その他創作

読み切り

#-- 天使はひいた。‐世界の終わり、彼の場合‐

 二〇〇七年九月二十一日、少年は聖地に辿りついた。
 世界が終わったあの日から泣き伏せること一週間、開き直るまでに一週間、そして自転車を繰り旅をすること一週間。
 ひ弱な脚に鞭を打ち、最後に残された希望を手にするために彼は走り続けたのだ。

 三週間前のある日、世界中の全ての人間が消え去り、世界は唐突に終わりを告げた。生活の残り香だけを残して、残酷に、忽然と。
 操り手を失い、あらゆる機能を停止した日本にただ一人残されたのは、どこにでもいるようなごく普通の少年だった。近場の高校に通う、囲碁部所属の十七歳の少年。どう言う訳か彼だけが滅びの運命から取り残され、ただ一人孤独に時を過ごすことを余儀なくされてしまった。
 少年はひとしきり絶望したのち、もしや、と本棚に収められていた一冊の本を手に取った。それは砕けた文体で綴られた文庫サイズの書物。カバーには不自然なほどに眼の大きな少女が描かれており、愛らしい字で色鮮やかに『てんころっ!~天使よ、三千世界を戮せ~』と題されていた。いわゆるライトノベルと呼ばれる類の若者向けの小説である。
 コミカライズとアニメ化を経て人気を博しているこの物語は、主人公である少年と天使の出会いから始まる。
 ある日世界から全ての人間が消え失せ、一人残された主人公は途方に暮れるが、彼の前に少女の姿をした天使が舞い降りた。救世主である少年の魂を見極めるために遣わされた天使は、共にこの世界を救う仲間として少年を上位世界へ誘う……。
 と言った内容から始まる冒険活劇なのだが、偶然にも少年とこの主人公の少年の境遇は恐ろしいほどに重なりあっていた。
 もしや自分の前にも天使が現れるのではないか。少年は夢想したが、二週間待てどもついに天使が現れることは無かった。現実はどこまでも残酷である。
 そして彼は一つの選択を決断を下した。
 彼女が会いに来てくれないのならば、自ら赴くしかない……と。

「ついた……」
 少年は目の前のものを見上げ、その堂々たる姿を眼に焼き付けていた。自転車を停め、地図を握りしめながら。
 彼の故郷である片田舎には存在すらしない高さの建造物。見上げてもまだ足りぬほどの大きさのそれは、一つの店が地階から最上階までをほぼ占拠している――都心部へ踏み入った瞬間から何度も感じてきたが、ここ東京は本当に日本に現れた異世界のようだった。
 惜しむらくはその異世界に人影一つすら見えないことであるのだが。
 とにかく、ネオンで『ヨドミバシカメラAKIBA』と示されたこの建物は、彼が聖地と崇める場所にたどり着いたのだと語っていた。
「あと少しだ」
 自らを奮起させつつ少年は再び自転車に跨った。
 彼の住んでいた地とは違い、そこかしこに掲げられた看板は、主を失いながらも光を灯し続けている。何かに見守られているような錯覚を感じながら、少年は地図を頼りに目的の場所へと向かった。

 ごくり、と息を呑む音がやけに耳についた。
 辿り着いたのはとあるビルの一フロア。広いとは言えない、どこか空気の淀んだ空間に、書籍を陳列するための棚が所狭しと並んでいる。
 幸いにも生きていた明かりの元、鮮やかに照らされていたのは、どれも貼り付けられている値札の割に合わぬほどに薄い冊子たち。彼の愛読書同様に眼の大きな少女たちが描かれており、時にその少女達は裸同然の姿を晒している。いわゆる同人誌と呼ばれる類の、それも成人男性を対象とした性描写のあるものを集めた一角だった。
 他に客など一切居ないにも関わらず、少年は恐る恐るその棚と棚の間に踏み入った。ぎこちない手つきで手にしたものは、『てんころ』のヒロインである天使の少女アルマエルが描かれた一冊。天使は普段は固く閉ざしている襟元を大胆に開き、誘うような眼で少年を見上げていた。
「こっ……」
 少年は熱い衝動に突き動かされるまま、本を包む包装フィルムを一気に剥ぎ取った。そして震える手で薄い本をそっと開き……目の前に広がる光景に鼻息を荒げた。
「ここは楽園かーっっ!!」
 答えるものは居ないが、ここは確かに彼にとっての楽園であった。

 地方住まいのオタク、とりわけ少年少女は得てして都会に憧れるものである。
 田舎には彼らの欲するニッチな商品を扱う店が無い。そして家族と同居している場合、品を勝手に開封される懸念から通信販売にさえ手を出せない……少年もそうしてもどかしい日々を過ごしてきた者の一人だった。
 加えて彼の自宅のパソコンは居間に備え付けられている。オタク趣味に理解があるとは言えない家族の目を盗み、愛しい天使のファンサイトを巡ることすら至難の業だったのだ。せめて携帯電話があればと何度思ったことか。
 枷から解き放たれた少年の興奮は留まるところを知らない。ショップのビニール袋いっぱいに本を詰め込んだのち、狩人は異なるビルの上階へと駆け上った。案内板が示す情報によれば、この先には彼にとっての未知なる世界が広がっているはずである。
 上りきった先に並べられていたものは、所狭しと陳列された煌びやかな衣服の数々。
 彼は第二の楽園、コスプレイヤーの園に足を踏み入れた。

