「お姉さん、あっち行こう! カステラ屋さんだよ!」
つい先ほど知り合ったばかりの少女は、待ちきれないと言った様子で私の服の裾を引く。よそ者の私も祭りを楽しめるようにと案内を買って出てくれたのだけれど、見所を紹介する約束はどこへやら、縁日の活気ですっかり舞い上がってしまっている。
聞けば歳はまだ七つ、つい先ほどから一人で祭りを楽しんでいたのだと言う。一緒の人はいないの、と尋ねると気まずそうに視線を逸らしてしまったため、それ以上の追求はしないことにした。
急かされるままに屋台のひとつに向かうと、甘ったるい香りが私達を包み込んだ。少女は手にしていた巾着からがま口財布を取り出し、小銭を幾つかつまんで店主に差し出す。一つください、と言う注文に応えて、店主である中年の男性は既に焼きあがっているベビーカステラを紙袋に詰めていった。
「まいどあり!」
威勢良く告げて品を差し出す店主。なんて心地の良い響きなんだろう。少女も、店主も、そして私も微笑んで、取引は完了した。こんがりと焼けたカステラは、子供の瞳には宝石のように映っているのかもしれない。
彼女は早速紙袋を開け、カステラを一つ頬張った。さぞかし甘いであろうその味に、彼女は極上の笑顔を見せる。私はこの笑顔を知っていた。
「ね、お姉さんも一緒に食べよう?」
「ありがとう、でも気持ちだけで十分だよ。そっちは育ち盛りなんだからいっぱい食べないと」
少女の好意をぬらりとかわし、辺りを改めて見回した。屋台の数は九つであり、祭りの出店としてはやはり少ないように思える。人口減少の煽りを食っているのだろう。賑わいを見せてはいるが、近隣の村の住人も集めてやっとこの人数なのだと言う。
行き交う人の流れをぼんやりと見つめていると、ごん、と鈍い鐘の音が響いた。時報のようだ。
祭りの会場は神社ではなく寺の境内であり、中心に鐘を据えた広場を二つに区切るように設営を行っていた。屋台が並ぶ一角と、折り畳み式の長机およびパイプ椅子を並べた食事スペース。祭りの参加者は屋台で買い物を済ませてから椅子に座り、他愛もない話を肴に飲み食いを楽しんでいる。
しかし子供達はおとなしく座ってなどいられないようで、ある者はヨーヨー風船を弾ませながら歩き回り、またある者はくじ引きで手に入れたおもちゃを引っさげて会場を走り抜けていた。駆けっこに興じる少年たちがあげる、子供特有の甲高い叫び声が耳に痛い。この祭りを楽しんでいる子供たちは、私が知っている子供よりもやんちゃであるようだ。
「あっちが金魚すくいだよ! 去年から紙のやつじゃなくてモナカになったから、すくいづらくなったんだけど」
少女の声で我に返り、その後を追った。食品以外の屋台は三つあり、金魚すくいとヨーヨー風船の店、射的屋、そしてくじと駄菓子の店が並んでいる。くじ屋の前には特に子供が多く、騒がしい。その中に自然に溶け込み、戦利品の話をしているところを見ると、彼女にとっては見知った顔ばかりのようだ。
ふと気になって、ひとつ尋ねた。
「お友達もみんなこのお祭りに来てるの?」
「うん、だいたい来てると思うよ。隣の村の小学校の子もいる」
そうなんだ、と返して、その数に思いを馳せた。大人の数に比べて子供が少ないように見えるのは、過疎化が進みつつある証なのだろう。酒を片手に盛り上がっている大人たちも、よく見ると老人が多いようだ。
視線を屋台に戻すと、くじ引き屋の景品のレトロな風合いが目を引いた。ゲーム機や最新の玩具などの無い、二十年近く前に過ぎた昭和の世を思わせる―と言うよりは本当に昭和そのものの品揃え。私の親ぐらいの世代が見れば懐かしいと口を揃えて言いそうな、安っぽくてどこか温かみのあるものばかりだった。
ポンプで空気を入れて遊ぶ蛙の玩具が流行ったとか、そんな話を昔聞いた気がする。他にも何かわかるものはないかと観察してゆくと、駄菓子の中には今も変わらず販売されているものが多いことに気がついた。
「糸引き飴だ、懐かしい」
「私もこれ好き……あっ」
驚いた顔をした少女の視線の先には、同じくらいの歳の少年がいた。少し遠くから私達を見ていた少年は、ぷいと目を逸らすもこちらが気になるようで、横目で度々少女を見ながらゆっくりと遠ざかってゆく。気の強そうなその顔は、私がよく知る人と似ていた。
残された少女もまた、小さくなってゆく少年の姿を目で追う。その困ったような表情から、二人の間に何があったのかはおおむね理解できた。今生の別れを控えているだとか、そういった類の大きな事件は起こらないと言うことを私は知っている。
