待ち合わせ場所に選んだのは、文明が発達した世界の大都市の一つ。アカシア書房の面々が私用でも使っているというゲートの近く、大きな駅の前に建てられたモニュメントの前だった。ここなら飯の際の店選びに困ることが無いし、何よりその後、夜の街に寄せる人波に紛れ込んで――そうなることが決まっていたかのように、色宿に流れ着けるだろう。
彼女を味わうのは何度目になるだろうか。慣れておいた方が良いなどとそそのかして、その無防備な肩を抱き、うぶな心に踏み入るのは。
警戒が薄いのは致し方ない。彼女はまだ作られてからの日が浅く、やっと新人研修を終えて実地での取材に乗り出した所だったのだから。僕はそれを知って甘言を囁いた。つくづくアンフェアな提案だったと思う。他に代えようのない価値があるものを、僕の汚い手で摘み取ってしまったのだから。それも一度で終わってしまえば良かったのに、彼女は僕のわがままに応えて何度でも花を差し出してくる。自らの身を汚し心を削ることで咲かせているであろう花を。
あの時は僕もやけになっていて、彼女が瞳に浮かべた不安を心地良いとさえ思っていた。しかし力いっぱいすがり付くその体温は、僕が思っていた以上に心の淀みを洗い流してくれていた。陳腐な嗜虐心が濯がれた後には、後悔と執着だけが残る。
良くないことをしているのはわかっている。けれどもその、華奢で、優しい、便利な手を離すことができなくて。
罪悪感を抱えながら甘えの中を漂う僕に、ロッシェはただ、悩みの清算は早く始めたほうがいいとだけ言ってくれた。事情は伝えていないはずだから、僕の顔色だけを見てのアドバイスだろう。実情を知ったなら、彼はさぞかし恐ろしい形相をしながらそれを告げたに違いない。
想いを巡らせているうちに、約束の時間が訪れようとしていた。懐中時計を閉じて辺りを見回すが、ラビの姿は見つからなかった。自らが人を待たせるのを許すような性格ではないはずであるし、道にでも迷っているのだろうか。
気長に待つかと思い、背後のモニュメントに寄りかかったとき、見慣れた色が近づいてくるのが見えた。舗装された道を踏むたびに揺れる淡い桃色。風に吹かれる花に似たその髪は、いつもと少し形が違っていた。艶やかな背を隠すストレートの長髪が、今日は緩やかに波打っている。
彼女は僕の存在に気づくと、行き交う人々を避けながら小走りで向かってきた。その足取りがぎこちないのは、珍しく踵の高い靴を履いているからか。纏う服も普段と異なるテイストのもので、術が無くともこの街の住人たちに溶け込めそうな小洒落たものだった。コートの下、丈の短いスカートから覗く柔らかそうな太腿が何とも眩しい。鞄やアクセサリも服に良く似合うものだ。
「ごめん、待った!?」
少し慌てた様子で問うラビに、僕は「今来たところ」と返す。少しの間立ったままではいたが苦になる程ではない。
「良かったー。じゃあ行こうか、きっとお腹空いてるよね」
微笑む唇はいつにも増して艶めいている。顔が赤らんで見えるのは、やや濃い目に頬紅を叩いているからか。そういえば彼女が化粧をして現れるところなど見たことがない。どうして急にこんなことを、と考えてしまった僕は、僅かに間を置いてその意図することを理解した。
(馬鹿だな)
その背伸びが全て僕のためであると言うことになかなか気づかなかった自分も。
慣れない格好をしてまでこんなどうしようもない男の気を引こうとしている彼女も。
こっちは飯を食べたらすぐにそこらの色宿にしけ込むつもりでいたし、彼女もそれを解っているはずだ。良いように利用されていることだってさすがに感づいているはずだ。それなのに。
清算は早い方がいい、と友の言葉が脳裏にちらつく。
気が付くと僕は両手でラビの手を取っていた。街を通り抜ける冷たい風のせいか、小さな手はとても冷たい。体温がじわりと彼女の指に流れてゆく。
「あっ、あの、どうしたの」
彼女が困惑するのも無理はないと思う。思えば体を重ねる時以外はろくに触れ合いもしなかったのだから。そのことに気づくのが本当に遅かったと思う。遅かったと同時に手遅れでは無いとも。
「えっと……腹ごしらえしたら、一緒にそこらの店でも回ってみない? 見るものは色々あると思うから、ゆっくり」
僕の言葉に、ラビは目を丸くして驚いた。その反応で、普段の自分の不甲斐なさが身に沁みる。
「もちろん! でもどうしたの急に、そんな」
「なんとなく、じゃあだめかな。せっかく二人で来たんだから、寄り道ぐらいして行きたいと思って」
「いいに決まってるよ、その、エリーが案内してくれるならどこにだって行くし……」
彼女は照れくさそうに視線を彷徨わせながら手を握る。僕はそうして片手を繋いだまま歩き出した。ゆったりと、歩みを彼女の歩幅に合わせて。
目的地への道のりを進んでゆくうちに、時折寄り添って歩くカップルとすれ違う。彼らが通り過ぎていった後、それを視線で追っていたラビは小さく「いいなあ」と呟いた。期待を込めた、けれど直接求めることはできない気弱さを伴って。僕はそれに応え、解いた片手を彼女の肩に回す。そして表情をちらりと伺って、この行いが間違いではないことを確かめた。
これでいい。これがいい。今までの不義理はこれから一つずつ詫びていこう。時間はたっぷりとあるのだから。
僕らは辿る手順を間違えながら、いびつに、けれども確かな、解けることのない絆を編み始めた。