アカシア書房

短編

#-- フェティシズムの舞台裏

 スライムと言えば密林や水辺、廃墟、遺跡、その他暗がりに潜む厄介な生物の代表格である。特に危険なものは人間や大型の生物でも溶かして吸収してしまうため、それらの棲息地に赴く場合は危険相応の対策が必要だ。できることなら近づかないのが一番良い。
 人に危害を及ぼさない小さな種類の場合はペットとして重宝されることもある。飼育ケース内をゆっくりと移動しながら餌を食む姿には独特の愛嬌があり、とある地域ではかなりの需要があるそうだ。
 また愛玩用だけではなく、産業や医療の場で活用している場合もあるとのことだ。発電能力を持つ種類を燃料として使う、壊死した組織だけを食べさせる、などの意外と多様な利用法が確立されている。
 そして僕が今扱っているものは、その中間に位置するものだと考えている。愛玩するわけではないが、生産性のある行為に使われることもない。言わばジョークグッズの類だ。生物を玩具として扱うのは生命倫理的に如何なものかと言う批判の声もあると聞いたが、一介のアルバイトとして務めている僕には関係のないことだ。僕は勤め先の望むままに仕事をすればいい。ただの歯車の一つなのだから。

 僕は記者である。様々な世界を渡り歩き、多様な短期の仕事を請け負ってその体験記を書くことを使命としている。今回の仕事場は下町の鋳造所と廃屋に挟まれた、お世辞にも綺麗であるとは言えない小さな工場だ。錆びた門と立て付けの悪いドアを通って中に入ると、そう広くはない空間に、僕よりも背の高い大きな機械が設置されている。古びた建物の中でその機械だけが新しい輝きを放っていた。表面に小さな傷は見えるものの、いつも美しく磨かれており、とりわけ大切に扱われていることが見て取れる。
 僕は機械の操作パネルを弄っていた老齢の男性を見つけ、すぐに挨拶を交わした。白髪としわくちゃの顔になってなお、彼の声と笑顔は生命力に溢れている。彼こそがこの工場の工場長でありたった一人の正規従業員だ。
 木箱に圧迫された通路をすり抜けて僕が向かった先は、資材庫と品質チェックの場を兼ねた部屋だった。塗装も壁紙も窓も無い、剥き出しの人造石の壁のみで作られた質素な空間。奥に資材や何かの道具が、手前に机と椅子と空の木箱が用意されている。机は使い古された質素なものだが、椅子はクッションの利いたしっかりとした作りのものだ。リクライニングも効く。
 鞄を外して木箱に入れたところで、倉庫に用意できてるぞ、と工場長から声をかけられた。大きな声で返事をし、鞄の中身をいくつか机上に移してから倉庫に向かう。作業場の隣に作られた小規模な倉庫だ。
 向かった先では合計六つの箱が僕を待っていた。中には大きな瓶が詰められ、その上におまけとでも言うようにもう一本の瓶が寝かされている。僕は筆記具を手に取り、箱に貼り付けられていた番号を付箋紙に控えて、箱からはみ出している一本に貼り付けた。ロット番号を控え忘れると後で困ることになる。
 空き箱に入るだけ瓶を入れて元の部屋に戻り、更に空のブリキ缶を二つ並べた。ふぅ、と一息ついてから瓶の蓋を開け、その中身を缶に注ぎ込んだ。瓶を逆さにしても内容物が勢い良く流れ出ることは無く、粘り気を帯びた液体とも固体ともつかないものがゆっくりと移動してゆく。缶の中ほどまでを埋め尽くした薄桃色に透き通るものこそが、この工場で生産している唯一の商品であるスライムだ。
 スライムたちは二つの缶の中で波打つように蠢くが、極力動かないよう作られているため缶の外に出ようとはしない。ぷるぷると揺れることしかできないそれらに一抹の憐れみを感じつつ、僕は椅子に腰掛け靴を脱いだ。そして近くに用意してあった袋から数枚の布を取り出し、足を包んで角を結ぶ。様々な材質の古着を裁断したものであるため肌触りはまちまちだ。
 とにかく、これで準備は完了した。あとは缶を足元へと引き寄せて並べ、その中へと足を突っ込む。ひんやりとしたその感触に眉を顰めてしまうがそれも最初だけだ。ハーフパンツを穿いてきたため露出している足が、ふくらはぎの中ほどまで浸かる。ねっとりと纏わり付かれる感覚は心地良く、子供がする泥遊びはこのようなものなのだろうかとつい思いを馳せてしまった。そちらは経験したことが無いので実際似ているのかどうかはわからない。
 机に据え付けられた可動式のライトを動かして足元を照らすと、足を包んでいる布から小さな泡が出ている様子が見えた。静かに泡を立てる姿は炭酸入りのゼリーを思わせるが、その中に自分の足が透けて見えることを思い出すと食欲は引っ込んだ。
 この泡はスライムが仕事をしているかどうかの目安の一つであり、足に巻いた布の断末魔でもある。スライムは身を波打たせながら布地に浸透し、外から内からその組織を破壊し吸収してゆく。しかし布が徐々に縮み所々穴が空き始める中、僕の肌だけは痛みも痒みも無いまま健康的な姿を保っていた。
 そう、今回の仕事は『服だけ溶かすスライム』の検品である。
 僕は検品用のスライムが正常に機能していることを確認すると、机の上に用意されていたタイマーのスイッチを押し、その隣の本を手に取った。椅子に背を預けて頁を捲ると、意識がその内容へと沈んでゆく。あとは物語の海を泳ぎながら、タイマーに呼び戻されるを待つだけだ。給金が非常に安いということを差し引いても、この気楽さは素晴らしいと思う。
 これらの商品はいわゆる大人の玩具であり、機能から何となく察しが付くように、着衣を溶かすことによって使用者自身やそれを見ている者に性的興奮を与えるためのものである。とろみの少ない医療用のものはまた別に存在するが、直接肌に触れることはこちらも同じであるため、ただれを引き起こしたりしないようこうしてロットごとにテストしている次第だった。瓶一本分のスライムが安全ならば、それと一緒に作られたものは全て安全と言うことになる。
 小型の本を十数ページ読み進めた辺りで、カウントを全うしたタイマーが電子音を鳴り響かせた。僕は本を置き、缶から足を引き上げてタオルで拭った。巻いていた布はすっかり溶けきり結び目すら残っていない。その一方で肌は変わらぬ色を保ち続けており、商品が製作者の意図した通りに働いたことを示していた。
 検品が終わったものは暫く放置した後また布を入れ、機能が完全に停止したことを確認する決まりとなっている。この人造生命は緩やかに這いずる程度の運動しかできず、増殖能力も持たず、瓶の外では半日も生きられない。使い捨てられるだけの命に若干の憐れみを感じながら、僕は次の瓶の検品作業に移った。

