後輩の笑顔がやけに眩しく、目が眩みそうだ。ロセロは僅かに後ずさりをしながら、引きつった笑みを浮かべ目の前の巨大な生物を見ていた。「遅いけど揺れが少なくて乗り心地良いんすよ!」「お、おう」「本当に乗らないんすか?」「おう」騎乗用陸ウミウシに跨った後輩の背がゆっくりと遠ざかってゆく。
「綺麗だね」囁いてその表面を撫でる。「君は本当に美しいよ」手を埋めて掻き混ぜればほんのりと温かい。「きっと良い仕事ができる」「僕だってもう夢中だ」「自信を持って」こうしてコンベアを流れる木屑を褒め称えれば品質が上がるらしい。効果の程は謎だが、なんだか可愛らしく見えてきた。木屑が。
ひどい怪我を負い、足が全く動かなくなったので自社で治療を受けることになった。まではまだ納得が行くのだが。「ごめんねえ、今ちょっとベッド幾つか壊されちゃって足りないの」謝る担当者と僕の間、ベッドの右側にもう一人静かに寝息を立てている男がいる。紺色のおかっぱ頭の男……僕だ。どう見ても僕そのものである隣の男は、魂の入っていない抜け殻であるらしい。「はーい、ちょっと意識落とすわよすぐ終わるからねえ」一体どんな術を使って魂を移しているのか。動かなくなったほうの僕の体を待ち受ける『リサイクル』とは。深く考えると背筋が冷えるので、諦めて目を閉じた。
僕は記者である。様々な世界を渡り歩き、見聞きしたことのない短期の仕事を請け負って、体験記を書くことを使命としている。していたんだ。
突然何を言うんだと思われるかもしれないが、僕は今パンの山になっている。手のひらほどの大きさの、具の入っていない丸いパン、それも数十個の。そのまま齧るには硬いが、汁物と一緒になら美味しく食べられるはずのものだ。
話を戻そう。僕が一昨日から滞在している貧しそうな国は、最近登場したという新しい技術に沸き立っていた。なんでも、生物の命をパンに変える魔道具が開発されたのだと。とある慈善団体がその魔道具を持った者を各地に遣わし、行く先々で貧しい人々を救っている。怪しい点は多いが、その辺りは僕の知ったことではない。
噂を聞いたその日のうちに、僕はその慈善団体に人足として雇われた。それまでの経緯は省略するが、魔道具を乗せた荷車を引き続けるだけの単純な仕事は、頭を使わなくて良いので思いのほか楽だ。いくつもの鍋をいびつに接着したような魔道具は軽いし、歩き詰めには慣れている。
一番上の鍋の蓋を開け、虫でも蛙でも何でも良いので生き物をぶち込むと、下の鍋からパンが出てくる。その数は生き物の大きさによって変動した。飢えに喘いでいた人々は、虫から作られたパンでも喜んで食べた。僕を雇った組織の幹部らしき男は、その活動に乗じてナントカの神がナントカという教えを説いた。
しかし田舎の村から村へ移動する途中、しばらく餌を与えられなかったことに業を煮やしたのか、鍋が中から黒く長い手を伸ばして僕を引きずり込んだのだ。鍋の中とは思えない、果てしなく広い闇の中へと放り出され、どこまでも落ちた。そしてようやく底にぶつかった――が、僕の骨が砕けることはなかった。そもそも骨がない。僕の身体がたくさんのパンになっていたのだから。
魔道具から溢れ出た僕を見て、幹部の男は「やっべ」と簡素な感想を洩らし、その後は鍋の機嫌を損ねないよう頻繁に餌を与えながら次の村へと向かった。そうか、お前の怠慢のせいか。
乱雑に扱われても、幸い痛みは一切感じない。僕は荷車に揺られながら、パンになってしまった僕が死に、魂を自社に呼び戻されたあとのことを考えていた。スペアの身体を手に入れて最初にすることは、この件についての報告書を書いてボスに提出することだ。今から気が重い。
そして今、僕は貧しい村の住人たちに次々と食べられている。あの男が素知らぬ顔で配りきったのだ。パンの群れになって次々と食べられる経験なんて一生したくなかったよ! ちくしょう!
