アカシア書房

短編

#-- もやもや晩餐

 うっかり飲み込んでしまったが、それは腐敗を疑うほどに酸っぱく、更に酸味以外の味が殆ど感じられなかった。鮮やかな赤色をしているのに、酢しか入れていないのではないかと疑ってしまう味をしている。素材の味すらよくわからない。それでいてやけに刺激が強く、口内と喉がひりひりと痛む。口直しのために慌てて飲んだ水が染みた。
 二人がけのテーブルで向かい合っていた男たちは無言のまま顔を見合わせた。二人揃って苦虫を噛み潰したような顔をしている。手にしていたコップをテーブルに置く音が重なった。視線の先にはおかずをたっぷりと乗せた大皿がある。
「何だ、これ」
「なんか野菜と細切れの麺の炒め物っぽい何かのはず……」
「野菜の味どこだ」
「食感ならあるよ」
「いや食感残ってんのに何も味しないっておかしいだろ、どうなってんだ」
 相手だけに聞き取れる程度の声で不満を次々と挙げる。賑やかな店内において、ぼそぼそと会話をする二人の言葉を拾う者はいない。
 浮かない顔をしているのは、それなりに良い身なりをした若者たちだ。がたいの良い短髪の男と、真っ直ぐに切り揃えた髪と眼帯が特徴的な男。タイトに着こなした服は、他の客たちとは異なる雰囲気を纏っていた。
「もう一口食ってみる」
「ああ、うん」
 短髪の男――ロセロと言う名の――が匙で料理を掬い、口に運んで、察しろと言うように首を横に振った。見た目と匂いは文句無しに美味しそうであるにも関わらず、味だけがおかしい。
「ここから何か仕掛けがあるんじゃ?」
「前座にしたっておかしいだろ、あいつ冗談でもこんなもん食わせてきたことねえぞ」
 あいつ、とはこの店を紹介してくれた者を指していた。二人の同僚である食通の女。複数の世界を股にかけて珍しい食べ物を探し、それらに纏わる記事を書いている。
 彼女が薦めてくれる店とそのメニューは一癖あるものが多く、二人は驚かされることを含めてそれらを楽しんでいた。まだ生きている軟体生物が乗った料理、皿が宙を飛んで自らテーブルにやってくる店、出された木材から凄まじい勢いで生えてくる茸をもいで自分で焼く店……仕掛けや見た目のインパクトに気を取られてしまうが、どれも味は確かな店だった。
 それゆえにこの惨状がいまいち呑み込めない。
「他の客には好評みたいだけれど……」
 眼帯の男――エリルベートがさりげなく周囲に視線を向けると、周りの客たちは皆美味しそうに飯を頬張っていた。辛いのか汗をかいている者が多いが、嫌な汗には見えない。そう広くは無い店内で、料理を前にうろたえている二人だけが異質な存在になってしまっている。
「まあ頼んじまったもんはしょうがない、食うか」
「う、うん」
「飯を粗末にするといざって時に食えなくなるからな」
 死地にでも向かうかのような思いつめた面持ちで、ロセロが三口目・四口目を喉に流し込んだ。連れもまたしぶしぶと言った様子で酸っぱい炒め物を口に含む。表情が更に曇ったが、店員が近づいて来たことに気づき慌てて顔を引き締めた。
「お待たせいたしました、こちら肉団子の縮れ菜包みになります!」
 まだ年若い少女が運んできたのは、先ほどの料理と一緒に頼んだ皿だった。丸く成形された薄い緑色の葉物野菜が深皿にたっぷりと入っている。湯気に乗って香草の香りが漂い、萎えかけていた食欲を奮い立たせた。
 先ほどの料理は何かの手違いだったに違いない。そう信じて、二人は運ばれてきたばかりの料理に食いついた。
「う……」
 丸められた菜を噛み千切ると、中から熱い肉汁が溢れてくる……が、その味はやけに薄かった。塩気が不足しているのに加え、肉を食べているはずなのに肉らしい味が殆ど感じられない。茹ですぎて味が抜けきったものを食べているようだ。それでいて何故か舌が痛む。
 二人は再び顔を見合わせた。
「どうするよ……」
「どうするって言われても……食うってさっき言ってたよね」
「この量は流石にキツいぞ」
 小声での会議が始まる。食べるか残すか。何かの手違いではないのか。手違いだとしたらどんな手違いなのか。もしや店を間違ったのではないのか。メモを手に店名の検証を始めようとしたところで、先ほどの店員が再びテーブルの前へとやって来た。
 手にした盆には頼んだ覚えの無い小皿が乗っている。赤い小粒の果物らしきものが山盛りになっていた。
「お客様、こちらは当店からのサービスになります」
 皿をテーブルに乗せながら、店員である少女が照れくさそうに微笑んだ。長い髪を後頭部で束ねた小柄な美少女だ。飯への文句を言う気も削がれてしまうような眩しいエプロン姿に二人して目を奪われた。
 ぎこちない動きで礼を述べる男たちに向かって、少女は少し顔を寄せ、小声で告げた。
「カッコいいお兄さんたちにって、おかあ……じゃない、女将から」
 少女がちらりと背後を見やる。その視線の先を追うと、カウンターの向こうにいた女将らしき女性と目が合った。美しい女だ。向けられた微笑みには、中年女性だけが持ちうる成熟した魅力があった。
 二人は何とか笑顔を作り頭を下げることしかできなかった。
「やりづれぇー……」
 店員が去った後、ロセロが頭を抱えた。もう一人の男は再び周囲を見回す。この状況を打開するヒントがあるかもしれないと淡い希望を抱いて。
「現地の人と僕らでだいぶ味覚に違いがある、とか」
「でもここ、あいつが薦めた店だぞ? 絶対一度は飯食ってるだろ」
「だよね……それに観光客っぽい人も美味しそうに食べてる、あのテーブルにパンフレット置いてる人」
 少しの間、二人は現実から目を背けるように店内を眺めていた。空間を満たす香りだけはやけに美味しそうで腹立たしい。
 そしてエリルベートが「あ」と間の抜けた声をあげた。
「そういえばこれを渡されてたんだった」
 椅子の背にかけていた鞄から取り出したのは、花柄が可愛らしい小さな巾着だった。小瓶と半透明の紙で密封された茶色い粉が入っている。小瓶の中身は軟膏のようなものだった。
「何だそれ」
「困ったときに使って、って」
「おま、それを早く言えよ!」
 ロセロが席を立って巾着袋の中身を覗く。袋の中にメモ等は無く、粉と小瓶がいったい何なのかがわからない。
 エリルベートは紙包みを一つ摘み上げ、自らの右目を覆っていた眼帯をぐいと捲り上げて、隠されていたほうの目も使い包みを見つめた。通常の視覚に留まらない様々なものが見える便利な右目を持っているが、彼は便利さゆえに普段それを使わない生活をしていた。多くの人々と同じ視点が必要な仕事をしているために。プライベートでも眼帯を付けっぱなしにしているのはその状態に慣れるためだった。
「魔力や呪いの類は無いみたいだ。たぶん薬か調味料……って、あれ」
「どうした?」
「こっちに魔術痕がある」
 鑑定者が指したのは粉でも軟膏でもなく、テーブルの上で放置されていた料理だった。何らかの術をかけられた形跡が細く短い光の筋となって、野菜や汁の表面を僅かに輝かせている。
「マジか、よく見りゃあるな」
「って言うかそっちは普通に見えるんだから先に気づいてよ」
「いつも見えるから余計に判らないんだって、術で味足して飯作る地方は他にもあるし」
「その割に味が無さ過ぎるんだけど」
「どっちかっつーと味引いてるよな……あ、他の客の料理には魔術痕が無いぞ」
 他のテーブルを一つ一つ観察する。遠巻きで見えづらくはあったが、どれも術がかけられた形跡は無いように見えた。
 そんな中、二人のすぐ隣の席だけが異なる様相を呈していた。二人用の小さなテーブルを一人で使い、現地民と思しき服装をした青年が食事をしている。しかしその顔はやけに血色が悪く、匙を持つ手は小刻みに震えていた。その指先には料理についていたものと同じ色の筋が現れている。
 二人は頷き合い、同時に席を立った。言葉を交わさずともそれぞれの為すべきことは分かる。エリルベートはこの地域の情報を記憶から引き出しながらカウンターへと向かう。魔術が一般的に知られている社会だったはずだ。
 もう一人は自分たちの料理の皿二つを持ち、勝手に隣のテーブルへと置いた。震える手で食事を続けようとしていた青年は、隣で仁王立ちになった長身の男に気圧され、身を強張らせる。
 怒れる男は目だけが笑っていない邪悪な笑みを浮かべ、どすの利いた声で告げた。
「すみません相席宜しいっすか? 一緒に食べましょう、と言うか食え、全部食え」