 * * *

 時を同じくして、どこか異なる世界にて。
 少女は期待に胸を高鳴らせていた。下積みを重ねて待つこと数年、ついに待ち焦がれた時が訪れたのだ。
 虚空に浮かぶ魔法陣を前に、少女は得物を握り呼吸を整える。手にしたものは少女の背丈ほどもある大がかりな武器だった。槍のようにも、剣のようにも、はたまた重火器にも見える、巨大な刃と弾倉とトリガーを備えた兵器。これを刃として振るうか、銃として構えることになるかは未だ解らない。全てはこの陣の先に待つものに委ねられる手はずである。
「……よし」
 華奢な手で頬を叩いて気を引き締め、少女は背中から伸びた一対の翼を広げた。白く輝くその姿は、天使という名こそふさわしい美しさを湛えていた。白い肌と端正な顔立ちも彼女の持つ荘厳な空気を存分に引き立てている。
 少女の名はアルマエル、上位世界を束ねる神に仕える天使の一人である。
 見習いの修行を終え、今まさに初めての仕事を遂行しようとしている。天使の仕事とは下位世界の人類に試練を与え、彼らの世界が存続に値するかを判別すること――そして残す価値がないと判断したならば全てを無に還すこと。彼女の武器に内蔵された、銃器を模した存在武装兵器はそのためのものだ。このトリガーを引けば、それだけで一つの世界に真の終焉が訪れる。
 この先の世界では今頃、あらかじめもたらしておいた予言の通り、たった一人の信者を残して全ての人類が一時的に消失しているはずだ。その残された一人こそが、世界の存続を決める鍵となる。試されるは信仰の深さと賢さ。試練、などと言ってしまえば響きは良いが、要は主にとって都合の良い世界だけを残すための間引きである。
 いざ向かわんと言うところで、伝令の天使は私のことをどのように伝えたのだろう、と少女はふと思った。特に文明が発展した国の、経済と人の心を大きく動かす力のある者に啓示を与えた……とは聞いているものの、詳細はわからない。ラノベサッカと言う名の、多くの信者を擁する者であるのは確からしいのだが。とにかく私の存在は素晴らしい物語として語り継がれていることだろう、そう信じて少女は光が溢れ出す魔法陣へと身を沈めた。

 * * *

 無人の街道を獣が走る。
 正確に言うならば、縄張り争いを行う獣よりも興奮した少年が。
「しったっがっえっすべてよー! わがみなのもーとにー!」
 音程もリズムも外れ、時々裏返る悲惨な歌声を咎める者はいない。音痴と言う罪を罰せられぬまま、少年は大声を張り上げながら道を進む。
「うーぞーうーむぞーうにー! さばきのーとーきをー!!」
 やや小柄な身体に纏うは、どこか軍服に造りの似た白い衣装。彼の愛する天使アルマエルが作中で愛用しているものに似せた、いわゆるコスプレのための衣装だ。元々男性が着ることを想定してデザインされたものではないうえに、剥き出しになった脚を覆う体毛が違和感を増幅させている。
「でん! げき! こー! りんっ! せんとうっ! てんしっ! うおおおおおかわいいよアルマたんかわいいよおおおおお! 踏んでええええええ! んふっふふ!!」
 オープニングテーマ曲を歌い終わるや否や少年は叫び出していた。そして勢いに任せてターンを決め、ふわりとスカートをなびかせる。デパートの下着売り場からくすねていた、女物のショーツがちらりと見えた。
 見苦しすぎるそれは、少し離れた場所に佇んでいた、天使の翼を備えた少女の眼に、しかと焼き付いた。見えてはいけないものがまろび出た瞬間まで。
「……え?」
「あ……」
 時が止まる。何が起こったのか理解できず、少年も少女もただ立ち尽くしていた。
 人として何かを間違った場面を見られただとか、まさか目の前にいるのはあの戦闘天使アルマエルそのものではないかだとか、少年の頭を濁流のような思考が賭け巡る。イラストと三次元の女性との違いはもちろんあるが、美しい銀色の髪、端正な顔立ち、白を基調とした服、背負った巨大な武器……と、彼の知る天使と目の前の少女は恐ろしいほどに酷似していた。
 ありったけの不愉快さを貼り付け、その顔を引きつらせながらも。
「……アルマたん、ですか」
 少年は震える声で問う。少女は迷うことなく答えを紡いだ。
「人違いです」
 天使はヒいた。
 そして引き金を引いた。