同僚が薦めてくれた機械仕掛けの本は賢い。硬く平べったいその身をなぞると、回路に溜めこんだ本を映してくれるのだ。
加えてカード遊びに通信機能、更には鏡まで備えている。
しかし鏡として振る舞うことは少し苦手なようで、四角い表面に映る私の姿はぼやけていた。
映った顔に手を振ると、鏡の中の私は一瞬遅れて手を振り返した。魔力も使わずによく頑張っているものだなあと思う。
「お高い優等生だと思ったのだけれど、なかなか可愛いところもあるのね」
つい、件の同僚に惚気をこぼしてしまった。すると彼は頼りない鏡と私を見比べて、
「それ、インカメラな」
と鏡の名を教えてくれたのだけれど……なぜ声が笑っているの?
彼女は一度読んだ本の内容をいつまでも覚えているという。折った紙を金具で綴じただけのものから、持ち歩きが困難なほど分厚い事典、さらにはディスプレイを介して読むデータ形式のものまで。本として扱えるものなら、そのすべてを記憶に保ち続けていられるそうな。
「でも、題がないと探しづらいのよ」
そう楽しそうにこぼしながら、アリアはスクラップブックに次々と紙を貼り付けてゆく。その内訳はたぶん、手紙がほとんど。
華奢な白い手は、指先がわずかにインクで汚れていて、跡が残るほどにたくさんのページをめくってきたんだと語っていた。これは仕事のせいでもあり、趣味のせいでもある。
私はお菓子を食べながら一連の作業を見守っていた。忙しい中でも来客におやつを出してくれるところがまめでアリアらしいなあと思う。ラスクおいしい。
「それ、私の手紙も入ってたりするのかな」
「もちろん」
「わー」
微笑みは優しく、温かくて、なんだかほっとする。伏し目がちな眼を縁取る睫毛はすうっと長くて、お人形のよう。
普段はもっとキツめのメイクをしているから、ここまで人畜無害そうな顔を見れる機会は珍しい。なんでも、気の弱い女だと思われるのがとにかく嫌なんだって。わかるなあそれ。
「さて……こんなものかしら」
満足げに呟いてスクラップブックを閉じた。最後のページまで便箋で埋めた本の表紙に、先っぽが平たいペンで飾り字を記してゆく。私がじいっと見ている間に、あっという間にタイトルが書き上がった。『アリアブライルンへの手紙・第五集』と題された本が完成した瞬間だった。
「何か飾ったりはしないの? ほら、柄物の紙とかシールとかで」
「んー、そういうのは向いてないのよ」
私は飾るよりもそのまま保管するほうが得意なの。知ってるでしょう? そう続けて、アリアはできたばかりの本を棚へとしまいこんだ。
彼女が本を記憶していられるのは、魂に立派な書庫を持っているから。収蔵した本を人に見せる術も得ているけれど、さっきの本は誰も触れることのできない閉架書庫に収めたんだろう。と思う。
私が他愛のないことを綴った手紙も、彼女の書庫で保存され続けるに違いない。原本を失ったとしても、彼女が生きている限りは、魂でずっと。
たまに読み返してくれると嬉しいなあ、なんて思った。
彼女の歌声には魔力が宿るという。曰く、神に誓いを捧げ豊穣を願う歌。曰く、精霊と交わり恵みの雨を呼ぶ歌。旅先で覚えてきたというものをいくつか歌ってみせたあと、ラビは照れくさそうに頭を掻きながら「伝わってる地域で歌わないと意味がないんだけどね」とこぼした。
本来の役目は果たせなくとも、その歌は確かな意味を成していた。現に私を魅了して、彼女の部屋の椅子に縫い付けている。居心地が良すぎて離れたくない。