 騒然となった店内に落ち着きが戻った頃、二人は先ほどと同じように席に着いていた。皿を見つめる彼らの表情は打って変わって晴れやかだ。目の前にあるのは先ほどと同じ料理だが、作り直されたため量が元に戻っている。心なしか少し増えている気もする。メニューにある中で一番高い酒が付いているのも女将の計らいによるものだった。
 他人の飯の味を引っ掻き回したはた迷惑な男は、逃げ出そうとしたところをロセロによって捕らえられ、店の通報によって駆けつけた自警団へと引き渡された。聞くところによると、この国周辺では料理の味付けが宗教や民族の違い以上に争いの火種となっているらしい。加えてつい最近食べ物の味を変質させる術が開発されたことにより、敵対する派閥の食堂で観光客に不味い飯を食べさせて派閥の名を貶める嫌がらせが起こっているとのことだった。逮捕者はこれで二人目であり、事件は今後更に増えていくだろうとも。
「俺たちそんなにお上りっぽいか?」
「服が現地の人っぽく無いからだと思う」
「あー、そっちか。まあその辺は置いといて食おうぜ、乾杯!」
「そうだね、かんぱーい」
 グラス同士を軽く当てると澄んだ音がする。そのまま揃って酒を煽り、喉を焼く辛口の風味を楽しんだ。
 実のところは二人とも騒ぎが大きくなる前に店を去りたかったのだが、ちゃんとした飯を食べていってくれと女将と看板娘にせがまれ後に引けなくなっていた。こんな小さな店にまでテロが及ぶなんて、と泣いていた少女を放っておけなかったのだ。手の加えられていない食事を取り、美味しいと言って帰らなければならない。男としての誇りにかけて。
 エリルベートは匙いっぱいに炒め物を、ロセロは肉の包みを乗せて、大口を開けて頬張った。
 口いっぱいに広がる肉と野菜のコク、香草の味わい、上品な油の風味、そして、
「ほひっ」
「か、辛っ!」
 脳天を突き抜けるような辛さ。
「はふっ、ふ」
「おいそっち団子食いすぎだろ! あっ酒おかわりください」
「僕もー」
 辛い辛いと呻きながらも手が止まらない。二人は汗だくになりながら大盛りの料理を貪り続けた。
 貰い物の粉が胃薬で、軟膏が尻に塗るためのものだと気づいたのは、二つの大皿といくつかのグラスを空にしてからだった。