アカシア書房

短編

#-- ワールズエンド・ディナータイム

 丘の上から見渡す景色はなだらかで、白い大地が遠くまで続いていた。遥か先に森らしきものが、その手前には集落らしきものが確認できる。
 建物はどれも一様に白い。建てられてひと月もすれば、木材の表面が粉をふいてそうなるのだ。
 積もり積もった塩を踏んで立つふたつの人影は、遠くから見下ろす集落をしみじみと眺めていた。同じ景色を見ることはもう二度とないだろう。
「ここが最後の村、なんだよね」
「ああ」
 囁くような声は、辺り一帯を包む静寂に溶けて消える。
 そよ、と僅かに風が吹いた。小さくなびいた二人の髪は、地面を覆いつくす塩と同じように白く、陽の光を浴びてきらめいている。
 かたや気弱そうな、かたや気の強そうな顔立ちをした二人の若者(少年のようであり、少女のようでもある)は、どちらからともなく手を取り合い歩み出した。
 灰沼村のムールルと、刺森村のティトリト。二人はただひたすらに東へ向かう旅の最中だった。

 旅人たちが村落へとたどり着いたとき、どの家にも人の気配がなかった。その理由は歩みを進めることですぐに判明し、彼らもそれに加わることとなる。村の中央、集会や祭事を行うための広場で葬儀が行われていたのだ。
 ムールルたちとは違う、板塩のように白い肌を持った村人たちは、皆表情のない顔で広間の中央を見つめている。そこには石の祭壇があり、樹皮を編んだかごが置かれていた。かごから溢れるほどに盛られた塩の上に、畳まれた着古しの服が乗せられており、人々はそれに向かって祈りを捧げている。旅人たちもまたそれに倣い、指を組んで司祭の声に聞き入った。
 葬儀は淡々と続く。祭壇を囲む人々はみな表情がなく、嗚咽をもらすことも涙をぬぐうこともない。ムールルだけが沈痛な面持ちを見せ、ちらついた心の傷を隠すようにティトリトが寄り添った。
「お父様が死んだ日のことを思い出しちゃったの」
 とムールルは後に語った。
 人は塩から生まれ、死して塩に還る。籠いっぱいに盛られていた塩は、誰かの亡骸をかき集めたものだ。村の者たちが祈りを捧げた後、塩の大地へと振りまかれ、いつか子供の姿で再び塩から生まれ出る。それは不変の営みであり、世界のことわりであった。
 葬儀が終わると、村落の長が二人に声をかけた。寝床と保存食を手配する旨を簡潔に伝え、空き家へと案内をする。旅人たちは導かれるままに空き家へ向かい、塩敷きの地面に腰を下ろした。
「あっ、ティト、敷物があるよ」
 本当だ、とティトリトが答え、壁に立てかけられていた草編みの敷物を地べたに広げる。二人が持ち歩いているものよりずっと大きなそれは、のびのびと手足を広げて寝転がる心地よさを提供してくれた。
「大きな敷物で眠れるのもこれが最後か」
「どうかなあ、この先に隠し里があったりするかもしれないよ? それに」
 旅仲間の隣に寝転がったムールルが、窓から空を見上げながら続ける。
「世界の果てにはもっといいものがあるかもしれない」
「……ああ」
 ティトリトもまた空を覗き、柔らかく微笑んだ。
 ただ木枠があるだけの窓には、雲一つ存在しない青が嵌めこまれている。果てしなく広いこの空は、きっと旅の終着点まで続いているのだろう。
 楽しみだね、と二人は顔を見合わせ、笑いあった。そこが二人の新たな居場所になると信じて。