 普段検品を担当しているという工場長の奥方が遠出から帰ってきたため、僕の仕事は六日で終わりとなった。結局のところ検品中に肌が爛れるような事態は無く、布をうまく溶かせない不良品が一つあった程度だ。
 ふと思い立って、帰る道すがらこのスライムが使われているであろう写真が載った雑誌を買ってみた。今日の給金の半分ほどを持っていかれたがまあ良しとする。一度は見ておかなければならないと思ったのだ。できれば映像が良かったが、私が今借りている部屋には再生機器が備え付けられていない。
 ガキの頃に冒険物語を読んで感化されてな……と工場長は言っていた。物語の作者が一番見てほしかったのはヒロインが服を溶かされるシーンではないと思うが、とにかくその話は当時若者だった工場長を炊き付け、空想世界の都合の良い存在であった服喰いスライムを現実のものにしてしまったのだと言う。製品化までの困難は様々あったが、最も大変だったのは奥方の説得だったとのこと。服より先に婚姻関係を溶かされなかったのは本当に凄いと思う。
 彼が今見ている世界は、彼が幼い頃夢見たものと重なっているのだろうか。少年時代を持たない僕としてはちょっと羨ましい。……が、頁を捲る度に現れる過激な痴態を見ていると、やっぱり大人でいいやと思うようになった。