その他創作

読み切り

#-- 弔いの花

 しまった、と叫びかけたときには既に遅かった。
 上手く力の入りきらない手から、木製のスープ皿がつるりと逃げ出していた。傾いた状態で宙に放り出されたそれは、小さな机に上手く着地することができず、内容物をぶちまけながら机上を転がって床へと落ちる。木皿が床の上で暴れる虚しい音がしばらく響いて消えた。
 またやってしまった。記憶している限りでは、皿やカップをひっくり返した回数は両手で数えても足りない。幸い新しい火傷の無かった手をじっと見つめながら、老齢の男は自らの身体を想った。
 衰弱は日に日に進んでいる。先は長くないだろう。しかし悲観ばかりしても仕方のないことであるし、若くして先だった妻のもとに行くと考えれば恐れることではないように思えた。ただ一つの問題は、病に伏せた老いぼれを養う負担を家族に強いてしまっていることだ。
 皿の転がる音を聞きつけて、女が部屋に飛び込んできた。結わえられた長い髪を揺らし、女は老人が座っていた寝台へと駆け寄った。
「お父さん、大丈夫!?」
 男の一人娘だ。少女と呼ばれる時は過ぎたが、その質素な服に身を包んだ姿はまだまだ瑞々しい。亡き母に似てやや気弱げな眉を更に困らせながら、娘は老人の顔を覗き込んだ。
「落としただけだ、火傷はないよ。……すまないな、何度も」
「気にしないで、お父さんが無事ならそれでいいのよ。今片づけますからね」
 そう告げて娘は子供にするように優しく微笑んだ。そして木の皿を拾い、ぼろ布でスープを拭いてから部屋を後にする。すぐに戻ってきた娘の手には、新しいスープが注がれた木皿があった。うっすらと湯気があがっている。
「はい、おかわりですよ」
「ああ……ありがとう、ラーヤ」
 再びテーブルに置かれた皿に手を添え、男はその温かみを噛みしめた。この愛情のこもった熱だけが、弱りきった身体を動かす動力源となっている。よく煮えた山菜がたっぷりと入った薄味のスープを啜りながらそう考えた。

 身体はひどく重いが、歩けないほどに弱っているわけではない。
 食事を終え、ふと所用を思い出した男は、力の入らない脚に鞭を打って寝室を出た。ガタが来ているのは己の身体だけではないらしく、廊下の床板が耳障りな音をたてて軋む。早く補修をして欲しいところではあるが、唯一の健康な男手が忙しいとなれば後回しになるのも仕方ないのだろう。
 壁に手をつきながらダイニングにたどり着くと、幼い孫娘二人が人形遊びに興じていた。古着から作られた布人形を並べ、テーブルをすっかり占拠してしまっている。昨日も同じような遊びをしていたが飽きないものだ。男は逆光を背負う孫娘の姿を静かに見守っていた。
 そして本来の目的を思い出し、部屋の隅に置かれた袋から一冊の本を取り出す。装丁からして堅苦しく厚みのあるそれは、男がこの家に移り住んだ際に持って来た荷物の一つだった。仕事柄必要なものだったが、今となっては呆けてしまわぬよう時々開く程度の使い道しかない。子供に読み聞かせるにしても面白味が無さすぎた。
 部屋の隅の椅子に腰掛けて読書に勤しんでいると、外に出ていた娘が帰ってきた。昼食を作りたいとのことなので、かまどにくべられた薪に、小さな炎を作る魔術で火をつけてやる。火打ち石はあるのだが、男にとってはこのほうが楽だった。
 今日もまたそんな具合に、いつもと変わらぬ日々を過ごす。……はずだった。
 平穏を打ち破ったのは、勢い良く玄関を開け放った何か。
 働きに出ていた婿かと思ったが違った。そこに立っていたのは、おぞましい姿をした、そうとにかくおぞましい姿をした化物だった。


「おい、本当に川に着いちまったぞ」
 男の困惑は柔らかな水音に溶け、消えた。
 森を拓いて踏み固められた細道をひた進んでいたが、ついに目的の場所が見つからないままに森を抜けてしまった。
