その他創作

読み切り

#-- あなたに告げる

 その店は星の木通り商店街の片隅で、派手な突き出し看板を光らせた酒場の陰に隠れるように存在していた。
 お待たせしましたドラゴンステーキ一丁! と威勢良く告げるウェイターの姿を窓越しに覗いて、ここが目的地の隣であることを確認する。竜のしっぽ亭とやらで間違いないだろう。目当ての店は地味な佇まいをしているので、こちらを目印に探したほうが良いと言われていたのだ。
 道を訊いた相手が親切にも書いてくれた地図は的確なものだった。示されている通りの場所に、ドアのそばに木製の質素な看板を吊るしただけの店が確かに存在していた。すでに陽が沈んでいて見えづらいが、看板には『ブラウン時計店』と彫り込まれている。窓から灯りが洩れているところを見るとまだ営業しているようだ。
「あった……」
 呟きは確かな安堵の色を含んでいた。
 来訪者は小柄な少女だった。パニエでふんわりとスカートを膨らませたワンピースの上に、アウターウェアとしてのビスチェを重ね、更にレースのショールと薔薇のコサージュをあしらったヘッドドレスで着飾っている。ゆるやかにウェーブを描く髪、円らな瞳、整った顔立ちがそれらの服装によって引き立てられていた。そこには計算された美が息づいている。
 ドアノブの無い扉を華奢な手で押すと、それは据え付けられたベルを鳴らして少女を迎え入れた。
 足を踏み入れた瞬間、カチ、カチ、と一定のリズムで刻まれる音たちが少女を取り囲む。一つ一つはとても小さな音だが、膨大な数の時計が一斉に奏でることで奔流と化していた。少しうるさいぐらいではあるが不快ではない。
「うわぁ」
 思わず感嘆の声が洩れる。両隣の建物に締め上げられた窮屈そうな店だと思っていたが、内部にはかなりの奥行きがあり狭さを感じさせない造りとなっていた。
 店内を埋め尽くすものはもちろん時計だ。大小様々、形も多様な時計が棚に机に壁にと大量に並べられている。少女が知る他の時計店とは違い、それらの時計は全て稼動していた。休み無く針が動き続ける様子は壮観だ。
 入り口に立ち尽くしたまま店内を見回していると、奥の椅子に座っていた店員が席を立ち近づいてきた。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」
 優しげな笑顔が印象的な中年の男性だ。短く整えた髪とタイトに着こなした服が清潔感を、皺の少ないシャツと襟元でしっかりと締められたネクタイが几帳面さを表している。
「いえ、探し物……ではないのだけれど」
「そうですか、失礼致しました。どうぞゆっくりご覧になっていってくださいね」
 店員は洗練された仕草で頭を下げ、少女の邪魔にならぬようにとその場を離れた。少女は店の奥に戻ってゆく男の背中を見つめる。真摯な瞳で、見定めるように。
 しかし店員を見ていたはずの眼は、いつの間にか周囲の商品を観察しだしていた。変わった形の時計や、どうして時計店にあるのかわからないようなものが、この店には多数置かれている。どれもが思わずまじまじと見つめてしまいたくなる魔力を持っていた。
 指輪にはめ込まれたとても小さな時計。透明な球体の中で三本の針が異なる軌跡を描く時計。つつくとぷるぷると揺れる柔らかい時計。映し出された針の映像が時を刻む天井。いずれも少女が今まで目にしたことの無いものだった。
 その一つ一つを見て回るうちに好奇心がむくむくと膨らむ。少女は胸のときめきを覚えながらゆっくりと店内を巡り、時計とは関係が無いように見えるものばかりが置かれた棚の前へとたどり着いた。何の気なしに手にしてみたものは、薄紫に輝く半透明の小石。これは何に使うものなのだろうか、と疑問が浮かんだ。
「あの、これは」
 小さな声で呼んだにも関わらず、店員の男はそれを聞きつけてすぐに接客に入ってくれる。軽やかな足音が心地良く、少女は不思議な安心感を覚えた。
「如何なさいました?」
「これは、何に使うものなんですか」
「そちらも時計でございます。時刻によって少しずつ色が変わるんですよ」
 少女は感嘆の声をあげて小石を再度見つめた。しかし色の移り変わりは激しいものではないようで、その変化を感じ取ることはできない。ずっと見つめていても仕方がないので、次はその隣にあったシーリングスタンプのようなものを手に取った。スタンプする面に絵柄はなく平らになっている。
「そちらは捺して初めて機能するんですよ。試してみます?」
 買うつもりもない中申し訳ない気持ちもあったが、好奇心が勝り首を縦に振った。店員は実演に必要な品を手早く集めて空いているテーブルに広げる。指先に生じさせた小さな火で蝋をあぶり、垂らしたものにスタンプを押し付けると、現在の時刻が浮かび上がった封蝋が完成した。役目を果たしたはずの印面は平らなままだと言うのに。
「きれい……」
「このように捺した時刻がわかるようになっているんです。魔法が込められた品なら他にも色々とありますよ。この棚にも多いですね、変り種を置いているので」
 男がどこか誇らしげな笑みを浮かべる。落ち着いた語り口ながらも、お気に入りの玩具を自慢する子供のような幼さがあった。その輝いた目に誘われているような気がして、少女は質問を続ける。彼の話を、胸にじんわりと響く低い声を、もっと聞きたいと思った。
「ありがとうございます、じゃあ……あっちは何なんでしょう」
