていた私の前に、彼が突然墜ちてきたのだった。
 家のすぐ目の前、ぼろぼろの石畳に叩きつけられた彼は、幼い私が一目見ただけでわかるほどの傷を負っていた。服は破れ、肌はあちこち血まみれで、片脚が不自然なところで曲がっている。けれども彼は地に槍を突き立てて立ち上がり、真っ二つに割れてしまった被り物を投げ捨てて空を睨んだ。翼ががちゃりと硬い音をたてたこと、そして銀色の髪が風に流れてきれいだったことは、今でも鮮明に覚えている。
 私の家の上空で、翼を持ったトカゲのような生き物が飛んでいた。―魔獣だ。人里にはそうそう来ることのないはずの、それも人間の大人よりも大きなもの。ハガネさんは勢いよく飛び立つと、手にしていた槍を振るって大トカゲに果敢に立ち向かった。私は逃げ出すことも忘れて、その光景に釘付けになった。尾による打撃や口から放たれる炎を巧みにかわし、華麗な槍さばきでトカゲを貫いて絶命させた彼の姿が、瞼に焼き付いて離れない。
 後に近所の住人たちの噂話を盗み聞いて、彼が国内に侵入した大型の魔物を撃つために遣わされた翼人であることを知った。
 その次の月に私は家を飛び出し、北を目指した。

 相部屋が相部屋でなくなってしまった次の日、庭木の手入れをしていた私のもとへハガネさんが降り立った。私はかごとはさみを地べたに置き、笑顔で彼を出迎えた。翼人をもてなすためなら普段の職務を中断してよいことになっている。
 いつもの彼なら、ここで私の手に花を握らせてくれるはず。けれど今日は勝手が違って、なんだかそわそわした様子で花を差し出した。いつもの橙色の花ともう一つ、見慣れない真っ赤な花を。
「あっ、あの、ハガネさん、これってっ」
 顔にかあっと血が上る。心臓が早鐘を打つ。けれど、すぐにある心配事が割り込んできて、今度は血の気が引く思いがした。私は彼の妻になるには値しない女なのだと。
 そう思いつつも差し出された花を拒絶することはできなくて、私は恐る恐るハガネさんの手を取った。彼に導かれてやってきたのは、ひと気のない物置小屋の裏。ハガネさんは人間には発音し得ない声で、ふぅーんとご機嫌に鳴いて、私の頬や体を撫で回した。恥ずかしいけど、嫌じゃない。頭が煮えてしまいそう!
 でも、私の服をめくりあげた途端、彼の手が止まった。知られてしまった。
 私の服の下、お腹や普段は長袖で隠している手足、手袋で隠している手には、たくさんの傷跡と火傷の名残がある。子どものころ、唯一の家族であった父によってつけられた痕が。特にお腹の大きな火傷は一番見られたくなかったもので、がたがたと足が震えた。
 いつも以上に虫の居所が悪かった父は、お前があの翼人に潰されて死んでりゃあ国から金が貰えたんだよ、と怒鳴って私のお腹に焼けた火掻き棒を押し付けた。煙草の火とは比べ物にならないほどの痛みと、父の心ない言葉で、私はようやく思い至った。ハガネさんが墜ちてきたあの日、この家に住む私は彼の下敷きになって死んでいたんだと。今ここにいるのは、ハガネさんの翼にこびりついた私の残骸だ。
 のたれ死んでもいい、家を出よう。最期に一目でもあの人を見たい。そう決心した私は次の日の早朝、父の金をくすねてそっと家を出たのだった。
 翼人にも心はある、あなたの肌を知ってなお娶りたいと思う者もきっといる……そう説いて私を受け入れてくれた館長様は誰よりも信頼しているし、彼女の言葉は正しいと思っている。でも、ハガネさんがその奇特な者の一人であると未だ信じきれないでいた。だって私はこんなにも無様で、醜い!