 困ったように呟いたのは、腰にロングソードを提げた長身の男。華美さよりも動き易さと耐久性を重視した服に身を包み、その上から急所を守る革製の部分鎧を取り付けている。傭兵もしくはそれに類する者であることが一目で見て取れる姿だった。まだまだ若くはあるが、実用的な筋肉を備えた逞しい体つきが、それなりの場数を踏んできたことを表している。
 深緑色の短髪を掻いてから、男は手にしていた地図を広げた。目の粗い紙に書き込まれた線をなぞり、すぐに現在地を割り出す。そして少しだけ指を滑らせ、元来た道に位置する印を指した。
「ここからそう遠くないよな、これ」
「地図が正確ならな」
 連れの黒髪の男は、地図を一瞥してから黙してしまった。その眼は川面を捉えながらも思索の海を泳いでいる。
 戦士らしい格好をした男とは対照的に、連れはとても殴り合いには向いているとは言えない服装をしていた。藍色のローブに身を包み、更にその上から複雑な文様が刺繍されたケープを羽織っている。
 そして動きを妨げないようにはしているが、首や腰には多種多様な素材を組み合わせた装飾品を巻き付けていた。透けぬ類の色付き石、削り出した木の玉、革製の飾りなどが、それ同士でぶつかる音を立てぬように配置されている。
 その独特な服装を見れば、彼が魔術に通じる者であることが子供でも分かるだろう。この大陸における魔術と総称された技術体系は、使い手は選ぶものの広く知られ受け入れられているものだ。
 一口に魔術の使い手と言えどもその使い方は様々だ。術の研究や伝授自体を生業とする者、魔術絡みの品を扱う商いに活かす者、人々の生活の手助けを行う者……そして戦や荒事における刃として用いる者。この男はそのうちのどれか一つを専門に行うものではなかった。
 剣士のフィオロと術士のテディ。得物は異なるが、二人は同業者である。護衛に獣退治、荷運び等、腕っ節が要る仕事を多く請けるこの稼業は『冒険者』と呼ばれた。時には雑用や溝浚いのような仕事も回されるため、冒険をしていない冒険者なんて者も存在するのだが。
「引き返そう。結界の類が張られていないか調べながら戻る」
「へーい」
 気の抜けた返事を得て、術士の男は荷袋から小さな布の袋を取り出した。じゃらじゃらと音を立てながら中身をかき回し、そら豆ほどの大きさの石を一つつまむ。そして何の変哲もない姿をした塊を握り、眼を閉じて小声で何かを呟いた。再び開いた手の上で、石が青い炎を纏い、揺らめかせる。しかしその炎が肌を焼く気配はない。
「これ熱くねえの?」
「触るか?」
「いや、いい」
 他愛ない質問を投げかけ、それで終わり。魔術が絡むとなればフィオロにとっては専門外だ。調べ事は頼れる仲間に任せ、自身は警戒に努めることにした。

 変化はすぐに表れた。テディの手の上で揺らめいていた青い炎が、音もなくその勢いを増したのだ。歩きだしてすぐの出来事だった。
 二人揃って辺りを見回すが、やはり怪しいものは見受けられない。細い道を挟んで森が広がるばかり。「やはりな」とテディがひとり頷いた。
「幻覚魔術って奴か?」
「ああ、おそらくは村への道を隠している」
「だろうなー。村がきれいさっぱり消えるなんてあり得ねえもん」
 再び荷物袋を漁りだした相棒を横目に捉えつつ、フィオロは今回の依頼について思いを巡らせていた。

 ギルドを介して出会った依頼主は、街の中規模な商社の長だった。定期的に田舎へと馬車を走らせ、特産品の買い付けと行商を行っていると言う。直接関わったことは無いが名前だけは聞いたことがあった。
 依頼の内容は『捜索』。捜索と言えば通常は人や愛玩動物、そして失せ物や希少な品を求められることが多いのだが――今回は勝手が違った。
 人の良さそうな小太りの社長は、『村』を探して欲しいと言ったのだ。
 聞くところによれば、その木々に囲まれた小さな村は、ある日突然と姿を眩ましてしまったらしい。きれいさっぱり、何の跡も残さずに。今までで何度もその村を訪れた商人でさえたどり着けなかったのだから、ただ単に道に迷ったと言うわけでないことは明白だった。