 少女が視線で指したのは店の奥に並ぶ品々。時計である事には変わりが無いようだったが、文字盤に解読不能な字が刻まれており、数字らしきものの数や針の長さがそれぞれ異なっている。先ほど説明を受けた棚と同様に、とうてい時計には見えないものも多数置かれていた。
「こことは異なる世界の時計を集めているんですよ。一日の長さが違う所が多いですので、実際に生活の中で使える訳ではないのですが……まあ私の趣味ですね。お客様にはインテリアとしてお勧めしています」
「インテリア」
「はい。様々な時計に囲まれて過ごす時間はとても良いものですよ」
 そう言って男は店内をぐるりと見回した。辺りの時計たちは休まず動き続け、規則的な音の重なりを奏でている。時の迷宮、なんて言葉が少女の脳裏に浮かんだが、少し違うなと思い至った。ここの時計には狂いがなく、迷いようがない。
「時計、お好きなんですね」
「ええ、趣味が高じて店まで構えてしまったぐらいですしね。私一人でのんびりと営業している程度のものですが」
 店員改め店主が気恥ずかしそうに笑う。少女は長い睫毛に縁取られた眼を瞬かせながら、相手を正面から見上げて続けた。
「せっかく集めた珍しい時計、売ってしまって良いんですか?」
 純粋な疑問だった。この店は他所ではまず見ないような珍しいものを取り揃えている。価格は高めに設定されているようだが、それでも奮発すれば買えそうな価格のものが多い。コレクションを兼ねているのなら、他者の手に渡ってしまうことを惜しむものではないのか。少女はそう考えていた。
 しかし店主は顔を綻ばせてその問いに答えた。
「良いんですよ。時計は……いや時計に限らずですが、必要とする誰かが使ってこそです。私はそのお手伝いをしたいんです」
「必要とする、誰か」
「ええ、時を知らせるべき主に一刻も早く出会えるように。売れて寂しくない訳では無いんですけどね。しかしもっといい人がきっと居るだろうと言うか、私が独占してしまうのは少々贅沢すぎると言うか、でも折角なので手元にあるうちは毎日眺めていたいと言うかとにかくその、あれです。あれって何だ」
 溢れた熱意が店主の知的な印象にひびを入れる。言葉に詰まり慌てる姿に、先ほどまでの笑顔とは異なる親しみやすさを感じ、少女も思わず小さく笑い出してしまった。
「はふっ、ふふ……おじさま面白い」
「いやあお恥ずかしい、この話になるとつい熱くなってしまいまして」
 男は照れくさそうに頭を掻いた。少女はそんな彼にぐっと歩み寄り、空いているほうの手を静かに取った。小さな両手が骨ばった手を包む。少女の肌はしっとりと滑らかで、男よりもずっと冷たかった。
「お願いがあるんです。おじさま、私をこの店に置いてください」
「……はい?」
 突然の願いに店主は目を丸くした。どうしてそんな流れになったのかが理解できず、間抜けな声だけが口をついて出る。少女は呆気に取られる店主の手をいっそう強く握り、言葉を連ねた。
「人形技師カイル・オズボーンが手がけた十四体目と言えばお分かりいただけますよね?」
 貴方なら、と念を押しながら微笑む。男はその意図を汲み上げただただ驚いた。軽く屈み、少女と目線の高さを並べてまじまじと顔を覗けば、その顔が人間にしては整いすぎていることが分かる。少女は意図して作り上げられた美しさを備えていた。
「話には聞いていましたが、まさか実際にお目にかかれるなんて。……では、今の時刻は」
「午後六時四十六分二秒です。秒は時刻を言い切る瞬間に準じていますが、余計でしたら省略しますよ」
 少女の姿をした人形は、相手の眼だけを見据えたまま即座に言い切った。男は驚きから一転、興味津々と言った様子で彼女を見つめ小さく拍手を送る。
 時計狂の店主が知らないはずが無かった。稀代の天才と名高いリビングドール技師の作品のうちたった一つだけ、自らの中で正確に時を刻む機能を持った『時計人形』があると言うことを。
 持ち主に時を伝えるただそれだけのために、人に似たボディと聡明な思考回路を搭載した贅沢な時計。一度は見てみたいと思い続けていたとびっきりの品だ。しかし男はこの邂逅を手放しに喜ぶことができなかった。
「しかし、どうして私の店に?」
「……以前の主人が亡くなりました」
「そう……ですか」
 何となく予想していた通りの答えに、二人揃って俯いてしまった。これ以上の事情は訊くべきではない。他人が気軽に踏み込んで良いものではないのだから。
 これではいけない、何か違う話題を出そう……と男が考えを巡らせていると、時計の少女が静かに語り始めた。
「私は時計だから、私を時計として使ってくれる人のもとへ行くべきだと思いました。できれば、かつてのご主人様と同じく大切に扱ってくれる人を。この店のことを人から聞いて、その手助けをして貰えるかもしれないと思って来たんです」
 少女の願いは店主が語る想いと一致した。宝物として倉庫へしまい込まれてしまっては意味が無いのだ。
 この人に任せれば上手く行く、と言う確信があった。
「良いですけど、私が心から認めた人にしか渡しませんからね」
「ふふ、お父さんができたみたい」
「そこは譲れませんよ! ……ところで今何時です?」
「はい、午後七時五十分三十三秒です」
 鈴の鳴るような声で告げる。問う側も問われる側も、その度に時を刻む喜びを感じていた。時計だらけのこの空間においては一見無意味に見える行いだったが、そのやりとりは店主が少女を必要としていることを表すまじないの言葉となった。
 針も文字盤もない時計をひとつ加えて、ブラウン時計店は明日も明後日もそのまた先も出会いを提供し続けてゆく。