 この地の住人たちは皆塩から生まれ塩に還るが、ごくまれにその営みを外れた者が生じることがある。『はじかれもの』と呼ばれる者たちは閃光から生じ、塩の民よりも多くの草や虫を喰らい、死しても塩に還らない。他の住民よりも赤みがかった肌を持ち、笑い、泣き、怒る。感情とははじかれものだけが持つものであり、それ以外の者たちには理解の及ばない機能だった。
 口伝で受け継がれてきた大地の教えは、彼らを見つけたら拾い育てること、百と四九の月が巡ったのちに旅立たせることを定めている。はじかれものの居場所は日が昇る場所、世界の果てにあるのだと誰もが信じていた。
 しかしムールルは、仲間たちが皆向かったという場所に着く前に、自らの居場所の欠片を既に手に入れていた。旅のさなかに出会った同胞であるティトリトは、今まで誰にも理解して貰えなかった喜びや悲しみを分かち合えるたった一人の仲間だ。
 ティトリトもまたムールルに対して同じ気持ちを抱いていた。今まで別々の場所で生きていた二人が、一対の翼のように互いを必要とするようになったのは必然だった。
「あのさ、ムー。世界の果てって本当にあると思う?」
 ふと思い立ってティトリトが訊ねた。星がよく見える、ことさら静かな夜のことだった。二人は大きな木の根元に座り寄り添っている。
「あると思うからこうやって歩いてるんでしょう」
「そう……だね、それもそうだ」
 今更何言ってるの、と付け加えてムールルがむくれる。が、その疑問を抱くのも仕方のないことだと思った。最後に訪れた街を発ってから十日が経とうとしているのだ。道中で採れる果実と虫で食いつないではいるものの、何もない荒野などに出くわしたらという不安は残る。
「ねえ、もし……本当にもしもの話だけど。私たちが行きつく場所がなかったとしたら」
 ティトリトがムールルの髪に触れる。どこかで付いたのであろう塩を払い落とし、ごわついた白い流れを手ですいた。相手はされるがまま、どこか嬉しげに目を細めている。
「どこかで二人で暮らそう。小さい家を建てて、きれいな塩石で飾ってさ」
「えー、せっかくだから大きい家作ろうよ」
 ふふ、と笑い、ムールルは仲間の胸に顔を押し付けた。心臓が脈打つ音が、小さな膨らみ越しに伝わってくる。ここで仲間が確かに生きているのだと実感できて、愛おしさがこみ上げた。
 服の上からティトリトの脇腹を撫でると、相手はくすぐったそうに身をよじった。しかしその動作にも表情にも拒絶の意は含まれていない。ティトリトは「おいで」と囁き、かけがえのない仲間を抱き寄せた。
 はじかれものの身体はいびつで、一部が出っ張っていたり、裂けていたりする。その不完全さを確かめ合うたびに、二人はより強く互いを欲するようになった。

「見て、あれ!」
 変化が見えたのはそれから五日後のことだった。
 東の果て、昇った日の足元を守るように、光の柱のようなものがそびえ立っている。虹色にきらめいたそれは息を呑むほどに美しく、未知の光景に旅人たちの魂は奮い立った。あれは私たちが行くべき地へと続く架け橋なのではないかと。
「行こう」
「うん!」
 その足元に存在するであろう理想郷を目指し、二人は軽い足取りでまた歩み出した。
 白い指先を絡め、互いの掌を強く握り込んで。



 ――以上が、二人が『収穫』されるまでの大まかな経緯である。

 二人は知らなかった。自分たちが食用として作り出された生命であることを。
 塩の民たちも知らなかった。この世界が『はじかれもの』をより美味に育てるための養殖場であることを。
 白い髪は塩に強い品種の証であり、塩の大地での放牧に耐えうる。
 両性の個体は特に肉質が良く、収穫前に運動をさせることによってますます引き締まる。
 養殖場に送り込む数を抑えることで、同種による多人数のコミュニティ形成を防ぎ、無垢な魂を育てられる。

 美しく磨かれた石の板に、二人は無残な姿で横たえられた。
 まだ辛うじて息のある身体を、彼らの数十倍の体躯を持った何かが、鍵爪のような器官でつつき回し、少しずつ食べた。