 彼らの知らぬところで何かが動いている。その不穏な暗幕を上げるための依頼だった。商社の経営を傾かせるほどの事件ではないのだが、村民との交流があったおかげで心配でならないのだと依頼主は言っていた。丁寧に頭を下げ、肌色の透ける寂しい頭頂部を見せた長の姿が、やけに二人の印象に残っている。

 テディが次に荷物から取り出したのは革製の小袋だった。封を解き傾ければ、褐色の粉末が手のひらへと流れてゆく。苦く渋い薬のような香りがした。
「離れてろ。吸ったらむせるぞ」
 フィオロは忠告におとなしく従った。男の大股で十数歩距離を取ったところで、相棒が自らの手のひらに強く息を吹きかける。以前にも見たことのある光景だ。魔術によって産み出された濃霧を払うために用いていた記憶がある。
 効果はすぐに表れた。粉薬が吹き付けられた辺りの空間が霞み、木に代わって踏みならされた道が姿を露わにしたのだ。
 そしてその箇所を起点に、森の奥へと続く道がさあっと敷かれていった。実際には元々あったものが再び見えるようになっただけのこと。施されていた幻覚魔術は、取っかかりを認識してしまえば自動で崩れてゆくものらしい。
「おー、凄いな。一流の魔術士みたいだ」
「みたい、は要らん」
 軽口を叩き合いながら二人は細道に踏み入った。
「しかしこんな感じの調査なら、俺らに頼むより魔術協会に回した方が良かったんじゃねぇの? 専門の奴だっているだろ」
「すぐに対応して貰えなかったんだろう。ダイユ山で見つかった遺跡が神代のものかもしれんと大騒ぎだし、こないだの悪鬼征伐の後始末も残ってる。あと二番隊の隊長が行方不明でその後釜をどうするかでまだ揉めている。ナヴがやると躍起になっているようだが俺としては……」
「……部外者のくせに詳しいなお前」
「まあ色々縁があってな。とにかく協会は今てんやわんやだそうだ」
 面倒だから俺はやっぱりフリーがいい、と締めて会話はそれっきりとなった。真っ直ぐに伸びた道は意外にも短く、行く先遠くにぼんやりと村の輪郭が見え始めていた。

「ひっでぇ……」
「酷いな……」
 口を揃えて嘆かずにはいられなかった。
 元々村に何らかの異変が起こっていることは明確だったが、二人がそれぞれ思い描いていた可能性のうち、最も否定したかったものが彼らの前に横たわっている。
 まばらに建った民家は、どれもが手入れをされぬまま放置されていた。柵が倒され、塀が砕かれ、畑は作物のほとんどを奪われた上に踏み荒らされ枯れ果てている。扉は開け放たれたままのものと打ち壊されているものが大半を占めており、寂しげな出入り口から見える室内はどこもぐちゃぐちゃに乱れていた。
 そして何よりも痛ましさを見せつけていたのは、壁にべったりと残された古い血の痕と、そこかしこに転がる村民の亡骸だった。
 つい先日殺されたと言うわけではないようで、血の臭いは既に無い。代わって漂う腐敗臭が二人の気を滅入らせ、吐き気を催させた。
 しかし冬が去ったばかりのまだ風の冷たい時期であったためか、肉に潜る蛆の数も少なく、遺体の形はある程度残されていた。これから訪れる春の陽気に舐め尽くされるのも時間の問題ではあるのだが。
「食い荒らされたみたいだ」
 遺体はばらばらに引き裂かれているものが多く、くすんだ色の骨が飛び出しているものばかり。周囲を警戒しつつ亡骸を観察すると、骨は時間経過により肉が腐り落ちて出てきたものだけではなく、はじめからその姿を風に晒していたものが多いようである。肉がちぎり取られてしまっているのだ。おそらくは鋭い牙によって、食用として。
「しかし狼だの熊だのにしては被害が大きすぎるぞ。これは、やはり」
「そういうこったろうな」
 二人は顔を見合わせ、重たい溜息をついた。
「悪鬼の群れだ」