ちょっと寄っただけのはずなのに、私が疲れた顔をしていると主張してこんな土産を持たせてくれるのだから、本当にお人好しだ。本人だって暇なわけではないはずなのに。
「ありがとう、ちょっと元気出たわ」
「どういたしましてー」
えへへ、と微笑む姿は野を彩る花のよう。心なしか纏う香りまで花に近いような……静かに深く息を吸ってみて、それが気のせいではないことを理解した。
「香水……違う、ポプリかしら」
「あ、やっぱりわかる? えっとね、実はこんなのを出先で貰ってきて」
そう告げてラビが服の胸元から引っ張り出したのは、革紐で首からかけられた小袋だった。お守りのようなものなのか、小さく刺繍が入れられている。これは何のマークだろう。
「昨日行ったお祭りで配られたの。中に花が入ってるんだ、生贄の人間からできたやつが」
「今さらりと恐ろしいこと言ったわね!?」
彼女の仕事――造られた目的――は、様々な世界を渡り珍しい祭りを取材し記事とすること。祭り、と聞いて半ば遊びに行っているのではと初めは思ってしまったけれど、実のところそんな生易しいものではないらしい。とにかく奇妙で過酷な異文化に触れてぐったりしていることも多々。
「でもね、現地で見てたら恐ろしい感じはしなかったんだよ。花になる生贄の人、私には心底嬉しそうに見えた」
どんな文化に触れてきたのかは、あとで著書に触れてみれば詳しくわかるかもしれない。この体験が収録されれば、だけれど。
ラビのふわふわとした笑顔は心地よく、危なっかしい。放っておけばいつかつられて花になってしまいそうだ。そうなったとしても身体の替えは利くから良いのだけれど……いや、よくない。命と魂の無駄遣いはよくない。
「……そういうのについていっちゃダメよ」
「わかってるってばー」
本当かしら。うーん、心配。
後輩が社の面子に小さな綿菓子を配っている。魔動式のコンパクトな綿菓子メーカーを手に入れたかららしいが、お前以前もそのテの機械を買って喜んでなかったか?それを問うとあいつはとびっきりのドヤ顔で「これは……砂糖雲さ!」と答えた。砂糖雲って何だ。いまいちな反応をする俺のために、後輩は棒に刺さった綿菓子を吹く。すると白い塊はふわりと宙に飛び出してその場に浮かんだ。なるほどなー。ほどなくして、楽しそうに砂糖雲を増産するあいつのもとへ、話を聞きつけた甘党たちが駆け付けた。飢えた獣たちは次々と雲を吸引する。たくさん浮かんでいた雲は次々と消え、生産者と捕食者の戦いが始まる。おー頑張れ頑張れ。もう一人来たぞー。
後輩が下半身を単車に改造されて帰ってきた。「お前その格好でミーティング出る気か、早く治して貰ってこい」「えっやだ、あと三日ぐらい走りたい……」「じゃあせめてエンジン止めろ屋内だぞあとなんで俺の部屋に来る」「止めたら動けねえっす」「じゃあ直せ」「やだ!!」「直せ」「やだ!!!!!」
『本社の食堂でペコが焼いてくれたピザ』
ピザとは、小麦粉でできた生地に具を乗せて焼いたもの……であったはずだ。少なくとも僕が知っている限りでは。
目の前のこれは本当にピザなのだろうか。どちらかといえばドゥムドンドに近いのではないか。
頬張ってみると、野菜ソースとチーズ、そして魚介の味が口いっぱいに広がる。香草が嗅覚をくすぐる。味はピザそのものだ。
しかしやはり不安が残る。やっぱりドゥムドンドじゃないか?
そういえば皿もドゥムドンドだしグラスの中身もドゥムドンドだ。どうなっているんだ!?
と言うことを同僚に訴えたところ、出先での知覚汚染を疑われて治療室に叩き込まれた。
解呪の術で頭をかき回されながら、次こそ真っ当にピザを食べたい……と思った。