 ハガネさんは少しの間私のお腹の火傷を見ていて、続いてスカートの中や手袋の下までもを念入りに確かめた。被り物越しに覗く目つきは鋭くて、私はなにも言葉を挟めずにいた。そして体じゅうの傷跡を暴かれてしまったところで、彼は私の服を元通りに着せて、震える身をぎゅっと抱きしめたのだった。
「ごめんなさい、私、こんな……ずっと、黙ってて……ごめんなさい……」
 彼は優しく頭を撫でてくれたけど、それだけだった。ことの続きはついぞ行われず、私は北壁の向こうへと飛び去ってゆく彼を茫然と見つめていた。

 それからは魂の灯が絶えたかのような心地だった。
 何をしていても心が暗くかげっている。体はいつも通りの仕事をしてくれるのだけれど、ことあるごとに涙がほろほろと溢れ出して、洗濯物や掃いたばかりの床に染み入った。元気にやっている、という旨のリアナからの手紙まで濡らしてしまい、友の幸せを祝えない自分の不甲斐なさにまた涙が出た。
 起きているとハガネさんのことを考えてしまうし、寝たら寝たで別れの黒花を贈られる夢を見る。我が身かわいさに傷物であることを隠していたな……と、彼が差し出した黒い花が責め立ててくる。
 はじめはいつも通り館での仕事をこなしていたものの、十日余りでついにがたが来た。いいから黙って休みなさいと命じられた私は、一日をベッドの上でぼんやりとして過ごすことになってしまった。
 窓の外を見ながら、今までの自分の人生について考える。思えば半ば死んだように育ち、ハガネさんと出会って生き返った身だ。彼に見捨てられたなら私はまた死んだも同然で、生きている意味など何もなくなる。いや、生きる意味はいずれまた見つかるかもしれないけど、今はまだ何も考えられないし考えたくもない……。
 真っ二つに割れた被り物を抱き、流れる雲を目で追っていると、その中にきらりと光るものがあった。見覚えのある、白い光。鋼が陽光を照り返すあの光が。
 ハガネさんだ、間違いない。でも彼は私の醜さに幻滅して、今日は誰か他の女の子を探しに来ているはずで―
「え……」
 目をこすっている間に、彼は私の部屋の前にまで迫っていた。そして閉ざされた窓を力ずくで(鍵を壊して)こじ開けて、鋼の翼を器用に折り畳んで部屋に押し入ってきた。その表情はどこか弾んでいるように見える。
 彼は突然の事態に茫然とする私のもとへと寄って、いきなり服をめくりあげた。
「へ、ちょ、待ってくださ、ひゃっ!?」
 素肌に感じたのは、ひんやりとした感触。彼は持ち込んだ瓶に指を突っ込み、その中身を私の肌に塗りたくっていった。薬だろうか、薬草独特のつんとしたにおいが鼻をつく。軟膏自体は冷たいのに、塗られた場所がじんわりと温まりはじめた。
 ハガネさんはされるがままの私をひん剥いて、古傷と火傷の痕すべてに薬を塗りこんでゆく。これはもしかして、古い傷に効く薬か何かなんだろうか。少なくとも私が嗅いだことのないにおいだ。そういえば大森林では珍しい薬草が取れると聞いたことがある。彼はこれをわざわざ、私のために?
「ありがとう、ございます」
 薬を塗り終わったところで、再び服を着せられた。私はお人形のようにベッドに座ったまま、言葉に詰まって口をぱくぱくとさせるばかり。そんな私の前に、ハガネさんは跪いて、被り物を外した。
 ふわり、と銀色の髪が揺れる。彼の男らしい顔立ちがあらわになって、優しげな目が私を見据えた。突然のことに、心臓をぎゅっと握られてしまったような心地になる。息が苦しい。
 ハガネさんは歌うように鳴いて、荷物袋から取り出したものを私に押し付けた。革ひもで結わえられた、白い花の束だった。
 黒じゃなくて、白。黒は離別の色。白は求婚の色。永い繋がりを求める色。
「ハガネさん、これ……わた、私も……っ!」
 これは夢? いや夢じゃない……生きてて、よかった!
 花束を受けとると、一度は驚きで止まったはずの涙がまた溢れ出してきた。ハガネさんはにっこりと微笑んで、私の涙を唇で拭ってくれたのだった。