 知恵を持ち、道具を用い、二本の足で歩むが人ならざるものを、人間たちは人に次ぐものと言う意味を込めて亜人と呼んでいる。その中でも多くの種が存在するが、人に害をもたらすものは悪鬼と総称されていた。
 彼らには彼らの正義が存在しているのかもしれないが、生活を害される者にとっては悪以外の何者でもない。この村もまた、そういった人間にとっての悪に踏みにじられたのだろう。
 人の気配のない道を進んでゆくと、広場らしき場所に食い荒らされていない亡骸が並べられていた。子供のような体躯のものが十数体に、その二・三倍は背丈があるものが一体。村を襲った悪鬼たちの一部だったに違いない。
「小鬼と……食屍鬼、だな」
 腐敗は進んでいたが、特徴的な体躯と醜い顔からの推測は容易だった。
 多く転がっているのは子鬼。繁殖力が強く、集団で家畜を襲ったり畑を荒らしたりする事例が非常に多い。そのため二人も頻繁に退治要員として駆り出されている。
 対してもう一種類の悪鬼は、長身のフィオロが小さく見えるほどに大きく、砦のようにがっしりと角張った肩から汚れた骨を覗かせていた。食屍鬼と呼ばれるその悪鬼は、名の通り屍肉を好む凶暴な種族である。
 それらの骸だけが丁寧に並べられているのは、村を襲った際に出た死者を弔った結果だろう。二種の悪鬼が優劣無く弔われていると言う事実が、彼らが協力関係にあったことを示していた。ずる賢い子鬼が腕っ節だけの食屍鬼をかつぎ上げたといったところだろうか。
 フィオロがはっと息を呑む。
「こいつら、先月騎士団と魔術協会が潰した奴らじゃないのか? ディラの山から来たって言われてたみたいだが、本当はカムワスからで、その途中でこの村を」
「そう言うことか……糞共め」
 テディが理不尽な結末への苛立ちを露わにする。蹴り飛ばされた石ころは遠くまで転がり、草葉の陰に消えた。
 非常に大規模な悪鬼の群れが確認され、国の騎士団と魔術協会が力を合わせる形で討伐に乗り出したのが一月以上も前。大きな被害が出る前に群れを解体できたと聞いていたが、実のところはただ被害が観測されていなかっただけにすぎなかった。助けを求めることすらできぬまま、この村は踏みにじられ尽くしたのだ。
 しかし一つだけ疑問が残る。
「なあテディ。村を滅ぼしたのはこいつらとして、村への入り口を隠したのは誰だ?」
 依頼人が村の捜索を頼むきっかけとなった、村の隠蔽に関する情報が何一つ無かった。
「少なくとも悪鬼共ではないと思うんだが、他に見当が付かんな……もしかすると、特別に術に長けた個体がいたのかもしれない」
「で、ゆっくり村を荒らすために外との繋がりを潰した。と」
「いや、あの結界は道を隠すだけであって、中の者が外に出ることを防ぐような力は無かった。どちらかと言うと滅ぼした村が見つからないようにするためだろう」
「今時の小鬼って頭良いんだな……でも、なんかしっくり来ねえ」
 仮説は立ててみたものの納得する答えは出てこない。念のためもう少し調査を続けよう、と二人は滅入る気持ちに鞭を打った。
「気は進まんが隅々まで調べてみよう。もしかすると何か手が……」
「静かに」
 テディの言葉を遮ってフィオロが囁いた。その顔はいつの間にか緊迫した鋭さを帯びており、視線である方向を指している。
「何か来るぞ」
 まだ姿は視認できないが、フィオロの研ぎ澄まされた聴覚は何かの足音を感じ取っていた。人の歩みにしては緩慢な、引きずるような足取り。いつでも剣を抜けるよう、いつでも術を唱えられるよう構えつつ、二人は顔を見合わせ、手振りで指し示した小屋の陰に身を隠した。
 ずるり、ずるり、と足音が近づいてくる。こちらの存在に気づかれた場合は剣を振るうことを覚悟したうえで、二人はそっと広場を覗いた。
 すると昼下がりの陽射しに似つかわしくない影がひとつ。
「……アンデッド!?」
「マジで!?」
