小鳥のさえずりを思わせる、明るく甲高い声だった。
齢五つになったばかりの妹は、磨いた宝石のような瞳に好奇心を輝かせ、知らないことがあれば何でも七つ年上の兄に訊ねに来る。亡き母と仕事一徹で口数の少ない父に代わり、少年はいつも妹の問いを受け止め、彼なりに丁寧に応じていた。知っていることならば優しく教え、知らないことならば素直に知らないと告げている。
「チョコレート? 何だろう、俺は知らないな。どこで聞いたんだ」
「リリィのおうちでね、リリィのお姉さんが読んでくれた本に出てきたの。その本のお姫様が好きな飲みもので、あつあつの飲み物みたいなんだけど、私もリリィもお姉さんもどんな飲み物なのかわからなくて……」
「と言う事は地上のものか……」
「すごく美味しいんだって」
呟いて視線を上方に流す。自宅の天井と屋根の向こうに空は無い。二人が住む村は地下に存在する空洞内に位置しており、その中でも奥まった場所で、外部との交流を最低限のものに控えた閉鎖的な村だった。二人ともまだ村を出たことが無い。
しかし村を訪れる商人たちからある程度外部の情報を得ることができる。本もまた彼らが持ち込んでこの村で売りさばいたものの一つだ。
特に好んで彼らから旅の土産話を聞いていた兄は、村の子供達の中では情報通として知られていた。外の話を聞きたがる子供は他にも居たが、商人たちがこぼす愚痴に上手く相槌を打ち、疲れで沈んだ気分を持ち上げて話をさせる手腕において、この少年を越えるものはいなかった。
「次に隊商が来たときに聞いてみるか」
「本当? ありがとう!」
少女が満面の笑みを浮かべる。兄はその小さな顔を覗きながら、遠い地の文化に想いを馳せた。
十数日が経ち、謎の飲料の話が少女の頭の隅に追いやられた頃。
畑仕事の手伝いから帰ってきた兄は、何かが詰まった袋を誇らしげに携えながら妹を呼びつけた。
「ジグ、ちょっと台所に来てくれ」
ぱたぱたと軽快な足音が近づいてくる。壁の陰から少女が頭だけを出して玄関を覗いた。
「んぅ? どうしたの?」
「チョコレート作るぞ」
「チョコレート!」
目を輝かせて飛びついてきた妹の頭を撫でてから、少年は手早く身支度を終え、かまどの前に立った。
「俺が火を熾している間に水を汲んできてくれ。これに半分ぐらいでいい」
「うん!」
的確な指示を出し、少年は料理に取り掛かった。換気のために台所中の窓(地下の家は煙が篭りやすいのでどこも台所にたくさん窓がある)を開け放ち、薪をくべて火打金を打ち鳴らす。煙突から登った煙が地下空洞の上部を巡る気流に乗り始めた頃、桶を手にした妹も戻ってきた。
鍋に材料を入れ火にくべる。底には普段食べている豆の三倍は大きい豆が沈んでいた。おばけ豆、と呼ばれている、村で手に入る中では最も大きな豆だ。
「隊商のおっちゃんにどんなものなのかを聞いてきたんだ。チョコレートは大きな豆から作られた茶色くて甘い飲み物らしい。大体の作り方さえわかればそれらしいものができると思うんだ」
「それでおばけ豆なんて持ってきたんだ。でもどうやって茶色くするの?」
「こいつさ」
得意げに微笑み、少年は棚から瓶を取り出した。父が忙しいときによく料理を作っているため、台所にあるものは殆ど把握している。
瓶の中には幾分か前に飼った黒糖が入っている。これも旅の商人から買ったもので、ここぞと言うときに使うとっておきの品だった。
「使っちゃってもいいのかな」
少女が不安げに首を傾げる。家族の目を盗んで黒糖を一人でつまみ、父に気づかれてこっぴどく叱られたときのことを思い出しているのだろう。
「父さんにも振舞うから問題ないだろ」
「そっかー」
その後、豆が煮えるまで兄は借り物の本を読み、妹は刺繍の練習と称したいびつな花の模様作りに励んで暇を潰した。
煮えた豆は皮を剥かれたのち麺棒で丹念に潰され、黒砂糖と新しい水、少量の塩、そしてひとつまみの香辛料と共に再び火にかけられた。大胆に黒糖を入れたおかげで、辺りいっぱいに甘い香りが広がっている。家の前を通りかかった村人に献立を訊ねられるほどだった。
「よし、飲むか」
「うん!」
二人はテーブルを挟んで向かい合い、手を合わせて短い祈りを捧げた。彼らが信仰する精霊への感謝の儀式である。
そして湯気をあげるカップに口をつけた。舐めて味見を済ませている兄と違い、妹は恐る恐るといった様子で。
熱くとろみのある液体を少しずつ啜れば、柔らかな甘味が口いっぱいに広がった。僅かな塩気が甘さを更に引き立てている。豆の持つ癖とスパイスが後味となり余韻を残した。
「……美味しい!」
少女が目を細めて笑った。口を満たす甘みに導かれ、物語の姫君になったかのような気分を味わっている。
地上の住人はこんな甘いものを知っている……と思うと妬ましさを感じるほどに、気に入ってしまった。
「だろ? 何て言ったって愛情たっぷりだしな」
「あちっ、あちち」
「おい落ち着いて飲めって」
しょうがない奴だな、と続けながらも少年もまた満足げに微笑んでいた。
この頃はまだ、こうして村での生活と言う日常に時折スパイスを足しながら一生を過ごしてゆくのだろうと思っていた。
少年は数年後に、少女はその更に後に、本物のチョコレートの味を知ることになる。