「けんかしたの?」
「……うん」
小声で訊ねると、彼女は俯いてか細い声で答えた。
「本当は一緒にお祭りするはずだったんだけどね、お昼にけんかしちゃって、それっきり」
ひどく悲しげな表情が、半日にも満たない時間が彼女にとってどれだけ長いものだったかを語っている。宙ぶらりんになった気持ちのまま、どこにも混ざることができず一人で喧騒の中を漂っていたのだろう。
私は少女の話を聞き遂げてから、財布を取り出し十円玉を二枚摘み取った。できる限りくたびれたものを選んで。
「今からでも遅くないと思うよ、もう一回お話してきたら? ほら、案内してくれたお礼に賄賂あげる」
小銭を屋台の店主に渡し、飴を買う旨を告げる。少女は最初こそ目をぱちくりとさせていたが、礼儀正しく深々と頭を下げて、飴から伸びた紐の束から二本を選んだ。店主が手繰ったその先には、小さな赤い飴と、大きな黄色の飴がついていた。大きい飴は当たりのはずだから、話題としては悪くないはずだ。
いってらっしゃい、と背を軽く押すと、少女はもう一度頭を下げてから小走りで駆けていった。少年と何かを話し、飴を渡して、そのまま共にどこかへ向かう。どうやら上手くいったようだ。二人のかわいらしい背中を見ていると心が安らぐ。これが後にあんな姿になってしまうのだから世界は残酷だと思う。
小さな案内人を見送った後は、持参していたデジタルカメラで次々と写真を撮った。桃色のコンパクトボディを不思議そうにな目で見てゆく人はいたけれど、深く気にしないことにして、屋台や盛り上がる人々の様子を遠巻きに収めてゆく。歩き回っているうちに腹の虫が鳴り出したが、無視して撮影を続けた。屋台から漂うソースの匂いに食いつくのは怖かった。
一通り写真を撮った後、私は寺を出て、入り口の目の前に停めた車に乗り込んだ。本来ならば駐車違反で減点を食らってもおかしくないような位置だがお咎めはない。
振り返ると、私が今までいた場所の異様さがよくわかる。地には草が茂り、寺を囲む石垣はところどころが崩れている中、境内だけは手入れの行き届いた空間となっているのだ。例えるならそこだけ時間を巻き戻したかのような。
エンジンをかけ、いつでも発進できる状態にしたうえで、先ほど撮った写真を確認してみることにした。胸が早打ち、寒気が背筋を撫でる。興味本位で撮ってしまったが、この中に何か恐ろしいものが写っていたとしたら……。
その時再び鐘の音が響き、私は驚いてカメラを取り落としてしまった。それが終わりの合図だったに違いない。慌てる私の目の前で、境内を満たしていた灯りが、闇のカーテンを下ろしたかのようにすうっと消えてゆく。並んだ屋台や祭りを楽しむ人たちも連れて、はじめからそこに何も存在していなかったのように。いや、確かに何も存在していなかったのだ。
窓から顔を出し、目を凝らして境内を覗くと、月明かりに照らされた鐘撞き台だけが残されていた。崩壊が進んだその身は鐘を抱えていない。あの音色はいったいどこから聞こえてきたものだったのだろうか。
カメラを拾って先ほど撮った画像を確認すると、どのショットも真っ暗な寺の廃墟だけを写している。心霊だとか呪いだとか、そういった類のものが入り込んでいるようには見えない、ただの暗い写真が続き、当初の目的であった夕陽が最後に出てくるのみだった。
後日、私は久々に実家へと帰った。両親の故郷である村に行って夕陽を撮った話をすると、母は呆れ、父は是非見せてほしいと食いついてきた。
二人の故郷が廃村になったのは、私が物心つく前のこと。両親は職を求めて街に出ていたが郷土愛は強いほうで、廃村が決まった際には語り尽くせぬ悔しさに胸を焼かれたそうだ。そのせいか、毎年夏になると決まって同じような夢を見るのだと言う。二十年以上が経ち、揃って還暦間近となった今でも。
「お母さんお父さん、今年もお祭りの夢見たの?」
「たぶん見たわよー」
「俺は覚えてねえなあ」
テーブルの上、父が酒の肴につまんでいる燻製の隣に、平べったい箱が無造作に置かれている。古めかしい絵柄のフルーツで飾られた箱を開けてみると、中にはたこ糸のついた飴が詰まっていた。突然食べたくなったとのことで、二人で箱ごと買ってきたのだそうだ。また太るぞ、と心の中で呟く。昔の姿はあんなに可愛らしかったのに。
時代が違うせいか、私があの不思議な祭りで見たものよりも飴が小さい。糸を引き、当たった青い飴を口に放り込むと、懐かしい甘さが口いっぱいに広がった。