 そこに居たのは、おそらく女性だと思われる人間の死体。他の村民同様に肉を喰いちぎられ、腹部から長いはらわたを垂らしているが、それを意に介することなくよたよたとこちらに向かって歩いてくる。冒険者たちにとって特に相手にしたくない魔物の一つである、生ける屍だった。元々人間であった者を斬るのはどうにも後味が悪く、二人も未だ慣れない。
 生ける屍は死者の浮かばれぬ魂が死体に入り込んで出来上がるものもあるが、事件になるもののうち大半は死霊術によって人為的に作られている。教会が邪法として取り締まっているにも関わらず、逆らうことのない戦力をゴーレム製作等より低コストで手に入れられるため、悪事のために禁忌を犯して学ぶ者は少なからず存在し続けていた。
「また死霊術士絡みかよ……泣きてぇ……」
「俺だって泣きたい」
 小声でぐちぐちと嘆く大人が二人。愚痴はこの手の術士が依頼に絡むと大抵ろくなことがないと言う経験則に基づいている。腐った返り血を浴びながら屍を蹴散らし、話の通じない黒幕を引っ捕まえるのは肉体的にも精神的にも疲れる仕事だった。
「しかしこんな所に一体だけをふらつかせて何がしたいんだ……他にも歩けそうな、しかも戦力になりそうな男の死体は転がっていたはずなんだが」
「なあ、なんか服装おかしくね?」
「服?」
 テディは相棒ほど精度の良くない目を凝らし、生ける屍が纏っているものを凝視した。
 元々着ていたであろう衣服はそのほとんどを破り取られている。肉やはらわたを齧る際に邪魔となったのだろう。だがその中にひとつだけ例外があった。破れた服の上からかけられたエプロンだけが、汚液を滲ませてはいるものの、引きちぎられることなく女の身体を隠している。そして手には持ち手付きの桶を握りしめていた。
「あれは……死んでから着せられたようだが」
 覗く視線に気づかぬまま、生ける屍は広場の中央にある井戸へとたどり着いた。覆う屋根が辛うじて残っていたその井戸で、彼女はおもむろに水を汲み始める。腐った身体で懸命に縄を引く姿は何かの罰を受けているかのように見えた。
「ここを嗅ぎつけた死霊術士が、素材と労働力を邪魔立てなく使うために村を隠した……いや違う、人の目を忍ぶつもりにしては杜撰すぎる」
「現に俺たちがこうやって来ちまってるもんなぁ」
 思索を巡らせている間に、生ける屍は水汲みを終えてよたよたと歩き出した。来た道を戻る彼女に気づかれぬよう、二人は身を隠しながら後をつける。辺りが静まり返っているため忍ぶことは難しいように思われたが、腐っているだけあって耳が遠いらしく感づかれることはなかった。

 女が向かった先はこぢんまりとした一軒家だった。まばらに建った他の家々と変わらない平凡な家。そして他と同様に荒らされた形跡があり、外壁にはこすりつけたような血の痕が残っていた。この家でも残忍な殺戮が行われたことは確かなようだ。
 唯一異なっているのは、破壊された窓があったであろう場所が木の板で塞がれていること。誰かがこの家を使うために修理したのだろう。
 女は水桶を持ったまま家の中へと入っていった。室内は薄暗く、内部を遠巻きに覗くことは叶わない。他に様子を探れる場所はないかと、距離を置きつつ家の周りをぐるりと回ってみたが、閉め切られた薄布貼りの窓が相手ではどうにもならなかった。
 二人は顔を見合わせ、揃って頷いた。
 それなりの時間を冒険者として共に過ごしただけあって、こういった事態に際して導き出す答えは、二人の間でおおよそ一致する。フィオロは剣を抜き、テディは静かに深呼吸をしてから、音を立てぬよう気を払いつつ家へと近づいた。
 扉を挟むように構え、身振り手振りで突入の手順を決める。室内の気配は複数あるが、それが生者のものか死者のものかまでは判らなかった。開けた瞬間に襲いかかられる可能性もあり、気は抜けない。
 蝶番側に立ったテディが三、二、一、と指で秒読みを行い、逆手で掴んでいたドアノブをぐいと引くと同時に、フィオロが一足先に踏み入って――眼前に広がる光景に思わず息を呑んだ。
 フィオロの背を灼きながら差し込んだ陽射しは、形の大きく異なる四つの姿を照らし出している。
 一つは先ほどの生ける屍。火を熾したばかりのかまどに向かい、無機質な動きで鍋をかき混ぜて続けている。突然の侵入者を気に留める様子はなく、振り向きすらしなかった。
 二つは藁を結って作ったと思しき巨大な人形。子供ほどの背丈の、ご大層に服まで着せられた一対の藁人形が、並んで椅子に腰掛けている。驚いたのはそれが独りでに動き、指どころか手と手首の境目も判らない藁の腕で、机の上のがらくたを乱雑に弄くり回していることだった。
 そして残る一つが、部屋の奥まった場所に座っていた老齢の男。汚れた服に身を包み、白髪交じりの髭を伸ばし放題にしている。見たところ生身の人間のようで、不躾な来訪者に驚き、目を不気味なほどに見開いてしまっていた。
 男は本を取り落としてしまい、その音でまた身体をこわばらせた。顔には生気がなく、死んだ魚のような目をしていて、悪巧みをしている最中の死霊術士と言う具合にはとてもじゃないが見えない。蘇りたての屍と言われてもおかしくはないような顔色をしていた。
「あ、あ……ああ……」
 干からびたような唇から、言葉にならない声が漏れる。老人の震える手がフィオロをまっすぐに指さした。
「いったい何やってんだ爺さん、こんなと……」
「逃げろ! お前たち、逃げるんじゃあ!!」
 質問を遮って、かすれた絶叫が響きわたった。
 男の視線が向けられていた先は、生ける屍と二体の藁人形。主の命令を聞き入れ、それらは奥の部屋へと逃げてゆく。女が藁人形たちを先に導き、自らが盾になるようにその後を追った。まるで本物の子供を護っているかのように。
 フィオロは事態が呑み込めないまま後を追おうとするが、老人が早口で何かを呟いていることに気づき、踏み込んだ足をすぐに引っ込めた。すぐ後ろに控えていたテディに背中が当たる。
 二人とも意図するところはすぐに理解できた。あれは間違いなく魔術の詠唱だ。
「炎よ!」
 老人が声を張り上げると同時に、指先から灼熱の火の玉が迸った。冒険者たちは咄嗟に左右に分かれて跳び退き難を逃れる。獲物を見失った火球は、離れた地面に着弾して火柱を上げた。
 しかしフィオロは怯まず、すぐに屋内へと突入した。魔術士にとって一番隙ができるのは術を唱えた直後。相棒の証言に加え、実戦でも体感したことがある。この一瞬を逃さぬよう、全力をもって今仕留めるしかないと踏んだのだ。
 既に男は次の術を唱えだしていたが、ここで背を見せて逃げれば恰好の的。フィオロは勢い良く跳ねて机に乗り上がり、背を屈めそのまま一直線に老魔術士との距離を詰める。そして魔術によって老魔術士の頭上に生み出された氷柱を剣の一振りで弾き飛ばし、そのまま己の体重すべてをかけた体当たりを繰り出した。
「うごぉっ!?」
 数秒で練った作戦は見事成功。戦士の長躯に押しつぶされた男は、苦痛にあえぎながら為すすべもなく倒れ込んだ。駆けつけたテディは自らの腰に巻いていた布を解き、それを縄代わりにして素早く男の腕を縛り上げた。その間フィオロは男の喉に剣を差し向け、術を唱えさせないようにと気を配った。
「このっ……化け物め!」
 男が悔しげに歯を食いしばる。捕らえられてなお、瞳の奥には戦う意志がぎらぎらと揺らめいていた。その激しさは生気のない顔も相まって病的に見える。
「お前たちの、はあっ、好きには、させんぞ! 村はわしが、守る!」
「爺さん。いや、イリクさん」
 テディがなおも叫び続ける男の前でしゃがみこむ。視線の高さを合わせ、男の淀んだ瞳を奥まで覗き込むように、しっかりとした意志を込めて語りかけた。
「あなたの家族はもう亡くなったんです」
 淡々と、事実だけを冷静に。
「ここに居たのは死体と人形。辛いだろうけど……現実を、見てください」
 死体。人形。嘘偽りのない事実は刃となり、弱った心についた傷跡を更に深く抉ってゆく。男の――老魔術士のイリクの肩から力が抜けた。
 そのまま倒れ込んでしまいそうになったところを、フィオロが気を使って抱き留める。そして腕の中でうわごとのように何かを呟くイリクと、神妙な顔をした相棒を交互に見た。
「どういうことだよ、お前の知り合いか?」
「ああ。協会にいた頃世話になった恩師だ」
 伏せた目に深い悲しみを浮かべ、かつての恩師の手を握る。しわがれた手は少し力を入れれば簡単に折れてしまうのではないかと思えるほどに痩せ細っていた。俺です、テディです、と声をかけてみるが、反応はない。
「……昔聞いた気がする。故郷は山間の小さな村で、その村を何よりも愛しているんだと」
「それって、つまり」
 フィオロの脳裏に先ほどの光景が蘇る。かまどに向かい鍋を温めていた生ける屍。二体で玩具のようなものをつつき回していた藁人形。あの時は異様さに圧倒されて思考が抜け落ちていたが、今思うと彼女らの行いはありふれた平穏な家庭の姿ではないか。藁人形をかばう女の背中は、腐り落ちていながらも子を思う母そのものだったではないか。
 冒険者たちは言葉を詰まらせた中、イリクがようやくぽつりぽつりと話し始めた。
「……わしの娘と孫娘たちだ」
 弱々しい、今にも消え入りそうな声で、懺悔するようにしみじみと。
「先月の悪鬼掃討は知っているじゃろう……わしは協会の実戦部隊を一つ率いて赴いた。戦果は上々で、殆どの悪鬼を山に沈めた」
 なのに、と続けたイリクの手が震えだした。
「帰り際に少し顔を出そうと思って立ち寄ったんじゃ。妻はもう亡いが、娘と婿と孫たちがいる。娘は街で育った時間のほうが長かったが、幼い頃から仲の良かった村の男のもとへ嫁いでな。偶に帰る度に孫娘たちと共に喜んでくれた……」
 家の奥から、先ほど逃げた屍と藁人形がよたよたと歩いてきた。しかしその動きは次第に緩慢になってゆき、三人の目の前でついに動かなくなってしまう。女の崩れた肉から、まるまると太った蛆がこぼれ落ちた。
 これを思いこみによって生きた人間として見ていたのだから、ものを認識する機能は相当おかしくなっていたのだろう。久々に見た生身の人間が未知の怪物のように見えてしまったのはそのためだ。
「それが……この有様よ。孫たちに至っては本当に一部しか残っていなくてな、気がつくとわしはこれを拵えていて……受け入れられなかったのだ、唐突すぎて、惨たらしすぎて、何もかも……」
「……人形術か」
「人形術?」
「その名前の通りだ。人形を操る術」
 同時に多数使役することは難しいが、熟練の者なら人と比べても遜色のない動きを行わせることができると言う。効率は悪いことに目を瞑れば、死体を人形に見立てれば動かすことも可能だろう。生きていた頃の娘と言う役割を演じさせ、草を煮ただけの汁物を作らせることも。
 ろくな栄養をとらず、腐った死体に身の回りの世話をさせていたとなれば、ここまで弱るのも当然のことだ。よく生きていたな、とフィオロは呆れを含んだ驚きを感じた。もっとも、愛しい者たちの幻に囲まれたまま死んでいた方が、彼にとってはきっと幸せだっただろうが。
「……もう、放っておいてくれ」
 そう告げたイリクの目は死んだ魚のように濁っていた。
「放っとけって爺さん、こんな所で暮らしてたらそろそろ死ぬぞ!?」
「それでいい、それでいいんじゃ……死霊術の紛い事にも手を染めたことだ、もう戻る場所などどこにも無い。討つ仇すら既にこの世に居やしない……」
「イリクさん……」
 泥を含んだような、重苦しい空気が流れた。心身ともに弱りきった師の姿に、テディもまた心を痛め、かける言葉を見つけ出せずにいる。普段は淡泊すぎるだの、冷血漢だのと言われている男だったが、今回ばかりはその調子を保てなかった。そして珍しく縋るような視線を相棒へと向けてしまった。
「爺さん」
 フィオロは小さく息を吐いてから、毅然とした態度でイリクへと語りかけた。
「どうしようと爺さんの勝手だが、やるべきことぐらいやっていけよ。その後で死ぬなり何なり好きにすればいい」
「いったい何を、わしにはもう……何も……」
「墓、作るぞ。村人全員が入る奴」
 ぶっきらぼうに告げたものの、フィオロの真剣な眼差しは確かに老魔術士を射抜いていた。
 三人であれだけの人数が入る墓を作るとなればかなりの重労働だ。時間はかかるし報酬も出ない。しかしそれを当たり前のように言い切った相棒の姿が眩しくて、テディは思わず口元を緩めた。この手の非効率は嫌いではない。
「俺らが穴を掘るから、爺さんは歩かせられそうな奴を連れてきてくれ。運ぶ手間が省けるだけでもだいぶ楽になるだろ」
「弔うために禁忌をまた犯せと言うのか……?」
「禁忌? 何のことだか。俺らが見たのはショックで引きこもっていたイリクさんの姿だけですよ」
「参ったよなぁ、爺さんったらもうろくしちまってもうだめだとか言ってるんだもんなー知らねえよ俺。ところで爺さんシャベルってどこだ」
 呆気に取られるイリクの目の前で、二人は勝手にてきぱきと話を進めた。異論を挟ませず、速やかに事を運ぶために。
 迷うことなく無駄骨を折ってくれる相棒の存在は何より頼もしかった。
「あとは花が要るな。大量に」
「切り花供えるより直接植えちまったほうが早いんじゃねえの? 後で爺さんやっといてくれよ、なるべく盛大に」
「お前たち……」
 効果は薄いだろうと踏んだこともあり、どこか気恥ずかしかったこともあり。
 生きていれば良いことがあるだとか、命の大切さだとか、そんな言葉は最後まで口にされることは無かった。


 二人がかりで土をかけてゆく。湿った焦茶色に覆い隠され、最後の亡骸は今土へと還ろうとしていた。
 横たわっているのは老齢の男性。死語長らく放置されていたために状態は悪かったが、土になってしまえば皆一緒だと言い、テディは嘆かなかった。
 黙々とシャベルを振るう冒険者たちの横顔は、初めてこの村を訪れたときと比べていくらか齢を重ねていた。あれから幾度も季節が巡り、今は六年目の初夏にあたる。
 彼らが久しぶりにここを訪れたのは、テディがかつての師と交わすようになった手紙が、先々月を最後に途絶えてしまっていたからだった。
「よし、こんなもんか」
「ふう」
 揃ってシャベルを起き、地べたに座り込んだ。初夏の陽気を浴びながらの作業で二人とも汗だくになってしまっている。
 家で倒れていたイリクは、かつて他の村民たちを弔った場所に埋葬した。絶望し死を選ぼうとした男の願いは、六年の歳月を挟んでようやく果たされたのだ。
「これからこの村どうすんだろなあ」
「他に誰も住んでいなかったんだ、既に村じゃないだろ」
 あの一件の後、イリクはついに協会へは戻らなかった。娘たちの後追いは思い留まったものの、以前と同じ生活に戻ろうとはしなかったために。
 自分が愛した村を、せめて命の続く間だけでも守りたい。そう真剣に告げた彼の姿が、今でも二人の記憶に焼き付いている。
「なあ、フィオロ」
「ん?」
「俺はこれで良かったと思っている。お前はどうだ」
 テディが笑顔を浮かべる。いつもつるんでいる同業者たちに見られれば、似合わないと笑い飛ばされてしまいそうな、さわやかな笑顔だった。
「悪かないんじゃねぇかな。実のところはさ、死んだ奴のために何かしたって届くもんじゃないと思ってるけど……それでも壊れたもんに縋りつきながら暮らしてるより、何か新しいもん作ってるほうが生産的で良いと思うぜ」
「単純だな」
「いいだろ別に」
 軽く笑って辺りを見回す。六年前はまばらに草が生えているだけだった空き地は、今やがらりと姿を変えていた。
 視界いっぱいに広がった、緑に混ざる鮮やかで温かな色彩たち。陽の光を受け、眩しく輝いているのは――